047 責任の取り方を間違えている王子
ステアは紅茶を口に含み、静かに目を閉じた。
その沈黙は、これから切り出す提案をいかにさりげなく伝えるか。
己の内心を落ち着かせるために、必要な時間だった。
今回の捜索で、コートニーに懸賞金をかけたことに後悔はない。手っ取り早く彼女を確保するには、最善だった。
(本来、女性とは安らぎの家庭を築く賢い主婦であるべきだ)
ステアはそう考えている。しかし時代は変わり、自立や権利を叫ぶ女性たちが無視できない勢力となりつつあった。
(男女には適材適所がある。それが悪いことだろうか?)
母の主催する『円卓の貴婦人』のように、影で男性を支え、手柄を譲ることを美徳とする女性たちこそが理想だ。だが、世論が少しずつ女性解放運動に傾いているのも事実。王族として、この保守的な本音を表に出すのはあまりに危険だ。
(この風潮を無視し続けるわけにはいかない)
ステアは瞼の裏で、目の前のコートニーを思い描いた。
(時代に流され、危うい自立を夢見る彼女をどう導くべきか……)
「殿下、もしかして寝てしまいました? それとも突然死!? え、息してます?」
向かい側から飛んできた物騒な声に、ステアは意識を引き戻された。
(そうだ。僕はこれから彼女に重要な選択を迫らなければならないんだった)
現状から逃げ出したい一心で、思考を明後日の方向へ飛ばしていたが、どうやらタイムリミットらしい。
覚悟を決め、ゆっくりと目を開けた。
「生きてらっしゃったのですね?」
「勝手に殺さないでくれ」
「もしかしてお疲れとか?」
首を傾げる彼女に、ステアは内心溜息をつく。
正直、議会に、切り裂き魔事件の対応。それから避けられない夜会への出席。
避けられない予定が詰まっているため、寝不足が続いている。
さらに追い打ちをかけたのが、母親から連日届くピンクの封書だ。「まだ見つからないのか」とコートニーの行方を執拗に問い詰めるその手紙は、ステアの精神をじわじわと削り取っていった。
(だが、今となってはそれさえも些細なことだと思えてきた……)
ステアと部下たちによる事前のシミュレーション会議では、今回の件は女性にとってデリケートな問題を含むため、段階を踏んで衝撃を和らげるべきだという結論が出ている。
ステアは手にしていたティーカップをそっとソーサーに戻すと、コートニーを真っ直ぐに見つめて口を開いた。
「……人の噂というものは、実に厄介だ」
「え?」
唐突な言葉に、コートニーは明らかな困惑の表情を浮かべた。
ステアは訝しげな顔をする彼女をあえて無視し、話を先へと進める。
「たとえ嘘であっても、信じる者が多ければ、その嘘こそが正しい事実として認識されてしまうものだ」
「あっ、もしかして切り裂き魔事件で犯人に仕立て上げられた、ジョン・ホイザーさんのことでしょうか?」
コートニーが身を乗り出し、食い気味に話題に食いついてきた。
確かに、ジョン・ホイザーが誤認逮捕に至った経緯も、今ステアが頭を悩ませている案件と似たような状況ではある。
「ふむ。彼もまた、大衆の噂によって人生を狂わされた一人だと言えるな」
「『彼もまた』ってことは、同じように犯人だと疑われている人が他にもいるんですか?」
(……どうしてそうなるんだ)
どうやら彼女は、この話が切り裂き魔に関連するものだと思い込んでいるらしい。
「実は今日、君を呼んだのは切り裂き魔の件ではないんだ」
「でも、さっき仕事の話だと仰っていましたよ?」
「確かにそう言った。ある意味、仕事から派生した案件ではあるからね」
「……殿下。本題を言うのを、必死に先延ばしにしていますね?」
(……お見通しか)
まさにその通りだった。
ステアは、彼女の察しの良さと理解力の高さに、改めて感心せざるを得ない。
「いいか? 今回私が君を大々的に捜索する際、新聞社を利用した結果、一部から情報が漏れ……現在、市井では事実とは異なる『嘘』が広まっているんだ」
「もしかして、殿下の恋人は私だと噂されていることでしょうか?」
コートニーの直球な指摘に、ステアの心臓は「ついにきたか」と激しく跳ねた。
「……そうだ。君が修道院であの時、私のことを『頬に痣を作った張本人』のように扱っただろう?」
「ええ。あの時は、自分の身を守ろうと、無我夢中でしたから」
悪びれずに言ってのける彼女のふてぶてしさに、ステアはこめかみを押さえたくなった。
「 私はあの場を早急に収拾しなければならなかったんだ」
「まあ、王子殿下ですものね」
