2
2
輪王寺よもぎ語録。
「迷わず最後までやり抜けば、どんな結果だろうとハッピーエンドになる」
市が主催する発表会を控えて、他校との合同練習会にて。
昭和の香りがする髪型や服装のセンスをフルに発揮して、すべての女子生徒が自分のファンであると信じて疑わない例の他校弦楽部男子部長の女子達のハートをむんずと鷲掴みしようとした練りに練った名台詞を、「バッカじゃないの」と一蹴したよもぎさん。うちの部員達は心の中で拍手喝采爆笑物だったけど、そのせいで少なからず敵も作ってしまった訳で。
例の男子部長(名前なんて言ったかな、まあその程度の名前なんだろうけど、仮にウザ夫くんとしておこう)を愛して止まなかった他校一部女子生徒達から、よもぎさんは陰湿な嫌がらせを受けたのだった。
合同練習を終えて帰ろうとしたよもぎさんの靴に濡れた雑巾がぎゅうぎゅうに押し込められていたり、休憩中にみんなでお茶してたらよもぎさんのコーヒーにだけ塩が入れられていたり、よもぎさんのバッグにいつのまにか腐ったブロッコリーがぶち込まれていたり。
犯人の見当はすぐについた。ウザ夫くんのファンクラブの女子数名だ。直接的な言葉や態度でよもぎさんに敵対してきた訳ではないけど、明らかな悪意を秘めてあれこれとよもぎさんを集中攻撃したのだ。ブロッコリーだけは意味不明だったけど。
しかしよもぎさんはそれらを凛として受け止めた。雑巾をきちっと洗って折り畳んで返して背筋を伸ばして濡れた靴で颯爽と歩き、チョコレートを大量に食べつつ塩コーヒーを澄まし顔で優雅に飲み干した。さすがにブロッコリーだけは笑わずにいられなかったようで、変に膨らんだバッグを抱えてクスクス笑いながら電車に乗ってたが。だって、傷んだブロッコリーのあのつぶつぶが見事に散らばって、よもぎさんのバッグの中がブロッコリーまみれになっていたのだ。あれは僕も笑ってしまった。ブロッコリーにあんな破壊力があったなんて。なんて見事な嫌がらせなんだろう。
ウザ夫くんはそれを知ってか知らずか、相変わらずウザったらしい言動でうちの女子達に精神的迷惑をかけていたが、みんなそれをきっちりと合同練習会最終日まで我慢した。
何故って、よもぎさんが毅然とした態度で嫌がらせを無視し、ウザ夫くんに対する態度を最後までブレることなく貫き通したからだ。
合同練習会最終日の帰り道。僕はよもぎさんと同じ方向だったので最後まで一緒に電車に乗っていた。他の部員達とも別れて二人っきりになった時、よもぎさんは大袈裟なため息とともにちょっとだけ愚痴った。
「あー、めんどくさかった! 何なのあの男。伊吹くんはあんな男になっちゃだめだからな」
「そんなにウザかったら、いつものように徹底的に叩いとけばよかったじゃないですか」
「んー。別に個人的な恨みはないし、あいつの音楽自体は悪くないし。それに最初の一言で私の言いたいことは言い終わってるし」
「あんなブロッコリーまみれになってまで黙ってるなんて、僕だってムカつきましたよ」
よもぎさんはブロッコリーまみれの教科書を思い出したのかお腹を抱えて笑い出した。
「一言僕に言ってくれれば、いくらでもやり返してやりましたよ。よもぎ先輩のために」
僕なりの精一杯のよもぎさんへの気持ちを告げてみた。
よもぎさんはちょっと意外そうな顔をして僕を見つめて、少し照れくさそうに笑って言った。
「自分の行動には自分で責任取らないと。どんな結果になろうと自分で責任取るって覚悟決めたら、どんなことだってできるから」
「そんなもんですか?」
「それにね、伊吹くん」
よもぎさんは横に座った僕の肩をぱんぱんと叩いて言った。
「迷わず最後までやり抜けば、どんな結果だろうとハッピーエンドになる」
今まで見たこともない優しい笑顔をみせてくれてよもぎさんは続けた。
「今の伊吹くんの気持ちが、迷わず最後までやり抜いた私への最高のご褒美よ」
そう。迷わないこと。それが大事だ。少しでも迷ってしまえば、自分の気持ちを貫き通せなかったら、もっと違う結果があったんじゃないかって後悔の気持ちが生じてしまう。
「迷わず最後までやり抜けば、どんな結果だろうとハッピーエンドになる」
だから僕達は迷うことをやめた。目標を達成するために迷わず突き進んだ。グラン少佐の信頼は確認できた。次はテテだ。あのちっちゃな金髪碧眼お下げおでこ魔女ッ子も僕とよもぎさんの計画の重要なキーとなるんだ。
