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 よもぎさんの手を強く握り締めて暗闇の壁をぶち抜くように走り出す。背後を振り返らず、記憶を頼りにひたすら月明かりを目指して。楽器を探して。

 ランタンのオレンジ色の光は走っているせいで暴れまくり、まるで救急車の赤ランプが明滅してるかのように狭い通路をめちゃくちゃに照らしている。そんな視界を、僕はよもぎさんの手を引いてサンダルをつっかけて走っていた。こんな状況じゃすぐに追いつかれてしまう。

 さあ、どうする?

 あの男は僕達の背後からやって来た。と言うことは、僕達は後を尾けられたと考えるのが妥当か。あの囚われの塔にいる時から見張られていたのか。どっちにしろ、こんな状況でナイフを持った暗殺者をまいて囚われの塔に戻ることは難しいだろうな。残された手は一つしかない。実力行使だ。でもナイフを持った相手に素手で挑むなんて無謀なことはできない。だとしたら、異世界の奏者の力を見せ付けてやるためにあの楽器を探すんだ。戦闘後の宴の時、この国の楽士達が弾いていたあの弦楽器を。楽器さえあれば、僕達にかなう相手はいない。

「追ってくるよ!」

 よもぎさんのかすれた声。

「わかってる」

 黒ずくめの男の目的が僕達であることは間違いない。散歩中の通りすがりの男だなんて訳がないし。ナイフを抜いている時点でもはや友好的態度は期待できないし。そもそもこんな夜中に黒ずくめの格好でうろついているなんて危険人物か変質者くらいだ。

 ランタンの灯りが通路の曲がり角を捕らえた。よし、この角を曲がれば厨房、晩餐会の会場と続く。あそこなら外に面しているからある程度月明かりもあるはずだ。とにかく目立つランタンをやっと手放せる。

 息が上がってきたよもぎさんの手を引っ張って角を曲がる。見えた。正面に青白い光がほのかに光っている。窓だ。月明かりだ。

「もう少し! 頑張って!」

 僕はランタンのシャッターを閉じ、走りながら足元に転がした。辺りが急に深い暗闇に沈む。

「灯り、消しちゃうの?」

「闇の中に隠れる」

 青白い月明かりのエリアにようやくたどり着いた。一瞬立ち止まって場所を確認する。うん、間違いない、あれは厨房の扉だ。

 背後で鋭い金属音と男が短く叫ぶ声が聞こえた。転がしたランタンに蹴躓いたな。ざまあ。

(こっち!)

 小声でささやき、よもぎさんの手を引いて厨房の扉を開けて転がり込む。厨房の中は当然人影もなく、しかしさっきまでの廊下と違って調理台や戸棚など身を隠せるものがたくさんある。いざとなったら武器になりそうなものもあるはずだ。

 窓から差し込む月の光は冷えた空気をざっくりと斜めに裂いて、誰もいない厨房を一枚の絵のように見せつけてくれた。僕とよもぎさんはとりあえず身を隠せる場所を探した。

(伊吹くん、あっち)

 よもぎさんが姿勢を低くして厨房の奥を指差した。あの扉は、確か、晩餐会の時の。

 その時、僕達が入って来た厨房の扉が開け放たれた。僕はよもぎさんの頭を押さえて流し台の影に身を潜めた。

 広い厨房には幾つもの調理台と流し台があり、食料庫も兼ねているのか木箱もたくさん積まれていて奥行きも深い。物音さえ立てなければそう簡単には見つからない、と思う。

 僕は床に座り込んで流し台に背中を預け、よもぎさんは僕の胸に顔を埋めるような格好で四つん這いになって息を潜めていた。自然と身体が重なり合う。全力で走ったせいで息も荒く、お互いに薄いローブを身に纏っただけのなかなか際どい格好なので、触れ合った部分の肌の温かさと柔らかさが手に取るようにわかる。よもぎさんの身体の起伏が肌で感じられる。荒い息を整えようと深呼吸する胸の動きと鼓動が直に伝わってくる。こんな状況じゃなければ、もう、理性が吹っ飛んでしまいそうになる。が、今はそれどころじゃない。

(よもぎさん、も少し走れる?)

