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捕まるまでが、逃亡です  作者: 月食ぱんな
第五章:逃げた伯爵令嬢は、五十リンクの価値を知る
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035 聖域は、五十リンクで崩れた

 追加で渡された洗濯物を干し終えたコートニーは、言いつけ通り十字型の建物内を通り抜け、敷地端の修道院長室へと向かった。


 一般に「修道女」といえば、世俗から隔離された施設で、白百合や睡蓮をまとい瞑想にふける美しい女性を思い浮かべるだろう。


(けれど、それは彼女たちを勝手に神格化した画家や作家の幻想に過ぎないわ)


 現実の修道女たちは、自活のために畑を耕し、洗濯に励み、地域の看護や貧民救済に奮闘する、逞しい精神の持ち主だ。現にこの修道院も、炊き出しや一時的な寝床の提供を積極的に行っていた。


 そんな中、白いシャツに灰色の胸当て付きワンピースを纏い、見習いを示す白いヴェールを被ったコートニーは、いかにも「修道女見習い」らしく振る舞っている。


 もっとも、実態はただの避難者だ。


(私を探しに来る追っ手から逃れるには、この服こそが最高の隠れ蓑になるはずよ)


 シスターたちに泣きついて用意してもらったこの服は、変装にはうってつけだった。


 そもそも王城を抜け出す際、彼女は、ステアから支給されたメイド服を着ていた。機能的ではあったが、いかんせん「王城仕様」のそれは、質素なこの場所ではあまりに上質で目立ちすぎてしまうのだ。


(このワンピースは、ゴワゴワして生地も薄いから、すこぶる寒いし、人にはオススメしにくいけど……)


 それでも集団に紛れて「目立たない」という一点において、彼女はこの擬態を大いに気に入っていた。


 石造りの廊下を歩きながら、コートニーはヴェールを整え、もう一度「虐待された哀れな娘」の顔を作る。シスター・セシルの待つ部屋まで、あとわずか。


(誰にも見つかるはずがない。――ここなら、私の勝ちよ)


 そう確信し、冷え切った手のひらを両手で擦り合わせた。




 ◇✧◇✧◇✧◇




「シスター・セシル。コートニーが参りました」


 修道院長室に到着したコートニーは、重厚な木の扉をノックし来訪を告げた。


「どうぞ、お入りなさい」


 ドア越しにくぐもった女性の声が響き、扉を開ける。すると、人の良さがにじみ出る笑顔を浮かべた老婦人が、彼女を迎え入れてくれた。


「コートニー。わざわざ足を運ばせてしまって、ごめんなさいね」


  「いいえ、シスター・セシル。大した手間ではございませんので、お気になさらずに」


 コートニーは殊更上品に微笑み、答えた。


 修道院長であるシスター・セシルは、五十歳は超えていると思われるが、背筋はピンと伸びており、その立ち居振る舞いは若々しい。


「さあ、こちらへお座りなさい」


 室内に足を踏み入れた途端、背中に手を添えられ、部屋の中央に置かれたソファーへと誘導される。コートニーは急かされるように足を動かしながらも、油断なく周囲へ視線を走らせた。


(……見知った顔も、怪しい人物もいないわね。よし、安全だわ)


 部屋にいるのはシスター・セシルのみであることを確認し、強張っていた体の緊張をようやく解いた。


「遅れてしまい、申し訳ございません」


「それは全然構わないわ。そう、それはね……」


 コートニーが腰を下ろすと、シスター・セシルは眉根を下げ、明らかに含みを持たせた言葉を口にした。化粧っ気のない素朴な顔に浮かんでいるのは、隠しきれない困惑の色だ。


「何かありましたか?」


 恐る恐る尋ねるコートニーに、シスターは曖昧な言葉を重ねる。


「私は、あなたに何があったのかを根掘り葉掘り聞くつもりはなかったの。だってここは救いの場ですから。それに、あなたのその顔の痣が、虐待を受けた何よりの証拠でしょう?」


「ええ、まあ……」


 無意識に頬へ手を当て、指先に当たる湿布の冷たい感触を確かめる。


(辛い思いをしたばかりの私に、これ以上は聞けないと、言いたいのね。でも、何だか様子がおかしいわ)


 ハッキリしない態度を打ち切らせるために、コートニーは単刀直入に尋ねることにした。


「シスター・セシル。私に関わることで、何か不都合でもあったのですか?」


「ええ、そうなの」


 その言葉を待っていたとばかり、シスター・セシルはソファーの背に隠してあった新聞を取り出した。


「実は、今朝の新聞が先ほど届けられて……」


 二人を挟むテーブルの上にゆっくりと広げる。


 新聞の一面を見た瞬間、コートニーの口から「……え?」と、理解を拒む声が漏れた。


 そこに踊っていたのは、ヒスコック家の紋章と共に掲載された、あまりに馬鹿げた見出しだった。


「こ、これは……」


 コートニーは衝撃のあまり言葉を失った。


「これは、あなたでしょう?」


 シスター・セシルが、彼女に見えやすいように新聞の向きを変えてくれた。しかし、そんな気遣いをされずとも、紙面の一面に躍る版画のイラストがコートニーであることは一目瞭然だった。


