013 救いを求めるという計算
意見の合わない二人を内包する取り調べ室は、混沌を極めていた。
「殿下、私は今、極度のストレスにより海馬が萎縮し始めています。このまま実家へ戻れば、私は『シャンデリアの構造を愛でる令嬢』ではなく、『ただの虚無を凝視する置物』と化すでしょう。それは知的資源の不当な廃棄、ひいては国家レベルの損失です!」
「机から離れろ。見苦しいぞ、コートニー嬢」
「離れません! 接着剤の粘着力を実証している最中です!それに、メルク海域の海賊争い……あそこは確か、最近発見された『海底油田の掘削権』を巡って、私設艦隊が衝突しているはずです。その戦術パターン、私は三年前の論文で読みました。回避ルートなら、時間さえあれば私が計算できます!」
ステアは、机の脚にセミのようにしがみつくコートニーを見下ろし、深い――深すぎる溜息をついた。
「……海域が封鎖されている以上、どんな計算も無意味だ。船が出ない以上、君をここに置いておく理由もない。マイロ、彼女を引き剥がせ」
「畏まりました。……失礼いたします、お嬢様」
「いやぁぁ!マイロ様、待って!待ってください!」
マイロの太い腕が伸びてくる寸前、コートニーは必死の形相で叫んだ。すると、マイロの動きがぴたりと止まる。伸ばされた強靭な腕は、コートニーの華奢な肩を掴む寸前で静止していた。
彼は無機質な表情をわずかに崩し、困ったように眉根を寄せる。
「……殿下、少しよろしいでしょうか」
「何だ、マイロ。早くそのセミもどきを剥がして馬車に放り込め」
「いえ。嘘や屁理屈を並べる時の彼女の瞳は、屈折率の計算でもしているかのように細かく動きますが……今の瞳は、逃げ場のない小動物のそれです」
マイロは、机の脚に顔を半分埋めているコートニーを見つめた。
「……それに、先ほどからお嬢様の指が震えております。これは単なるわがままの震えではありません。ここから出されることへの、本能的な恐怖です」
「マイロさま……!」
コートニーは顔を上げ、救世主を見るような目でマイロを見上げた。
マイロは視線を落としたまま、静かに続ける。
「ここまで嫌がっているのに帰宅させるのは、さすがに可哀相かと。それに、先程の話を聞く限り、彼女はどうもご家族とうまくいっていないようですし」
「そうなんです。実際のところ、私はずっと部屋に監禁されてました」
「その割には血色が良いよね?」
フレデリックを彷彿とさせる、余計な一言が横から飛んできた。だが、ステアに怯んでいる場合ではない。
コートニーは、マイロに向かって必死に訴える。
「食事はちゃんと与えられていました。それでも、貴重な社交シーズンにタウンハウスの狭い自室に閉じ込めるなんて普通じゃありません。しかも私はデビュタントなのに、ですよ?」
「そうだったのか。しかしヒスコック卿は、一見すると穏やかそうな人物に思えるのだが」
ステアの声が飛んでくる。
「人は見かけによりません。……あ、でも諸悪の根源は継母、ソフィアですけど」
ここぞとばかりに、告げ口をしておく。
「諸悪の根源、ソフィア……。なるほど、典型的な『継母と虐げられる令嬢』の構図というわけか」
ステアは皮肉げに唇を歪めた。だが、その視線からは、先ほどまでの突き放すような冷たさが消え、代わりに奇妙な好奇心が混ざり始めていた。
「しかし監禁とは穏やかじゃないな。マイロ、もしこれが事実なら、ヒスコック伯爵家は『貴族としての品位』を問われる事態になるが?」
「左様でございます。それに、殿下……」
マイロはコートニーの震える指先を静かに示し、まるで精密機器の不調を報告するかのように淡々と言った。
「情報が遮断された環境で、これだけの知識を蓄積し、維持し続けたという事実。それは、彼女の知性がもはや生存本能の一部であることを示しています。これを無理やり奪えば、コートニー嬢は生命維持が困難になる恐れがあります」
「生命維持が困難!?マイロ様、なんて的確な表現を……!」
感動のあまり、コートニーは机の脚を抱きしめる力をさらに強めた。
「だけど、そういう話ってありがちだよね。なんかもっとこう……ついうっかり君に手を差し伸べたくなるような、決定的な何かはないわけ?」
鬼畜な発言である。コートニーは、ステアに薄目を向けた。
「ステア殿下。大変申し訳ないのですが、しばらく黙っていてもらえます?」
「これはこれは、悲劇のお姫様。大変失礼いたしました」
わざとらしく敬うように、大げさに頭を下げるステア。
(全く癪にさわる男だわ)
見目麗しいところが余計に腹立たしい。やはり腹黒リリアとお似合いだ。似た者同士、惹かれ合うものがあるに違いない。
コートニーは密かに確信した。
「マイロ様、どうか私をお救いください……というか、屋敷に戻すくらいなら、私と結婚してください」
「残念。マイロは既婚者なんだよねぇ」
「くっ、無念……」
人生初の告白は、秒で撃沈した。
(しかし、正妻でダメなら……諸刃の剣で、アレがあるわ)
コートニーは机の脚にしがみついたまま、首をクレーンのように伸ばしてマイロを見る。その瞳には、もはや令嬢としての矜持など微塵もなく、生き残るための「冷徹な打算」だけが渦巻いていた。
「では、愛人はどうでしょう?」
「私は妻を愛しておりますので、それは勘弁願いたい」
これまた即答され、「お嫁に行けない……」と、机の脚におでこをつける。
「軽々しく愛人になるだなんて口にしない方がいい。君の容姿や年齢に騙されて、本気にする者がいないとは限らない」
その言い分には、正直頷ける部分もある。
(ただ、一言多いのがダメなところよね)
「騙される」などと挑発されれば、負けず嫌いが黙っていられない。
「どっちにしろ屋敷に戻ったら、私はアップルビー卿と結婚させられるんです。だったら、マイロ様みたいに優しい方の愛人の方が、ずっといいもの」
「アップルビー卿?それは本当なのか?」
それまで余裕たっぷりだったステアの笑みが消え、氷のように冷たい声が、その場を支配した。




