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僕はオープンカー牛車の後部座席でコントラバスのチューニングをしながら、とは言っても全然集中もできずに、ぼんやりと楽器をいじりながら流れる町の景色を眺めているだけだった。
真っ赤でど派手なオープンカー牛車が人通りの多い町中を突っ走ればそれなりに目立ってしまう。一本角水牛が異世界人を乗せた見たこともない真っ赤な乗り物を引いてるんだ。そりゃあ町の住民だって、この国そのものと代理戦争しようって大胆なことしでかした異世界の奏者を一目見ようと集まってくるよ。
手を振ってくれるノリのいい奴もいれば、あからさまにしかめ面する奴もいる。子供達には相当人気あるっぽいが、年齢層が高いほど眉間にシワを寄せる率が高くなっている気がする。
彼らにとって僕達はどういう存在なんだろう?
パルテスタ教導団の信仰する神の名はアルテア・パルテスタという。数百年前に召喚された奏者だ。まだ兄弟国として別れる前のアトラミネイリア王国を侵略者から守った英雄、とされている。しかしその実態は、暴走した奏者だという話もある。奏者として絶対的な能力を持ち、邪悪な性質だった異世界人は支配するために侵略者を滅ぼした。
数百年の月日が流れても未だに狂信的信者がいる実在した奏者だ。アルテア・パルテスタその人がその後どんな運命をたどったのかは誰も知らない。歴史には刻まれていない。
この国の人々は同じ過ちを繰り返さないために、あらかじめ力を抑えた弱い奏者を召喚することにしたらしいし。どんだけ黒歴史なんだよ、アルテア・パルテスタって奴は。
力を抑えた奏者。それでもエルミタージュやバローロ、よもぎさんレベルだ。この国の一般兵士が束になってかかってもかないっこない。そして僕はよもぎさんに連れて来られた、いわば勝手に来ちゃった無制限の奏者だ。実際、この世界で僕を倒せる存在はない。
そんな僕は、この国で何を為すべきなんだろう。代理戦争なんてしてていいのか?
「何考えてんのよ?」
ふわっとエルミタージュが舞い降りてきた。このスピードで御者席から飛び降りるなんて、しかも一本角水牛が手放しになるじゃないか。そっちが何考えてんだよ。
「だいじょぶよ。あの子、ちゃんと走ってくれるから」
僕が口を開く前にエルミタージュは笑って言った。そしてそのまま倒れこむようにフカフカした背もたれによりかかる。
「ちゃんと宮殿に着くならいいけど、手放しで大丈夫か?」
「まかせちゃって平気平気。それよりー、何考えてたの?」
エルミタージュはずりずりとシートに深くもたれかかり、少し上目遣いに僕を見た。こうして見ると、ほんとに普通の女の子だ。肌の色が白く少し痩せ過ぎの少女。髪の毛が濃い緑色していてわさわさ動くってことを抜きにすれば、クラスに一人はいるでしゃばりでおしゃべりな子。
「何って、別になー」
この世界の行く末と僕ら奏者の使命とは、だなんて口に出すのも恥ずかしくなるようなことを考えていたなんて言える訳もなく、適当にお茶を濁す。
「まあ、ぼんやりよもぎさんのこととか」
「ふぅん」
エルミタージュは目を細めて口元に笑みを浮かべ、シートに寝っ転がる勢いでさらにだらしなく姿勢を崩して木目の細かい肌の細い脚を御者席に投げ出した。レザー調のミニスカートが風にパタパタとはためき、さりげないチラリズムを演出する。
「それにしてもよくヨモギが別行動すること許したね。絶対ダメって言うかと思ってた」
緑色の髪の毛を一房指に絡めとるエルミタージュ。僕が答えるのを待たずに指をくるくるとやりながら言葉を続ける。
「とは言っても、イブキみたいに仔ウサギのような大人しい男の言うことなんか素直に聞く女じゃないか、ヨモギは」
仔ウサギは余計だが、言ってることは概ね合っているので反論できない。
「そりゃ今回の作戦は全員一緒じゃなきゃ意味がない作戦だよ。いくらよもぎさんだからって兄王国軍相手に単独行動とるだなんて無茶過ぎる」
僕の答えにエルミタージュはきょとんとした顔を見せた。
