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捕まるまでが、逃亡です  作者: 月食ぱんな
第五章:逃げた伯爵令嬢は、五十リンクの価値を知る
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042 五十リンクは嘘をつかない

「帰りません!!」


 既視感たっぷりの光景。いつぞやの繰り返しかのような状況で、コートニーはベッドの支柱に必死にしがみつき、「帰りません」とひたすら拒絶の言葉を連呼していた。


「いい加減にしなさい。ひとまず城に戻ろう」


 背後から宥めるように声をかけるのは、他でもないステアだ。


「嫌です! どうせお城へ行けば父が待ち構えていて、また虐待されるに決まっていますぅぅぅ!」


「待ってないし」


「それはそれで、ひどい言い草ですぅぅぅ!」


 コートニーはもう何が何だか自分でも分からぬまま、とにかく喚き散らした。


「それに……君のその顔を見たら、流石に私も実家に『帰れ』とは言えないよ」


 ステアが背後でボソリと呟く。


 どうやら湿布だらけの無惨な姿は、冷徹な彼にもそれなりの衝撃を与えたらしい。


 コートニーはくるりと振り返り、ステアと向き合った。すると、彼の肩越しに部屋の入り口をがっしりと塞ぐマイロの姿が目に入る。


 マイロは、彼女が逃げ出すことを事前に予測し、入り口封鎖係を任命されているようだ。


(抜かりないわね……)


 コートニーはマイロから視線を逸らし、床にステッキを突いて立つステアとしっかりと目を合わせた。


「ステア殿下にとって、私のことなんて他人事なんでしょう?」


「……あの時の言葉は、少し言い過ぎたと思っている」


「本心ですか?」


 コートニーが薄目で問い詰めると、ステアは明らかに目を泳がせた。その態度を見て、彼女はすべてを悟る。


(やっぱり。ステア殿下はエロイーズ王妃殿下あたりに言われて、渋々私を連れ戻しに来たんだわ)


 つまり、本心から自分を案じてここにいるわけではないのだ。だとすれば、ここで折れたところで前回の二の舞になるのは目に見えている。


 すぐに「実家へ戻れ」と、あの手この手で嫌がらせをしてくるに違いない。それでは逃げ出した意味がない。


(なんとかして、この場から逃げ出す方法は……)


 思案するが、ここは建物の三階。窓から飛び降りるのは不可能だ。そして唯一の出口には、岩のように強靭な肉体を持つマイロが控えている。物理的に逃げ出す道は、完全に断たれていた。


「ひとまず、ここで騒ぐと皆に迷惑がかかる。ゆっくり話を聞くから、一度王城に帰らないか?」


 ステアが機嫌を取るような猫撫で声で懇願してくる。しかも「王城に」とわざわざ強調するところが、いかにも怪しい。


(これはあれね。馬車に乗ったが最後、そのままヒスコック邸へ私を『返品』しようという魂胆だわ。絶対に騙されないから!)


「嫌です」


 帰る気など微塵もないコートニーは、決然とした拒絶を突きつけた。


 この窮地を脱する名案はないものかと、コートニーは必死に部屋の中を見渡した。すると、マイロの背後、入り口付近に不安げに固まっているシスターや他の滞在者たちの姿が目に留まった。


(……これだわ!!)


 閃いたコートニーは、ステア殿下に向けてふわりと、慈愛に満ちた(ように見える)微笑みを浮かべた。


「ステア殿下。お手数ですが、あと数歩ほどこちらへ寄っていただけますか?」


 小声で招き寄せると、ステアは訝しげに眉を寄せた。


「なに? ようやく帰る気になったのか」


「ええ。ただ、トランクが少し重くて……」


「ああ、なるほど。私が持とう」


 疑いもせず、無駄に洗練された紳士の振る舞いを見せるステア。コートニーは「しめしめ」と、彼が十分に近づくタイミングを見計らった。


 ステアが数歩歩み寄り、至近距離に立った瞬間。コートニーは大袈裟によろけてみせ、自分の片足を、思い切りベッドの脚にぶつけた。


「……っ! 小指にクリーンヒットだわ。地味に痛っ、痛い……!」


「一体君は何をしているんだ?」


 ステアは眉間に皺を寄せ、「自業自得だろう」と呆れたように呟く。


(フン。その余裕も、今だけよ)


 小指がジンジンと疼く。その痛みに神経を集中させると、自然と涙が溢れ出し、頬の湿布に吸い込まれていった。


「なっ……そんなに痛かったのか?」


「ひどいです、ステア殿下……っ!」


「は?」


「またそうやって、私を『虐待』するつもりなんですね!」


 わざと「虐待」という言葉を強調して叫ぶ。忠誠心などとうの昔に捨て去った今の彼女は、もはや無敵だった。


「虐待、こわい――!! 助けて――!!」


「お、おい! ちょっと待て。私は何もしていないじゃないか!」


 事態の悪化を察したステアが即座に身の潔白を主張するが、もう遅い。オーディエンスの心は、すでにコートニーが完全に掌握していた。


「よく見えなかったけど、まさか殿下が湿布ちゃんを虐待したのかい?」


「あの子の頬の痣も、殿下がつけたってこと?」


「ええっ、王族って最悪じゃない!」


 入り口から女性たちの非難の声が、次々と飛び込んでくる。


 ここは「男」から逃げてきた者たちが集う女子の楽園。男性に対する不信感は、火に油を注ぐようなものだ。


(ふふっ、権力にモノを言わせて男子禁制の場に踏み込んだ罰よ。思い知りなさい!)


