024 淑女の結び方
コートニーがステアの机からクビ覚悟で持ち出し、円卓に広げた無残なスケッチと記録。
それを読み進めながら、円卓の貴婦人たちは各々気付いた点をあげていった。
筆記係のケイトは、鋭い羽ペンの音を響かせながら、新たなページをめくる。
「さて、コートニー。あなたはどう思う?」
エロイーズの静かな問いかけに、円卓の視線が一斉にコートニーへと集まった。
書類を広げ、夫人たちの議論を支えていたコートニーの手が一瞬止まる。
彼女は資料に目を落とし、先ほど感じた違和感を口にする。
「では、気になった点をいくつか……。まず、被害者たちの『身だしなみ』です。資料には『衣服に乱れなし』とありますが、これは異常です」
一拍おいて続ける。
「なぜなら、元洗濯女であるルシールさんは、手指に巧緻性の低下――つまり、細かな動きが難しかったはずです」
彼女は捜査資料の隅に書かれた被害者の生前の特徴を指差し、断言した。
「現に、先程確認させて頂いた円卓の貴婦人帳の家庭訪問記録によると、ルシールさんは、いつも衣服のボタンを掛け違えたり、エプロンのリボンは、ひどく不格好で独特な結び方をしていると記されています。さらには、差し上げた支援の石鹸さえ、落とさないよう握るのが精一杯だった、とも」
声のトーンを落とし、ゆっくり続ける。
「ここで重要なのは記録には『毎回』と記載されていることです。つまり、偶然ではなく、日常的にできなかったということです。そして、不格好で独特なリボンの結び方ですが……」
コートニーはしゅるりと、ドレスの腰に巻いたリボンを解く。
「まぁ!!」
ケイト夫人が思わず声を上げ、円卓の淑女たちが一斉に息を呑んだ。
コートニーは、解いたリボンを流れるような手つきで再び結び直してみせた。だが、出来上がったのは、左右の輪の大きさが極端に違い、結び目が捩れた、およそ王宮務めの侍女としては、失格の不格好な結び目だった。
「これが、家庭訪問記録にあるルシールさんの『独特な結び方』です。彼女は指の痛みを避けるため、両手の指先を鉤のように引っ掛け、一気に引き抜く特殊な結び方を用いていました」
コートニーは、かつて王立図書館の片隅で読んだ『結節の解剖学:効率と美の調和』という本の一節を思い出していた。そこには、力が弱くても素早く結べる蝶々結びの図解が、労働者たちの知恵として紹介されていたのだ。
「これなら、指を細かく曲げられなくても、手のひら全体の動きで素早く結ぶことができます。不器用な見た目になりますが、それが、病と闘いながら自立しようとしていた彼女の、懸命な生活の証でもありました」
コートニーは次に、不格好なリボンを一度で解き、今度は目を瞑ったまま、機械的なほど完璧な「正対する蝶結び」を完成させた。
「……ですが、遺体スケッチにあるリボンはこれです。左右の輪はミリ単位で揃い、結び目は硬く、正しい作法で締められている。手指の不自由な彼女が、死の直前の恐怖の中で、突然これほど完璧な淑女の嗜みを再現できるでしょうか?」
円卓に、刺すような沈黙が降りる。
「できませんわ」
エロイーズ王妃が、氷のように冷たい声で断じた。
「つまり、犯人は彼女を殺害した後、その不格好なリボンを『見苦しい』とでも感じて解き、自分の美学に沿って結び直した。……まるで、命の終わった人形を、箱に詰める前に整えるように」
夫人たちの間に、氷がひび割れるような鋭い沈黙が走る。
ケイト夫人が震える手で羽ペンを握り直し、ノートの余白に新たな一文を叩きつけるように書き加えた。
『――犯人は、被害者を人間としてではなく、自らの手で完成させるべき「作品」と見なしている』
そんな中、コートニーは、資料の中の遺体スケッチを掲げる。
「……次に『化粧の痕跡』です。ステア殿下の資料には異臭なしとありますが、現場の微細遺留品リストの隅に、ごく少量の微粒子――パールパウダーの付着が記されています」
「パールパウダー?」
