016 条件付きの保護
コートニーの揺るがない決意。それは「帰りたくない」という一点に集約されていた。その想いを全身から醸し出し、血走っているであろう瞳をマイロへとロックオンする。
「殿下、詳しく説明してもよろしいでしょうか?」
「駄目だ。断る」
「……えっ?」
ステアの口から出た予想外の拒絶に、コートニーは獲物を狙う鷹のポーズのまま固まった。
「……困ったな」
ステアが小さく呟き、眉をへの字にして首元を撫でた。しばしの沈黙が場を支配した。お互いに疲労の色は濃く、目の下の隈を見れば消耗具合は一目瞭然だ。
「殿下。私を殿下の侍女として雇ってください」
ステアの元で働けば、王城という最高に安全で快適な住環境が手に入る。おまけに殿下というブランドは、父ウィリアムに立ち向かうには、この上なく強力な盾となる。
「マイロがいるし、いらないよそんな人材」
「じゃあ、お城の侍女に空きはありませんか?」
「母上のところに空きはなかったような」
(流石に王妃殿下の侍女は人気職だものね。でも、まだ諦めない)
コートニーは、すかさず次の一手を繰り出した。
「アーロン殿下のお子様、サイラス王子殿下やルナ王女殿下の家庭教師に空きはありませんか?」
大胆にも未来の国王候補の教育係を提案してみたが、ステアは「専門職がついているから」と、やんわり素人お断りの姿勢を見せた。
(まあ、それはそうよね。私が教鞭を執ったら、この国の明るい未来が保障できなくなってしまうもの。自覚はあるわ)
ならば。
「では、厨房はどうでしょう。あるいは洗濯係でも構いません。この際、職種に拘泥するほど私は愚かではありませんわ。殿下、お願いです。私をこの城の『機能の一部』として組み込んでください」
「君ね……。伯爵令嬢が洗濯板で指を腫らしていると知れたら、私の不徳が隣国まで届いてしまうよ」
ステアは心底困ったように息をつき、視線を宙に泳がせた。
「では、やはり殿下の侍女しか空きはなさそうですね……」
コートニーの提案に、ステアは分かりやすく困惑の表情を浮かべた。
「君を侍女として雇った場合、僕も君もそれなりに年頃とされている男女なわけだから、良からぬ噂を立てられると思うけど」
「いいですよ。アップルビー卿と結婚するよりマシです」
(不名誉な噂の一つや二つ、あの結婚に比べればそよ風みたいなものだし)
「比較相手が彼じゃ全然喜べないけど、それはどうも」
ステアは苦い顔で冗談を返してきた。どうやら心底拒絶しているわけではなさそうだと判断し、コートニーはさらに身を乗り出した。
「それに私は海賊問題が解決したら、迷わずフィデリア国に向かいます。つまり殿下と良からぬ噂を立てられても、痛くも痒くもありません」
「残された僕は困るけど」
「大丈夫です。殿下は王子様ですから、最悪傷物扱いされたって、きっと結婚できますって」
「まぁ、そうだな」
「それに私、いずれはフィデリア国の人間になるわけですし、だったら殿下に仕える事でこの国に、最後の恩返しをしたい気分になりました」
(名案だわ! この国の王子に尽くして、さっさと出国する。これこそ美しき旅立ちというものよ)
侍女として生き抜くという、新たな使命の灯が彼女の心を照らす。
「その心意気は素晴らしいと思うけど、『なりました』って、今思いついたってこと?」
「はい」
コートニーは正直に答えた。
散々醜態を晒し、机の脚に縋り付いている今、もう失うものなど何もない。
「マイロ、彼女のしつこさに完敗しそうなんだが」
ステアが、ついに背後に立つマイロに助け舟を求め始めた。
(……しめしめ、いい兆候だわ。疲労で判断力が鈍っているわ)
勝利の予感に、コートニーは机の下で小さくガッツポーズを作る。
「いいじゃないですか。殿下だって身の回りの世話をしてくれる侍女の一人くらい、そろそろ持つべきです」
マイロが援護射撃を放つ。
(マイロ様、なんて素晴らしいお方! これは完全に追い風が吹いている)
コートニーの心は跳ねる。
「でも彼女は女性だし、若すぎないか?」
「そこは仕事への情熱でカバーします!! むしろ私の事は男だと思ってください」
「無理だよ……」
ステアの至極真っ当な突っ込みを、コートニーは力技でねじ伏せた。
「僕、頑張ります。殿下、捨て猫を拾ったと思ってお願いします」
コートニーは、なりふり構わず、うざいくらいの自己アピールを、かつてない熱量で畳み掛けた。
(殿下は放っておいても幸せな人生が約束されているけれど、私は今ここで粘らなければ、アップルビー卿という名の奈落に落ちるのよ。しつこいと思われようが、引くわけにはいかないし)
ギラつく視線のコートニー。
「ははは。捨て猫ですか。なかなかうまいことをおっしゃいましたね。確かに救った猫に懐かれることも、そして情が湧いて手放せなくなるという現象は、良くある事ですからね」
「マイロ、それは猫の話だろう? 人間は範囲外だ」
「にゃーー」
「君は……本当にヒスコック伯爵家の令嬢なのか?」
「イエッサー!!」
「謎すぎるだろ……」
(あ、しまった。少々調子に乗りすぎた? 殿下の顔が引きつっているわ……でも、猫アピールとしては完璧だったはず!)
