001 切り裂き魔と、王子の憂鬱
今年も細々と新作を投稿できたらいいなと思います。
どうぞ、よろしくおねがいします。
警察が手を焼くような事件が起きると、名探偵が現れ、難事件を素早く解決してくれる。
(そんな世界に住みたかった)
非現実的な妄想だと理解しつつも、ついそう思ってしまう。
王城で開催される舞踏会に参加するため、自室に戻ったステアは、紙面を踊る記事に目を通しながら、ため息をついた。
『またもやイースト地区で娼婦の死体が発見される!
今回も切り裂き魔――ミッドナイト・テイラーの犯行か!?』
内容の残忍さとは裏腹に、大衆の好奇心を煽るように躍る扇情的な文字。
ステアは、忌々しい気分でその新聞の見出しを睨みつけた。
心の中で犠牲者たちへの哀悼の意を捧げつつ、警察の捜査能力の低下を嘆く記事の内容に、次第に頭が痛くなってくる。
なぜなら、この事件の捜査を陛下より任されている身として、まるで己の無能さを非難されているように感じられたからだ。
しかも、犯人と思わしき者は、今朝、ステア宛に熱烈なラブレターを送りつけてきた。
――――――――――
ステア殿下
貴殿の好奇心をもって、この手紙を開いたことを祝福する。しかし、その好奇心は、貴方を死に導くことになるだろう。
私の仕業を追うのは、愚かな行為だ。
もし、貴方がまだ生きていたいと願うのであれば、捜査から手を引くことを勧める。
さもなければ、次の犠牲者が増えることになるだろう。
ミッドナイト・テイラー
――――――――――
丁寧な文字で書かれた、悪意に満ちた文章。
だが、それに目を通した瞬間、ステアは、自分の捜査方針が間違っていないのだと悟った。
こんな手紙を送りつけてくるということは、犯人が焦っている証拠でもある。
警察による地道な夜間巡回。
イースト地区での聞き込み。
無許可で路上に立つ娼婦の取り締まり。
それらによって、少しずつではあるが、確実に犯人へ近づいている。
この手紙こそが、何よりの証拠だった。
(だが……)
昨日殺害された娼婦を含め、切り裂き魔の犠牲者は、すでに五人になっている。
その事実は、嫌でもステアの心に重くのしかかった。
キリキリと痛み始める胃に気付かないふりをし、白いドレスシャツのボタンを留める。
姿見の前で身だしなみを整え、鏡に映る自分の顔を見て、思わず苦笑が零れた。
「ひどい顔だな……」
目の下には濃い隈ができ、血色も悪い。鏡を見るまでもなく、自分の顔がひどく不健康にやつれていることは、自覚していた。
(舞踏会に出席している暇などないのに)
ため息をついたところで事件は解決しないし、舞踏会の出席を取り消すこともできない。
ステアは、唇を噛み締めた。
「殿下。本日は必ず参加されないといけません。今年はデビュタントのお披露目も兼ねた、大事な舞踏会なのですから」
まるで心を読んだかのように、従僕のマイロが釘を刺す。
「わかっている」
デビュタントのお披露目は毎年恒例の行事で、今年初めて社交界に出る貴族の令息・令嬢たちが一堂に会する場だ。
クラスコー王国第二王子という肩書を持つステアには、強制参加の義務がある。
「殿下にお会いできるのを楽しみにしている令嬢もいらっしゃいますし。そもそも恋愛経験ゼロ。そんな悲しき殿下に、運命的な出会いがあるかもしれませんよ?」
前向きに考えろと言わんばかりに、マイロがなだめた。
「こんな隈だらけの男に、運命的な出会いなどあるわけがないだろう」
「容姿が優れていると自覚したうえでの発言。やはり、あなたは性格が悪い」
「褒め言葉として受け取っておこう」
ステアより二歳年上で、乳兄弟の関係にあるマイロは、遠慮がない。
「舞踏会であなたとダンスを踊るために、努力されている令嬢がいることを、お忘れなく」
「……分かっている」
肩に手を置いて力説する彼に、ステアは頷きつつ、心の中で呟く。
(期待には応えられそうにないけどな)
今、ステアの心を捉えて離さないのは、切り裂き魔――ミッドナイト・テイラーただ一人。
市民を恐怖に陥れる事件を一日でも早く解決しなければならない身で、恋だの愛だのに現を抜かしている場合ではなかった。
実のところ、今夜の舞踏会も、王妃である母エロイーズが勧めるデビュタントの令嬢と数曲ほど踊り、会場をさりげなく抜け出すつもりでいる。
令嬢を放置しても死人は出ない。
だが、切り裂き魔を見過ごせば、人が死ぬ。
どちらを優先させるかは、火を見るよりも明らかだ。
「そういえば、今日、僕が踊らされるであろう令嬢の名は?」
「王妃殿下よりお預かりしたリストは、こちらです」
マイロは懐から紙を取り出し、広げて差し出した。
そこには十名ほどの名前が並び、いずれも伯爵家以上の令嬢だった。
「……多くないか?」
眉間に皺を寄せながら、リストの一番上――名前の横に二重丸が付いた令嬢、コートニー・ヒスコックを指差す。
「……これは?」
「あぁ、そちらはヒスコック伯爵家のコートニー様です。王妃殿下の親友であったエリノア様のお嬢様で、殿下が一曲目を踊る確率が、最も高い方ですね」
