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捕まるまでが、逃亡です  作者: 月食ぱんな
第六章:王子と令嬢は合理的に嘘をつく
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048 逃げ場のない選択肢

 結局、レナルドが手袋を貸してくれることはなかった。


 コートニーはステアに冷ややかな目で見られ、あえなくソファへと逆戻りさせられてしまう。


(……せっかくの決闘のチャンスだったのに。レナルド様の意地悪!)


 むうっと膨れるコートニーを余所に、ステアは彼女のために裏で動いていた事実を淡々と話し始めた。


 その話によると、コートニーに新たな婚約話が持ち込まれても認めないよう、国王に直接懇願してくれていたというのだ。


 つまり、あの忌々しいネイサンとの結婚は、事実上消滅したということになる。


(それは……本当にありがたいけれど。でも、手放しでは喜べないわ)


 現状、ネイサンとの結婚を回避できた代わりに、さらに巨大な問題——王子との捏造スキャンダルに直面している。


 ステアも正直なところ、この事態には頭を抱えているらしい。


「あの報道が出てから、私の元にはすでに、遠回しにお祝いとも取れる手紙が関係各所から届いている。どれも私が信頼している者たちからだ」


 向かい側に座るステアは、胸の前で腕組みをし、不貞腐れたような顔で告げた。


「それと、ウィリアム……君の父曰く、彼の邸宅には朝から、独身貴族の来訪を願う先触れが絶えないそうだ」


 ステアの口から実家の話題が飛び出し、コートニーは驚いて目を見開く。


「どうしてですか? まさか、あの熱愛報道で私の評判が上がったんですか?」


 王子であるステアが認めた女性ならば、理想的な令嬢に違いない。世間にそう認識されたのだろうか。


 淡い期待を抱いたコートニーだったが、ステアの答えは無情だった。


「……残念ながら、そうじゃない」


「じゃあ、どうしてですの?」


「ヒスコック伯爵家が、王族と縁続きになる可能性が出てきたからだ」


 コートニーの脳裏で、点と線が結びついた。


「まさか、独身貴族たちが面会したがっているのは私ではなくて……リリア!?」


 思わず叫ぶと、ステアは静かに頷いた。


「現在、リリア嬢の結婚市場における価値は急上昇中だ。……君の評判と、真逆で」


「なんてこと……!!」


 コートニーは絶望のあまり、口元を手で覆った。


(リリアがステア殿下の『義姉』になるかもしれないなら、今のうちに恩を売っておこうってわけね。……ああ、今日に限って扇子を忘れてきたのは致命的だわ!)


 今こそ、動揺を隠すための淑女のマストアイテム、扇子の出番だというのに。


 彼女は素手で顔を隠しながら、自分の運命の皮肉さに身悶えするしかなかった。


「実はこの新聞記事が出たのは一昨日のことだ。それ以来、私も、そして君の父上であるウィリアムも、対応に追われる日々を送っている」


「一昨日……」


 コートニーは記憶を遡った。

 一昨日といえば、エロイーズと呑気にドレスを選んでいた日だ。


(……あっ、まさか!?)


 王室御用達だという有名デザイナーとエロイーズが、コートニーの身体を採寸しながら、上機嫌で視線を交わしていた情景が脳裏に蘇る。


「まさか、あの時の計測は……私のウェディングドレスの寸法を、さりげなく測っていたということなのですか?」


 すがるような思いでステアに視線を送る。しかし、返ってきたのは恨めしそうな顔だけだった。


「あんまりだわ……」


 コートニーは現状を完全に把握し、がっくりと肩を落とす。


 エロイーズ王妃がその気になっているのであれば、もう逃げ場はない。リリアがこの状況をどう思っているかは分からないが、義母のソフィアに至っては「したり顔」に違いない。


 自慢の娘に求婚者の列ができているのだ。

 娘の価値を世間に示せるこの状況を、彼女が喜ばないはずがない。


(しかも、その原因を作ったのは他ならぬ私だなんて……。悔しくて、はらわたが煮えくり返りそうだわ)


「こうやって、当事者はどうすることもできず、嘘が誠になってしまうのですね」


 コートニーは諦めの境地で小さくぼやいた。


「……君を警察署から引き取ることを決めたのは私だ。あの時からこうなる可能性は理解していたというのに、防ぐことができなかった。そのことに関し、君には申し訳なく思う」


 先ほどまで不機嫌を隠さなかったステアが、不意に声を落として謝罪した。

 どうやら彼もクールダウンしたらしい。


(……殿下もしょんぼりされているわ)


