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第7章 鉛色の重たい空から舞い落ちた繊細な雪の結晶を掌の温度で溶かさないように 1

   第7章 鉛色の重たい空から舞い落ちた繊細な雪の結晶を掌の温度で溶かさないように


   1


 緑色の太い髪をぶわっとたてがみみたいに広げ、あんぐりと大きく口を開けたまま絶句するエルミタージュ。もともと表情が豊かな子だが、自在に動かせる髪の毛がさらに彼女の感情の起伏までも大袈裟に表現してしまっている。たぶん隠し事なんて下手だろうな、こんな解りやすかったら。

 バローロはと言うと、がっちりと腕組みをして何やらブツブツと計算を始めていた。がっしりとした骨の太い体付きなくせに考え事をする時は猫背になるようで、筋肉団子になってブツブツと数字をつぶやいている。何の計算をしているのやら。

 そんな頼りになる二人に、上から目線でよもぎさんがさらに説明を続けた。説明と言うよりも一方的な命令にも聞こえるけど。

「いちいち細かいこと気にしないの。今まで通りお互いの音楽を活かそうってスタンスでやってくれればいいから。後は戦闘の成り行き次第で伊吹くんの指示に従うこと。いい?」

 よもぎさんが腰に手をやって、未だに状況の変化を把握しきれていないエルミタージュとバローロにさらっと言ってのけた。彼女らがわかったと首を縦に振ってくれるほどよもぎさんは説明義務を果たしていないし、何よりも状況が劇的に変わり過ぎているんだ。理解しろって方が無理だ。

 僕は遠くまで透き通った青空を仰いで薄く広がった白い雲を吸い込むように大きな深呼吸をしてから、僕達をぐるり360度囲っている闘技場を見回した。

 闘技場の乾いた土の上には僕達4人しかいない。前と変わらない舞台なんだけど、今はやたら広く感じてしまう。

 前回まで、僕とよもぎさんのライブは観衆を味方につけて、エルミタージュとバローロの演奏を丸ごと飲み込んで一体となって、町にまでその波を轟かせていた。でも今回のライブは違う。僕達の味方はエルミタージュとバローロだけだ。僕達は4人組のバンドを組み、兄王国軍と代理戦争をするんだ。

 観客もいつものように熱い歓声を投げかけてはくれない。不安気なざわめきだけがどよどよと場を支配している。

 その押し寄せる不安感がエルミタージュとバローロを頭から丸かじりし、混乱の渦の中に叩き込んでしまったのだ。

 てゆーか、エルミタージュもバローロもついさっきそれを知らされた訳で、戸惑うなって言う方に無理があるか。

 さあ、今日も楽しく戦闘演奏をぶちかまそうか、そんな陽気な気分でやって来た二人に、よもぎさんはあっさりと言ったんだ。


「代理戦争のルール変わったから。私達4人で兄王国ぶっ潰すよ」


 そりゃ混乱するわな。

 まあいいや。どっちにしろもう後戻りできないんだ。やっちまうしかない。

 口をあんぐりと開けっぱなしにしているエルミタージュ。ブツブツと大きな背中を小さく丸めて何か計算しているバローロ。巻き込んじゃって2人には悪いけど、僕は心がウズウズとたぎって仕方がないんだ。盛り上がって来た。ここまで自分を追い込んで、ようやく本気で戦える。僕からよもぎさんを奪おうとしたこの国に、この代理戦争ってシステムに、規格外の僕の本気を見せつけてやる。盛り上がってまいりました!

「ほんと、ヨモギってバカなんじゃない? 敵を増やして何がしたいの?」

 エルミタージュの硬直がようやく解けたようだ。小さな口からパクパクと勢いよく言葉が飛び出てくる。

「こんなの代理戦争じゃない。本物の戦争よ! 今まであたし達内緒でルール作ってうまくやって来たんじゃない? それを自分でぶち壊してどういうつもりさ! 敵は手加減してくれないし、治療もしてくれない。死んじゃうかもしれないのよ! それがヨモギかもしれない。あたしかもしれない。あんたの大事なイブキかもしれない!」

 おいおい、バローロが抜けてるぞ。とは、さすがにつっこめない強い視線でよもぎさんを睨み付けるエルミタージュ。

「勝算はある、か」

 計算が終わったのか、バローロが腕組みを解いた。エルミタージュが睨み付ける相手をよもぎさんからバローロへロックオン。

「キーはイブキのハイペリオンだな。あの触れないフィールドの中にいればこの世のどこよりも安全だ」

「あんた何言ってるの? この戦争に賛成だとでも言う気?」

 小柄で細い身体のエルミタージュが胴回りだけで彼女の3倍はありそうなバローロに噛み付く。思わず首と一緒に自分の意見まで引っ込めそうになったバローロ。仕方ないな、助け舟を出してやるか。

