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輪王寺よもぎ語録。
「半端な気持ちでやるよりも、絶対やらないって決めることの方がいい」
四月。新入生が色んな意味で期待に胸を膨らませてやってきた。僕にも後輩が出来た訳だ。残念ながら弦楽部に新入生男子部員は訪れず、ますます肩身の狭い思いをするのだが、それはまた別のお話。
その新入生の中に、高校デビューとかのつもりか、入学式にネクタイをだらりと緩めて腰パンでパンツ丸見えの状態で参加したバカがいた。バカと言う表現がなんだったら、おバカさんでどうだ。
当然の結果として服装を正すよう入学早々に厳重注意を受けたのだが、次の日からも相変わらずの腰パンで登校。そして入学三日目にして停学処分と言う不名誉な新記録を樹立したのだ。
そんな馬鹿げた記録なんかどうでもいい。問題は彼とその取り巻き連中だった。
ちょうどその時、よもぎさんを中心としたミニスカ事変が解決した頃で、そのおバカさん達は弦楽部に押し寄せてきて、あろうことか男子生徒制服自由化運動によもぎさんを担ぎ上げようとしたのだ。
制服のミニスカート化を実現させたその手腕をぜひ、と彼らはおバカさんなりにない知恵を絞ったんだろう。しかし、そもそもの話、よもぎさんは女子生徒の制服を正常化させた訳であって、何もミニスカ化を推し進めた訳じゃない。
当然、よもぎさんは彼らを追い払った。ハエでも追い払うように手を振るって一言で。
「自分でやれ」
結局、男子生徒制服自由化運動とやらは賛同者が現れないままグダグダになって立ち消えた。そりゃそうだ。元々が女子校だったので、男子生徒の制服はまず女子生徒の制服ありきでデザインされたんだ。他校の生徒に『女子生徒はお嬢様、男子生徒はその召使い』と言わしめた制服デザインだ。それをただだらしなく着崩したところでかっこいいとは思えない。賛同者が出ないのも当然だった。
そのことでよもぎさんに聞かれたことがあった。
「伊吹くんは、腰パンくんみたいなのカッコイイと思う?」
腰パンくんとは、例のおバカさんのこと。今ではすっかり普通の格好になったが、彼のあだ名はいつのまにか腰パンくんで定着していた。
「パンツ見せびらかして歩く趣味はないんで」
僕はコントラバスを分解清掃しながら答えた。
「だよねー。あれのどこがいいのか理解に苦しむ」
「そういえばよもぎ先輩、今回は全然動こうとしませんでしたね。なんでです?」
よもぎさんはバイオリンの弦を張り替える手を休めずに顔だけこっちに向けた。
「だって私には関係ないことだもん。腰パンくんが何をやりたかったのか知らないけど、中途半端にでも関わったら、絶対私までダメージ食らうって思った。だから完全無視」
「あいつ自体が中途半端でしたからね」
「まあね。やらないよりやった方がいいとかって言う人もいるけどさ……」
よもぎさんはいったん言葉を止めて張り替えた弦を指で弾いた。少し張り過ぎたような固い音がした。
「半端な気持ちでやるよりも、絶対やらないって決めることの方がいいって私は思うな」
「ねえ、まずは落ち着いて。話し合いましょうよ。イブキさんも、ヨモギさんを止めてくださいって」
散歩に連れ出した小型犬のように、大股で歩く僕とよもぎさんの周囲をチョコチョコとテテが歩き回る。よもぎさんの前に出てみたり、後ろに回って僕の手を引っ張ってみたり。
「私は至って冷静だ。この方法が私にとっても一番おもしろ、この国にとってもいい方法だと思ってる」
「いま、おもしろいって言ったー!」
宮殿内はまだ朝も早いせいか人影はまばらで、おかげで僕達は何の障害もなく目的地の扉を開けることができそうだ。目的地。それは兄王の部屋。病に伏せっているとのことで兄王の寝室が病室兼謁見室となっているようだ。
「大丈夫だって。今日はお話するだけなんだから」
僕は金髪のお下げをピョコピョコと跳ねさせてついて来るテテを捕まえ、強引に手を繋いで引きずるようにして隣に並ばせた。
「そうそう。国を滅ぼすって言っても、国民全員皆殺しにする訳じゃないし。でも抵抗したら全力で潰すけど」
さらっと怖いこと言ってよもぎさんもテテと手を繋いだ。これで三人仲良くお散歩だ。
ふと、僕とよもぎさんの間で捕まった宇宙人みたいに大人しくしている背の小さなテテを見ていると、僕とよもぎさんが夫婦で二人の間に出来たかわいい娘を連れてお散歩中、だなんてふわーってお腹の辺りが温かくなる妄想をしてしまう。
「でもでもでもでも!」
