045 謝罪と、それどころではない夜
コートニーの発した「それどころではない事態」という言葉を耳にしたステアは、開けていたシャツの襟元を無造作に整えた。その動作は優雅だが、どこか張り詰めた気配が漂っている。
「……ああ、レナルドの奴か。余計なことを」
ステアは軽く額を押さえ、吐息を漏らした。彼がこれほどまでに分かりやすく動揺を滲ませる姿は珍しい。
(あら、あの鉄面皮な殿下が珍しく弱り顔? もしかして、本当に私が震え上がるような恐ろしい事態が起きているのかしら?)
コートニーの内心に、歴史的真実を追う時のような鋭い好奇心が兆し始める。しかし、ステアが次に口にしたのは、予想だにしない言葉だった。
「寒くはないだろうか?」
「いいえ、この部屋はとても快適です」
コートニーが被せるように即答すると、タイミングを見計らったかのように給仕が音もなく現れた。
テーブルには淹れたての紅茶が注がれ、色とりどりの華やかな茶菓子が並べられていく。甘いものばかりでなく、夜食代わりなのか、ステアのためと思われる食べ応えのあるスコーンも用意されていた。
(温かい紅茶に、美味しそうなお菓子……。ここが殿下の私室じゃなければ、最高に幸せな休日なんだけどな)
ふわりと漂うアールグレイの香りに、コートニーの張り詰めていた肩の力がわずかに抜ける。
「まるで夢みたい」
「夢?」
コートニーの言葉を拾い上げ、訝しげな視線をよこすステア。
「すみません、つい」
「いや、別に責めているわけではないよ。夢とは一体どういう事だろうと思っただけだから」
「修道院での食事は、生きるための栄養摂取でしかないと割り切っていましたから。こんな風に目に楽しくて、味も保証付きのお菓子が並んでいるなんて、本当に夢のようだなと感じたんです」
咄嗟に出た言葉を説明すると、ステアの視線がコートニーの頬で止まった。それから彼は、少し寂しげな……いや、どちらかといえば罪を背負った人間のように、重苦しく肩を落とした。
「……顔の痣は、治ったみたいだね」
低く掠れた声。 どうやら彼は、コートニーの「湿布大作戦」に引っ掛かったままらしい。
いつも自信満々で、傲慢とも思えるステアがひたすら落ち込んでいるのを見て、罪悪感を刺激されたコートニーは、焦って言葉を重ねる。
「はい、お陰様で。王城の侍医様が処方してくださるお薬は偉大ですね。ありがとうございました。でも、見た目より全然痛くありませんでしたし、湿布で少しかぶれただけで、痣自体はもう大丈夫なんです」
「僕の方こそ、申し訳なく思っている。本当に……すぐに気づかず、すまなかった」
「いいえ、もう本当に大丈夫ですから!」
良心に深く突き刺さるようなステアの謝罪を受けながら、コートニーは「謝罪の言葉も時として攻撃になり得るのだ」と、身をもって知る。
「ところで、どうして私があそこにいる事に、殿下はお気づきになられたのですか?」
話題を痣から遠ざけるため、コートニーは不躾を承知で質問を投げかけた。するとステアは、少しの間を置いて答えた。
「君はイースト地区に住む、ナナ・ボイーズという女性を知っているだろうか」
(ああ、やっぱり……)
コートニーは、まったく嬉しくない予想が当たってしまったことに、静かなショックを受ける。
「その表情だと、予想していたというところかな?」
「はい。親しくさせていただいておりましたから。今となっては、私だけがそう思っていたようだと気付きましたけれど。ですから、二重でショックです」
コートニーの脳裏には、イースト地区で過ごした短い日々が苦く蘇っていた。
ナナという女性は、早くに夫を亡くし、苦労して生きてきたと話していた。最近、孫が生まれるのだとも。そんな境遇の人の前に、五十リンクという懸賞金を背負ったコートニーが現れた。
(彼女は葛藤の末に、私の居場所を警察に申し出たのかしら。…………いいえ、よく考えれば、彼女は親しくなって二日目には姿を消していたわ)
案外、悩みもせずに通報したのかもしれない。彼女が消えたのと同時に忽然となくなったトランクのことも考えれば、犯人は彼女しかあり得なかった。
(仲良くなれたと思っていたけれど、お互いを信頼するには、圧倒的に時間が足りなかったのね)
親しみを感じていた相手に裏切られたという後味の悪さが、胸の奥に澱のように溜まっていく。そんな彼女の様子を察したのか、ステアは神妙な面持ちで言葉を続けた。
「そのことも踏まえ、私は君に謝罪しなければと思っている」
「謝罪、ですか?」
意外な言葉に、コートニーは思わず聞き返した。
「君が逃げた後、色々あって探すことになったんだが……」
「色々あって……?」
「まあ、そこは追及しないでくれるとありがたい」
ステアが弱々しく微笑む。その情けないほどに力ない様子を見て、コートニーは確信した。
(……間違いないわ。エロイーズ王妃殿下に、こっぴどくお灸を据えられたのね)
目の前の銀髪の貴公子は、相変わらず浮世離れした美しさだが、その背負っている哀愁は隠しようもない。
コートニーは少しだけ、彼に対して同情に似た気持ちを抱きそうになった。




