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捕まるまでが、逃亡です  作者: 月食ぱんな
第四章:反転前夜
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023 円卓の貴婦人は、死者の声を記す

「イースト地区で新たな被害者だ! 全員、現場へ急げ!」


 ステアの鋭い指示が執務室に響き、まるでバッタが跳ねるように騒がしい足音が遠ざかっていく。


 その様子をコートニーは、執務室の本棚の前で、羽箒を持って固唾を飲んで見守っていた。


 ステアたちが部屋を飛び出し、静寂が訪れた瞬間、置物と化していた彼女は動き出す。


「……殿下、ごめんなさい。私もあなたの忠実な部下でありたいのは山々なんですけれど」


 誰ともなく小声で言い訳を口にしながら、迷いのない足取りでステアのデスクへと向かう。

 そこには、先ほどまで彼が苦々しげに睨みつけていた、王都を震撼させる切り裂き魔ことミッドナイト・テイラーの機密捜査資料が置かれていた。


「我ら貴族女性のトップは、あくまで王妃様。女性の結束は、主従関係よりも重いんです」


 コートニーは指先に全神経を集中させ、厚い書類の束を素早く懐へと滑り込ませた。心臓が早鐘を打つ。


 不敬罪。

 そして、窃盗。


 もし見つかれば侍女の身分など一瞬で吹き飛ぶだろう。


 コートニーは、窓の外を振り返る。


「殿下が信じている秩序と、私が信じたい正義は、きっと同じ場所には辿り着かないのね」


 馬を飛ばして現場へ向かうステアの背中へ、呟く。


「って、早くお届けしないと!」


 コートニーは髪を揺らし部屋を飛び出すと、迷わず廊下を駆け出した。



 ◇✧◇✧◇✧◇



 重厚な扉が開くと、そこには穏やかな「お茶会」の雰囲気は微塵もなかった。円卓を囲む淑女たちの前には、ティーカップの代わりに鋭利な知性と、張り詰めた緊張感が並んでいる。


「お待たせしました、エロイーズ殿下」


 コートニーが駆け込み、懐から熱を帯びた書類の束をテーブルの中央に置く。すると、王妃エロイーズは満足げに目を細めた。


「よくやったわね、コートニー。さあ皆様、男性陣が現場で泥を跳ね飛ばしている間に、私たちはこの『病』の本質を解剖しましょうか」


 カサリ、と書類が広げられる。そこには無残な遺体のスケッチと、被害者の共通点が冷徹な筆致で記されていた。


 遺体のスケッチが露わになった瞬間、円卓を囲む数人の夫人が息を呑み、扇で口元を覆う。紙の上に再現された「現実」は、優雅な壁紙に囲まれたこの部屋にはあまりに不釣り合いで、暴力的な色を帯びていたからだ。


 コートニーもまた、喉の奥がせり上がるような感覚に襲われ、指先を強く握りしめた。紙の中に横たわるのは、昨日まで確かに息をし、未来を変えようと足掻いていた同じ女性だ。


 重苦しい沈黙が部屋を支配しようとしたその時、円卓の最上席に座るエロイーズが、静かに、しかし凛とした声で場を制す。


「皆様、目を背けないで。これは私たちが向き合うべき、この国の膿なのですから」


 エロイーズは椅子から立ち上がると、テーブルの中央にある無残な記録に向かって、そっと両手を組んだ。


「……まずは、この痛ましい犠牲に黙祷を捧げましょう。彼女たちがどれほどの恐怖の中にいたか、そして、どれほど生きたかったか。その想いを私たちの怒りに変えるために」


 その言葉に促されるように、夫人たちは一人、また一人と立ち上がり、深く頭を垂れる。


 カチ、カチと、壁に掛けられた時計の音だけが響く。


(ごめんなさい……。守れなくて、ごめんなさい……)


 コートニーは目を閉じ、暗闇の中で祈った。


 同時に、先程まで懐に隠し持っていた捜査資料の重みを感じた。これは単なる紙の束ではない。奪われた命の叫びであり、自分たちが受け継がなければならない遺志なのだ。


 やがて、エロイーズがゆっくりと目を開けた。その瞳には、慈愛を削ぎ落とした、統治者としての冷徹な光が宿っている。


「――十分よ。これ以上の犠牲は、私たちの誇りが許さない。さあ、皆様。ステアたちが『現場の状況』として片付けたこの記録の中から、私たちにしか見えない『繋がり』を掘り起こしましょう」


 王妃の力強い言葉に、コートニーは顔を上げた。


 恐怖は消えていない。けれど、それ以上に強い「義務」が、彼女の背筋を真っ直ぐ伸ばした。


「被害者は全部で五名。……ただし、今殿下が向かわれている現場が同一犯だとすれば、六人目が生まれてしまった可能性があります」


「六名……。たった三ヶ月で、それほどまでに」


 エマが嘆くように呟き、開いた資料を震える指先でなぞった。


「犯行の周期が早まっているわね。……コートニー、被害者たちの境遇を読み上げて頂戴。ステアたちの視点ではなく、彼女たちが『どう生きていたか』を」


 エロイーズの指示を受け、コートニーは喉のつかえを飲み込んで口を開いた。


「被害に遭ったのは、いずれもイースト地区に住む女性です。一人目は酒場の給仕、二人目は洗濯女、三人目と四人目は路地裏の針子……。五人目の被害者は、椅子の背覆い作り、花売りなどをしていたそうです」


