100 ガラスのフクロウと、言えなかった言葉
管理の行き届いた大温室。そこには、王都の気候ではお目にかかれない珍しい植物たちが、生命の輝きを競い合っていた。
「――図鑑で見て以来、実物を観察したかったのです」
コートニーが目を輝かせて指差すと、ステアは満足げに頷きつつ、さらにその先を指した。
「銀嶺の雫もいいが、君に見せたいのはこっちだ」
ステアにぐいぐいと手を引かれたコートニーは、温室のさらに奥、まるで緑の迷宮のような茂みの先へと進んでいく。
彼女の知的好奇心は、繋がれた手の熱と共に、かつてないほどに高まっていた。
「ほら、みろ。君の好きなやつがいるぞ」
ステアが自信たっぷりに指差した先には、止まり木にちょこんと羽を休める一羽のフクロウがいた。
薄茶色の羽毛に鮮やかな白い斑点が散りばめられたその姿は、コートニーが想像していたよりもずっと大きく、独特の重量感を備えている。
今は休息の時間なのか、特徴的な大きな瞳はぴたりと閉じられていた。
「フクロウ、ですか?」
「君は、あれが好きだろう?」
ステアは「正解を導き出した」と言わんばかりの、少し誇らしげな表情で当たり前のように問いかけてきた。
(……そうだっけ?)
コートニーは、自分自身の嗜好を振り返ってみるが、「ステア殿下の紋章」といったくらいの知識しかなく、フクロウそのものに愛着を持っていたという明確なエビデンスが見当たらない。
「君はフクロウの紋章の入ったトランクを紛失したことを、ひどく悔やんでいたじゃないか。紛失届けも、しっかり署に提出していたようだし。それにこの前書庫で、フクロウについて熱弁していただろう?」
ステアが淡々とコートニーが、フクロウ好きである根拠を並び立てた。
(……あ、思い出したわ。あの時のことだわ)
コートニーの脳裏に、数週間前の記憶が鮮明にリプレイされる。それは王城の書庫で、ステアが持っていた古い紋章学の文献について議論したときのことだ。
『殿下の紋章にあるフクロウ……この耳のように見える羽(羽角)の角度、そして夜間の光増幅効率に特化した虹彩の構造。生物学的に見ても、隠密性と攻撃性を兼ね備えた、実に合理的なデザインですわね。素晴らしいわ……』
あの時はあくまで「殿下の紋章における設計の合理性」を称賛したに過ぎなかったのだが、どうやらステアの脳内フィルタを通した結果、「コートニーはフクロウという個体に強い親和性と好意を抱いている」という結論として保存されてしまったらしい。
コートニーは、自分に向けるステアの誇らしげな横顔を、盗み見るように観察した。
彼がわざわざ王立植物園の管理人に掛け合い、温室の奥の隠された場所まで自分を連れてきたのは、自分を喜ばせたいという、ひどく純粋で不器用な動機に基づいている。
(私の些細な言動を拾い集めて、彼なりに一生懸命『私の喜びそうな答え』を導き出したってことか……いつもは、そっけない王子が、こんな見当違いな推理で胸を張っているなんて)
そう思うと、おかしくて、愛おしくて、心臓の奥がまた不規則な拍動を始めた。
「……ええ、そうですね。実物を見るのは初めてですが、とても……可愛らしいです」
コートニーは、期待に満ちた彼の紫色の瞳を裏切るような真実は、脳内の秘密フォルダに永久封印することに決めた。そして、繋がれたままの手のひらに、少しだけ力を込める。
「私のことを、見ていてくれたんですね」
「当然だ。君のことなら、何でも……いや、これくらいは容易いことだ。喜んでくれたならよかった」
ステアは一瞬だけ素直になりかけた言葉を飲み込み、照れ隠しにまた傲慢な笑みを浮かべた。けれど、赤くなった耳までは隠せていない。
(ふふ。私の『逃走計画』に、こんなにも厄介な障害物が現れるなんて。フィデリア国行きの準備も、これではなかなか捗りそうにないわ)
コートニーは、眠れるフクロウの前で、自分の心に生まれた「想定外の愛着」という新たなデータに、そっと「肯定」のラベルを貼り付けた。
「僕は君について、知らないことの方が多いからな。喜んでもらえたならよかった」
