4
4
ガールブラストは跳ねるように軽やかにステップを踏んで、長い両袖を広げてバレエダンサーのようにくるりと優雅に舞った。ひらりとなびいた袖は土星の輪っかみたいにガールブラストを中心とした大きな円を描き、右袖が触った衛兵の重さをチャージし、左袖からその重さを塊にして空間をぐにゃりと歪ませて撃ち出した。
この子が一回転するたびに一人の兵士が体重を奪われてぽーんと空中に弾き飛ばされ、また一人の兵士が人間一人分の重い一撃を食らわされ背負わされ這いつくばる。
それにしても、ガールブラストの楽しそうな笑顔ったら。よもぎさんの側で待機状態の時のむすっとしたつまんなそうな顔付きとはえらい違いだ。やっぱりよもぎさんは心の中まで女王様なんだな。攻撃的なギターサウンドがよく似合うよ、ほんと。
「伊吹くん、後ろっ!」
はいはい、わかってる。通路の後方から新手の一団が現れた。さすがに兄王様の寝室へと通じる最後の通路になると警備は厳重だ。奏者としてお見舞いに来たって言っても全然取り合ってくれないし、こうなりゃ実力行使だ。
という訳で、僕とよもぎさんは兄王様の部屋への通路に気絶した衛兵達の山を築き、天井には糸の切れた風船のようにプカプカと兵士の身体を浮かべている訳で。
「兄王様とお話したいだけだから、邪魔すんなよ」
通路の大きさは宮殿最深部のくせに衛兵が入り乱れて戦えるほど十分に大きいものだった。巨大黄金ゴリラのハイペリオンがかがんでちょうどいいくらいの天井の高さで、高い位置にある明かり取りの窓からの日差しが見た目にも清々しいくらい空間に斜めに差し込んでいた。
ハイペリオンが僕のコントラバスに合わせて吠える。音を重ねて歌うように。こいつの扱いもだいぶコツがつかめてきた。
ハイペリオンが両手で壁を作ると、見えない触れない壊れない空気の壁が生じて、衛兵達はそこから一歩も前に進めなくなる。布団を思い切り積み重ねた壁に頭から突っ込むようなものだ。ぼすんとめり込みつつぼよんと跳ね返される。
「よもぎさん、キリがない。一気に兄王様の部屋に入っちゃおう!」
「わかった。離れないでよ!」
よもぎさんが腰を落としてギターを低く構えた。黒い戦闘ドレスのスリットから白い太ももがチラッと。
ライトハンド奏法、早弾きで一気に加速するつもりか。僕はぼんやりと側で立ち尽くしているテテの手を取った。
「テテ、走るぞ」
「……もういいんです、私なんか。……兄王陛下に喧嘩売るなんて……、私なんかもう……」
なんかブツブツ言ってるし。めんどくさそうだから放っておこう。
ハイペリオンの両手を水をすくうような形にして降ろさせ、それに恐る恐る足をかける。低反発マットを踏ん付けたみたいにぐにっと柔らかい感触がする。見ると、ハイペリオンの手のひらと僕の足と10センチくらい間隔が空いている。浮いているけど、しっかり踏んでいる感覚が足の裏にある。よし、大丈夫だ。滑らない。
「よもぎさん、かっさらうから暴れないでよ」
「優しくね」
よもぎさんのギターの早弾きに合わせてガールブラストが青白い光を発し始めた。コイル状の大きなお下げが青く唸るような音を立てて光だし、細く滑らかな曲線を描く身体の輪郭が震えるようにぼやけだす。
「行け! ハイペリオン!」
僕はコントラバスに弓を叩きつけるように音を放った。雷が轟き、風が唸って巻くような響きを。
サーフィンなんてしたことないしこれからもすることないだろうけど、たぶんこんな感じなんだろう。足の下からものすごい力がせり上がって来てそこから身体全体で滑り落ちるんだけど、後から後から強い流れが押し寄せてきてどんどん追い立てられるように前方に落ちて行くって感じだ。
猛ダッシュするハイペリオンの両手に乗って、前のめりに落っこちるような感覚を味わいながらコントラバスを掻きむしるように音を操る。
「きゃあっ!」
テテがバランスを失って派手にひっくり返った。が、これくらいならハイペリオンの手のひらから落ちないだろう。無視。
「よもぎさんっ!」
僕は柔らかく不確かな足場だけれども力一杯踏ん張って、すごい勢いで近付いてくるよもぎさんのきれいな背中に叫んだ。
よもぎさんはちらっとだけ僕の方を見て、また前を向いて一段と腰を低く落とした。ギターサウンドがさらに速く疾走する。
そしてタイミングを合わせて大きくジャンプ!