「と言う訳で、テテ。あんたは何があっても私達の味方なんだからな。わかってるでしょ?」
よもぎさんが長い人差し指でテテの顎をくいと上げた。たぶん二人の身長差は20センチ以上あるだろう。すらっと背の高いモデルのような男と妹のようなちっちゃな女の子だったら、そのまま女の子は爪先立ちで目を閉じてー、なんてシチュエーションだが、今回はちょっと違う。よもぎさんが腰に手を当ててもう片方の手でテテの顎をくいと捕らえる。テテは自然と爪先立ちになってよもぎさんを見上げる姿勢になるが、足はプルプルと震えて大きな青い目には涙がタプタプに溜まってる。よもぎさんの顔はいじめっ子バージョンの笑顔だ。
これじゃどう見たってカツアゲの現行犯だ。
「……わかって、ます。だから、アレだけは、やめてください」
だからテテに何をしたんだよ、よもぎさん。
「もう許してあげなよ、よもぎさん。もともとテテが僕達を裏切るとは思えないし」
僕達は以前テテに教えてもらった鐘が三つ縦に並んでいる尖塔の魔法研究舎で待ち伏せし、下宿先から出勤してきたばかりのテテを誰よりも先に捕獲したのだ。だからテテにはまだ何の情報も入っていない状況だ。
出勤早々にいきなり乱暴な奏者二人組に捕まって人気のない建物の裏手に連れ込まれたんだ。まさにカツアゲ的状況だ。涙もこぼれるってもんだ。
よもぎさんが人差し指をつっと外すと、テテは文字通りに脱兎のごとく駆け出して僕の背後に隠れた。ちらっとよもぎさんの方を盗み見て、ばちっと目が合ってしまうと僕の背中にしがみついてまた隠れる。
「ててはほんとにいぶきくんがすきなのねえ」
よもぎさんの棒読みが何気に怖い。僕は背中からテテを引っぺがして少し膝を曲げてテテと視線の高さを合わせた。
「昨晩、何が起きたのか。それは僕達の口からは言えない。気になるなら自分で調べるんだ。ただ僕達は君の協力が必要なんだよ」
テテは鼻水をすすって小さな声でつぶやくように答えた。
「もう、元の世界に帰っちゃうんですか?」
僕達がテテに要求したことは、異世界へのポータルの設置だ。僕達の現実社会に帰るためにポータルを開いてもらわなければならない。
「うん。これから僕とよもぎさんがやることが終わったら、僕達はこの世界では必要なくなる。むしろ居てはいけないくらいだ」
テテの肩に手を置く。少しだけぴくっと身体を震えさせて、テテは涙を拭って僕を見つめ返した。
「でも時間が経てば、そんなことはどうでもよくなる。テテがポータルを開いて僕達を召喚してくれれば、僕達はいつだって喜んで友達に会いに来るよ。テテ専用のメガネを持ってな」
「本気ですか!」
本気ですってば。涙目だったテテの瞳がくりっと大きくなって力強い光が灯る。うーん、なんて現金でわかりやすい子だ。
「これから僕達がやることにモウゼンは絶対抵抗するだろうし、そうしたら帰りのポータルも開いてもらえないだろ?だからテテにお願いしたいんだ」
「お願い、テテ。伊吹くんの言う通り、テテだけが頼りなんだ。私達に力を貸して。……さもないと……」
両手で何かを揉みしだく動きをするよもぎさん。だからテテに何をしたんだよ。
「……イブキさん、ヨモギさんにもう私をいじめないって約束させて。そしたら、私、イブキさんの言うこと何でも聞きます」
「だってさ。よもぎさん、わかった?」
「……何かひっかかる言い方だけど、いいわ。いじめない。かわいがるけど」
「だってさ。テテ、わかった?」
「うー。あと、マジックアイテムのメガネも欲しいです」
しっかりと自分の要求を通そうとするテテ。なかなかいい度胸してるな、この子も。
「メガネは前に約束した通りちゃんとプレゼントするって。とにかく、交渉成立だな。僕達は仲間だ」
よもぎさんの手を引っ張ってきてテテとがしっと握手させる。テテはへへーとにやつき、よもぎさんもテテの手を握り締めてニヤリと笑う。
「で、お二人は何をするんですか?」
よもぎさんはテテを逃がさないようにしっかりと彼女の手を掴み、天使のような笑顔を見せてテテの耳元で悪魔のようにささやいた。
そのささやきを聞いたテテは顔面を真っ白にさせるが、ごめん、もう遅い。僕達は仲間だ。いまさら逃げるなんて言わせない。僕達の計画にテテの協力は絶対に必要なんだ。悪いようにはしないから。許せ、テテ。
よもぎさんの悪魔のささやきはこうだ。
「この国を滅ぼすのよ。私達のこの手で」