「じゃあさ、なんで別行動を許したのよ。ヨモギに何かあったらどうするの?」
「うん。エルミタージュはまだよもぎさんと会ってそんなに日が経ってないからわかんないだろうけど、元の世界でも僕達は毎日一緒にいたんだ」
さすがに学年は違うから授業は別だけど、特に用事がなければ日曜日も部室でお茶しながら一緒に音楽を楽しんでいた。
「なのに、あんな不安そうなよもぎさんは初めて見た」
母親とはぐれた子供のように、何をすべきかもわからずにただ涙を堪えている。テテがいなくなったと知った時、僕にはよもぎさんがそんな風に見えた。
「よくしなる頑丈な金属の棒がさ、こう、急に力を加えたらポキンと折れちゃったみたいなんだ」
エルミタージュは黙って僕の言葉を聞いていてくれる。
「人に甘えることをしないよもぎさんが、弱い所を隠し通すよもぎさんが、初めて僕に弱味を見せて甘えてくれたように思えるんだ。だったら、甘えさせてあげるさ。あの人のワガママは全部聞いてあげる」
「何そのポジティブシンキング」
「わかんなくてもいいよ。僕には僕のよもぎさんとの接し方があるんだ」
「お似合いの二人だこと」
エルミタージュはケラケラと笑った。緑色の髪の毛が彼女の甲高い笑い声に合わせてわさわさと揺れる。
「エルミタージュは雪ってわかる?」
笑いが一段落つくまで待ってから聞いてみる。
「うん、もちろん。寒いのはあんまり好きじゃないけど雪は好きよ」
植物をそのまんま擬人化したようなエルミタージュだ。やっぱり寒過ぎるのはダメだろうな。
「雪の結晶ってさ、幾何学模様みたいですごくきれいじゃないか」
「うん、知ってるよ」
「でもそれを観察するにはさ、あったかい部屋の中じゃダメだし、手のひらに取ることもできない。息で溶かしちゃうから近付き過ぎてもいけない」
「はかないからね、雪の結晶は」
「うん。自分の体温で溶かしてしまわないよう、気をつけないと雪の結晶を観察することができない。よもぎさんと一緒にいるってことはそういうことだと思うんだ」
エルミタージュは小首を傾げて僕をじっと見つめた。黒と緑が混じった大きな瞳に僕が映っている。
「よくわかんない例えね」
悪かったな。ちょっと恥ずかしくなる台詞を頑張って真顔で言ったんだ。もうちょっと他にないのかよ。
「……でもね」
エルミタージュはくいと顔を近付け、とっておきの秘密を教えてくれるように小声で言った。
「手のひらで雪の結晶を溶かしたって消えてなくなる訳じゃない。水としてちゃんと君の手に残るよ」
エルミタージュの小さな手のひらが僕の手の上に乗る。思っていたよりも柔らかく、温かい。
「ヨモギが雪の結晶だと言うんなら、ぎゅーってして溶かしちゃえばいいのよ。そうすれば水になって、また違った表情を見せてくれる」
「……もう、やってみた」
大きな目をパチクリとさせてエルミタージュは言葉を飲み込んだ。しかし一瞬の間の後に飲み込んだ言葉が一気に放流されて僕に襲いかかる。
「えー! なになになに! で、で、で、どうなったのよ! どうしちゃったのよ! ヨモギどんな顔してた!」
僕の胸ぐらを掴んでガクガク揺すってくる。きゃんきゃんと甲高い声で吠えまくるお腹を空かせた小型犬のようにせっついてくる。
「えっと、いやその……」
「あーもー! はっきりしなよ! ぎゅってだけ? 押し倒したの? どーしちゃったの!」
もうこうなってしまっては普通の女の子だ。植物の香りがする異世界の奏者なんて大層な存在じゃない。ただの年頃の女の子だ。
「そういえば、今日のヨモギ、どっか違う雰囲気だったような。え、なに、二人って、ひょっとして?」
もういいよ。一人で勝手に盛り上がっててくれ。そして一本角水牛よ、全速力で走れ。一秒でも早く兄王のいる宮殿へ着いてくれ。
「イブキ、言っちゃえ。どうだったの? しちゃったの!」
「うるさい」
「うるさいのはそっちよ! あんたが答えないならヨモギに聞くよ」
「ごめんなさい。それはダメ」
「じゃあ言え」
「うるさい」
「うるさくない!」
「うるさい」
「うーるーさーくーなーいっ!」