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 ハイペリオンの両手から降り立つ。お姫さま抱っこしていたよもぎさんを丁寧に降ろして、まだぺたんと座り込んだままのテテから僕らの楽器を受け取り、テテの手を取って引き起こしてやる。それでもテテは腰が抜けたのか、それとも何かもうやる気をなくしちゃったのか、絨毯の上にぺたりと尻餅をついてしまった。

「さて、と」

 放っておくか。僕はゆっくりと部屋を見回した。

 ハイペリオンがにゅるっと通り抜けた扉は侍女の人が上品な仕草でかんぬきを降ろしていた。上を仰ぐと、天井が一段と高いことがわかった。大きな窓もあって午後の陽の光が部屋中に降り注がれて、電気なんかない世界なのにまるで蛍光灯を灯しているかのように明るかった。

 そして視線を降ろすと、僕とよもぎさんが使っているものよりも大きなベッドがあり、その側のこれまた大きなソファーに初老の男が腰を降ろしていた。

 灰色よりも銀色に近い髪はオールバックに撫で付けられ、額には真一文字に古い縫い跡が走っていた。この世界の人の特徴であるふさふさした毛に覆われた長い耳もいぶし銀だ。血色のいい白い肌はよく陽に焼けていて、ただでさえ威厳のある鋭い顔付なのに豊かな銀色の顎鬚がさらに偉そうなオーラをまとっているように感じさせる。深いエンジ色のガウンを優雅に着こなし、まさに威風堂々と言う四字熟語がぴったりな風格だ。こんな老人を前にしてしまうと、僕なんかほんとに草食動物なんだなとひねくれてしまいたくなる。

 間違いない。この迫力ある銀色の老人が、兄王。

「えー、兄王様には御機嫌うりゅわっ……」

 噛んだ。

 だめだ、偉そうな人の前では草食動物はただの餌だ。僕は側にしゃがみ込んでいるテテに助け舟の出港を要請した。

「緊張しちゃう。テテ、頼む」

「えー、はい、たいへんひちゅれっ……」

 助け舟、出港直後に轟沈。

 思わず泣きそうな顔のテテを抱きしめたくなる。すまん、君も小動物だもんな。ライオンの前では仔鹿もウサギもただのお肉だもんな。

「兄王陛下にはお初にお目にかかります。こことは異なる世界より召喚されてまいりました奏者、リンノージ・ヨモギと申します」

 と、我らが肉食動物、虎のよもぎさんが物怖じしない態度で兄王陛下に膝を軽く折って頭を下げた。

「こちらは私のパートナー、ヒバラ・イブキです。彼はまだこの世界に慣れていませんので、御無礼はお許しください」

 さすがよもぎさん。立ち振る舞いもかっこいいな。

「うん。まあ、そう堅くなるな。楽に行こう。そんなに畏まっちゃあせっかくの美人も台無しだぜ」

 兄王陛下はからからと笑って僕達を歓迎してくれた。

「こっちもやることいっぱいでよ、なかなかタイミング悪くってな。でも会えてよかったぜ。特にイブキ、おまえさんの黄金の獣を間近で見たかったんだ。やべえな、こいつは!」

 何このギャップ。威厳溢れる老王からファンキーなじいさんに早変りだ。いったいどこらへんが病気なんだってつっこみたくなるくらい陽気で、子供みたいにハイペリオンに飛び付いて、でも触れずにぼよんと弾かれては豪快に笑う。

「さあて、奏者ヨモギ、イブキよ。よく来たな。まあ楽にして座れ。おい、誰も中に入れるなよ! いま大事な客が来ているんだからな!」


 兄王陛下は僕達にお茶を出してくれて、ソファーではなくふかふかの絨毯にどっかりと根を生やす大木のように座り、僕達が衛兵を蹴散らしてここまで来た理由を尋ねもしないで自分から楽しそうに喋り出した。

