049 期間限定の婚約者
「物事を明るく考えるのは悪いことではない。……しかし、君の場合、どうしたって背後に実母の遺産やスタイナー家がもたらす『桁違いの持参金』がチラつく。その事実を無視し、都合よく考えてその場を凌いでも、結局は同じことの繰り返しになるだけではないのか?」
ステアは胸の前で組んでいた腕を解いた。そして、極めて重要なことを告げる時のように、表情を引き締める。
「私は君に対し、女性としての好意を持っているわけではない。……しかし、少なくとも君の背後にある物を目当てに、求婚しようと思ったわけでもないんだ」
至極真面目な顔で告げられた言葉に、コートニーは毒気を抜かれた。
確かに、赤の他人である自分を捕まえるために、懸賞金の五十リンクをポンと出せる財力が彼にはある。王子という立場を抜きにしても、彼が金銭目当てで動く理由など、どこにもない。
「……そうですね。殿下は、私のお金が目当てではありませんわ」
「それに、これは言い訳ではあるのだが」
コートニーが納得した様子を見せると、ステアは少し言いづらそうに言葉を区切った。
「私は現在、君も知っての通り切り裂き魔事件の指揮を執っている。私の中で優先度が最も高いのはあの事件だ。だから、正直に言えばそれ以外のことに余計な時間を割きたくないし、割かれたくもないんだよ」
ステアの表情が硬くなる。その鋭い眼光の先に据えられているのは、いまだ捕まえることのできない切り裂き魔の記事だ。彼の視線の奥には、犯人への怒りと、進まぬ捜査への焦燥が滲んでいた。
(……殿下は寝る間を惜しみ、身を粉にして働いている。それを私は、元部下として誰よりも近くで見てきたはずなのに)
そんな彼の邪魔をしているのは、確実にコートニーだ。
「……なんて、自分勝手だったのかしら」
事実に打ちのめされ、コートニーは落ち込む気持ち全開で、深くうなだれた。
「後ろ暗い事情で君に求婚した私は、君に対して誠実だとは言い難い。……しかし、その上で頼みたい。しばらくの間でいい、私の婚約者でいてはくれないか」
ステアは、まるで差し違える覚悟を決めたような、複雑な眼差しをコートニーに向けた。
「その言い方だと、まるで『期間限定』のような響きですね」
コートニーは、ステアから飛び出した「しばらくの間」という言葉に素早く反応する。
「こうなってしまった以上、周囲を納得させるには婚約するのが一番手っ取り早い」
ステアは膝の間で手を組み、テーブルに広げられた新聞に再び視線を落とした。
そこには、二人の嘘で塗り固められたロマンスが躍っている。
「通常、女性にとって結婚は幸せを保証するものと等しい。だから君が私との未来を決闘してまで嫌がるだなんて、想像していなかったんだ」
ステアは力なく、自嘲気味な微笑をコートニーに向けた。
「けれど、君には良くも悪くも財産があり、後ろ盾となる祖父母がいる。多くの女性が結婚という制度に縛られる中で、君には『結婚しない』という選択肢があり、相手を選ぶ権利も持っている。……この件に関して、僕は完全に読み間違えたというわけだ」
諦めたようにそう付け加えるステアを見て、コートニーは少しだけ胸が痛んだ。
「君には選択の自由がある。だが、私の方はそうもいかない」
「それは、殿下のご結婚についてですか?」
「ああ。適齢期を迎えた私は、周囲から『身を固めてこそ一人前だ』と口を酸っぱくして言われる日々だ」
「確かに、男性は家庭を持つと責任感が湧いて、より一層お仕事に励めると言いますものね」
「君までそれを言うのはやめてくれ。しかも、周囲の男たちが結婚に消極的なのは、私が先陣を切って身を固めないからだと責められる始末だ。僕はまだ二十歳だぞ?」
「……完全に結婚適齢期ですわ」
感情が爆発したのか、思わず「僕」呼びになったステアに対し、コートニーは容赦なく事実を突きつけた。すると彼はギロリと彼女を睨みつけた後、がっくりとうなだれた。
「今は社交シーズンの真っ只中だ。結婚市場で『条件の良い男性』だと噂される私の元には、うんざりするほどの晩餐会や舞踏会の招待状が届く」
「仕方ありません。女性側だって、それこそ必死なのですから」
「それにしたってあの量は異常だ。その全てに贈り物を添え、失礼のないよう欠席の返信をしたためる。それだけで半日が潰れる勢いなんだぞ」
「お断りの際にも気配りを忘れないなんて、さすがは『条件の良い男性』ですわね」
感心して素直に褒めたつもりだったが、ステアは「余計なことを」と言いたげな表情を返してきた。
「……できることなら、あらゆる勧誘や手紙から解放されたいよ」
ステアは肩をすくめ、脱力したようにソファの背もたれに体を預けた。その疲弊した姿は、完璧な王子というより、仕事に追われる一人の青年のようだった。
「私は、クラスコーの国民に恐怖を植え付け、弱者をターゲットにする切り裂き魔……通称『ミッドナイト・テイラー』を一刻も早く捕まえたい」
まるで自分自身に言い聞かせるように、彼は目的を繰り返す。
「だから、せめて奴を逮捕するまでの間だけでもいい。君に私の婚約者を演じてほしいと考えたんだ。婚約者がいれば、闇雲に招待状が届くこともなくなるし、少なくとも欠席の手紙の内容だって、令嬢相手でなければ簡素なもので済むからね」
「なるほど……」
「以上だ。これが私の本音だよ」
ステアはふいと横を向き、窓の外へと視線を逃がした。
コートニーは、どこか憂いを帯びた彼の整った横顔を見つめながら、心の中で溜息をつく。
(……なんでこの人は、いつもこうやって大事な本音を後出しにするのかしら)
最初からそう言えばいいものを、わざわざ高慢な態度で「私で手を打て」などと言い放つから、決闘騒ぎにまで発展するのだ。不器用なのか、それとも素直になれないだけなのか。
(でも、これほど切実に『事件を解決したい』と願っている彼は、その部分だけ見たら誠実な男性だと言えるのよねぇ……)
彼の優先順位は、いつだってこの国の安寧にある。そのために自分のプライベートさえも「効率化」しようとしている姿は、あまりにも彼らしかった。
「分かりました、殿下。あなたのその『不純で、かつ切実な動機』、理解いたしましたわ」
コートニーは、少しだけ意地悪く、けれど柔らかな微笑みを浮かべて告げた。
その言葉に、窓の外を見ていたステアの肩が、わずかに、けれど確実に安堵したように揺れたのを、彼女は見逃さなかった。