「僕のそばにいる限り、みんなは絶対安全だよ。僕が守るから」

 そんな僕の舟によもぎさんが乗っかってきた。

「そういうこと。私達は伊吹くんがいる限り決して負けない。でも『負けない』イコール『勝つ』ってことじゃない。多少のリスクは背負ってでも攻めに出る。勝つために」

 まだ何か噛み付き足りないのか、エルミタージュが大きく口を開けたがよもぎさんが片手を上げてそれを制した。

「この戦争のルールはすごくシンプルだ。兄王陛下との取り決めでルールはたったの2つ」

 よもぎさんがエルミタージュの目の前にブイサインを作って見せる。

「ルール1。闘技場をスタート地点とし、宮殿のどこかにいる兄王陛下を私達の誰かが確保すれば、その時点で私達の勝ち」

 よもぎさんの長くてきれいな中指がかくんと折れる。

「ルール2。私達奏者は兵士を決して殺さない。多少のケガ人は仕方ないけど、この戦争で犠牲者は一人も出さない」

 ぐっと人差し指も握られて小さな握りこぶしができる。

「勝てば私達は自由。元の世界に帰るのも、居心地のいいこの世界に居坐るのも自由。そして兄王国は解体。弟王国に吸収される」

 エルミタージュの眉毛がぴくっと動き、髪の毛がぶわっと広がった。

「負ければ、つまり、私達が誤って兵士を一人でも殺してしまうか、私達が全員死んでしまうかしたらこの戦争は終了。後は兄王陛下がすべてを決める」

 ニヤリ、よもぎさんが意地悪な微笑みを見せた。

「どう? いくらでも抜け道を作れるルールよ」

 エルミタージュが自分の手でブイサインを作ってよもぎさんの握り拳の上に置いた。

「その2つのルール以外、何か取り決めはあるの?」

「なし。私達次第ってとこかしらん」

 エルミタージュは手をぐっと握ってよもぎさんの拳とぶつけ合った。

「よくこんなふざけた戦争のルールを兄王が飲んでくれたね。やってやろうじゃない」

 よもぎさんとエルミタージュの重なり合う拳に、バローロの大きくてゴツゴツとした手が覆いかぶさった。

「相手を殺さない戦争か。結局今までと何ら変わりなしだな」

「違うわよ、バローロ。あんた話聞いてた?」

 エルミタージュがもう片方の手でバローロの大きな頭をぺちんと叩く。

「多少の怪我はさせていいの。ヨモギみたいに貧弱な子に怪我させないように戦うのとは全然違う。遠慮なしでぶっ飛ばせるってことよ」

「誰が貧弱だっ」

 よもぎさんが空いている片手でエルミタージュの頬っぺたをぐいっとつまんだ。

「だれかひゃんのむねのあたりがとくにひんひゃくー」

「はいはい、いつまでも遊んでんじゃないの」

 僕はバローロを真正面に見据えて、よもぎさんとエルミタージュの二人の肩を抱くように腕を回した。ちょうど四人が輪になるように。

 僕はゆっくりとみんなの顔を見つめた。うん、なんとも頼もしいバンドメンバーじゃないか。

「この国の連中に異世界の奏者の力を見せつけてやろう」


 僕達の輪が解けて、戦闘準備が整ったと判断したのか、闘技場の兄王側のゲートから一人の兵士が歩いてきた。グラン少佐だ。いつもの革製のジャケットって軽い装備でゆっくりと僕達に近付いて来る。

