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 そこは床下に作られたシェルターみたいな小部屋だった。バローロが扉を閉めるとASD達が大慌てで扉をハンマーでガンガンと叩き付けて枠を歪ませてロックする。

 どうやらASD達が急ごしらえで掘り下げたスペースに小部屋を作ってしまったようだ。僕が立って歩くにはぎりぎり高さが足りなくて、かがまないと頭をぶつけてしまう天井の低い空間に何人もの人間が寝そべるように息を殺して潜んでいた。

 グランがだいぶ疲れたような顔をして僕に片手を上げてふさふさした尖った耳をくるくると動かして見せた。この世界の住人の、よー、元気か? って合図なのか?

 テテが僕を見つけて今にも泣きだしそうに顔をくしゃくしゃにする。つるっとしたゆで卵みたいなおでこが汗と埃で汚れている。

 やたら背のでかいガールブラストがいた。長い手足を器用に折り畳んで三角座りをして、異様に膨らんだ右袖をネズミをいたぶるネコみたいな顔でブーツの尖ったヒールで踏みつけている。何が入っているんだか。

 そして……。

「よもぎさんッ!」

 よもぎさんは毛布の上に横たわり、僕の声を聞くと顔をしかめながら半身になって上半身を起こした。

「やあ、ひさしぶり」

 少しきつそうに笑顔を作る。

 背中の大きく開いた戦闘ドレスのあちこちに綻びができて素肌が覗いている。そして深いスリットががさらに横に破けていて、細い太ももは真っ赤に染まった布が乱暴に巻き付けてあった。

「やられちゃった。てへ」

「てへ、じゃないよ! どうしたの、見せて!」

 僕とエルミタージュが近付くとよもぎさんは素直に太ももを覆っていた血染めの布をどかして大きく裂けた傷口を見せてくれた。すべすべした太ももを少し粘り気がある血がゆっくりとつたって滴となって床に落ちる。傷の大きさは手のひらほどだ。そんなに深くないようで、鋭い刃物でさあっと引っ掻いたみたいに皮膚が裂かれていた。

「大変! 待ってね、すぐ治療するから」

 エルミタージュが慌しく動き始める。シェルターの床にいきなりツバを吐きつけたかと思うと、両手を擦り合わせてそのツバを上から押さえつけるようにした。すると彼女の指の間からニョキニョキとものすごいスピードで植物の芽が伸びてくる。

「伊吹くん、早かったな」

「そりゃあもう。それより、何があった? 足は大丈夫? モウゼン? モウゼンにやられたのか?」

「いや、モウゼンは捕獲した。ガールブラストの腕の中」

 あの膨らみはやっぱり人だったか。ちらっと見ると、ガールブラストは尖ったブーツの爪先でそれをぐりぐりとしていた。モウゼンはすでに行動不能だったとして、じゃあ誰がよもぎさんを傷付けた?

「イブキ、どいて」

 エルミタージュが僕を押しのけてよもぎさんの側にひざまずいた。手には濃い緑色した大きな葉っぱが数枚。さっきの植物がもうあんなに育ったのか。

「ちょっと染みるよ」

 エルミタージュは葉っぱを二つに折り畳み、わしゃわしゃと乱暴に擦り合わせた。するとすぐに消毒薬みたいなアルコールみたいな、ツンとする匂いが葉っぱから沸き立ってきた。そして葉っぱを開く。葉っぱからは糸を引く液体が染み出てきていて、エルミタージュはそれをよもぎさんの傷口に押し当てた。

「ひゃッ!」

 よもぎさんの身体がびくんと反り返る。

「染みるって言ったでしょ。大丈夫、こんな傷すぐに消えてまたイブキを誘惑できるきれいな脚に戻るから」

 暴れるよもぎさんを押さえ込んで、エルミタージュは大きな葉っぱをよもぎさんの太ももに器用に巻き付けていく。

「モウゼンが、新たな奏者を召喚したんだ」

 グランが不意に口を開いた。グランが身に纏っている革製のジャケットにも、よもぎさんの脚の傷と似た鋭いひっかき傷が何本も走っている。グランは僕の方を見ずにうつむいたまま静かに続ける。