「走れっ!」
よもぎさんが叫ぶ。ガールブラストが青白い残像を残してものすごく低い姿勢で立ちはだかる衛兵達に突っ込んでいった。
僕は両手を思い切り伸ばして飛んで来たよもぎさんの身体を抱き止めた。彼女の艶やかな髪が風に暴れて僕にまとわりつく。ふわり、甘いような汗と石鹸の匂いがした。
よもぎさんは僕にお姫様抱っこされた状態でもギターを弾き続けた。僕のコントラバスは足元に倒してしまったけど、勢い付いたハイペリオンはもう誰にも止められない。
ガールブラストが青白い軌跡を残して衛兵達の合間をすごいスピードで縫うようにすり抜け、残像が過ぎ去ると一人一人衛兵は鈍い音を立てて金属の鎧を歪ませて吹き飛んでいった。
「よもぎさん、もう降りてよ」
「いい気持ちだからヤダ」
よもぎさんはギターを足元に放り投げて僕の首にしがみついて来た。そりゃあ、抱いてるこっちとしても左手は背中を回って柔らかい胸元の辺り、右手は太ももの裏を通ってすべすべした膝へ、と両手の感触を楽しめるけど、もう兄王様の部屋が目前に迫って来ているんだ。もうこのままぶち破っちゃうぞ。
ガールブラストと兄王様の部屋へと通じる扉の間には二人の兵士だけ。この二人だけ頭に被っているものが他の兵隊と違う。赤く大きくとても目立つ尖った帽子だ。兄王様を守る特別な警備兵か。
「あと二人、ぶっ飛ばせ!」
よもぎさんが僕の腕の中で楽しそうに声を上げる。空間を滑るように疾走するハイペリオンの両手の乗り心地は、乗ったことないけどたぶんオープンカー的な感覚だ。頬に当たる風が気持ちいい。宮殿の中じゃなく開けた外だったらもっと気持ち良かっただろうんな。
と、扉を守っていた二人の衛兵が脇に避け、すうっと静かに扉が開いて中から女の人がでてきた。兄王様の寝室付きの侍女だろうか、上品な仕草で扉を開け放って突っ込んでくる黄金ゴリラと僕達に目礼する。
「何あれ?」
よもぎさんがお姫様抱っこされてるのにも関わらず首を伸ばそうと姿勢を変える。だめだってば。ハイペリオンの両手は微妙に斜めに傾きつつ揺れていてただでさえバランス取りにくいのに、そんなに動かれたら、その、いろいろ触っちゃうじゃないか。
「入ってよし、って意味じゃないかな? 表情まではよく見えないけど」
眼鏡をずらしたいとこだけど、両手は暴れるよもぎさんの身体を支えるので精いっぱいだ。
「さすが兄王様。いい度胸してる」
「よし、突入しよう」
「よし行け! イブキペリオン!」
「混ぜんなって」
「そっちこそどさくさに紛れてあちこち触んないでくれる?」
「これは事故だから許されるの」
「あの……、お取り込み中すみませんが」
スカートを抑えるようにぺたんと座り込んでいたテテがひさしぶりに口を開く。ギターとコントラバスが落っこちないようにしっかりと持っている辺りはさすがしっかりしてるな。
「……兄王陛下って、相当マイペースなお方なので、気を付けて」
マイペース度ならよもぎさんも僕も負けてはいないぞ。望むところだ。さあ、兄王陛下と御対面だ。
ハイペリオンは自分の身体よりも小さな扉を、何者にも触れられない能力を発揮してにゅるっと縮んでプリンみたいに優しくかつ強引に扉を突破した。
ついでに僕達もにゅるっと。