 力なく肩を落とすステアを目の当たりにすると、コートニーの胸にも申し訳なさが芽生えてきた。よくよく考えれば、彼はコートニーの複雑な家庭事情に巻き込まれただけなのだ。


 修道院で帰りたくない一心から、彼を犯罪者扱いして煽ったのは、紛れもなく彼女自身だった。


「……ごめんなさい」


 コートニーの口から、自然と謝罪の言葉が漏れた。


「ステア殿下を巻き込んでしまい、本当に申し訳ありませんでした」


 ついに、彼女は自分の非を認めた。 いつも誰かのせいにしてばかりいるけれど、そもそも逃げ出そうと決めて行動しているのはコートニー自身だ。


 その結果、周囲を振り回している。


(特に、目の前のステア殿下は……私の行動による最大の被害者だわ)


 正直、今更な気もしなくはないが、ようやくその事実に正面から向き合えた気がした。


「いや、私もやりすぎた。もっと早く、ネイサンとの婚約はあり得ないと君に知らせるべきだったんだ。それに、君を保護すると決めたのは私自身だ。だから、君だけのせいではない」


「でも、私がそもそも逃げ出さなければ」


「だったら、私が君を引き取らなければ良かったんだ」


「でも……」


 どんよりとした空気に飲み込まれ、二人の会話は完全な堂々巡りに陥っていた。お互いが「自分が悪い」と譲らない、奇妙な反省合戦だ。


 そんな重苦しい沈黙を破ったのは、ステアの一言だった。


「……私が言える立場ではないかもしれないが、こうなってしまった以上、悔やんでも仕方ない。時間は有限だ。お互いにとっての『最善の道』を探すことに労力を割くべきだと思う」


「最善の道、ですか?」


 コートニーが顔を上げると、ステアは何かを企む子供のように、口元にゆっくりと怪しい笑みを浮かべた。


「この状況を逆手に取り、お互いが抱えている問題を一挙に解決するんだ」


「お互いが抱えた問題って、一体……」


 コートニーは素早く思考を巡らせた。彼女にとっての最大の問題はネイサンとの強制的な結婚だったが、それはステアによって既に阻止されている。


「君はフィデリア国への逃亡を願っている。それは家族に望まぬ結婚を強いられそうになったからだ。つまり、その問題が解決した今、君にとってフィデリアへ逃げる必然性は失われたことになる」


「確かにそうですけれど……でも、結局この国にいる限り、私はまた別の誰かと結婚させられます」


 そこまで言って、コートニーはハッとした。


「まさか、それが『私と殿下の婚約』という提案に繋がるのですか?」


「そう。もし君が今後一切誰とも結婚しないと覚悟しているなら、私はフィデリアへ行けばいいと背中を押すだろう。しかし、君は——」


「いずれ、結婚したいですわ!」


 はしたなくも、コートニーはステアの言葉を奪うように叫んでいた。それは、彼女の心からの本音だった。まだ社交界デビューしたばかりの十六歳。これから続く長い人生を、たった一人で生きていく勇気などまだ持てない。


(できれば心の結びつきのある相手がいい。それが無理でも、せめて私を金づる扱いしない、自立した男性と添い遂げたい……)


 そんな彼女の願いを見透かしたように、ステアが静かに告げる。


「君はフィデリアへ逃げ、普通の令嬢として生きようと思っているかもしれない。だが、実際はそう上手くはいかないだろうな」


「どうしてですか?お祖父様たちは庶民です」


「確かにスタイナー家に爵位はない。だがスタイナー家は、その名が海を越えて知れ渡るほどの大財閥だ。……君は今以上に、金に目の眩んだ男たちから追い回されることになるだろうな」


「そんなこと……」


 あり得ない、とは言い切れなかった。


 フィデリアへ行けば自由になれると信じていたが、そこにはまた別の「打算」が待ち構えている。


 コートニーは、自分が思っている以上に「ヒスコック伯爵令嬢」という肩書きと「スタイナー家の財産」という鎖に縛られていることを、改めて突きつけられた。


 大好きだった母の実家。けれど、自分に残された遺産の額を見る限り、スタイナー家の資産はコートニーの想像を遥かに超えているはずだ。だとしたら、フィデリア国へ逃げたところで、結局は今とさほど状況が変わらない可能性が高い。


「だ、だけど……中には、私自身を見てくれる人がいるかもしれません!」


 金の成る木と化した自分に寄ってくる有象無象の中に、ついうっかり迷い込んだだけの誠実な人がいるかもしれない。そんな人と心を通わせ、真実の愛を築く——。


 随分と強引な想像だとは自覚しているが、コートニーは藁にもすがる思いで、必死に未来を良い方向へ捉えようと足掻いた。


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