「その結果、通常では考えられない、とんでもない行動を取る羽目になった」
「確かに、とんでもなかったですわ」
じろりと睨みつけてくるコートニーに、ステアは内心で毒づく。
(元はと言えば、ベッドの脚に小指をぶつけてまで嘘泣きをするという、姑息な手を使った君が悪いんだろうに……)
しかし、あの場にいたのは男性からの虐待を身近に知る一時避難者や、そんな環境から女性を保護する修道院関係者だ。それをうまく利用した、彼女のリアリティ溢れる演技に、誰もがコロッと騙された。
そもそも、模範的であるべきとされる王族にとって「王子が女性に暴力を振るう」などという噂は、囁かれることすら許されない。だからこそステアは咄嗟に、彼女とは想い合った間柄であるかのように演じ、一刻も早くあの場を離れたい一心で、彼女の体に触れてしまった。
「この罪は重い……」
ステアはグッとこみ上げる後悔を何とか飲み込む。
「そうですね。とはいえ、あの状況ならば仕方がなかったと、私も理解しています。ですから、あの件はなかったことにしましょう」
ステアは、彼女のあまりに潔い……と言えば聞こえはいいが、図々しい物言いに、思わず言葉を失う。
(……彼女は、自分が原因で一国の王族がどれほど頭を抱えているか、微塵も理解していないだろ)
喉元まで出かかった文句をどうにか飲み込み、彼は深く背もたれに体を預けた。
「……なかったことにできるのであれば、私もこれほど苦労はしていない。いいか、コートニー。事態は君の想像以上に最悪な方向へ転がっている」
「最悪?」
コートニーが眉間に皺を寄せた。
「レナルド、例のあれを」
壁際の丸テーブルで「我関せず」と読書に耽っていた幼馴染に声をかける。
「御意」
短く呟いたレナルドは、わざとらしく眼鏡を押し上げ、ステアに新聞を差し出してきた。
(……あとで小言を言われる予感がするな。今のところ失策はないはずだが……)
そんな内心の戸惑いを隠し、ステアは受け取ったばかりの新聞をテーブルの上に広げた。
「新聞、ですか……」
訝しげな表情を浮かべるコートニーの視線が、衝撃的な見出しに落とされる。
「これはまた……何というか」
コートニーは呆れた顔で、絶句した。
その気持ちは、ステアにも痛いほどわかる。そこに躍っているのは、大幅に脚色され、ほぼ嘘で塗り固められた物語だったからだ。
『ステア殿下とコートニー嬢、聴衆の前で熱い抱擁! 近々婚約の発表か!?』
何度見ても、ステアに溜息しか生み出さない記事である。
「……これは嘘だ」
「はい。根も葉もない嘘ですわ」
「いや、『根も葉もない』というわけでもないんだ」
「えっ、そうなんですか? あ、もしかして……」
コートニーが何かに気づいたように、新聞記事へ素早く視線を落とした。
「やっぱり……」
彼女はようやく事態の深刻さに気づいたのか、意気消沈した様子でわかりやすく脱力した。
「そう。あの時、修道院で演じた私と君の関係を本気で信じてしまった者たちの証言が、この記事に信憑性を持たせてしまっているんだ」
「だったら、殿下が違うと否定してくださいませ」
「もちろん、してもいい。……だが、私が君を抱き寄せ、触れてしまったことは事実だ」
ステアの言葉を受けたコートニーは、目をしばたかせた後、ぽかんと口を開けた。
しかし、すぐに我に返って口を噤んだ。彼女は、手元にない扇子を探してキョロキョロと視線を彷徨わせたものの、結局見当たらなかったのか、最後には両手で自身の口をぎゅっと押さえている。
(彼女は、時折挙動不審になることがあるよな……)
ステアはコートニーの混乱を横目に、冷静に話を続けた。
「この件に対し、私が真っ向から『違う』と否定した場合、君が何らかの手段で私をたぶらかしたか、あるいは私が虚偽の証言をしているかの二択を世間に突きつけることになる。どちらに転んでも、君の評判は地に落ちるだろう」
ステアはわざとらしく重いため息を添えておく。
「……『なりかねない』じゃなくて、すでにガタ落ちですわ! 今だって社交界に顔を出せていないし、あのワイン事件を知る人たちからは、決して良い目で見られていないのに。どうしてこんなことになっちゃったの……」
コートニーは口元から手を離し、早口でまくしたてた。その鋭い視線から察するに、彼女は全面的にステアが悪いと思っているようだ。
「どうしよう……私はもう、傷物だわ」
小さく呟いた彼女は、新聞記事を恨めしそうに睨みつけた。