「ヤバイ奴を喚んだ。俺がもっと早くに気付けば召喚は防げたんだが。すまん、イブキ」

「私も……」

 次はテテ。僕をちらっと上目遣いに見て、よもぎさんの方をそっと見やって、目に涙をいっぱい浮かべて頭を下げた。

「怖くて、逆らえなかった。あいつを召喚するためのポータルを開いたの、……私なんです。……ごめんなさい」

 傷が染みるのが一応落ち着いたのか、よもぎさんがいつもの低めの声でどすっと言い放った。

「うるさい」

 いやいや、もうちょっと柔らかめな言葉あるでしょ、よもぎさん。グランもテテもびくっとよもぎさんの方を見る。

「モウゼンを吸い取って、右手が塞がっちゃって奴の攻撃をチャージできなかった。私のミスだ」

 僕は自分でも少し驚くくらい冷静な声でよもぎさんに尋ねた。

「奴って、新しい奏者のこと?」

 よもぎさんが脚を切られた。僕の大事なよもぎさんが怪我をした。僕のよもぎさんを傷付けた奴がいる。

 それだけで怒るには十分過ぎる。顔が真っ赤になって髪の毛が逆立って握り締めた拳がわなわな震えて。ゲージががっつり溜まって超必殺技が打てるくらいの怒りモードに突入してしまうほどの事件だ。でも、ここにいるのは普段よりも落ち着いた僕。次にやるべきことが理路整然と頭に浮かんでくる冷静な僕がいる。

「う、うん。伊吹くん、どうした? 目が、すごくコワイ」

 よもぎさんが僕を真正面から見つめる。コワイって言われても、そうかな、僕としては頭が冷たいくらいに冴えていて逆にスッキリしている気分だけど。

「グラン、よもぎさんとエルミタージュを安全な場所へ避難させろ。それとモウゼンを兄王のとこに連れて行け」

 グランが、そしてよもぎさんとエルミタージュも何か言いかけたけど、僕の顔を見るなり口を結んで首を縦に振った。

「テテ、僕達の世界に帰るポータルは開けたか?」

 テテがビクッと身体を震わせる。

「……はい! もう少し。まだぼやけてて、定まってないの」

「じゃあ作業を続けて。バローロ、テテのことを守ってやれ」

 バローロも短く太い首をさらに引っ込めるようにして答えた。

「あ、ああ。わかった。でも、おまえはどうするんだ?」

 コントラバスを手に取り、頭上を、さっきの怪しい気配を放ったまだ見ぬ奏者を睨み付ける。

「グラン、テテ、よもぎさんは悪くないよ。全部僕の責任だ。僕の判断ミスだ。よもぎさんと離れるんじゃなかった。僕が、けりをつける」

 僕はコントラバスの弓をよもぎさんに差し出した。よもぎさんは意外そうな顔をして受け取ってくれる。

「ひょっとして、伊吹くん、怒ってる?」

「さあ?」

 堅い弦を人差し指の腹でなぞる。ぶうんと低い唸り声みたいな音が場の空気を引き締めた。

「今の僕がやるべきことは、その新しい奏者って奴をぶっ飛ばしてやること。それ以外のことはどうでもいい」

「伊吹くん。敵は伊吹くんと同じで制限なしで召喚されたアルテア……」

 そう言いかけたよもぎさんを僕は強く見つめる。今はとにかく僕の言うことが絶対だ。よもぎさんだろうと僕の言うことを聞いてもらわないとダメだ。

「僕が言ったの、聞いてなかった? よもぎさんは怪我を治して、モウゼンを兄王のところへ連れて行く。僕はよもぎさんを傷付けた奴をぶっ飛ばす」

 よもぎさんはびっくりしたように目を丸くして、それから僕を見つめて柔らかく微笑んで、そしてゆっくりと頷いた。

「男の子だね、やっぱり。うん、わかった。おとなしくしてる」

「さあ、僕がこの天井を崩したら、みんな行動開始だ」

 コントラバスを指で弾く。クラシック音楽のスタイルとは違い、お腹にブンブンと響くジャズミュージックプレイ、ピッチカート奏法だ。僕の指が白い火花を散らす。電気が流れスパークがほとばしる。コントラバスからエレキトリックアップライトベースへと転身だ。