横に並ぶステアは、フクロウを見つめていた。その横顔は、彫刻のように端正で冷徹な鋭さを持ちながら、同時に、宝物を慈しむような柔らかい光を瞳に宿している。
「フクロウは逃げ足だけは、早いそうだ」
ステアはわざとらしく、悪戯っぽく彼女を横目で見た。
逃走計画を練っていた彼女への、彼なりの意地悪な意趣返しだ。
「ステア殿下って、わりとしつこい性格だと指摘されたことはありませんか?」
不服そうに唇を尖らせると、ステアは「そうかもな」と声をあげて笑った。その屈託のない笑い声につられるように、コートニーの頬も緩む。
その時だった。
眠っていたはずのフクロウが、パチリと両目を見開いた。鮮やかな黄色の縁取りに、つぶらな漆黒の瞳。それが、じっとこちらを見つめている。
「……可愛いですね」
その神秘的な美しさに、今度は演技ではなく、自然と称賛の言葉が溢れた。
直後、フクロウはゆっくりと、機械仕掛けのように首を回転させ始めた。解剖学的な限界を無視したような角度でピタリと顔を固定し、ジッと探るような、どこか冷徹な視線をこちらへ向けてくる。
「な、なんというか……」
あまりに深く傾げられた首。そして瞬きもせずにこちらを観察するその真剣な眼差し。
(……可愛いというより、少し怖いというか。妙な威圧感があるわね。……さすがは戦争の女神のお供だわ)
コートニーは、予想外に迫力あるフクロウの姿に、少しだけ後ずさりしながらも、その奇妙な対面に強い好奇心を抱かずにはいられなかった。
「確かに、可愛いな」
「え?」
人ならば頸椎骨折が確定するような角度で顔を固定したフクロウ。それを「可愛い」と評するステアの感性に、コートニーは目を丸くした。
「フクロウは夜行性だからな。今は休憩中なのだろう。起こしてしまってすまない」
ステアが優しく語りかけると、フクロウはその言葉に満足したかのように、ゆっくりと首を元の角度へ戻し、再び静かに目を閉じた。
「殿下もフクロウに、興味があるんですか?」
「ああ」
コートニーの問いに、ステアは短く頷く。そして、彼はゆっくりと彼女の方へ体を向けると、逃げ場のないほど真っ直ぐにその紫の瞳を見つめた。
「実のところ、動物の中でフクロウが特別好きなわけではない。だが、君の好きなものを、僕も好きになりたいと思ったんだ」
(……え?)
あまりにストレートな熱情の吐露に、コートニーの思考回路がショートを起こした。頬に一気に血が昇るのを感じ、動揺を隠すように叫ぶ。
「で、殿下! 今日の殿下はおかしいです。まさか毒でも盛られたのですか!?」
「失礼な。違う。……というか、周囲がけしかけてくるんだよ。君にもう少し甘い言葉を吐きかけろ、と」
ステアは力が抜けたように、がっくりと肩を落とした。
「なんだ、そういうことだったのですか……」
思わず間抜けな声が漏れる。最近のステアの奇妙な言動の裏には、そんな単純な「外圧」があったのかと、コートニーは拍子抜けした。
「気を悪くしたならすまない。ただ、今まで君に抱くような気持ちを女性に対して抱いたことがなくて、自分でも戸惑っているんだ。だから、少しだけ多めに見てくれると有り難い」
ステアはチラリと伺うように彼女の顔を覗き見る。その弱気な態度に、コートニーの毒気も抜かれてしまった。
「私の好きなものを好きになりたいと言っていただけるのは、とても嬉しいです。ですが、無理はしないでください」
(だって、私もフクロウがベストというわけではないし。お互い見当違いな努力を積み重ねるのは非効率だし)
「でも、そのお気持ちは……とても、嬉しいです」
コートニーが本音を漏らして微笑むと、ステアの表情もふわりと和らいだ。
「僕も、君と過ごす時間が心地いいよ」
ステアはコートニーの手を自分の口元へと運び、指先にそっと唇を寄せる。
「君は、僕の女神だから」
囁かれた言葉は、あまりに気障で、普段の彼女なら間違いなく白眼視して「論理的な根拠を」と詰め寄るところだった。しかし、目の前のステアの笑顔があまりに美しく、コートニーの心臓は激しく跳ね上がった。
(……好きという感情は、脳内の判断基準をここまで狂わせてしまうものなの? どんな甘いセリフも、正解として処理されてしまうなんて!)
