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よもぎさんは弓を持つ手で二度三度と堅く張り詰められた弦を弾いた。ぴんっ。闘技場に渦巻く観衆のざわめきに溶け込んでいく余韻に耳を澄ませ、ニコリ、柔らかく微笑む。
「ちゃんと手入れしてるな」
「そりゃあもう」
お返しとばかりに僕はよもぎさんのギターのチューニングを確かめてみた。五本の弦を親指で撫でるように弾いていく。五つの音が跳ねては消えていく。うん、いい感じだ。
「バローロ、私用のイス作ってくれない?」
「椅子? 構わんが、どんな椅子だ?」
バローロがぽんとドラムに軽くタッチした。すると音に誘われたかのように、彼の短く太い脚の膝くらいまでの大きさの、血色がいい子豚を擬人化させたような小人が二、三人顔を出した。アバウトセブンドワーブズだ。ASDは僕とよもぎさんの顔を見ると、またバローロの脚に姿を隠し、そーっと子豚の鼻を突き出してひくひくと匂いを嗅いだ。頭隠して鼻隠さずだ。
「私に似合う椅子ならなんでも」
よもぎさんは片手を腰に置いてスーパーモデルのようにポーズをとって見せた。スーパーモデルとは、大型スーパーのチラシで見るような当たり障りない庶民的なモデルさんのこと。
「まあ、お安い御用だ。エルミタージュ、樹を生やしてくれ」
「棒っ切れみたいな身体付きに似合う樹ね」
一言嫌味を言ってからエルミタージュは横笛に唇を添えた。跳ねるような軽やかなメロディを奏でると、彼女の影からバラのような人影が現れた。エバーグリーンだ。巨大なバラがそのまんま人間化したようなエバーグリーンは蔓みたいなトゲだらけの腕を地面に突き刺した。するとみるみるうちに僕達の側に一本の小振りな木が成長していく。見た事もない形の葉っぱを枝いっぱいにぶら下げたひょろっと細長い樹木だ。たぶんこの世界の一般的な木工に適した木なんだろう、と勝手に解釈。
今度はASDの出番だ。木が僕達の背の高さを越えた辺りで、砂糖に群がるアリみたいにASD達が木の枝葉を落としていく。えーと、動きが早過ぎるし、なんか瞬きする度に数が増えたり減ったりしてて、正確に何人いるのかわかんないが、とりあえず約7人の子豚小人達が、それぞれ奇妙な形の道具を振り回して一本の木から椅子を削り出していく。って、パーツを組み立てるんじゃなくって削り出しかよ。どんだけ贅沢な椅子になるんだ。
「よし、どうだ?」
バローロがぱんっと一回大きく手を叩いた。でっかくてぶ厚い手をしているからその音も盛大で、思わずびくっとバローロの方を見てしまう。その隙にASD達は一瞬で姿を消してしまった。あいつらどこから出てどこへ消えるんだ?
「ヨモギにピッタリの椅子ね。ひょろっとしてて」
エルミタージュがくすくすと笑う。確かに、背もたれがすうっと高く伸びていて、輪郭は締まっていて滑らかな曲線を描いている。いつのまに色を塗って乾かしたのか光沢はあるけど落ち着いたブラウンの座面は少しへこんでいて丸いお尻にぴったりフィットしそうだ。猫の足みたいにくるっと丸まった脚はやや広がっていて小さくて細長い椅子だけれどもがっしりと安定して座れそうだ。わずか一分足らずでこんなの削り出してしまうなんて。僕の椅子も欲しくなってしまう。この戦争が終わったら、僕も椅子を作ってもらうんだ。……これって死亡フラグ?
「うん。上出来」
よもぎさんは出来立ての椅子にちょこんと浅く腰掛け、僕達を見上げて言った。
「基本のわかりやすいメロディラインをリピートさせるから、伊吹くんはそのメロディを膨らませて」
びしっと僕を弓で指し。
「エルミタージュは足りないなって思うところを好きに補って」
べしっとエルミタージュを弓で指し。
「バローロは戦闘の局面に合わせてリズムのスピードを自由に変えていいから」
ばしっとバローロを弓で指す。
テキパキと指示を出すよもぎさん。あのー、司令塔は僕じゃなかったっけ?とは口に出さないでおく。
「ねえ、イブキの楽器をあんたが使っちゃったらイブキはどうするの? ハイペリオンは守備の要よ」
よもぎさんは僕の大きなコントラバスを抱きかかえるように構え、大胆に脚を開いて椅子に浅く座り直した。戦闘ドレスの裾のスリットが大きく開いて健康的な肌色の太ももがちらり。そんなこともお構いなしに真っ直ぐに僕を見つめて、楽し気に笑う。
「伊吹くんのギターもなかなかアグレッシブでかっこいいよ」
よもぎさんはそれだけ言うとコントラバスの弦に視線を落とし、そっと弓をあてがった。
「エルミー、バローロ。この楽曲は、私達の世界のとっても大きな惑星をイメージしているの。壮大な宇宙を思い描いて演奏すること」
弓に力を込めて、しかしゆっくりと精密に、弦の上を滑らせる。
「ホルストの方で行くよ」
よもぎさんは僕にそっとウインクをくれた。いつもならホルストじゃない方の『ジュピター』を弾かせるとこなのに、今回は戦闘モードってことで本家の『木星』で行くってことか。
「お好きにどうぞ。どんなに乱れたってフォローしてやるから」
「それは頼もしい」
グスターヴ・ホルスト。大管弦楽のための組曲『惑星』第四楽章。木星、快楽をもたらす者。
駆け上がる序章。よもぎさんが青白いスパークを、僕はオレンジ色の火花を散らせて楽器を震わせた。電源はないけれども、僕達はこの世界では電気を発することができる。思い切り音を増幅させて暴れさせてやる。
よもぎさんの背後からコイル状の髪の毛をバチバチと放電させながらパンクなメイクの少女が現れた。ガールブラスト最終形態ってとこか。
レザーな感じのファッションは相変わらずだが、最終形態の彼女は両袖がさらに太く、そしてとてつもなく長かった。異様に高いヒールのブーツを履いて相当背が大きいはずなのに、胸を張ったその凛々しい立ち姿であっても両袖はまだ地面の中だった。そして、いつものつまんなそうな不満顔じゃない。やる気まんまんないじめっ子の笑顔がそこにあった。
僕はよもぎさんの奏でる荒々しく力強いメロディに添えるようにエレキギターを掻き鳴らしつつ、前後左右を見回した。
おかしいな。ハイペリオンが出てこない。無敵の巨大黄金ゴリラはどこ行った?
と、エルミタージュとバローロが楽器を演奏することもなく、ぽかーんと口を開けて空を見上げているのが見えた。
何してんだ? 上?
僕は彼女らの視線を追って、そして遠くの空から舞い降りてくるハイペリオンVer.2の姿を見つけた。
僕らの頭上には、巨大な金色のクジラが雄大に泳いでいた。