「若い頃から酒を呑みすぎてしまってな、内臓が酒に灼かれちまったようだ。もっとも酒を止めてからは、ご覧の通りピンピンしてる。周りが休め休め言うから仕方なく大人しくしてるがな」

 そしてガハハと大口を開けて笑う。なんだか久しぶりに親戚一同が集まった田舎で酒呑みの伯父さんを相手している気分になる。

「単なるアル中?」

 膝を揃えて斜めに崩して座ってるよもぎさんが僕にそっと耳打ち。僕は胡座をかいたまま少し猫背になって小声で返した。

「依存症と肝臓病は違うよ」

 話を聞く分にはたぶん後者だろう。これがアルコール依存症だったら今だってお茶じゃなくてお酒呑んでるはずだ。

 兄王陛下は大きめのゆったりしたカップをぐいと煽って僕達が部屋に入ってから崩していない人懐っこい笑顔で言った。

「で、いったいどうしたってんだ?」

 かちん。ティーカップとソーサーが硬い音を立てる。侍女の人が早速お代りを注ぎに来る。

「我が兵をコテンパンにのしてくれて、それなりの理由があるんだろ? 言ってみろ」

 よもぎさんがちらっと僕を見る。その視線の動きに釣られて兄王陛下も僕を見る。はあ、僕が言う役か。確かに、よもぎさんのように詰め将棋を解くみたいにきっちり理詰めで攻めるタイプは理屈っぽくねちねちと責めて来るタイプには強いけど、兄王陛下みたいに単純明快なタイプにはぶつかり合って通用しないからな。

 よし、と気合を入れて兄王陛下と真っ直ぐに対峙する。目の前の宝箱を開けたくてたまらないって子供みたいな笑顔がそこにある。変に理屈っぽく遠回しに言うのはこの無邪気なじいさんには効果なさそうだな。えーい、めんどくさい、ずばっと言っちゃえ。

「単刀直入に言います。王様を辞めませんか?」

 僕の側でもともとちっちゃな身体をさらに縮こませて座っていたテテがぶぼっとお茶を吹いた。

 兄王陛下は僕の言葉をよく噛んで飲み込むように十分に間を置いてから言葉を投げ返して来た。

「いきなり深く踏み込んで来たな。王を辞める理由は?」

「兄王国と弟王国を一つにするために」

 無駄な単語が一つもない直球ど真ん中を投げてやる。

「どうやって?」

「兄王国を終わらせます。国民や文化はそのままで、兄王国を司っているシステムを制圧します。そうすれば弟王国に吸収合併されやすくなると思います」

「何故一つにする?」

「同じ国なのに二つのシステムがあるからとてもめんどくさいんです。外から見るとよく解ります」

「では何故俺なんだ?本来ならば長兄が王位を継ぐものだ。王を辞めるのが弟王ではない理由は?」

「僕達は弟王がどこにいるか知らないからです。兄王陛下ならすぐ近くにいるし、そもそも僕達を召喚したのは兄王国でしょ?」

 言葉を交わすたびに返すタイミングが早くなってくる。兄王陛下は姿勢をやや前傾させてさらに早く切り返してきた。

「いろいろ突っ込んだ考えを展開させた方がいいようにも聞こえるぞ」

「僕達の世界では『ツッコミどころ満載』って言います。でも、何よりシンプルでいいと思いませんか?」

「いいな。実に解りやすい。だが説得力に欠けるな。俺は良くても、俺を担ぎ上げている連中が黙っちゃあいないぜ」

「黙らせます。それが戦争って奴です」

 兄王陛下が口をつぐむ。じっと強い視線で僕を見つめる。その眼力には人を屈服させる光が込もっているが、あいにくと僕はよもぎさんの眼力に慣れちゃってるのでその王の意力もさらっと流せちゃう。

「僕達は戦争代理人として召喚されました。それで僕達の毎日の生活は潰えました。強制的に非日常にぶち込まれ、同じ境遇の異世界人と戦うことを強要されます。もしも逆らえばどうなるか、兄王陛下ご自身もよく御存じのはず」