(確かに、あんな風に人前で触れてしまったのは、僕の不徳の致すところだ。箱入り娘として育てられた令嬢にとって見れば、人生を左右する大事件に違いない)
罪悪感と「計画通り」という二つの思考の間で揺れる気持ちはある。
しかしながら、ステアも数々の窮地を切り抜けてきた王族だ。感傷に浸ってばかりもいられない。彼女が抱く「最悪の事態」への認識を、自分にとって都合の良い方向へ上書きする必要があった。
ステアは、まるで公務の相談でもするかのように、至って真面目な顔を作って言葉を返した。
「私の経験からすると、うっかり階段から足を踏み外しそうになった令嬢の腰を、咄嗟に抱きかかえて救ったこともある。だから、君が言うほど『傷物』というわけではないと思うのだが」
「うっかり階段から足を踏み外す時点で、その女性はおっちょこちょいですし、そもそも淑女失格ですわ!」
(……いや、君にだけは言われたくないだろうよ)
ステアは喉元まで出かかった言葉を飲み込み、密かに反論した。
「だが、ダンスの時はわりと密着するだろう?」
「ダンスはスポーツですわ」
「エスコートされる時は、男性に触れるはずだ」
「大抵は身内です」
「馬車に乗る時だって……」
「あれはそうしないと、手を差し伸べてくださる男性に失礼だから仕方なくです! 」
キッとステアを睨んだかと思ったら、今度は顔に手を当て、「ああ、もう……!」と深く項垂れてしまった。
ステアは、彼女のあまりに極端で頑なな理論に、呆れを通り越して感心すら覚えた。ダンスがスポーツで、馬車への乗車が義務だというなら、自分のしたことは一体何に分類されるというのか。
「うう、私はやっぱり傷物確定なんだわ……」
どうやら、何を言っても無駄なようだ。しまいには「殿下のせいだ」と泣き真似を始めるコートニーに、ステアはほとほと呆れ果てた。
「落ち着いてくれよ……」
思わずこぼした愚痴に重なるように、コホン、とわざとらしい咳払いが聞こえた。
背後に控えるレナルドだ。困り果てたステアが視線を送ると、彼は無表情のまま「早く言え」と口を動かした。
(……人生の大きな決断をする日が、今日になるとはな)
状況は最悪だが、こうなってしまった以上は仕方がない。
(これが最善だ。少なくとも彼女を、これ以上傷つけずに済むし)
ステアは諦めの境地で、ついに本題を口にした。
「……つまり、一連の責任を取って、君と婚約することにしようと思う」
その瞬間、コートニーは動きを止めた。新緑色の瞳を大きく見開き、整った顔を驚愕に固まらせてステアを凝視している。
「私も、君には悪いことをしたと思っている。思えばワイン事件の時も、何の因果か私が立ち会ってしまった。これも何かの縁だと思うんだ」
「……正気ですか?」
コートニーから、今まで聞いたこともないような低い声が漏れた。
「もちろん正気だ」
「エロイーズ王妃殿下に、責任を取るよう命じられたからですか?」
「ああ、そうだ」
二人の間に、ひりつくような不穏な空気が流れる。
ステアはあえて突き放すような冷ややかな口調で畳みかけた。
「コートニー、君は結婚したいのだろう?」
「ええ。できればしたい、そう思っておりますわ」
「だったら私で手を打て。こう見えても、私と結婚したいと願う女性は数多くいる。世の女性たちに言わせれば、私は相当に『条件の良い男性』らしいからな。つまり、私で不満なら君は誰とも結婚できないということになるぞ」
その言葉を受けた瞬間、コートニーの膝に置いていた手が小さく震えた。 彼女はそのままスッと立ち上がると、迷わず壁際のレナルドの元へと歩き出した。
「レナルド様、読書中失礼いたします」
コートニーが怒りを押し殺した声で、レナルドに告げる。
「どうされましたか?」
さすがのレナルドも白々しいセリフを口にしながら、本から顔をあげた。
「レナルド様、手袋をお貸しください」
「手袋ですか?」
「ええ、手袋です」
「お貸しするのは構いませんが、一体どうされるおつもりですか?」
レナルドが訝しげな表情で尋ねた。
「そんなの決闘を申し込むからに決まってますわ」
彼女の口から飛び出した答えに、レナルドも目を丸くする。
「ええと、一応お伺い致しますが、どなたがどなたに決闘を?」
「私が殿下に申し込むに決まってるじゃないですか。さぁ、レナルド様、手袋を」
コートニーがレナルドに手を差し出す。
「殿下、渡してもいいでしょうか?」
レナルドが問いかける。
「いいわけないだろう!!」
ステアは思わず声を荒げ、即答したのであった。




