027 逃走と衝突
自らの進退について真っ向からたずねたコートニーは、目を見開いたステアを見つめる。
ステアは、その整った唇に、先ほどまでの嘘っぽいものではない、本心からの愉悦を含んだ笑みを浮かべた。
「……ははっ、この状況で真っ先にそれを聞くんだ。ほんとブレないな」
ステアは可笑しそうに肩を揺らすと、ダンスのステップをより大きく、優雅に踏み変えた。コートニーの体は彼のリードに従い、華やかな光の渦の中を滑るように進んでいく。
「資料を盗み、あまつさえ王子である私を『節穴』呼ばわりしたんだ。本来なら、クビどころか地下牢行きでも文句は言えないよね?」
(やっぱり! ああ、私の平穏な侍女人生が……というか、家に帰りたくない!!)
絶望に顔を伏せようとするコートニーだったが、その顎をステアの指先が軽く掬い上げた。
「だが、残念だったな。君のような『使える駒』をみすみす手放すほど、私はお人好しではない。君の処遇は――」
ステアの瞳が、悪戯っぽく、けれど冷徹な光を湛えて細められる。
緊張で、ごくりとコートニーの喉が鳴った。
「保留、かな?」
曖昧な、しかし明確に「即刻クビ」ではない言葉に、コートニーは一瞬だけ拍子抜けしたような間抜けな顔になる。
(……保留? そんな、生殺しみたいな……!)
「私の部下を勝手に引き抜こうとする母上への当てつけでもあるし、何より、自分の不始末の落とし前は最後までつけさせる主義だ」
突如シリアスな表情になったステアはコートニーの若草色の瞳を覗き込む。
「いいか。今夜この会場で犯人を探すような真似はするな」
「え……?ですが、パールパウダーを使うような淑女が集まる場だと言ったのは殿下です」
驚くコートニーを、ステアはさらに強い力で引き寄せ、その耳元に唇を寄せた。もはや、周囲から見れば熱烈な睦み合いにしか見えない距離だ。
「馬鹿を言え。こんな何百人もいる場所で、しらみつぶしにドレスのリボンを検分して歩くつもりか?そんなことをすれば、犯人に『ここに嗅ぎまわっている鼠がいる』と教えるようなものだ。……今夜ここに君を連れて足を運んだのには、別の目的がある」
ステアの視線が、不意に会場の入り口付近へと向けられた。そこには、数人の衛兵を従えた、ひと際厳格な面持ちの紳士――今夜の主催者であるフォーサイス公爵が立っていた。
「叔父上に私の健在を知らせること。そして……」
ステアはそこで一度言葉を切り、意地悪く目を細めた。
「何より、今夜の私は極上の『虫除け』を必要としていたんでね」
「……は?」
コートニーが間の抜けた声を漏らすと同時に、ステアは彼女を抱き寄せたまま、会場の壁際に並ぶ令嬢たちの方を冷ややかに一瞥した。そこには、ステアの視線を今か今かと待ち構え、扇の陰から熱烈な視線を送る着飾った乙女たちが列をなしている。
「いいか、コートニー嬢。二十歳にもなって婚約者もいない王子が、こんな社交の場に一人で現れてみろ。あそこに並ぶ『肉食獣』どもに、骨の髄までしゃぶり尽くされるのがオチだ。だが、こうして私が一介の侍女……いや、母上が直々に磨き上げた『幻の令嬢』を連れ回していればどうだ?」
ステアはわざとらしくコートニーの後れ毛を指先で弄び、周囲に聞こえるような甘い声音で続けた。
「誰もがこう思うだろう。『あの気難しい王子が、よりによって幻の令嬢にうつつを抜かしている。今は手出しをしても無駄だ』とな。……君は、今夜の私の完璧な盾というわけだ」
(……性格破綻者がここにいる!!)
コートニーは、オーディエンスと化す女性たちから自分に向けられていた眼差しが、「嫉妬」と「蔑み」の毒針だったと確信して、目の前が暗くなった。
「つまり私は、犯人探しのためではなく、殿下を追い回す令嬢方を追い払うための……カカシとして連れてこられたのですか?」
「カカシとは失礼な。エロイーズ王妃殿下謹製の、最高級の囮と言ってほしいな」
ステアは満足げに鼻で笑うと、音楽の終止符に合わせてコートニーを優雅にエスコートし、フロアの端へと導いた。
「さあ、仕事の時間だ。あざとい笑顔で私の隣にいろ。……君が完璧に私の恋人を演じきれば、叔父上も余計な縁談を振ってこないし、令嬢たちも近づけない。その間に、私は叔父上の人脈を利用して、資料の裏付けを取る」
コートニーは引きつった笑みを顔に貼り付けながら、握られたステアの手に力を込めた。
(クビを保留にされている以上、逆らえない……!でも、絶対にただでは起きませんわ。今夜が終わったら、殿下の不器用な弱点でも見つけて、日記帳に特大の文字で書き記してやるんだから!)