疲労漂う部屋の中、コートニーも冷静さを失っていた。
しばし重い沈黙が流れる。ステアは片手で顔を覆い、深い溜息を吐き出した。その指の間から漏れ聞こえたのは、ついに限界を迎えた男の「降参」の言葉だった。
「わかったよ。僕が君を雇う。その代わりヒスコック伯爵家には君の所在を知らせる事が条件だ」
「えっ」
予想外の条件に、コートニーは机の脚を握る手を固まらせた。
「驚くことではないだろう。隠れて君を働かせたら、それこそ僕が誘拐犯扱いされかねない」
「でも……」
「僕の元で働くなら連絡は必須。これは譲れない。それが出来ないなら今すぐ君を屋敷に送り届ける。さぁ決めて」
(究極の選択……。実家に居場所がバレるのは怖すぎるけれど、ここで拒否すれば即刻強制送還。逃げ場はないわね)
でも……と、コートニーは遠慮がちに口を開く。
「きっと実家に知らせたら、殿下にご迷惑をかけると思います。流石に我が家のゴタゴタに殿下を巻き込む訳にはいきません」
コートニーの脳裏に、義母ソフィアと義妹リリアの顔が浮かぶ。
(あの二人が、私が殿下の傍にいると知ったら、嫉妬と欲に駆られて何を仕掛けてくるか……。特にリリアは殿下を狙っているし……あれ?)
ふと、一つの思考が過った。
(そもそも、私がワインまみれにされなければ、こんな家出騒動にはならなかった。あれはリリアが仕掛けたこと。つまり、これから起きる波乱は全部彼女の自業自得?)
そう思うと、少しだけ気が晴れたような気がした。
「その点はいいよ。もう十分迷惑ならかけられているからね」
「あ……ごめんなさい」
(確かに、これ以上の迷惑なんてないわよね。もう十分に殿下を困らせて、机の下に引きずり込んでいるんだもの。いまさら何を遠慮することがあるっていうのよ!)
決意は固まった。
二度とあの屋敷には戻らない。
そのための道がこれしかないのなら、泥をすすってでも、王子を盾にしてでも生き抜いてみせる。
コートニーは意を決し、机の下から這い出して、ステアに向かって深く頭を下げた。
「連絡は承知しました。その代わり何でもしますから、殿下の元で働かせてください」
コートニーは、差し出された条件を呑んだ。
「何でもねぇ……」
ステアが、探るような、あるいは意味ありげな薄目を向けてくる。
(……え、何その目。もしかして、王族ならではの恐ろしい裏の仕事とかがあるの? 暗殺の片棒を担がされたり、毒見をさせられたり……!?)
コートニーの顔が引き攣る。
「も、もちろん常識の範囲内、できる範囲で!」
「君の口から今更、常識という言葉を聞いてもなんだかなぁ」
「普段の私はもっとちゃんと常識的な人間です」
「ほんとかな。やっぱり君を雇うなんて無謀な気がしてきた」
「そこを何とか! お慈悲を!」
今更「やっぱり無し」なんて言われては堪ったものではない。
コートニーはなりふり構わず、人生で初めて冷たい床に額を擦りつけるようにして平伏した。
(お父様が見たら卒倒するかもしれないけれど、知ったことじゃないわ。今は矜持よりも明日寝る場所と、実家に戻らなくていい免罪符が必要なの!)
冷たい床にオデコをつけたコートニーにマイロのため息が降り注ぐ。
「殿下、またもや性格の悪さが漏れています」
マイロが淡々と主君を嗜めた。
「いや、この状況なら致し方ないと思うけど」
「ミネルヴァ嬢、顔を上げてください。私としても殿下を支えるチームに、ちょうど気の利く女性が欲しいなと思っていたところです。一緒に厄介な殿下を支えてあげましょう」
マイロからかけられた温かい励ましの言葉に、コートニーは恐る恐る身を起こす。
(マイロ様! なんて懐が深くて慈悲深いの……この殺伐とした話し合いの中で、唯一のオアシス決定ね)
「マイロ様のお役に立てるように頑張ります」
「期待しています」
「はい、ご主人様!!」
(そうよ、実質的な主人はこの有能なマイロ様に違いないわ。彼についていけば、きっと市井で生き抜く術も学べるはず……)
コートニーは満面の笑みを、ステアの背後に立つマイロへと向けた。
「主人は僕だけどね……」
「おや、早速ヤキモチですか?」
「違うし。面倒が増えたなと思っただけだ」
ステアはボソボソと不満げに呟き、面白くなさそうな表情を浮かべる。
その様子を眺めつつ、コートニーは密かに胸を撫で下ろした。
(ふぅ……。ひとまずは、これで首の皮一枚繋がったわね。殿下には本当に悪いことをしたと思っているけれど、背に腹は代えられないもの)
「本当にいい人に拾ってもらえてよかった……」
安堵の溜息とともに、小さく本音が漏れる。
極度の緊張から解放された途端、猛烈な眠気が襲ってきた。コートニーは今にも飛び出しそうになる大きな欠伸を、涙目になりながら必死で噛み殺す。
机の脚に縋りついて始まった戦いは、こうして、奇妙な雇用契約で幕を閉じたのだった。