 よもぎさんは僕を見つめてこくんと頷いた。そして視線を右に走らせる。そこにはさっきの扉。晩餐会の時に使った宴会場だ。あそこならさらに広いスペースにシルクを何枚も被せたような個室が幾つも連なっているし、ふかふかの絨毯が敷いてあるから足音もしない。それに何と言ってもよもぎさんも歌っていた小さなステージがある。あそこならば楽器をしまっておく倉庫なりなんなりがあるはずだ。

 僕は流し台の角からそうっと顔を出して黒ずくめ男の様子を窺った。月明かりがかすかに届く青白い厨房に動く影はない。どこからかかすかに物音は聞こえるが、目の届く範囲に黒ずくめの姿はなさそうだ。近くにいない。今がチャンスだ。

 僕が身体を起こそうとした時、よもぎさんが急に僕を押し倒して手のひらで僕の口を塞いだ。もう片方の手で自分の口を塞ぎ、目だけでぎょろっと広間への扉を指し示した。

 なにっ?

 目で訴える。よもぎさんは僕の口から手のひらを外し、その細長い指で耳たぶを突いた。

 耳? 音?

 ……。

 ……聴こえる。

 誰かいる。扉の向こうに人の気配がする。晩餐会の広間で誰かがうろついている。そんな音がかすかに聴こえた。もう一人いたのか?

(どうしよう?)

 よもぎさんが吐息のような小声で言った。瞳が震えている。僕達を狙った暗殺者は一人じゃなかった。二人いたのだ。これじゃ挟み撃ちだ。逃げ場なし。入ってきた扉も、広間に向かう扉もだめ。他の扉は部屋の向こう側だが、そこまで見つからずに移動できそうにない。

(隠れて!)

 流し台の下が収納スペースになっているようで、二人くらいなら無理すれば入れなくもない空間が空いていた。僕は姿勢をずらして収納スペースに身体を押し込め、よもぎさんの腕を引き寄せた。

(ごめんね)

 よもぎさんは僕に跨るようにして乗っかってきて、僕達は身体を密着させて流し台の下にぴったりと収まった。

(重いなんて言ったら殴るからな)

 完全に僕の上に乗っかったよもぎさん。まだ軽口叩くだけの余裕があるのか、それとも強がっているだけか。よもぎさんは僕の耳元で囁いた。

(はいはい、軽い軽い)

 実際のところ、やせ気味のよもぎさんの身体は頼りないくらい軽かった。それでも柔らかさが僕の身体にのしかかり、彼女の身体の起伏を否応なしに想像してしまう。いやいや、だから今はそんな場合じゃないんだ。僕は空いている片手で側に立てかけてあった戸板で流し台に蓋をした。でも、こんなんじゃ一時しのぎだ。出口を塞がれて丁寧に探せばすぐに見つかってしまう。

 とくんとくん。とくんとくん。よもぎさんの心臓の音がリアルに僕の胸に響く。身体をくっつけあっているだけに僕の鼓動もよもぎさんに伝わっているはずだ。思わず、じっと彼女の瞳を見つめてしまった。

(怖い?)

(ちょっと。こんな状況じゃなかったら、別な意味でドキドキしたかな)

(けっこう余裕だね)

(伊吹くんもドキドキしてるから、かえって安心できる)

(してないよ)

(してるって)

 と、僕の指に何か冷たい物が触れた。ガラスのボトルだ。指でなぞると紙のラベルが張ってあるのがわかる。一本じゃない。何本もある。ワイン、か? 引っ張ってみると、やはりワインだ。

(よもぎさん、ワイン見つけたよ)

(わ。もらって帰ろ)

 ん? ワイン、か。ワイングラス、さっきどっかにあったな。蓋にした戸板の隙間からちらっと覗くと、側の流し台の上に洗い終わって逆さに干してあるたくさんのワイングラスが見えた。

 ……一杯、やってみようかな。



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