コートニーは、心の中で激しい悪態を吐き散らす。
◇✧◇✧◇✧◇
マナー違反ギリギリ。
三回ほどダンスを踊り終え、コートニーはようやくステアから解放された。
ダンスが終了し、まずは喉の渇きを潤したいと手に取ったレモネード。コートニーはガブ飲みしたい気持ちを堪えつつ、淑女らしくちびちびとグラスに口をつけ、一息ついた。
「三回も踊れば、まあ、叔父にも許してもらえるだろう」
ステアは言い訳がましくそう口にすると、苦笑いをしている。その手には大人っぽく、ピンク色に色づくシャンパンが握られていた。
(……わりと美味しそう。一口くらい、味見させてくれてもいいのに)
先程「君にはまだ早い」と却下されたことを根に持ちつつ、ほのかに色付く液体の中を小さな泡がぷくぷくと浮く姿をぼんやり眺めた。
「疲れてるみたいだな」
「濃厚な一日でしたから」
「そうか。お疲れ。母上たちの会に参加してどう?」
もう怒ってないらしいステアが珍しく優しく問いかけてきた。
コートニーは手元で空になったグラスを眺め、自らの内面を見つめ直す。
今まで、慎ましやかで、わきまえた女性になるべきだと教えられてきた。
(そのことに対して、違和感はあったけど受け入れる人生だったな……)
だからステアに羽箒を持たされ、本の掃除を言いつけられた時も、その役割を素直に受け入れた。
けれど、円卓の貴婦人たちは違った。臆することなく意見を交わし、生き生きと議論を繰り広げる彼女たちに、コートニーは圧倒され、同時に気づかされた。
(何かを成し遂げたいと思った時、与えられた環境で最善を尽くすこと。それが、私が目指すべき姿なのかもしれないわ)
最前線で戦いたいわけではない。ただ、誰かの役に立ち、自分も幸せになりたい。今はステアが追う犯人を許せないし、自分を市井に野放しにしなかったステアに、少しでも恩を返したい気持ちがある。
(それが、私の当面の目標か……)
疲れ果てた頭で、コートニーは自分なりの結論に達する。
「私は貴婦人の皆様を見習い、殿下のお力になりたいと思いました」
素直な気持ちを吐き出し、恥ずかしさからうつむく。
……しかし、いくら待っても返事がない。
(まさか、私の素直さに感動して言葉も出ないとか?)
少し期待して顔を上げると、先ほどまでステアが立っていた場所には、見知らぬ白髪の紳士が立っていた。
「とても良い心がけだ」
ニコリと微笑みかけられ、コートニーは凍りつく。
「は、ははは……」
薄笑いを浮かべながら「失礼します」と呟き、慌てて近くの壁際に避難する。
(え、さっきの人だれ!? というか、殿下はどこに消えたのよ!?)
キョロキョロと辺りを見回すと、すぐ近くで女性の人口密度が異常に高い場所があった。その中心に、見目麗しい王子様――ステアがいた。
「ま、そうよね……」
喋らなければ最高の王子。社交場では人当たりの良い貴公子に変身する術を彼は持っている。独身女性から見れば、超優良物件であることは間違いない。
「あれはしばらく解放されないわね」
コートニーは質問攻めに遭っているステアに早々に見切りをつけた。
本来なら独身女性はパートナーと離れてはならないルールだが、コートニーは家出中の身だ。
(貴族のルールなんて、知ったことではないわ)
給仕に空のグラスを渡し、代わりのレモネードを一気に飲み干すと、コートニーは逃げるように軽食コーナーへ向かった。
しかし――。
「コートニー!!」
人混みを切り裂くように届いたその声は、どうしたって義理の兄、フレデリックのものだった。
「げっ……!」
淑女らしからぬ声が漏れる。
(うっかり忘れてた)
今日は国中の貴族が集まる舞踏会だ。
ヒスコック伯爵家の面々がいないはずがない。
(逃げるわよ! 絶対に捕まるもんですか!)
コートニーはダンスのステップを踏むように、鮮やかに人混みをすり抜けていく。
「コートニー、待て!」
背後から追いかけてくるフレデリックの声。
「待つわけないじゃない」
ようやく自由を掴み、ステアの侍女(のような何か)として歩み始めたのだ。
(今さら家に帰るなんて無理!私は飛び立ったカモメなんだから!)
ホールを抜け、廊下へと飛び出る。
迷わず奥へ、奥へと進んだその時――。
「あ!」
バタン! と目の前の重厚な扉が勢いよく開き、逃走中だったコートニーの顔面を直撃した。