社交界でもおしどり夫婦で有名な、ハウエル伯爵夫人、サラ様が首を傾げる。
「はい。真珠層を微粉砕したもので、主な成分は炭酸カルシウムとタンパク質、アミノ酸などです。古くから高級なおしろいの主成分として利用されています」
「確かに、パールパウダー入りのものは、お値段は張るけれど肌のツヤやなめらかさが格段に違うのよね。……でも、そんなものがなぜ、遺留品リストに?」
エマ夫人が、自らの白く整えられた頬に手を当てながら不可解そうに呟く。
「被害者たちが使っていたのは、私たちが配った安価な石鹸だけ。到底、真珠を砕いたおしろいなど手が出るはずもありませんわ」
サラ夫人も不思議そうな表情で呟く。
「持ち込んだのは犯人で、彼女たちの生臭い生活感を拭い去るように、死者に『最高の淑女の仕上げ』を施したのではないでしょうか」
彼女の声は、確信を深めるごとに鋭さを増していく。
「さらにステア殿下の資料には、『被害者は無防備な状態で背後から襲われた』とあります。ですが、私にはどうしても違和感があるのです」
コートニーは、資料を机に置くと参加者に顔を向けた。
「もし夜中に男性に声をかけられたら、皆様ならどうされますか?」
「とりあえず、周囲の者にまずは助けを求めますわ」
ケイト夫人が当然のように頷き、他の夫人たちもそれに倣う。
「皆様、私達の常識はこの方達の住む世界では非常識。名探偵エリノアが良くそう仰っていたでしょう?」
扇子を口元にあてたエロイーズが、どこか楽しげに、それでいて鋭い視線で一同を見渡した。
「……警戒しますわ。たとえ相手がどれほど身なりの整った殿方であっても、夜の路地で声をかけられるなど、恐怖以外の何物でもありませんから」
サラ夫人が身をすくめるように答えた。
コートニーは頷きながら口を開く。
「イースト地区の治安について詳しい彼女たちならなおさら、夜の路地裏の危険を誰よりも知っていたはずです。見知らぬ男性が近づけば、たとえ泥酔していても、本能的に身構えるか逃げ出すと思います」
(世間知らずを自認する私だって、家出をしたあの日。駅の待合室でそうだったから)
怖くてたまらなかった。
だから身を守るようにリュックを抱え、神経を尖らせ警戒していた。
「それなのに、遺体の状況はまるでお互いに合意の上で、ごく至近距離まで相手を受け入れたかのように見えます。……名探偵エリノアの言葉を借りるなら、『現場には、あるはずのものがなく、ないはずのものがある』のです」
コートニーは、資料の中の凄惨な現場スケッチを、あえて美しく整えられた喉元のアップを指し示した。
「あるはずのないものは、淑女の作法通りに結ばれた完璧なリボンとパールパウダー。そして、あるはずなのにないものは――被害者の『恐怖です。彼女たちが背後を許し、抵抗もせずに喉元を差し出したのは、相手が男性ではなく、自分たちが心から信頼し、憧れていた『慈悲深い女性』だったからではないでしょうか」
「――相変わらず、おしゃべりだな。コートニー嬢」
嫌な一拍のあと。
「……いや。泥棒と呼ぶべきか?」
背後から冷気を孕んだ声が響いた。
重厚な扉がいつの間にか開いており、そこには泥に汚れたブーツを履き、殺気立った瞳をしたステアが立っていた。その手には、自分の執務室から「あるべきもの」が消えていることを確認した苛立ちが滲んでいる。
「殿下……!」
コートニーは跳ねるように立ち上がり、咄嗟に資料を胸元に抱え込んだ。
だが、ステアの氷のような視線は、円卓に散らばった捜査資料と、淑女たちの前に広げられた円卓の貴婦人帳を射抜いている。
「不敬罪で首が飛ぶ前に聞かせてもらおうか。私の机から機密を盗み出し、あまつさえ『犯人は女だ』などと戯言を抜かすその根拠を」
ステアが一歩、また一歩とコートニーに近づく。
(怖いのに、目が逸らせないんですけど……。えー、こんな人に、私は挑んでしまったの?)
かつてないほどステアが醸し出す圧倒的な威圧感に、コートニーの背筋は凍りついたのだった。