「よお、イブキ。準備はいいか?」

「うん。何か迷惑かけるね。めんどくさい役目頼んじゃって」

「気にすんな。奏者の世話役ってだけで十分に厄介な仕事なんだ。いまさらめんどくせえなんて思わねえさ」

 グラン少佐が首をゴキゴキと鳴らした。肩凝りかな? そうは言っても相当に気を使う役目なはずだ。お疲れ様。

「で、グラン。うまくやってくれた? どんな具合なの?」

 よもぎさんが上から目線で尋ねる。グラン少佐はぴくっと顔をしかめたが、諦めたようにため息をついた。

「ああ、まずまずの反応だ。今回の代理戦争に参加する兵隊全員に話は伝わっているはずだ」

 よもぎさんに真っ直ぐに睨みつけられて居心地が悪いのか、グラン少佐はジャケットのポケットに手を突っ込んで俯いて話している。

「おまえらと戦いたくない者は戦わなくていい。手を抜いて適当に戦っている振りをしろってな。けっこうな数が協力してくれるはずだ。おまえら、意外に好かれてるぞ」

 グラン少佐は顔を上げてよもぎさんでなく僕を見た。

「だがな、宮殿にいる衛兵達は訳が違うぞ。一度おまえらに奇襲を受けて兄王陛下の寝室への侵入を許してしまったんだ。衛兵の誇りを賭けておまえらを本気で倒しに来るはずだ。それに俺よりも上の階級の人達がどう動くかわからん」

「大丈夫。町中での混戦状態を避けたかったんだ。パルテスタの連中をへこましてやるためにね」

「ぱるてすた?」

 エルミタージュが僕の言葉に反応した。

「パルテスタ教導団のこと?」

「エルミー、知ってるの?」

「一度、あたしとバローロに接触してきた危なそうな連中よ。本気の戦争をしないかって」

 よもぎさんはギターを抱くように腕組みしてうんうんと頷いた。

「そうね、そいつら。私達も何度かそいつらに襲われてるの。だからこの代理戦争の混乱を利用してあいつらをぶっ潰しておこうと思ってね」

「言い忘れてた、ごめん。僕とよもぎさんの裏ルールがあるんだ」

 エルミタージュとバローロが顔を見合わせる。

「裏ルール。パルテスタ教導団の連中は見つけ次第優先的に怪我させること」

「喜んで」

「了解した」

 あっさりと裏ルールを承諾してくれるエルミタージュとバローロ。

「グラン、テテの方も順調なんでしょうね?」

 よもぎさんが相変わらず強い口調でグラン少佐に詰め寄る。目を合わせられないグラン少佐はじりじりと後退るだけ。

「いまんとこ、たぶん問題ない。戦争終了時にすぐにポータルを開けるはずだ」

「たぶんじゃダメなの。わかってる?男の子でしょ、はっきりなさい」

 よもぎさんの態度や話し口調がグラン少佐のお母さんによく似ているらしく、そのせいでよもぎさんにはまったく逆らえないようだ。グラン少佐のお母さんとも一度お会いしたいもんだ。

「大丈夫だって、たぶん」

「だからたぶんじゃダメ。いい、グラン。あんたはテテのところであの子を守ること。いい?」

 何かを言いかけたグラン少佐だが、キッと睨み付けるよもぎさんの眼力に負けて素直に頷いてしまった。

「ああ、わかったよ」

 そしてとぼとぼとゲートに向かうが、やや歩いたところでくるっと振り返った。

「イブキ。頼むぞ、一人も殺すなよ。兄王陛下の『人が死なない戦争』ってのをやってみせろ」

「まかせな」

 くいっと親指を立てて見せる。グラン少佐も拳を突き出して親指を立て、ついでにふさふさした耳をくるくるっと動かして見せた。この世界の住人の「まかせろ」的な合図だろうか。

「さて、始めるよ。エルミー、バローロ、伊吹くんのハイペリオンフィールドから出ちゃダメだからね。伊吹くんは司令塔ね。私も含めて、みんなに指示を出すこと。オーケー?」

 僕もエルミタージュもバローロも、無言だが力強く頷いて応えた。いよいよ本気の代理戦争が始まるんだ。

「と、その前に」

 と、せっかく気合いが入ったってのに、よもぎさんが絶妙なタイミングで外してくる。

「伊吹くん、ベース貸して」

 よもぎさんはコントラバスのことを頑なにウッドベースと呼ぶ。元々クラシックよりもジャズやロックが好きな人だからか。逆に、僕も維持でもウッドベースとは呼ばない。これは中古だけれどもフランス製のれっきとしたコントラバスだ。

「え、まさか、やるの?」

 僕が弦楽部に入部するまで、コントラバス担当はよもぎさんだった。高い身長と長い手足がコントラバスによく似合っていたが、よもぎさんは僕にコントラバスを譲ってビオラを弾くことになった。ギターはあくまで趣味だと言い張っているし。

 よもぎさんはコントラバスと弓を受け取ると、びしっ、エルミタージュを弓で差した。

「ガールブラストの第三形態を見せてあげる」



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