その名を聞いたステアの眉間に、さらに深い皺が刻まれる。
――エリノア・ヒスコック。
今は亡きエリノアは、隣国フィデリアの出身だった。
その血のせいか、彼女はこの国に「厄介な価値観」を持ち込んだ張本人でもある。
『女性には、ただ生かされるのではなく、「どう生きるか」を選ぶ権利がある』
彼女がかつて貴婦人たちに説いたその思想は、保守的なクラスコー王国に静かな波紋を広げた。
そんな彼女は、「円卓の貴婦人」を名乗る者たちにとって、今なお心の中に君臨し続ける理想の象徴であり続けている。
(その筆頭が、母であることは言うまでもないが……)
今日は何があっても、この二重丸の令嬢と踊らなければならないらしい。
母エロイーズが尊敬する人物の娘。
おまけに、エリノアの精神を受け継いでいるかもしれない女性。
それはステアにとって、「大人しく王子のエスコートを待つ人形」ではない可能性が高いことを意味していた。
「なるほど、コートニー嬢か。できれば、しとやかで控えめでありながらも、美しい令嬢だといいのだが……」
二重丸を見つめ、諦めの境地で呟く。
「殿下、お言葉ですが、女性に求める条件が厳しすぎやしませんか?」
「別に普通だろう」
「いいえ。そんな女性は、なかなかいませんよ……と言いたいところですが、一際美しく、慎ましやかな女性がいるそうです」
「ほぅ?」
「その方こそ、二重丸のコートニー嬢です」
マイロが勝ち誇った顔を向ける。
「実のところ、自己主張をあまりしない令嬢は好きではない」
苦し紛れだと理解しつつ、ステアは「本日踊るべき令嬢」のリストをマイロに返した。
「まったく、往生際が悪いですね」
マイロは苦笑しながら、リストを懐にしまう。
「そろそろ、ご準備をされた方がよろしいかと」
「気が乗らないがな」
促され、装飾の施された金色のカフスボタンで袖口を留める。
(僕がこうしている間にも、切り裂き魔は獲物を探しているかもしれないというのに)
フクロウの紋章が刻まれたブローチを襟元に留め、黒いベストとジャケットに袖を通す。
「……隈があったとしても、服のおかげで、それなりに見えるな」
これなら、「清廉潔白な王子」という、多くの人が抱く幻想を壊さずに済みそうだ。
鏡の中の自分を自嘲気味に見つめるステアに、マイロは手際よく上着の皺を伸ばしながら、どこか楽しげに言葉を添えた。
「当然です。その『不健康な色気』とでも言いましょうか。影のある王子の姿に、母性本能をくすぐられる令嬢が続出すること、間違いなしですよ」
「皮肉なら後にしてくれ」
最後に革靴を整え、準備を終える。
「僕が、時間の無駄でしかない舞踏会に参加している間に、さらなる事件が起きないことを祈ろう」
「それは、殿下の采配にかかっているかと」
「なんでだよ」
「デビュタントにとって、王子殿下であるあなたに笑顔を向けられた。それだけでも一大事なのです。本命となり得る方がいなければ、皆様に公平にお願いしますよ」
「やれやれ、お前も母上と同じようなことを言うのか」
「はい?」
渋い顔をしながら、きつく締めすぎた首元のタイを、少しだけ緩める。
「僕の行動一つで、令嬢は一喜一憂するらしい。そして、『何回目が合った』だとか、そういう話は大抵、脚色されて広まるそうだ。だから気をつけろと、母上からのありがたい忠告だ」
「なるほど……」
「そもそも、誰かとどうこうなろうなんて、微塵も思わないのに、だ。つまり、舞踏会に参加する時間が勿体ないと――」
「ほらほら、眉間に皺を寄せないでください。せっかくの美貌が台無しですよ?」
「余計なお世話だ」
マイロの軽口を聞き流しながら、ステアは鏡の中の自分と目を合わせる。
そこには、切り裂き魔に翻弄され、令嬢たちの期待に辟易し、責任という重圧に押し潰されそうな、一人の男が映っていた。
「……そもそも、僕が犯人なら、こんなに目立つ男の忠告など無視して、今夜あたり、また別の場所で獲物を探すだろうな」
「殿下、不謹慎ですよ」
「事実さ。僕がここで着飾り、愛想笑いを浮かべている間にも、誰かの悲鳴が夜の闇に消えているかもしれない。そう思うと、シャンパンの泡の音さえ、嘲笑っているように聞こえる」
鏡の中の自分を睨みつけるようにして言うステアの瞳の奥には、疲労だけではない、犯人に対する苛烈な怒りが、静かに燃えていた。
「マイロ。舞踏会が始まったら、君は例の場所を見張っていてくれ。僕も頃合いを見て、抜け出す」
「……お言葉ですが、殿下。コートニー様を放っておいて抜け出せば、王妃殿下から、どのようなお叱りを受けるか。想像するだけで恐ろしいのですが」
「母上の説教と、市民の命。天秤にかけるまでもない」
ステアは、きっぱりと言い切り、手袋を嵌める。
その動きには、王子としての優雅さと、獲物を追う猟犬のような鋭さが同居していた。
「行こう。……地獄のような、華やかな夜へ」
その舞踏会で、自分の想像を遥かに越える厄介事を抱えることになるとは。
この時のステアは、まだ知らなかった。