「行くぞ!」

 姿を隠していたハイペリオンが僕の影の中から巨大な拳を突き上げた。岩のような黄金の腕はこのシェルターの天井を軽々と突き破って、タイルが貼られた床石を弾き飛ばし、耳をつんざく電気的な咆哮を塔内にこだまさせた。

 巨大な黄金ゴリラの咆哮の余韻がまだ響いているうちに、僕の視界の隅にそれぞれ動き出すみんなの姿が見えた。よもぎさんはガールブラストに抱えられるようにしてグランとエルミタージュと消え、テテはバローロのASDに囲まれて部屋のさらに奥の扉に向かった。

 これで僕だけになった。いや、正確には僕と、召喚された新しい奏者と。

 ハイペリオンが弾き飛ばした瓦礫が無重力空間でビリヤードをしているみたいに空間を飛び回っている。お互いにぶつかっては無音で弾き合って飛んで行き、壁にぶち当たってまた音もなく跳ね返ってくる。物がすごい勢いで動いているのに物音一つしないシュールな空間だ。

「……ッ!」

 頭上。またあの音がした。すごく堅い木材を擦り合わせたような乾いた音。うすぼんやりと光の届かない天井の片隅、そいつがいる。

「……ずいぶん威勢のいい子だねえ。モウゼンとか言う奴が言っていたけど、そんなに強いのかしら?」

 低い声が響く。飛び回っていた瓦礫もハイペリオンフィールドの効果が切れて次々に落っこちて、僕とそいつの間には何もなくなる。

「見た感じ、草ばっかり食べてる柔らかい身体してそうだけど、美味しいかしらね?」

 大きい。僕の倍以上も背丈はありそうだ。やたらと細長い手脚。尖った関節は大きく、人のそれよりも異様な角度に曲がりそうな腕が四本、大きな鉤爪がある脚が二本。まるでカマキリを擬人化させたようなグロテスクな美しさがそこにいた。玉虫のように鈍く輝いているドレスのような衣服の隙間から見える皮膚は、まるでタケノコの皮みたいに幾重にも重なっていて一枚一枚が硬くしなっているように見える。まるで外骨格だ。いや、まるで、じゃない。まさに昆虫の外骨格だ。

 顔の半分くらいは眼だった。眼球ではなく、複眼だ。モザイクのように色のパターンがジワジワと変わる複眼に一固まりだけ黒い部分がある。まるで巨大な眼球の黒目が僕をギロリと睨む。何本もの牙が突き出た映画に出てくる宇宙人みたいに裂けた口が開き、低くてどこか甘い音色の声が漏れ出してくる。

「潰すにはもったいないくらいかわいい顔してるのね。確か、イブキとか言ったかしら?」

 女? カマキリのメスか? 全身は女性的な柔らかい曲線を描いていて、胸も膨らんでいるように見える。昆虫で言うところの腹部にあたる部分は、まさにドレスの裾のようにしなやかなくびれがあって艶かしい模様の何層にも折り重なった皮膚が見える。

「さっきの女の子もおいしそうだったけど、どっちから食べちゃおうかしらね?」

「さっきからごちゃごちゃうるせえな」

 ああ、そう言うことか。僕はやっと気付いた。何故さっきから自分の行動を抑えられないのか。冷静で、まわりの状況もよく見えているのに、考えるよりも早く言葉が口から出てしまう。身体が力一杯動いてしまう。

 気が付いたら、僕はこのカマキリ人間のメスをハイペリオンで思い切り殴りつけていた。


 そうか。僕はキレていたんだ。


 よもぎさんを傷付けられ、ぶちギレていたんだ。



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