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16 氷の女王が微笑む先は

読みに来てくださってありがとうございます。

最終話です。

よろしくお願いいたします。

 翌日も、その翌日も、グレール王はわたくしのいる部屋に現れませんでした。部屋から出ることは警備上の問題だけでなく医師からも禁止されていたため、わたくしは何もできず、させてもらえず、ただベッドの住人となって、1日1回やってくる医師の診察を受け、傷の処置をしてもらうだけでした。


 3日目の夕方、お見舞いに来てくれたお兄様に、わたくしは全てを託すことにしました。


「陛下が来ないって?」

「そうなの。陛下とはきちんとお話ししないといけないでしょう? 部屋は出てはいけない、それなのに会いにも来ない。手紙を書こうとしたら、まだ手の怪我が治っていないから駄目って……だからお兄様、陛下に伝えてください。話に来てくださらないのなら、どんな手段を使ってでも帰りますと」

「コランティーヌの手段って何? 強引に押し通るというわけではないだろう?」

「シェンヌ殿にお願いします。そうすれば、なんとかしてくださるはずです」

「そうきたか」


 お兄様はなぜかくすくすと笑っています。


「何がおかしいの?」

「いや、何でもない。それにしてもコランティーヌは、陛下にどう返事をするつもりなんだい?」

「わたくし、よく考えたら『王妃にふさわしいから王妃になってほしい』って言われただけだって気づいたの。あの方の態度を見ていれば、そこに特別な感情があるのかもしれないとは思うわ。本来王族の結婚は政略的なものであって、一緒になってから互いに感情を育てるものだということは理解しているし、ブルエにいた頃はブルエ国内では結婚できないと言われていたでしょう、だからどこかの国との友好関係のために差し出されるのだと思っていたから、結婚に気持ちがあるかどうかは二の次だということも分かっているの。でもね」


 わたくしはシャルドンとジェルメーヌの2人を思い浮かべました。シャルドンは清らかな心で全ての人のために祈れる人だったのに、自分が手に入れられなかったものを手にした途端、己の欲望に走り、消滅させられることになりました。ジェルメーヌは異世界の邪神に影響されたとはいえ、己の好奇心を満たしたいという欲を持たなければ、今頃似たものどうしのクレマン殿下と幸せな生活を送っていたはずです。巡り巡ってその体をカルタム伯爵のコレクションにされるという恐ろしい目に遭って、ジェルメーヌの魂は今、どんな思いでいるのでしょう。


「わたくしね、欲というものが身を滅ぼすことを、よく知っているわ。陛下の隣にいたいという気持ちと、陛下に愛されているという実感を持ちたいということが欲だというのなら、わたくしはこの国からも逃げて、どこか遠くで1人静かに生きていきたい」

「それは欲ではなく、正当な権利なんじゃないか?」

「怖いのよ。ささやかな願望が強欲に変わった時、世界はわたくしに牙をむくわ。もう、誰にも苦しんでほしくないの」

「って言っていますよ、陛下」


 お兄様の言葉に、わたくしは俯いていた顔を上げました。


「お兄様?」

「陛下はね、毎日、時間さえあればこの部屋の前に来て、コランティーヌの様子を確認していたんだ。だけど、コランティーヌに拒否されるのが怖くて入れずじまいだった。それで、今日このお兄様が呼ばれたってわけさ」


 わたくしが扉の方を見ると、氷の表情にうなだれた体という何とも説明の付かない姿をしたグレール王の姿がありました。


「陛下。ちゃんとお話ししましょう」


 わたくしが声を掛けると、誰かに背中を押されたようです。バランスを崩しながらグレール王が部屋に入ってきました。


「廊下におります。ご用があればお呼びください」


 お兄様はグレール王にそう言うと、わたくしにパチリとウインクをして出て行きました。


「怖いのか」

「はい。家族以外に初めて、離れたくないと思ってしまったのです。いつかは必ず人は人と離れるものだというのに。だから、これ以上離れたくないと思うようになるのが怖いのです」

「いつからだ?」

「陛下の手の温もりがないのを寂しいと思っていることに気づいた時に」

「そうか」


 グレール王はおずおずとわたくしの頬に手を伸ばしました。そして、そっと自分の手を押し当てながら言いました。


「私はあなたの笑顔を見た時から、ひとときも離れたくないと思っていた。それがどんな感情なのか、自分でも分からなかった。ただ、あなたの傍で、あなたと話しているその時間が、この上もなく心地よく、穏やかな気持ちになった。手放したくないのは私のほうだよ、コランティーヌ。欲をかいているのは私だ。だからあなたが不安に思うことはない。欲深くなるのではないかという不安があるなら、私と半分ずつ分かち合おう。私がうれしいときは、その気持ちをあなたと分かち合いたい。愛しているという言葉が必要だというのなら、何度でも言うよ」


