029 知性では、守れないものがある
「どうせエリノアがウィルにしたように、コートニーも殿下に色目を使ったのよ。きっとお金につられて見境なく男性に愛想を振りまく娼婦のようにね」
ソフィアが軽蔑したような眼差しを私に向ける。
コートニーはソフィアが侮辱の意味を込めて放った「娼婦」という言葉にピクリと眉根を動かす。
脳裏に、無残に惨殺された五人の女性たちの遺体のスケッチが浮かぶ。
(確かに、娼婦は忌むべき職業だと、私たちはそう教わるけど)
問題はそういう侮蔑される職業につかざるを得ない、彼女たちが置かれた環境のほうだ。
どうして離婚してしまうのか。
何故アルコールに逃げてしまうのか。
そういった根本的な原因を解明せず、娼婦という文字で一括にし馬鹿にするのはおかしい。
コートニーは、感情を露わにする代わりに、ふっと憐れむような笑みを浮かべた。
「ソフィア様、その言葉、もしステア殿下の前で仰ったら、あなたの『知性』が疑われるだけではなく、伯爵家の存続すら危うくなりますわよ」
「……なんですって?」
「あなたが今、汚らわしいものとして口にした彼女たちの多くは、信じていた男性に裏切られ、病に倒れ、あるいは職を失い、生きていくための最終手段としてその道を選ばざるを得なかった。社会の構造的な欠陥の犠牲者なんです」
コートニーは一歩、ソフィアへと詰め寄った。
「何故アルコールに逃げたのか、何故家族と離れなければならなかったのか。その背景を想像もせず、ただ単語一つで人間を切り捨てる……。それこそが、真に『教養のない』振る舞いではありませんか? 統計や社会構造の視点で見れば、あなたの発言はあまりに短絡的で、時代遅れですわ――少なくとも、殿下の隣に立つ人間の言葉ではありません」
「と、統計……? な、何を言っているのよ、この子は!」
ソフィアがたじろぐ。
饒舌に語るコートニーに、リリアもポカンと口を開けていた。
「もし私が『娼婦』のように愛想を振りまいているように見えるなら、それは私が、彼女たちが生き抜くために必死に磨いた『処世術』すらも一つの知識として学んでいるからかもしれませんね」
コートニーは完璧な淑女の笑みを浮かべた。
「久しぶりにお会いできて楽しかったですわ。では、ステア殿下を待たせては申し訳ありませんので、失礼します」
勝利宣言とばかり、優雅に淑女の礼を取るコートニー。
しかし彼女の進路を塞ぐように、ソフィアが立ちふさがる。
「偽善者ぶっているけれど、あなたには何もできないわ。あぁ、そうだったわね。あなたには半分庶民の血が流れている。だから穢れた娼婦に肩入れするのね」
コートニーはもはや救いようがないと脱力する。
(ソフィアだって男爵家の娘として育ったはずでしょ?)
それなのに、貴族の責務を放棄している事に後ろめたさを感じないなんて、とてもじゃないけれど信じられない。
コートニーは冷めた目をソフィアに向けた。
「そうよ、あなたはステア殿下と結婚出来ないわ。半分庶民だもの。だけど私には生粋の貴族の血が流れている。やっぱり殿下にふさわしいのは私だわ」
ソフィアの加勢を受けたリリアが、声高らかに宣言する。
「えぇ、あなたこそステア殿下のお相手にふさわしいのよ」
ソフィアが微笑みながらドアを塞ぐように立つリリアの肩に手を置く。
「お母様何処へいくの?」
「リリア、あなたは知らなくていいのよ」
不穏な言葉を口にしたソフィアはドアを開ける。
そしてリリアだけを部屋の外に出した。
(え、なに?)
まるでリリアだけを部屋から逃がすような、不可解なソフィアの行動。
コートニーの心にぞわりとした、言葉にできない嫌な予感が走った。
「論理だの、社会構造だの……。ステア殿下の毒を飲まされて、さらに頭でっかちになったようね。けれどコートニー、この世にはね、知性だけではどうにもならない『力』があるのよ」
ドアを背にしたソフィアの瞳に、昏い悦びが宿る。
「……どういうことですか?」
「どういうこと、ですって? 決まっているでしょう」
彼女の唇が、三日月のように歪んだ。
「あなたには、ここで少しばかり、現実を教えてあげるのよ」
「……現実?」
嫌な予感が、コートニーの全身を駆け巡った。
「あなたがどれだけ綺麗事を並べても、この世界は残酷なのよ、コートニー。特に、貴族社会においては」
ソフィアは、ドアノブに手をかける。
「女は、純潔を失えば価値を失う。それがこの世界の掟よ」
「まさか……」
コートニーの顔から血の気が引いた。
「あなた、何を——」
「傷物になってしまえば、ステア殿下もあなたを侍女として置いておくことはできないでしょう」
ソフィアの声は、恐ろしいほど冷静だった。
「むしろ、スキャンダルとして忌避されるはずよ。そうなれば、あなたは二度と殿下の前に現れることはできない。邪魔者は、消えるのよ」
「そんな……そんなことが許されると思っているのですか!」
コートニーが叫んだ瞬間、背後から何者かに羽交い締めにされた。
鼻先を掠めるのは、むせ返るような安物の、けれど執拗に鼻腔を突く軽薄な男性用香水の匂い。
「っ……!!」
コートニーが叫ぼうとした口は、荒々しく大きな手に塞がれた。 自由な知性と知識で武装したはずの彼女も、突然の物理的な暴力の前には、細い腕を震わせることしかできない。
「あなたは自分から男の部屋に入り込んだのよ。舞踏会の最中に、ね」
「!!」
声を出せないコートニーを見て、ソフィアは冷たく微笑んだ。
「では、私はこれで失礼するわ。よい夜を」
ソフィアはそう言い捨てると、ドアの隙間から滑り出るように部屋を後にした。 カチリ、と外から鍵がかかる非情な音。
部屋に残されたのは、薄暗い影の中に潜む男と、震えるコートニーだけだった。