 手にした資料から、概要を読み取りながら続けた。


「全ての女性に共通するのは、それらの収入で生活費が賄えない時に限り、娼婦をしていたということです」


 コートニーは、あえて感情を排した声を出す。


「そして五人中、四人がひどいアルコール中毒で、何度も警察のお世話になっていたようです。ステア殿下の捜査資料にも、彼女たちの『過去の素行』を理由に、犯行を個人的な怨恨や自業自得として片付けようとする偏見が散見されます」


 サロンの空気が、さらに一段、温度を下げた。


「以前慰問に訪れた救貧院に収容されていた女性の多くが、アルコール依存症だったのを思い出すわね」


「生活苦からアルコールに逃げるうちに、常習化してしまう。このパターンに陥るのは別に珍しいことではないわ」


「貧困から売春をして身銭を稼ぐ女性が後を立たない事も問題だけれど、アルコール依存症に陥ること。それも未だ解決の糸口さえ見えない、とても難しい問題ね」


 婦人達は一斉に憂いある表情になる。


「……見て。やっぱり私たちの予想通り、被害者は私たちが『家庭訪問』でパンを配っていた地区の女性たちだわ」


 エマが資料の一点を指差し、忌々しそうに唇を噛む。


「今の発言は、『円卓の貴婦人帳』に記載しておきますわ」


 マクスウェル侯爵夫人のケイトが、スラスラとノートに書き留める。


「円卓の貴婦人帳ですか?」


 コートニーは、ケイトが羽ペンをすべらせるノートを見つめる。


 参加者の一人が、疑問に答えてくれた。


「いわば、ステア殿下と私たちの交換日記のようなものね」


 ケイト夫人がページを繰るたび、微かにインクの香りが立ち上る。


 コートニーがそっと覗き込んだそのノートには、優雅な飾り文字で埋め尽くされた社交界の招待状とは対極にある、生々しく、血の通った「現実」が記録されていた。


「これは……」


 コートニーは思わず息を呑んだ。


 そこには、過去に新聞の見出しを飾った事件の概要、そして報道では決して触れられることのなかった「被害者の真の姿」が、容赦のない筆致で刻み込まれていた。


「見て、コートニー様。ここを」


 ケイトの指先が、直近のページの下部に引かれた奇妙な記号をなぞる。


 それは、被害者女性たちの名前の横に、まるで値踏みするかのように書き添えられた小さな「星印」だった。


「この星印がついている女性たちは、私たちがパンを配った際、特に手の震えを見せていた者たちよ。深刻なアルコール依存の兆候だわ。そして、今回の犠牲者は全員、この星印がついていたの」


 コートニーの背筋に、氷を流し込まれたような戦慄が走る。


「……つまり、犯人は慈善活動をする者たちと同じ視点で、彼女たちの弱さを見定めていたということですか?」


「その可能性が高いわね」


 エロイーズが、身を乗り出すようにして言った。


「残念だけれど私たちは、現場で捜査することはできないわ。けれど、彼女たちが生前にどこの救貧院に通い、どの酒場で安酒を煽っていたかという『生活の動線』を知っている。さらに言えば、彼女たちが救いを求めて最後に縋り付く場所が、どこであるかも」


 ノートの余白には、ケイトが走り書きしたと思われる不気味な推論が残されていた。


『――慈善活動を隠れ蓑にした、獲物の選定?』


 その言葉を見た瞬間、コートニーの脳裏に、これまでの人生で見てきた「慈善」の光景が次々と浮かんだ。親切な顔をして炊き出しを行う者、祈りを捧げる聖職者、そして――今まさに目の前にいる、高潔な淑女たち。


「私たちが善意で手を差し伸べているそのすぐ後ろに、死神が並んで歩いていたというの……?」


 コートニーの声が震える。まだ現場を知らない彼女にとって、自分たちが「救おうとしている場所」がそのまま「死の舞台」になっているという事実は、耐え難い衝撃だった。


 エロイーズが、扇をパチンと鳴らした。その音に惹きつけられるように、参加者たちの視線が彼女の元へと集まる。


 彼女は、テーブルに広げられた凄惨な死の記録と、自分たちが綴ってきた生きた証――『貴婦人帳』を交互に見つめ、静かに、しかし断固とした口調で命じた。


「だからこそ、私たちが止めるのよ、このノートは、犠牲者の墓標ではないわ。犯人の喉元へ突きつける、私たちの剣なのよ」


 凛とした声が、重厚なサロンの空気を一閃した。


 ケイトが羽ペンをインク壺に浸し、捜査資料から読み取った新たな一文を書き加える。ペン先が紙を削る音は、まるで反撃の狼煙のろしを上げる軍靴の音のように、静まり返ったサロンに響き渡った。


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