「くっ……なぜ私がこんな目に……!」


 悔しげに毒づくステアの声は、もはや負け犬の遠吠えにしか聞こえない。


(完全勝利。これが私の生存戦略よ)


  コートニーはめそめそと弱々しく泣き真似を続けながら、心の内で力強くガッツポーズを決める。


「でも、待って。新聞の記事……それによると、確か二人は恋人同士で、伯爵令嬢が行方不明になったのは、事件に巻き込まれた可能性があるって書いてなかった?」


「そうそう、読んだわ! しかもステア殿下は身銭を切って懸賞金をかけたとか」


「五十リンクも、でしょう?」


「そもそも、虐待するような相手に五十リンクも出す男なんて、この世にいるかしら?」


 何だか嫌な雲行きになってきた。


 ここにいる女性たちは、数々の裏切りを経験してきた猛者ばかりだ。彼女たちの共通認識は「この世で唯一信じられるのはお金だけ」という、実にあっけらかんとしたリアリズムに基づいている。


「五十リンクは本物の愛の証だよ」


「そうさ。男は嘘をつくけど、五十リンクという金額は、嘘をつかないからねぇ」


「むしろ、それだけの懸賞金をかけられるほど愛されてるってことじゃない?」


(なんてこと!!)


「五十リンク」という数字を連呼するオーディエンスにより、形勢は一気に逆転してしまった。


(そんな馬鹿な!? 私の決死の演技が、五十リンクに負けるなんて!)


 コートニーは悔しさのあまり、泣き真似を続行したままベッドに顔を伏せた。


「――コートニー!!」


 突然、その名を呼ばれ、彼女は思わず顔を上げてしまった。


「ずっと君を探していたんだよ」


「……まぁ、そうでしょうね」


 やけに芝居がかったステアの様子が鼻につくが、言っていること自体は間違っていないため、コートニーは渋々肯定する。


「君をこんな目に遭わせた男は許せない。必ず報いを受けさせると誓おう」


 ステアは棒読み気味に、まるでお芝居の台詞のような言葉を吐き出した。


(やだ、気持ち悪い……。寒気がするわ)


 コートニーは眉を潜める。


「さぁ、帰ろう」


 そう言うなり、ステアは突然コートニーの手を取った。


  あいにく今のコートニーは手袋をしていない。対するステアは、黒い革手袋でしっかりと保護された手で、彼女の生身の手を容赦なく、そしてやたらと強く握り締めてきた。


 そのままベッド脇に膝をついていたコートニーを、強引に引っ張り立たせる。


「は、は、破廉恥な……! 離してください!」


「何を言うんだ。君と僕の仲じゃないか」


「私と殿下は赤の他人でしょう!?」


 コートニーは必死に彼の手を振り払おうとする。


「……なるほど。顔が痛くて、自力では歩けないということか」


「は?」


 コートニーは、彼が何を言い出したのか理解できず、素で驚きの声を上げた。


「失礼」


 ステア殿下はそう宣言するやいなや、淀みのない動作でコートニーの膝の裏に手を差し入れた。


 ふわりと視界が浮き上がり、気づくとコートニーは、ステアにしっかりとした手つきで横抱きにされていた。


 あまりの出来事に、コートニーは意識が飛びそうになる。文句の一つも言えず、ただ水面に顔を出した魚のように、口をぱくぱくとさせることしかできない。


「念のために言っておくけれど、暴れないほうが身のためだ。……さあ、帰ろうか」


 ステアは「私の勝ちだな」とでも言いたげな、実に満足げな様子で呟き、コートニーを抱えたまま悠然と歩き出した。


「君たちには、私の可愛いコートニーが迷惑をかけたね。この恩は、必ず形にして返そう」


 ステアが入り口にたむろする女性たちに向け、王子スマイルを惜しみなく振りまく。しかし、ここは酸いも甘いも噛み分けた現実主義者の巣窟だった。


「お返し? だったら現金がいいわ!」


「私は食材を頼むよ」


「新しい毛布でもいいわね」


「換金できるなら宝石でも構わないわ」


「割のいい仕事を紹介してくれるのが一番だよ」


「そりゃいい考えだ!」


 貴族の令嬢ならば失神しかねない極上の微笑みを華麗にスルーし、彼女たちはここぞとばかりに、遠慮のかけらもなく要望をステアに突きつけた。


 そんな逞しい一時避難者たちの姿を前に、シスターたちだけが申し訳なさそうにステアへ視線を送っている。


「ありがとう。君たちの要望は最大限考慮できるよう努めるとしよう。では、道を開けてもらえるかな?」


 ステアが告げると、人垣は潮が引くように二つに割れ、自然と道が出来上がった。


「我が国の国民は、どこかの誰かを除いて、実に物分かりの良い者たちばかりだな」


 ご満悦な様子のステアに対し、コートニーは天を仰いだ。


「神様、なぜ私を逃がしてくださらないのでしょうか……」


 思わず口に出た問いかけに、ステアがすぐさま反応する。


「まさに『神のみぞ知る』だな」


「……全然、笑えません」


「別に笑わせようとは思っていないし」


「最低ですね」


「君にだけは言われたくないよ」


 ニヤリと勝ち誇った笑みを向けてくるステア。 こうしてコートニーの三度目の逃亡も、またしても無惨な失敗に終わったのであった。


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