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捕まるまでが、逃亡です  作者: 月食ぱんな
第六章:王子と令嬢は合理的に嘘をつく
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046 逃げ切れなかった理由

「僕は、君が目指しているのがフィデリア国だというのを知っていた」


「そうですね」


「だから、フィデリア行きの船が運行し始めるのを待って、王都に潜伏しているに違いないと確信していたんだ」


「……なるほど」


 悔しいが、大正解だ。


「さらに、君は家出した人間がウェスト地区のような整った場所には住めないことも知っていた。なぜなら、その情報を与えたのは私だからね」


「仰る通りです」


 かつて警察署で取り調べを受けた際、ステアはまるで幼子に説く家庭教師のように、王都の住宅事情を丁寧に説明してくれた。


『身元不明の者に部屋を貸すような場所は、王城付近には存在しない。治安が良い場所というのは、相応の金を払い、確かな身元を証明できる者たちが集うことで成り立っているのだから』


 その知識があったからこそ、コートニーは最初から高級住宅街を候補から外し、身元を問われないイースト地区へと足を向けた。


(教えていただいた通りに動いた結果、見事に手のひらで転がされていたってわけね)


 自分がステアに与えられた情報を忠実になぞっていた事実に気づき、彼女は苦い思いを胸の奥で噛み締めた。


「となると、潜伏場所として選ぶのは女子修道院しかない」


「何でですか? 宿屋だってありますし、簡易宿泊施設だってありますよ?」


(人が夜を過ごす場所にはヴァリエーションがあるんだから)


 コートニーは、収容された後に仕入れた知識を、さも最初から知っていたかのように強気で口にした。


「何度か家出を経験した君は、金に対してシビアな感覚を持っている。とはいえ、物価についてさほど詳しいわけではない」


「お肉の値段の適正価格くらい、知っています」


「だが、それは逃亡計画を立てている段階では、あまり重要ではないはずだ」


「……そうですけれど」


(思考の裏まで読まれているようで怖いわ……)


 コートニーは身をすくめた。自分が単純すぎるのか、それともステアの閃きが別格なのか。これ以上、自分の至らなさを突きつけられたくない。


 彼女はあえて深く考えるのをやめた。


「そもそも、君が姿を消した後、部屋に残されていたあの謎の金だが――」


「あれは衣装代と、トランク代です」


 コートニーは間髪入れずに指摘した。


「そう、それ。そんな所じゃないかなと思っていたけど、やっぱりそうだったんだ」


「はい。勝手に買い上げてしまったことは申し訳ないと反省しております。もし足りなければ追加でお支払いいたしますので、どうか……穏便に取り計らっていただけると嬉しいです」


 コートニーは目をパチパチさせて、縋るような視線をステアに送った。


 冗談ではなく、彼女は必死だった。王族の所有物を勝手に「買い上げた」などという理屈が、法的に通用しないことくらいは理解している。もしステアがその気になれば、自分は今頃城の応接室ではなく、冷たい石造りの牢獄にいてもおかしくないのだ。


(天国のお母様も、娘が盗賊になったと知れば、悲しみの雨をこの世に降らし続けるに違いないわ……)


 そんな彼女の悲壮な覚悟を余所に、ステアは呆れたように嘆息した。


「……そういうところなんだよ。君が逃げ切れないのは」


「え?」


「あの額は、数着の仕事着とトランク代にしては多すぎる。そういう金銭感覚のズレは致命的だ。そしてそのことは、すでに君も気付いているんだろう?」


 言い当てられ、コートニーは悔しくてお腹の前で組んだ手を強く握りしめた。


「君は今後のことを考え、なるべく貯蓄は減らしたくないと思っている。けれど染み付いた金銭感覚は貴族のそれしかない」


 ステアは得意げな表情で続ける。


「そんな人物が市井に出れば格好のカモだし、何より『金遣いが荒い人間がいる』と噂が立ちかねない。だからこそ、君が潜伏場所として選べるのは、消去法で女子修道院しかない」


 論理的に追い詰められ、コートニーは精一杯の反論を口にした。


「……でもあそこは女子の花園。まさか殿下が、あんな場所にまで押し掛けていらっしゃるとは思いませんでしたわ」


 彼女はステアに非難の目を向ける。


「それでも私は、逃げたかったんです。理屈じゃなくて、あの家族の元から……」


 コートニーは逃げ場のない現実から目をそらすように、目の前の紅茶へと手を伸ばした。


 カップから立ち上る湯気が、微かに鼻先をくすぐる。指先から伝わる温かさは、緊張で強張っていた彼女の心を少しだけ解きほぐしてくれるようだった。


 そっと口に含んだ紅茶は、驚くほど深く、それでいて雑味のない洗練された味わいだ。丁寧に淹れられたその一杯が喉を通るたびに、悔しさで波立っていた胸の淀みが、ゆっくりと鎮まっていく。


(……美味しい。やっぱり、こういう贅沢が当たり前の世界で、私は育ってしまったのね)