「なるほど。だんだん要領を得てきた気がする」
呆然とするコートニーを見て、ステアは実験に成功した学者のような満足げな笑みを浮かべ、そっと手を離した。
「さ、サンプル収集の検体扱いしないでください!」
高鳴る鼓動を隠すように、コートニーは顔を真っ赤にして抗議の声を上げる。そんな彼女の反応さえも、ステアは楽しげに、そして愛おしそうに眺めているのだった。
※※※
植物園の帰り際、ステアは「これを持っていくといい」と、掌に乗るほどの小さなガラス細工をコートニーに手渡した。それは、透明なガラスで象られたシンプルなフクロウの置物だった。
光に透かすと、手作りゆえのわずかな歪みが温かみを感じさせる。特に、少し不揃いな位置に描かれた両目が、なんともいえない愛嬌を放っていた。
「ありがとうございます、殿下。大切にいたしますわ!」
コートニーは胸の奥から込み上げる温かな感情をそのままに、今日一番の笑顔を彼に向けた。
「そんなに喜んでくれるとは。……やはり、君は無類のフクロウ好きなのだな」
ステアは自分の推論が正解であったことを確信したようで、満足げに目を細めた。
(……ああ、もう完全に、私は『フクロウ狂いの令嬢』として殿下の脳内に登録されてしまったみたい)
普段の彼女なら、事実関係の誤認を正すべく即座に訂正勧告を出すところだ。しかし、目の前で嬉しそうに微笑む彼の優しさを守ることのほうが、事実より遥かに優先順位が高いと、彼女の直感が告げていた。
「……はいっ!」
コートニーは迷いを断ち切り、元気よく肯定した。もらったガラス細工を壊さないよう、ハンカチに包んで鞄の奥へと大切にしまい込む。ステアはその様子を、名残惜しそうにじっと見つめていた。
「どうかなさいました?」
「いや……。そいつは、フィデリア国まで君と一緒にいけるのだな、と思ってな」
ふいに漏れたステアの声は、微かに寂しげな響きを帯びていた。
その音色に、コートニーの胸が締め付けられる。
「……だったら、『行くな』と引き止めてくださればいいのに」
思考を介さず、本音が唇から滑り落ちた。
言った瞬間に「しまった」と後悔が押し寄せる。
(私としたことが、なんて非合理で感情的なわがままを……! 殿下は、こういう面倒な情緒を押し付ける女性を最も嫌うはずなのに!)
案の定、ステアは言葉を失い、どう反応すべきか測りかねるような困惑の表情を浮かべた。その沈黙が、コートニーには拒絶の予兆のように感じられて怖くなる。
「……なんてね! 冗談です、今の言葉の真意を深く探るのは禁止事項ですよ」
彼女は努めて明るい声を出し、誤魔化すようにステアの手をぎゅっと握った。
「ほら、早く戻らないと日が暮れてしまいますわ」
今この瞬間の最優先任務は、自らの失態を彼の記憶の隅に追いやることだ。コートニーは混乱する脳をフル回転させながら、驚きに目を見開くステアを引いて歩き出した。
第一王子の手を引いて先を歩く、しかも背中をばっちり見せているという、社交界の常識からも、王城で勤める者のマナーからしても、あまりに大胆不敵な行動だ。けれど、今の彼女にそれを気にする余裕はない。
「……引き止める、か……」
背後でステアが何かを呟いた気がした。けれど、その声はあまりに小さく、夕暮れ時の風に溶けて、コートニーの耳に届くことはなかった。