 よもぎさんが手を伸ばして僕の手を優しく撫でて握ってくれた。

「もしも僕が召喚されなかったら、僕はある日突然によもぎさんを失っていたかもしれない。どこか知らない世界でよもぎさんが命を失っていくのを、僕はそれを知らないまま、よもぎさんの帰りをずっと待ち続けていたかもしれない」

 僕の手を握るよもぎさんの手に少し力が込められた。きゅっ。僕も包み込むように握り返す。

「それが僕があなた方へ戦争を仕掛ける理由です。僕のよもぎさんを奪おうとしたことへの報復です」

「……男が戦うには十分な理由だな」

 兄王陛下は顎鬚に手をやり、長い溜め息をついた。僕を見つめ、よもぎさんに視線をやり、また僕を見据える。

「しかしな、現状では王と言うものは飾りに過ぎん。仮に王である俺を倒しても、俺の息子が新しい王に担ぎ上げられるだけかもしれんぞ。国を統一させるにはまだ弱いな」

「現状の政治システムである議会制民主主義は条件付きですけどきちんと成立していると思います」

 よもぎさんが口を開いた。バトンタッチ、選手交代だ。

「王と言う地位が権力の頂点ではない以上、確かに兄王陛下が退位なさったとしても両国を統一させる理由にはならないかもしれません」

 よもぎさんはいったん言葉を切ってお茶で唇を湿らせた。兄王陛下は僕達の話に乗っかってきている。ここからはよもぎさん得意の理詰めでからめとるだけだ。

「でも、国が二つに裂かれた経緯を考えると、再統一に反対する国民はいないと思います。国は政府や議会のものではなく、国民のものです」

 兄王陛下はお茶をすすりながらよもぎさんの低くて芯のある声に耳を傾けていた。と、お茶がなくなったか、また侍女の人にお代りを頼む。僕もカップを差し出してもらっとこう。

「で、具体的にはどうする? 国王である俺が国民に呼びかければいいのか? さあ、皆の衆、国を今一度一つにしようぞ!」

 両手を広げて芝居がかった台詞を言う陛下。その広げた手に持つカップに慣れた様子でお茶を注ぐ侍女の人。とぽとぽ。

「私達は戦争代理人です。代理戦争をしましょう。兄王国と弟王国との戦争の代わりに、私達が兄王国軍と戦います」

 兄王陛下の眉が片方だけくいっと上がる。

「たった二人で我が軍と戦うつもりか?」

「さあ、二人とは限りませんよ」

 よもぎさんも形のいい眉をくいっと上げた。

「兄王国軍が勝てば、どうぞいままで通りお好きなように。私達が勝ったら、兄王国と弟王国は統一を。兄王は退位し、弟王のサポート役へと退きます。議会にとっては大変なことでしょうけど、国民にとっては待ちわびていた日となるでしょう」

 よもぎさんは一息ついて、とどめの一言を放った。

「それに、とってもおもしろそうだと思いませんか?」

 兄王陛下はニヤリと笑った。まさに新しいおもちゃを見つけた子供のような笑顔だ。

「おもしろいな。祭り好きの国民が飛び付きそうだ。だが戦争となれば本気の殺し合いだ。お前達の命の保障はできんぞ」

 もう一押しかな。僕はよもぎさんの後に続けた。

「どうぞご自由に。僕達は僕達が勝手に定めた代理戦争のルールに従って、きっちり勝ってみせますよ」

「勝手に定めた、ルール?」

 兄王陛下はきょとんとした顔を見せた。

「誰一人死なせないってルールです。まあ、多少の怪我はあるだろうけど、死者は絶対に出しません。それが僕とよもぎさんが定めたルールです」

「我が軍相手に犠牲者一人も出さずに戦争に勝利する、か。気に入ったぞ、イブキ」

「それと、この国の最も厄介な懸案の一つも吹っ飛ばせるかもしれません」

 兄王陛下は首を傾げて僕を見た。まだあるのか、って笑顔で。

「パルテスタ教導団です。奴らの目的は僕の能力を戦争に利用すること。僕から戦争を仕掛ければあいつらも動き出すでしょう。そこを今度こそ完璧に潰します。二度と僕に関わろうって気が起きないくらいへこましてやります」