 頬を撫でる手に、力が入ったのを感じました。


「容貌も、才能も、心の優しさも、行動力も、コランティーヌの全てを愛しています。だから、私の隣に、命が尽きるまで、ずっと居てくれませんか?」

「わたくしが願っても、誰も不幸にならないでしょうか?」

「不幸になりそうな人がいたら、あなたはその人に救いの手を差し伸べるような人だろう? 私も一緒に手を伸ばすよ」

「わたくしは本当に、愛されてもいいのでしょうか?」

「誰もが愛し愛されるために生まれてくるんだよ」


 おずおずと、わたくしは自分の手をグレール王の手に重ねました。グレール王の手が熱を持ったように熱くなっています。


「『氷の女王』なんて言われたわたくしですが、構いませんか?」

「この無表情の国グレールでは、あなたは表情が豊かすぎて、思っていることが筒抜けだよ」


 シェンヌ殿に「わずかに表情を残してほしい」と願った日が、遠くに感じられます。


「どうかわたくしを、陛下のお傍に置かせてくださいませ」

「ああ、そうしよう。あなたの望みが私の望みでもあるなら、あなただけの欲でない。そうだろう?」


 グレール王がベッドの上のわたくしをぎゅっと抱きしめてくれました。家族のハグとは違う、熱を持ったものでした。わたくしたちはしびれを切らしたお兄様が無理矢理乗り込んでくるまで、ずっと抱き合っていたのでした。


・・・・・・・・・・・

 

 わたくしたちには片付けねばならないことが山積していました。わたくしは農業部門のアドバイザ-の仕事を続ける傍ら、お妃教育も受けることになりました。どこの国に嫁いでも問題ないようにと学んできたことが十分に生かせて、それほど多くの内容を求められませんでした。国内の貴族の顔と名前を一致させること、その性格と思考傾向を押さえること、この2つが主な内容となりました。もちろん、王家の秘密に関することは、嫁いでから伝えられることになっています。


 カルタム領の残務処理については大変の一言でした。カルタム伯爵の邸の一件はわたくしが関わったこともあって、わたくしも処理についての会議に参加することになったのです。「妻」たちの身元を特定し、身元が分かった女性については遺族に遺体をお返ししました。ジェルメーヌのように引き取り手がない者やどうしても身元が分からなかった者については、丁重に埋葬しました。費用は全て邸の中にあった宝飾品や絵画などを売り払って捻出し、遺体をお返しできた遺族への弔問金にもなりました。


 カルタム伯爵自身がどうなったかは、誰も教えてくれません。ただ、「シェンヌ殿が陛下の命に従って適切に処分した」という言葉が返ってくるだけです。あの後、何度呼びかけてもシェンヌは姿を現しません。わたくしに会うのを避けているのだろうとセードルも言いました。


「もう、スーシ女史はシェンヌ様がいなくても大丈夫です。そう、シェンヌ様が言っていましたから」


 わたくしはシェンヌに向かって、今までありがとう、と心の中で呼びかけました。返事がなくても、伝わればいい、そう思って。


 かつての王族領だったカルタム領は、お兄様が拝領することになりました。あんな事件の後ですから、カルタムの名に嫌悪感を示す領民も多くいました。そこでカルタムの名は抹消されてコルヌイエ領となり、領地を持たない子爵だったお兄様はコルヌイエ領を有するコルヌイエ伯爵となりました。


 本来カルタム伯爵という職は、臣籍降下した王族のための名誉職でした。審美眼を持っていたカルタム伯爵がその才能を生かして商売を行い、豊かになりましたが、その爵位について回る仕事は実質的には税収を国に納めることだけで、国に対してそれ以外の貢献はなかったのでした。


 王宮付きだった元ジーヴル領の職人たちは、新コルヌイエ領と王都に分散することになりました。お兄様は彼らとともに元隠し鉱山から鉄を掘り出し、加工し、製品として売るという一連の流れを作り上げました。コルヌイエ伯爵には「鉱山経営」と「鉄加工品の生産・管理」という仕事が割り当てられました。当然そこには、軍の利権が絡みま、莫大な富生み出すことになります。コルヌイエ伯爵という仕事は、そのうち侯爵に陞爵することになるでしょう。軍事力に関わる産業には、それだけの責任が伴うものなのですから。