 皮肉なことに、この一口の安らぎこそが、自分が「あちら側」の人間ではないことを何よりも雄弁に物語っていた。


 一口、二口。温かい液体が身体の芯に届くのを待って、コートニーは、次なる不満を静かに、けれどしっかりと口にする。


「男子禁制の場所に土足で踏み入った罪は重いです。あそこは女性による女性だけの聖域ですから」


「それについては面目ないとしか言いようがない。だが、君はすぐ逃げようとするだろう?」


「その点については否定しませんけれど……」


「だからあれは仕方がなかったんだ。とはいえ、迷惑をかけた件に関しては個人的にシスター・セシリアに謝罪をしておいたよ。もちろん、毛布や日持ちする食料に、寄付金を添えてね」


「お金の力で解決ですか」


(まったく、これだからお金持ちは……)


 文句が浮かび、慌てて喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。


 トランクやドレスの「買い上げ代金」として現金を置いて逃げた自分も、結局のところステアと変わらない。


「君にだけは言われたくないな」


 案の定、ステアに同類だと指摘されてしまう。


「……確かに。でも、こっそり探してくださっても良かったはずですわ」


 コートニーは負け惜しみのように、唇を尖らせて不満をこぼす。


 ステアは「やれやれ」と言わんばかりに肩をすくめた。


「君は修道院を少し神格化しすぎている。確かにあそこは女性の守護地だが、同時に社会的な窓口でもあるんだ。私が『正攻法』で挑むわけがないだろう?」


「正攻法ではない……? まさか、無理やり押し入ったのですか?」


「心外だな。私は紳士だよ」


 ステアは優雅に紅茶を啜り、事も無げに続けた。


「修道院は、実情はどうあれ、社会的弱者を救う施設だ。特に女子修道院は、男性から不当な扱いを受けて逃げ込む女性を保護する場所でもある。そんな場所に私が正面から乗り込んで、『正直に教えてくれ』と言って、彼女たちが首を縦に振ると思うかい?」


「……いいえ、思いません」


 コートニーの答えに、ステアは満足げに頷いた。

 何だか言いくるめられているようで、どうにも悔しい。


「そうだよね。教えてくれるわけがない。だから嘘でも、君が犯罪に巻き込まれている可能性があって、自ら失踪したわけではないと広く公表するのが最も効果的だと判断したんだ」


「効果てきめんでしたわね」


 嫌味っぽく付け加えるが、ステアは微塵も動じなかった。


「そうだね。とはいえ、もっと早く見つかると思っていたんだが。五十リンクという懸賞金が安すぎたのかなと、今となっては反省しなくもない。今後の参考にしっかりと覚えておこう」


「……絶対、そこじゃないと思います」


 反省の色が微塵も感じられないステアの言葉に、コートニーは脱力して肩を落とした。


「修道院側の人間は君から事情を聞けば匿うことを選ぶと思ったんだ。だが一時避難所というのは、言い方は悪いが困窮して逃げ込んだ者たちの集まりだ。しかも彼らの中には、自分の恵まれない境遇はすべて貴族が悪いと思い込んでいる者も多い」


 ステアは「私達も放置しているわけではないんだけどね」と、少しだけ表情を曇らせた。


 確かに、議会でもイースト地区の貧困問題が大きく取り上げられていると新聞に掲載されていた。だが、長年の問題をすぐに改善するのは難しい。以前、エロイーズ王妃が言っていたように、そこで暮らす人々にとっては「結果」こそがすべてなのだ。


「そんな背景もあって、一時避難所にポッと現れた貴族令嬢を見つければ、喜んで金と引き換えに差し出すだろうと予測した。だから懸賞金をかけたというわけだ」


 得意げな表情と爽やかな声で告げられた、身も蓋もない真相。


(……完敗だわ。結局、私は最初から最後まで殿下の手のひらの上だったのね)


 逃亡してわずか一週間で見つかってしまった自分の負けを、コートニーは認めざるを得なかった。


「そういった経緯で、私をまるで指名手配犯のように扱ったわけですね」


 彼女は全面降伏とばかりに脱力し、ソファの背もたれに深く体を預けた。


「正直、やりすぎたと思わなくもなかったよ。しかし、君のその痛々しい湿布姿を見せつけられたら、やはり間違っていなかったと自信を持ったよ。……まあ、それでも本当は、ネイサンにあんな真似をされる前に、僕がどうにかすべきだったんだろうけど」


「私に関わったばかりに……大変な思いをされましたものね」


「そう、それだよなぁ」


 ステアは苦笑いを返してきた。どうやらそれが彼の本音らしい。


 コートニーがジロリと睨むと、ステアは肩をすくめておどけた顔を見せる。


 おちょくられているのか、それとも少しは「悪かった」と反省しているのか。


 コートニーには、彼の掴みどころのなさがもどかしくてたまらない。


「それで、今日私が呼ばれたのはこのお話のためですか?」


 話が一段落したのを見計らい、コートニーはソーサーを持ち上げたステアに問いかけた。すると彼は、視線だけで「待て」と合図し、ゆっくりと紅茶を口に含む。


 そして、その香りを深く味わうように静かに目を閉じた。


(……本当に、綺麗な色)


 ステアの髪は、とても珍しい透き通るような銀色だ。


 コートニーは目を閉じている彼の長い睫毛を眺めながら……。


(うわ、睫毛まで銀色なんだ)


 場違いな感心をしつつ、手近なアイスボックスクッキーを手に取った。


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