「ああ、昨夜の話は聞いている。俺の兵の中にも奴らは潜り込んでいたらしいな。迷惑かけたな」

 兄王陛下は腕組みをしてふむと小さく唸った。

「俺としても王位に固執している訳じゃあない。身体のこともあるし、後のことは弟に任せて隠居するのも悪くないな。だが問題は、議会の連中か」

「そんなの知ったこっちゃありません」

 びっくりしたような顔で兄王陛下が腕組みを解いた。

「戦争に相手の都合なんて関係ありませんよ。ただぶっ潰すのみです」

「そこまで言われては、国王として覚悟を決めなければならんな。しかし、俺もそうだが、お前達と戦いたくないって奴らもいるだろうな」

「悲しいけど、これって戦争なのよね」

 よもぎさんがここぞとばかりに胸を張って決め台詞を言った。やっぱりこの人アニメ好きだ。絶対隠れオタクだ。


「さ、テテ、帰ろうか」

 魂が天に昇ってしまって抜け殻と化していたテテを揺すって気付かせる。大きな青い目をぱちくりとさせ、テテはようやく我に帰ったようだ。

「……イブキさん、夢の中でも会えるなんて?」

 ダメか。まだ魂が帰ってきていないようだ。

 よもぎさんがテテの顔を覗き込んで柔らかそうなほっぺたをむんずと掴んだ。

「テテ! ほら、起きろ。テテのうちに帰るよ」

 青い目にきらっと光りが戻った。正気に戻ったのか、ほっぺたが痛くて涙が溜まったのか。

「ええっ? 何言っちゃってるんですか?」

「何って、テテの下宿先に帰るよって言っちゃってるの。さ、案内しな」

 よもぎさんはぐいっとテテを立たせて彼女のおしりをポンポンと叩いた。

「え? イブキさん、どう言うこと?」

「どうって、宣戦布告した以上、もう兄王陛下のお世話になる訳にはいかないじゃん。パルテスタの奴らの襲撃があるかもしれないし、もう宮殿には居られないよ」

「えー? イブキさんなら大歓迎ですけど、ヨモギさんは揉むからイヤです!」

 よもぎさん、テテのどこを揉むんだよ。

「だってテテったらかわいいんだもーん。さ、案内しろ」

 よもぎさんはテテの肩をぐりぐりとやりながら強引に扉へ向かわせた。

 そんなはしゃぐ僕達を眺めて、兄王陛下はぽつんとつぶやいた。

「アルテア・パルテスタの再来、か。イブキ、確かお前は特別な奏者らしいな」

 アルテア・パルテスタ。パルテスタ教導団の信仰の対象だ。彼らにとってアルテア・パルテスタは神そのもの。僕がアルテア・パルテスタの再来? やめてくれ。

「確かに、僕は規格外の奏者ですけど、アルテア・パルテスタとは格が違いますよ」

「そうなのか? アルテア・パルテスタはずいぶん昔の奏者で今では記録しか残っていないが」

「アルテア・パルテスタは侵略者を全滅させて国を救ったらしいですね。僕は、僕達は、誰一人死なせずに国を変えてみせますよ」

 よもぎさんがくるりと振り返り、兄王陛下に頭を下げた。

「では、兄王陛下。私達はこれで失礼します。次に会う時は戦場ですね」

 そして真正面に一国の王を見据えて、僕の女王様は言い放った。

「戦いが終わったら、勝ち負け関係なく一緒においしいゴハンを食べられるような戦争をしましょう」


 ここに新たな輪王寺よもぎ語録が生まれた。




「戦いが終わったら、勝ち負け関係なく一緒においしいゴハンを食べられるような戦争をしましょう」




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