020 円卓に座る資格
コートニーのしゃくり上げる声が小さくなり、サロンに穏やかな静寂が戻る。
「……失礼、いたしました」
真っ赤な鼻をすすり、コートニーは身を離す。彼女の背中を優しく撫でていたエマ夫人の上質なシルクのドレスには涙の跡がついていた。しかし、夫人は気にする素振りも見せず、「すっきりしたかしら?」と茶目っ気たっぷりにウインクをした。
「コートニー、何かあれば迷わず相談なさい。ねえ、皆様?」
エマ夫人の呼びかけに、円卓を囲む淑女たちが一斉に、慈愛と、どこか茶目っ気を含んだ微笑みを返した。
「ええ、もちろん。エリノアの娘ですもの。本当はもっと早くにお呼びしたかったのだけれど、あのステア殿下が門番のように厳しく、あなたを隠していたから」
ケイト夫人の冗談めかした言葉に、サロンに柔らかな笑いがこぼれる。コートニーは照れくささと安心感で、少しだけ頬を緩めた。
「――では皆様」
王妃エロイーズが、タイミングを見計らったように小さくベルを鳴らす。その清らかな音が響くと、サロンの空気は一瞬にして慈愛から冷徹な知性へと切り替わった。
「心のお掃除が終わったところで、次は城のお掃除の話をしましょうか」
王妃の合図で、夫人たちの手によってテーブルの上の紙が一斉に表へと返された。カサリ、という紙の擦れる音が、まるで開戦の合図のように静かなサロンに響き渡る。
コートニーもそっと紙をめくり、視線を落とす。
そこに記されていたのは、お茶会に相応しい詩でも、流行の刺繍図案でもなかった。
(えっ……)
そこに記されていたのは、慈善活動という名目で行われている、貧民や病人の「家庭訪問」についての報告書だった。しかし、その余白には淑女たちの鋭い毒舌と、冷徹なまでの現状分析がびっしりと書き込まれている。
(これは、ただの活動記録じゃないわ。お母様たちは、この国の仕組みそのものを、疑っていたの?)
若草色の瞳を大きく見開き、コートニーは思わず息を呑む。
「見て頂戴、この空虚な数字を」
ケイト夫人が、忌々しそうに資料の一点を指差した。
そこには、配布されたパンの数や、訪問した家庭の件数が整然と並んでいた。
「私たちは貧民や病人の家庭を訪ねて、食料や衣類を配り、慈悲深い微笑みを振りまく。けれど、それは彼らを『生かさず殺さず』の状態に留め、支配構造を維持するための甘い毒薬に過ぎないわ。私たちが帰った後、彼らの生活が根本から変わることは一度もない」
「ええ、偽善もいいところですわね」
エマ夫人が、冷たく、けれど情熱を孕んだ瞳で言葉を継ぐ。
「対症療法的にパンを一切れ配ったところで、彼らが自ら稼ぐ手段を持たなければ、次の日にはまた飢えるだけ。このおままごとのような慈善活動は、私たちの自己満足を肥やし、貧困の連鎖を固定化させているだけだわ。エリノアは、これを一番嫌っていた」
コートニーは衝撃で、資料を握る指先に力を込めた。王城の外で、貴婦人たちが美徳として語る慈善が、この円卓では解決すべき問題点として断罪されている。
「だからこそ、私たちは変えたいのよ」
王妃エロイーズが、円卓の中央に一枚の白紙を置いた。
「コートニー。私たちが必要としているのは、泥臭い、生活に根ざした『仕組み』の変革なの」
王妃は真っ直ぐにコートニーを見据えた。
「あなたはこの問題について、どう思う?」
王妃の問いかけが、静まり返ったサロンに凛と響いた。
その場にいる全員の視線が、コートニーに集中する。それは先ほどまでの、泣いている子供をあやすような慈愛の眼差しではない。国を、そして歴史を裏側から動かしてきた女たちが、新しく加わろうとする者に投げかける、値踏みの視線だった。
(……試されているわ)
コートニーは背筋に冷たい緊張が走るのを感じた。 自分は今、単なる「エリノアの娘」としてここに座っているのではない。ステア殿下の代理人として、そして母の意志を継ぐ候補者として、その「資格」があるかどうかを問われているのだ。
ここで「皆様の仰る通りです」と、無難な賛同を口にすれば、きっと穏便にこの場は終わるだろう。けれど、それでは二度とこの円卓の深淵には触れられない。
コートニーは深く、静かに息を吸い込んだ。
「……確かに、パンを配るだけでは何も変わりません。けれど、それ以上に恐ろしいのは――」
彼女は手元の報告書を見つめ、指先でその「空虚な数字」をなぞった。
「そのパンが、彼らから『考える力』を奪っていることです。今日食べるものに困り、誰かが運んでくるのを待つだけの毎日は、人間から尊厳を奪い、家畜に変えてしまいます」
一瞬、誰かが息を吸う音さえ、ひどく大きく聞こえた。
若すぎる、そして率直すぎる意見。だが、コートニーは怯まずに言葉を続けた。
(確かあれは、ステア殿下の本棚に並んでいた、やけに難解そうな法経福祉の専門書だったわ)
掃除のついでに、ほんの好奇心でパラパラと捲ったページ。そこには、殿下らしいほど厳しく、それでいて逃げのない言葉が残されており、今の状況に不思議なほど合致していた。
「……ステア殿下の執務室にあった本を偶然目にした時、殿下の字で走り書きがありました。『施しとは一時的な延命であり、依存は最大の搾取である』と」
コートニーの声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。
「本当の意味で貧困から彼らを救うのは、社会の歯車として自立するための『権利』と『役割』ではないでしょうか」
王妃たちが息を呑むのがわかった。コートニーは執務室で見た図解や、ステアがこぼしていた不満を思い出しながら言葉を紡ぐ。
「彼らの住む地域で、わずかですが『独自の経済』が動き出している形跡がありました。廃棄された野菜の種を育て、城から出た銀の酸化膜を集めて磨き粉にする。殿下はそれを『管理外の不審な動き』として警戒されていますが、私はそこに、彼らが檻を壊そうとしている爪痕を見た気がするのです」
彼女は顔を上げ、王妃の目を真っ直ぐに見つめ返した。
「施しを止める勇気を持つこと。そして、彼らが『自らパンを焼く』ために必要な道具と場所を、利権や法に縛られずに提供すること。……それこそが、お母様……皆さまが目指す『仕組みの変革』ではないでしょうか?」
沈黙が数秒続いた。 やがて、エマ夫人が扇で口元を隠し、ふっと小さく吹き出した。
「まあ。ステア殿下への毒舌だけでなく、私たちへの説教まで飛び出すなんて」
「……合格ね」
王妃エロイーズが、満足げに目を細めて言った。
「厳しいことを言うだけなら、誰にでもできる。けれど、現場の微かな変化を見逃さず、それを変革の糸口として捉えるその視点……。間違いなく、あなたはエリノアの娘であり、ステアが選んだ子だわ」
王妃は手元のベルを再び鳴らす。今度は、先ほどよりもどこか祝祭的な響きを持って。
「さあ、お茶会の本番を始めましょう。コートニー、あなたが今言った彼らの爪痕をどうやって正規の仕組みに変えるか……そのための知恵を貸して頂戴」
「喜んでお引き受け致します」
緊張でこわばっていたコートニーの指先から、ようやく力が抜けた。
自分が今、正式にこの「円卓」の一員として認められたのだという確信が、熱い体温となって全身を駆け巡る。
それは、今まで一度も感じたことのない、居場所を得たという確かな実感だった。




