最終章 少年は戦場で神話を紡ぐ 1
最終章 少年は戦場で神話を紡ぐ
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カマキリも笑うんだ。
かなりおっかない笑顔だ。口の端がきゅうっと上がるから横に開いた牙が余計に鋭く見える。
いやいや、待て待て。こいつはカマキリじゃない。カマキリによく似た異世界の人間だ。あ、いや、ニンゲンか? ニンゲンじゃないか?
カリアラは四本の脚を大きく開いて踏ん張るように腰を落とし、両手の鎌を閉じて鉤爪を鍵盤の上に置いた。煉獄オルガンとやらはまだ静かに燃えている。
「よお、イブキ。なんか、マズッたかな、俺」
バローロが僕の隣に立った。かなり骨が太く筋肉質だから近くで見ると肩に首がめり込んでるようにも見える。身体付きはすっごくごついくせにこじんまりとして見えるのは、大人しめの性格のせいだけじゃないな。
「いやいや、音が単調になってしまうから、ちょうどドラムでリズムを変えたいとこだったんだ」
バローロの極太のふくらはぎ辺りに、子豚の顔をした小人達が僕の顔色を窺うように出たり隠れたりしている。ちょこまかと現れたり消えたり。ほんと、何人いるんだよ。
「ただ、ちょっとタイミングが悪かったな」
ASD達が子豚の顔を見合わせる。
「なんか、そうみたいだな。すまんかった」
「いやいや、けっこう心強いよ」
僕とバローロの後ろにはテテが隠れている。カリアラを睨みつけたままそっと背後に手を伸ばすと、僕の手をきゅっと握る震える小さな手があった。
「イブキさん、……いったんポータルを抜けて、逃げちゃうって……、どうです?」
僕の世界へ、現実社会へと帰る道はテテが作ってくれた。これでいつでも元の世界に帰れる。
でも、カリアラはどうなる?
『ねえ伊吹くん。一応確認しておくけど』
ケータイのイヤホンからはよもぎさんの声。
『テテの言う通り、私達だけ元の世界へ帰るって選択肢もあるが、どうする?』
「まさか。このカマキリ女をへこましてやるまで帰らないよ。じゃないと、この世界はどうなっちゃうんだよ」
『よし。それでこそ私の伊吹くんだ。ぶちのめせ』
うん、そう言うと思った。それでこそ僕のよもぎさん。って、僕のって。僕のって。さすがに口に出しては言えないな。
僕が足を肩幅くらいに開いて、コントラバスとダンスを踊るように少し身体を横に開くのを見て、カリアラはついに地獄と繋がったオルガンを弾き始めた。
「作戦会議は終わったかしら? 二つの弱点、ちゃんと守れる?」
「ご心配なく」
突風が廃墟の中を吹き抜けるようなどこか錆び付いた音がほとばしる。煉獄オルガンが火炎を吹き上げて、燃える犬は大き過ぎる口をばくんと開いた。
「バローロ、防御に集中して。テテは何があっても僕の側を離れるな」
「おお、わかった」
バローロが腰に結わえ付けたドラムを軽く叩いた。子豚の顔の小人達が見たこともない道具を手に持ってうろちょろしだす。えーい、歩き回るな、何体いるのか相変わらず数えられないぞ。
「ハイ!」
テテは僕の側に寄り添って僕の上着の裾をちょんと摘んだ。いや、それだとちょっと動きづらいけど、まあ、いいか。
カリアラは二つの弱点って言ったな。確かに弱点と言えばそうなるかも知れないけど、そんなの丸ごと飲み込んでカバーしてやる。こっちは最強の奏者だ。ぽっと出の神様に負けるはずがない。っていうか、よく考えたら相手は神様レベルか。パルテスタ教導団の信者から見たら僕が悪者じゃんか。
燃える犬が大口を開けて壁に喰らい付いた。シャキッとリンゴをかじるような音がして、くっきりと丸い歯型を残して壁が抉り取られた。熟した果物をかじるようにレンガの壁を齧りとったぞ、あの犬。
「こいつはね、どうやら何でも食っちまうみたいなのよ」
カリアラがさらにオーバーアクションでオルガンを弾いた。オルガンが吹き上げた炎が燃える犬の身体に吸収されていく。もぐもぐと口を動かしていた燃える犬がピタッと動きを止めて僕を睨む。うわ、ヤな予感。
「まずは一つ目の弱点!」
カリアラが叫ぶと同時に燃える犬が頬をぶくっと膨らませ、噛み砕いた瓦礫を吹き飛ばしてきた。ご丁寧に瓦礫の一つ一つが炎に包まれていて、文字通りのファイアボールとなって僕達に降りかかってきた。
かなり広い範囲にばら撒かれるファイアボール。僕とテテはハイペリオンの側にいるから直接当たらないが、バローロまでは手が届かない。
バローロも十分に強い奏者だ。自分できっちり守れるはず。だ、と思っていても、つい身体が動いてしまう。
ハイペリオンを一歩横にずらし、僕はテテの腕を取ってバローロの方へ走った。
バローロのASD達がそれぞれに一瞬にして防具を作り出してファイアボールをかわそうとする。数体で大きな石の盾を作り上げてバローロ本体をカバーし、別のASD達はバットのような棒を作って燃える石つぶてを打ち返した。
「戦いの最中に敵から目をそらしちゃダメよ!」
カリアラの声にハッとする。振り返るとメスカマキリの巨体は宙を舞い、僕の頭上から雪崩のように覆いかぶさって来た。
ハイペリオンの効果で僕とテテに触れることはできないが、この距離は近過ぎる。僕の目の前にカリアラの顔がある。まずい、かなり踏み込んできたな。
「二つ目の弱点!」
カリアラがオルガンの鍵盤の上で鉤爪を激しく踊らせた。耳障りなざらざらする音色とともに地獄に繋がったパイプが真っ赤な炎を吐き出した。
荒れ狂う火炎が僕とテテを包み込む。直接炎が触れることはないけど、まずい、炎が近過ぎる。熱い!
「キャアッ!」
ハイペリオンの両手でお椀を作ってぱくんとテテを封じ込めてやる。これでテテは熱くない、はず。
「炎が触れることはないけど、熱は別みたいね。燃えてしまいな!」
さらに鍵盤の上で鉤爪は激しく踊る。炎が竜巻みたいに僕を巻き込む。すぐに燃え出してしまう程の熱じゃないけど、こんなの食らい続けたら全身火傷レベルのダメージだ。
「こんな焚き火で、なめるなあ!」
おにぎりを握るようにテテを守っているハイペリオンの両手で、目の前にあるカリアラの身体を打ち、そのままバッティングフォームのように振り抜く。
カリアラは煉獄オルガンの炎ごと吹き飛んで壁にぶち当たった。ハイペリオンフィールドでカリアラも壁に触れないが、衝撃でレンガ造りの壁がバラバラに砕けてカリアラは塔の外に消えていった。
「我慢すれば火もまた涼し、だ」
『せめて心頭滅却しろって』
よもぎさんの冷静なツッコミが僕を冷やしてくれる。
それにしても、あの熱は厄介だな。カリアラ本体にダメージは与えられないし。さあ、どうする、奏者イブキ。