テテが興奮してきたか、でもを連発。
「これって、本当の戦争になっちゃいますって! 代理戦争じゃなく、本気の戦いに! 兵隊さんみんな敵になっちゃいます! いくらヨモギさんでも死んじゃいますって!」
僕達はこれからこの国に戦争を仕掛ける。あらゆるいざこざの元、めんどくさいトラブルの種、パルテスタ教導団のようなテロリストを生んでしまう要因。それらはこの国そのものに原因がある。兄王国と弟王国と、兄弟王が仲を違えて別々の道を歩み出したことがそもそもの間違いだ。国を真っ二つに引き裂いた誰も望んでいない壁を作ったり、国同士の諍いを異世界から召喚した戦争代理人に死ぬまで戦わせたり、この国が一つに戻ればそんな理不尽な争いはもはや起きないはずだ。
「大丈夫。この世界で一番安全な場所、それは伊吹くんの側なんだから。私達は傷一つなく戦争に勝てるよ」
いやあ、そこまで言われるとちょっと照れるな。よもぎさんが思わず嬉しくなっちゃうことを言ってくれる。
「確かにイブキさんのハイペリオンは無敵ですけど、でもでも代理戦総会と本当の戦争は違いますって!」
「そうそう。これからの戦いのキーになる点はまさにそこだ。僕達はこの国に戦争を仕掛けるけど、戦争代理人として代理戦総会の延長でこの国のシステムと戦うんだ。戦争が終わった後、誰一人死なず、何も失われず、そして国の形だけが変わってる。そんな戦争だ」
テテがぐぬぬと唸るように下唇を噛む。
「テテのこともちゃんと守るから安心しな。大事な仲間だ」
「私はそんなこと心配してるんじゃありません! お二人のこと! いまの私じゃうまくポータルを開けないんです。間違って別な世界に送っちゃうかもしれないし、そもそも兄王様と戦争するって、そんな乱暴なことしなくたって」
「ハイハイ、話は後で。伊吹くん、早速お客さんだ」
よもぎさんが僕とテテの前に出てエレキギターを構えた。その先を見ると、二人の衛兵を引き連れた黒ローブ姿の若い男が走って来るのが見えた。テテが身につけている黒ローブと同じデザインだ。魔法研究舎の人間か。つまり、モウゼンの部下ってとこか。
そいつは僕達を見つけると、こっちを指差して全速力でわたわたと走って来た。
「僕がやろう」
コントラバスを抱くように構える。ガールブラストよりもハイペリオンの方が身体が大きい分だけ射程範囲も広い。僕達は本気なんだ。たとえどんな用件だろうと、有無を言わさず先制攻撃させてもらう。
弓を弦にあてがい、お腹から胸に駆け上がるような高く切れのある音をぶつけてやる。
黒ローブが何かを言おうと大口を開けたが、元々聞く気なんかない。ハイペリオンの剛腕で容赦なく彼らをなぎ払う。
「いやーもー!」
何故かテテが悲鳴を上げる。ハイペリオンの黄金の腕は僕の背後から伸び、駆け寄ってきた黒ローブ達を空気ごと巻き込んで廊下の壁に打ち付けた。
「テテ、大丈夫だよ。よく見ろ」
黒ローブ達は何にも触れないハイペリオンフィールドに包まれて、壁にもハイペリオンの腕にも触れられずに空間に張り付けにされていた。エアクッションに身体を固定されて飛び跳ねたカエルみたいな格好でジタバタともがいている。
「そ、奏者イブキ、それとヨモギ。モウゼン代行官が、今朝の騒動の説明を求めています! 今すぐ、執務室に、おこし下さい。モウゼン代行官がお待ち、です!」
それでも口だけは動くようで、黒ローブは釣り上げられた魚みたいに口をパクパクとさせながら一気にまくし立てた。
廊下を埋め尽くすような巨大黄金ゴリラは困ったように僕を見て首を傾げる。よしよし、今はまだ我慢だ。すぐにフルパワーで暴れさせてやるからな。
「僕達に用がある時はグラン少佐を間に通せって言ったよな」
ハイペリオンが腕をさらに振り上げる。壁に押し付けられていた黒ローブ達は天井まで持ち上げられ、蜘蛛の巣に捕まった羽虫みたいにさらに手足をジタバタと暴れさせた。
「いえ、その、モウゼン代行官の命令でしたので」
「関係ないよ」
よもぎさんがずいと進み出て、ハイペリオンの黄金の腕に持ち上げられて天井にへばりついている黒ローブ達に言った。
「モウゼンに伝えてちょうだい」
エレキギターに置いた右手から青いスパークを弾かせる。
「あんたには関係ないから引っ込んでな」
ガールブラストがニヤリと怖い笑顔を見せた。
輪王寺よもぎ語録。
「半端な気持ちでやるよりも、絶対やらないって決めることの方がいい」
僕達はやると決めた。決めたからには最後までやり抜く覚悟だ。どうする、モウゼン。半端な覚悟で首を突っ込めば痛い目見るぞ。