表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
捕まるまでが、逃亡です  作者: 月食ぱんな
第四章:反転前夜
25/38

025 否定できない一点

 ――ふざけるな。


それが、部屋に足を踏み入れた瞬間の、ステアの正直な感想だった。


自分の執務机から消えたはずの捜査資料が、円卓の上に散らばっている。


しかも、それを囲むのは貴婦人たち。

そして中央に立つ、小柄な侍女――コートニー。


(どうせ母上の差金だろうけど)


以前から捜査資料を見せろとしつこく迫っていたことを思い出す。


(だからと言って、裏切るとは)


信用しかけた側からの裏切りを前に、コートニーに対し、怒りが先に立つのは、当然だ。

 

不敬罪。機密漏洩。秩序の破壊。


どれを取っても、彼女の行為は擁護の余地がない。


だが。


ステアは、彼女の言葉を「戯言」と切り捨てようとしながらも、無意識に視線を円卓の上へ落としていた。


散らばった資料の中に、自分が見慣れた図版がある。


被害者の遺体スケッチ。


――何度も見たはずの、それ。


彼は一歩、前に出た。


貴婦人たちが息を詰めるのが、気配で分かる。


だが、ステアの視線は誰にも向いていなかった。


一点。


彼の目は、紙の上の、胸元に固定されていた。


リボン。


左右が寸分違わず揃った、結び目。

結び端の長さ、角度、張り。


(……妙だな)


現場を見た時、確かに彼は「乱れなし」と報告した。


だが、それは――


“荒らされていない”という意味であって、“整えられている”という意味ではなかったはずだ。


ステアは記憶をなぞる。


イースト地区。

雨上がりの路地。

酒の臭い。

安布の服。

曲がった指先。


(あの女が……この結びを?)


否。


喉の奥で、何かが引っかかる。


彼は、無意識のうちに資料を一枚、抜き取っていた。


微細遺留品リスト。


そこにある、小さな記載。


 ――白色微粒子。衣類付着。


彼は、円卓の貴婦人たちが先程口にした言葉を思い出す。


パールパウダー。


社交界で使われる、高級なおしろい。


(確かに被害者の生活圏には、存在しないな)


ここでようやく、ステアの中で「反論」という選択肢が、音を立てて崩れ始めた。


 犯人が男であること。

 路地で背後から襲ったこと。

 無防備だったこと。


それらはすべて、“そうであってほしい前提”の上に積み上げた推論だったのではないか。


彼の視線が、ゆっくりとコートニーへ向く。


彼女は、怯えながらも、逃げなかった。


資料を抱え、背筋を伸ばし、真正面から彼を見ている。


(……彼女は)


恐れている。


だが、撤回する気はない。


ステアは、深く息を吸った。


怒りが消えたわけではない。


だが、もはや「戯言」と切り捨てることはできなかった。


彼は、低い声で言った。


「……続けろ」


円卓が、ざわめく。


コートニーが、目を見開く。


「殿下……?」


ステアは視線を逸らさず、もう一度、言い直した。


「君の推理だ。――否定できない以上、最後まで聞く義務が、私にはある」


その言葉は、命令でもあり、


そして――


初めて彼が、彼女を“対等な議論の場”に引き上げた瞬間だった。


「殿下、大変申し上げにくいのですが……」


突如、背後から緊張感のない、しかし有無を言わせぬトーンでマイロが声をかけた。


「なんだ」


ステアは思考を遮られた不快感を隠そうともせず、ぶすっとした表情で振り返る。


「今夜の舞踏会の準備、もう始めないと間に合いませんよ。衣装の最終フィッティングもまだですし、これ以上遅れると私の首が飛びます」


「……そんなもの、後回しだ。今はこの事件を解決するのが先だろう」


吐き捨てるように言ったステアだったが、その言葉を遮るように、涼やかな、しかし絶対的な圧力を孕んだ扇の音が「パチン」と鳴り響いた。


「『そんなもの』ですって? ステア、聞き捨てならないわね」


エロイーズ王妃が、優雅に立ち上がりながら息子を射抜いた。


「二十歳にもなって婚約者の一人もおらず、夜な夜な泥にまみれて路地裏を這い回っている。社交界であなたが何と噂されているか、知っていて仰っているの? 『王宮に住まう野良犬』『美貌を無駄にする鉄の塊』……枚挙にいとまがないわ」


ステアはこの時初めて、母エロイーズが同じ空間にいることを思い出す。


「しかし母上――」


「言い訳は無用です」


ピシャリと言葉を遮られた。


「今夜の舞踏会は、あなたにとって叔父となるフォーサイス公爵家が主催するものよ。欠席するなど許しません。事件の真実を追う執念があるなら、その鋭い観察眼を、たまには令嬢たちのステップやドレスの乱れにでも注ぎなさい」


周囲の貴婦人たちからも遠慮がちに、しかしハッキリとステアの耳に届くように囁く。


「たまには社交の場にお姿を見せていただかないと、存在が幻かと思われてしまいますわ」


「殿下が参加されると、途端に華やかになりますもの。是非参加なさって」


「お仕事でお忙しいとは思いますが、舞踏会への参加も、公務の一つですから」


一国の王子も、母と数十人の貴婦人たちの前では形無しだった。


ステアは屈辱に耳の端を赤くし、拳を固く握りしめたまま、沈黙を守るしかなかった。


結局のところ、母がボスとして君臨するこのサロンにおいて彼に拒否権など存在しないのだ。


「……分かった。行けばいいのだろう、行けば」


渋々、負けを認めたステア。しかし、彼は部屋を出る直前、立ち尽くしていたコートニーの前で足を止めた。


「コートニー嬢」


「……っ、はい!」


機密を盗んだことへの追い打ちを覚悟しているのか、彼女はこれ以上ないくらい身を竦めた。


「君もだ。準備をしろ。今夜は私の連れとして、叔父上の舞踏会へ同行してもらう」


「え……? 私が、ですか?」


「そうだ。君の言う『真珠のパールパウダー』をまぶした淑女たちが一堂に会する場だ。犯人が『完成された淑女』を狙うというなら、そこは格好の狩場になるはずだろう?」


ステアは少しだけ口角を上げ、挑発的、かつ彼女の能力を認めたような鋭い眼差しを向けた。


「現場を知らない君に、教えてやる。……光り輝くシャンデリアの下にも、君の言う『死神』は潜んでいるということをな」


ステアは貴婦人に向け、「では、失礼」と、姿勢正しく礼をすると、颯爽とサロンを後にしたのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