 さらに、その大々的なイラストの上には、人目を惹く大きな文字が並んでいる。


『ヒスコック伯爵令嬢が行方不明、現在鋭意捜査中。情報提供はクラスコー警察まで』


(最悪だわ。よりによって、こんな……)


 ふと、気づく。


「なるほど、クラスコー警察……」


 呟きながらコートニーの脳裏には一人の人物の顔が浮かび、この記事を掲載させた犯人を特定した。


(間違いない。ここまで計算ずくで、しかも合法的にやるのは、ステア殿下しかいない)


 今のヒスコック家が、こんなスキャンダルじみた広告を出すはずがない。


 特にソフィアはアンジェリカの婚約を成功させるため、社交界の評判に血道を上げている。娘が家出したなどという不名誉な事実を新聞に載せることを、彼女が許すはずがない。


(あんなに『自分とは関係のないことだ』なんて言い放っておきながら……王家の権力をこんな姑息な方法で行使するなんて!)


 コートニーは唖然としながら、紙面の中で済ました顔をして微笑む自分のイラストを睨みつけた。描かれた彼女は実物より少し幼く、か弱く見える。守ってあげなければと思わせるような、頼りなげな庇護欲をそそるタッチだ。


(……わざとね。これを見た市民が正義感に駆られて通報するように仕向けたんだわ)


 コートニーはあまりの忌々しさに、新聞の端を握る指先に力を込めた。


「なんて姑息な……」


 思わず淑女らしからぬ毒が口から漏れた。


「実のところ、あなたの所作から感じる雰囲気で、どこかの貴族令嬢なのだろうと、皆薄々勘づいてはいました」


「……そうですよね。わかっていました」


 自覚があるだけに、コートニーは潔く認めた。


「でも、それは大したことではないのよ。身分がどうあれ、ここは救いを求めるすべての人に開かれた場所だもの」


「ありがとうございます、シスター」


「でもね、ほら、ここを見てちょうだい」


 シスター・セシルの、多くの女性を救ってきたであろう皺の刻まれた指が、紙面の一箇所を指し示した。


「私の老眼による見間違いではないわよね?」


 確認するように問われ、コートニーはそこに記された文字を震える声で読み上げる。


「発見に至る情報提供者には謝礼として、五十リンクをお支払いいたします……って、五十リンク!?」


 コートニーは思わず、声を裏返す。

 五十リンク。それは、執事の年収に匹敵する大金だ。


(多いか少ないかは人によるでしょうけれど、私の居場所を教えるだけで執事の一年分が手に入るとなれば……)


 確実に、これを破格の報酬だと感じる人間がこの国には溢れている。


 つまり、この新聞が世に出た瞬間、街中の至る所が「コートニー・ヒスコック」を探す監視の目に変わったのだ。


 彼女は今、国中の賞金稼ぎから銃口を向けられる鴨になったも同然だった。


「やられたわ……」


 ステア殿下が勝ち誇った顔でほくそ笑む姿が脳裏に浮かび、コートニーは悔しさのあまり膝の上で拳を強く握りしめた。


 これまでは、相手がこの国の王子であるという敬意や、国民としてのささやかな忠誠心がどこかにあった気がする。だからこそ、たとえ本棚の掃除という雑用であっても、それを誇りある仕事だと自分に言い聞かせ、最善を尽くしてきた。


(けど、これはあんまりだわ。私の尊厳を『五十リンク』で買い叩くなんて!)


 たった今、ステアに対する彼女の忠誠心は、百からゼロ……いや、マイナスへと叩き落とされた。


 末代まで呪ってやるという真っ黒な感情が、胸の内で渦巻く。


(あのプラチナブロンドの悪魔め……! 統計学的に見て、私が今一番安全な場所から引きずり出される確率を、一気に跳ね上げやがったわね!)


 コートニーの逃亡生活三日目にして、聖域の壁は音を立てて崩れようとしていた。


「コートニーさん。私は第三女子修道院の院長として尋ねます」


 わなわなと怒りに震える彼女に、シスター・セシルが真剣な表情で問いかけてきた。


「この記事には、あなたが急に行方不明になったとしか書かれていません。けれど、あなたは私達に『家出をした』と説明したわね? それは本当なの?」


 シスターが確認したいのは、目の前の娘が犯罪に巻き込まれたのか、あるいは何らかの罪を犯して追われているのかという一点だ。


 いくら慈悲の場とはいえ、人道に背く者を匿うわけにはいかない。何より、クラスコー王国国教会派の最高責任者は国王陛下その人だ。この修道院もまた、結局のところは国王クレイグに忠誠を誓う民の集まりなのである。


 警察、あるいは王家からの情報提供要請に積極的に応じようとするのは、彼女たちの立場からすれば至極当然の義務だった。


(……私の運は、あの駅でステア殿下に補導された時に、すべて使い果たしてしまったのかしら)


 コートニーは命運が尽きたことを悟り、ふっと全身から力が抜けた。


  こうなっては、小細工を弄しても逆効果だ。


「シスター、実は私――」


 肩を落としたコートニーは、もはや隠し立ては無意味だと観念した。 そして、自分に降りかかった災難のすべてを、強欲な家族のこと、そしてデリカシーの欠片もない王子のことまでを包み隠さず伝えるべく、静かに口を開いた。


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