表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
捕まるまでが、逃亡です  作者: 月食ぱんな
第四章:反転前夜
28/38

028 私はもう、あなたたちの言葉では傷つかない

「いたい……」


 鼻を突くような、鈍い痛み。


 コートニーが両手で顔を押さえた瞬間、部屋の中から伸びてきた手に腕を強く掴まれた。抵抗する間もなく、気づけば見知らぬ小部屋に引き込まれていた。


「あ、失礼しました」


 咄嗟に謝罪し、部屋の奥にドレス姿の女性の影を見て慌てて背を向ける。


「今すぐ退散しますので」


 コートニーが足を踏み出した時。


「ねぇ、なんであなたがステア殿下にエスコートされているのよ」


 投げかけられた声は、コートニーの足を縫い止めるには十分すぎるほど尖っていた。


「!?」


 弾かれるように振り向く。


 腕組みをしてコートニーを睨みつけているのは、琥珀色の瞳に自分と同じ金色の髪。

 どこからどう見ても、腹違いの妹であると主張してやまないリリアだった。


 彼女は鮮やかな紫色のドレスを身に纏っている。


(なんか、懐かしい……そう思ってしまうこと自体、まだ毒が抜けきっていない証拠よね)


 自然と浮かんだ気持ちに、コートニーは自嘲的に笑う。


「リリア、元気そうね」


 コートニーは名を呼びかけたが、リリアは一歩、また一歩と近づいてくる。


「答えなさいよ、コートニー」


 リリアの声は怒りで震えていた。コートニーを睨む瞳には、かつて向けられていた「優越感」ではなく、焦燥と激しい嫉妬が渦巻いていた。


「なんであなたみたいな人が、ステア殿下にエスコートされているの?」


「部下だからよ」


「部下?」


「そう。私は今ステア殿下の元で侍女をしているの。殿下の執務と身の回りを預かる、責任ある役目よ」


 コートニーはしっかりと胸を張る。しかし、リリアは信じられないものを見るかのように目を剥き、次の瞬間、その唇を歪めて嘲笑を漏らした。


「侍女? ……あははっ! 何かと思えば、結局はただの下働きじゃないの!」


 リリアは腹を抱えて笑い出し、その拍子に紫色のドレスの裾が激しく揺れる。


「殿下も物好きよね、汚れた雑巾のような女をわざわざ拾ってあげるなんて」


「殿下を侮辱するのはやめて。私は自分の仕事に誇りを持っているわ」


 コートニーは毅然と、そう言い放つ。


 伯爵家にいた頃、彼女は誰からも必要とされていなかった。しかし今は、ステアに徐々に認められ、部下として傍にいていいと許しを得た。


 それは間違いなく、今の彼女を支える揺るぎない芯となっている。


「殿下は、私の仕事をきちんと見てくださるわ。家柄や血筋ではなく、私という人間を見て必要としてくださっているの。だから、今の私はとても幸せよ」


「幸せ……? 笑わせないで! あなたみたいな家の恥さらしが、殿下の温情に縋って生き延びているのは、全部お父様のお陰なんだから」


 リリアは苛立ちを隠そうともせず、手に持っていた扇子をコートニーの鼻先に突きつけた。


「いい? 勘違いしないで。あなたが今着ているそのドレスも、その立場も、全部借り物なのよ。お父様が裏で手を回したから、殿下の侍女ができているのよ!」


(それは違う。けど、そう思って勝手に傷つくなら、好きにすればいいわ)


 コートニーは敢えて口を噤む。


「少しは遠慮しなさいよ。殿下は私のものなのよ?」


「……あなたのもの?」


 コートニーは思わず眉をひそめた。


「殿下は誰かの所有物ではないわ。それに、今日ここにいるのは、仕事の一環で――」


「黙りなさいよ!」


 リリアの甲高い声が部屋に響く。


「あなたなんかが殿下と踊るなんて、おかしいのよ! 私こそが殿下の隣にいるべきなのに!」


「リリア、落ち着いて」


 コートニーは耳を塞ぎたくなるような金切り声に、眉を寄せながらも冷静に言葉を返す。


「そんなに叫んだら、せっかくの綺麗なメイクが崩れてしまうわよ。それに、殿下を自分の所有物のように扱うのは、不敬罪に問われかねないわ」


「なっ……! 姉のくせに、私に説教する気!? お母様、コートニーったら、家を出てからすっかり生意気になってしまったのね!」


 リリアが縋るように部屋の奥へ視線を向ける。すると、そこからゆっくりと、影を引きずるようにして一人の女性が現れた。


「そうね。家出をしておいて呑気にステア殿下と夜会を楽しんでいるなんて、どこまで厚顔無恥なのかしら」


 低く、氷のように冷たい声。深紅のドレスを毒々しく着こなした義母、ソフィアだった。彼女は扇子を口元に当て、値踏みするような視線でコートニーを射抜く。


「ソフィア……」


「いい加減、お母様と呼びなさい」


「悪いけど、私のお母様はエリノア・ヒスコック。ただ一人なの」


「憎たらしい子ね」


 ソフィアが忌々しげに鼻を鳴らした瞬間、コートニーは自分の中にあったわずかばかり、リリアに感じた「郷愁」が、呆れに近い感情に塗り替えられていくのを感じた。


(彼女たちは昔の私を縛り続けている。でも私はもう、誰かに値踏みされる場所には立っていないもの)


 コートニーは心の中で、自分に言い聞かせるように呟いた。


(いつまでも過去に囚われた哀れな女とは違う)


 ギュッと手を握り、しっかりと二人を見据える。


「ソフィア、リリア。私はもう、あなたたちの言葉に傷つくことはないわ」


 コートニーははっきりと告げた。


「私は円卓の貴婦人たちと多くの議論を重ね、学んできました。貴族とは何か、ノブレス・オブリージュとは何か。真の貴族とは、その地位や財産ではなく、弱き者を守り、導く責任を果たす者のことだと理解しました」


「あら、随分と立派な口を利くようになったのね」


 ソフィアが冷ややかに笑った。


「円卓の貴婦人たち、ですって? あなたのような娘が、あの方々と対等に話せるはずがないでしょう。どうせ、使用人として給仕でもしながら聞き耳を立てていたのでしょう?」


「違います」


 コートニーの声には、揺るぎない確信が宿っていた。


「私は彼女たちと議論を交わしました。そして気づいたのです。あなたのように、他者を侮蔑し、嫉妬を煽り立てるような行為こそが、貴族としての品格を貶めているのだと」


「……なんですって?」


 ソフィアの顔が紅潮した。


「よくもそんな——」


「事実を述べただけです」


 コートニーは一歩も引かなかった。


「リリア、あなたは殿下を『自分のもの』だと言ったわね。でもそれは違う。殿下はあなたの所有物ではないし、誰かに選ばれることを当然の権利のように考えるのは傲慢よ」


「あなたに言われたくないわ!」


 リリアの目に涙が浮かんだ。それは屈辱と怒りに塗れた、醜い涙だった。


「私は、私は……ずっと殿下のことを想っていたのに。なのにあなたが、あなたみたいな人が殿下と踊って——」


「それはリリア、あなた自身の問題よ」


 コートニーは静かに、しかし明確に告げた。


「殿下があなたを選ばないのは、私のせいではない。それは——」


「もういいわ」


 ソフィアが手を上げて、コートニーの言葉を遮った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