 カルタム伯爵位を廃して新しく作ったコルヌイエ伯爵位をお兄様に授けた後、グレール王は家名をスーシのままにするのか、元からのネニュファールに戻したいか、お兄様の希望どおりにしてよいとおっしゃいました。お兄様とわたくし、それにお母様とも話し合い、わたくしたちはグレールの人間になったことを表すためにも「スーシ」の家名をとるとお伝えしました。グレール王はうれしそうに「そうか。よろしく頼むな」とおっしゃったそうです。


・・・・・・・・・・


 3年の月日が流れました。今日は年に1度、全ての貴族が王宮に集まって開かれる会議の日です。わたくしもその場に呼ばれ、グレール王の近くに控えています。


「……ということで、コルヌイエ伯爵家のコランティーヌ・スーシ嬢を、グレール王妃とする。異存のある者は述べよ」


 大会議に集まった貴族たちを前に、グレール王が発言しました。誰も一言も発しようとはしません。


「そうだな。皆の領地を豊かにしてくれた人物に対して、王妃にふさわしくないなどと誰も言えないな」


 貴族たちが深く頭を下げています。そう、わたくしが農業アドバイザーとしてしてきたことが、この3年で実を結び始めていました。まだまだ時間がかかる事業もあります。植林のように数十年経たねば成果が出ないものもあります。それでも、これまで何を植えても育たなかった土地が改良されたり、自分たちが知らなかった作物が大きく育ったりしていく姿を見て、領主たちも、そして実際に農作物を育てる農民たちも喜びも声を上げました。


 10年、20年の時を掛けて、グレールは豊かな国になっていくことでしょう。わたくしはそれを、王妃という立場で見守り、支えていくのです。こんな大きな仕事を与えられたのは、今まで学んできたことが生かせたから。学びたいというわたくしのわがままを叶えてくださった亡きお父様に、わたくしは感謝しました。


・・・・・・・・・・


 ブルエは既に解体され、逃げ出した人々は各地に散って新しい生活を始めています。ブルエ王家のやり方に疑問を持たなかったものたちは、ブルエが3つの国から攻められた時、みな国と運命を共にしました。


 農地も荒れてひどい状況になった旧ブルエの地にも、少しずつ神様の恩寵が戻ってきているそうです。


「いや、あれはコランティーヌの知識を利用しているだけだろう」

「わたくしが学んだことは、他の方でも学べたことです。実際に国土を回復させた方こそが、ご立派なのですよ」

「ああ、なんと言ったか、パクレットとか言う男が指導しているらしいぞ」

「パクレット卿ですか?」

「やはり知り合いか」

「ええ、顔見知り程度ですが」

「向こうもそう言っているが、恩人のコランティーヌにいつか会いたいとも言ってきた」

「言ってきた?」

「コランティーヌの知見も借りたいそうだ」


 グレール王は面白くない、という表情で言いました。


「みんな、理由を付けて私の傍からコランティーヌを離そうとする」

「陛下。わたくしはお役に立てていますか?」

「ああ、十二分に」

「ならば、わたくしを信じてくださいますでしょう?」

「もちろんだ」

「パクレット卿は、わたくしがブルエを追放される時、誰も手を貸そうとしない中でわたくしが馬車に乗るのを手伝ってくれたのです。心が折れそうな時にされた親切にはお返しをすべきかと思うのです」

「分かった!」


 グレール王が拗ねたように言いました。


 グレールの短い夏が、もうじき終わろうとしています。わたくしとグレール王の結婚式は、秋の初め。もうすぐそこです。


「私は陛下の元に来るために、呪いを受けたのかもしれませんね」


「もう一度、君の微笑みを見てみたいものだな」


「それは結婚式まで取っておきましょう。わたくしの微笑みは陛下にだけお見せしますから」


 収穫期の少し前、爽やかな気候になった頃、グレール王とわたくしは結婚式を挙げました。お金を掛けなくとも華やかな結婚式でした。


 結婚式の夜、2人きりの部屋でわたくしは約束通りグレール王に微笑みました。表情を封じる魔法を掛けられたわたくしのそれはもちろん、満面の笑みではなく、ささやかな微笑みでしかありません。ですが、グレール王はそんなわたくしの顔を見て、あの、かつてグレール王が恋に落ちたあの日同様、わたくしの微笑みに狼狽し、顔を真っ赤にし、そして永遠の愛をもう一度誓ってくださったのでした。


 結婚してからのグレール王のわたくしへの溺愛は度を越したものでした。ですが、そこは表情にあらわれないこの国特有の事情から、国民にも大臣にも官吏にも知られることはありませんでした。ただわたくしがグレール王との間に8人の子を産み、いつも王の瞳の色のドレスしか身につけていなかったことから、みなさんはそう推測されるばかりであったそうです。


最後まで読んでくださってありがとうございました。

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