3
3
「寝不足!?」
よもぎ先輩は照れ隠しなのか、きれいな長髪をもしゃもしゃと掻き回してくしゃくしゃの髪で表情を隠して言った。
「うん、まあ。お恥ずかしながら、それ以外考えられない」
代理戦総会を半ば強引に抜け出し、僕はよもぎ先輩をすぐに更衣室に運びベッドに寝かせた。その時すでに意識はなかったのだが、言われてみれば、確かに軽い寝息を立てていたような気がしないでもない。
「伊吹くんのおんぶがあんまり心地いいんで、寝ちゃった」
よもぎ先輩をベッドに寝かせて後のことはテテに任せ、僕はモウゼンとグラン少佐によもぎ先輩の体調不良を理由に今日の戦いをもう切り上げることを告げた。
グラン少佐はすぐに医者を手配してくれたが、当然のようにモウゼンは仏頂面だった。一言二言嫌味を言われたが、頭に来たんで犬が吠えるみたいに怒鳴り返してやったら、大人しい僕が怒ったことにびっくりしたのか、それっきり姿を見せなかった。
「すっかり眠っちゃって、もうスッキリして困っちゃうくらい」
よもぎ先輩はかぷかぷ笑ったよ。
もうすっかり夜もふけ、僕達はあの囚われの塔に戻り、寝室のベッドに寝そべってだらだらとおしゃべりしていた。
青白い月の光のせいでよもぎ先輩の顔色も青く染まっているが、瞳には光が戻り、声もみずみずしい野菜みたいにシャキッとしている。白いローブに身を包んで、ベッドに仰向けになってクスクスと笑っているよもぎ先輩は、しきりに眠れねーと繰り返した。そりゃあ、そんだけ眠れば十分だろ。あれからずっと寝っぱなしだったぞ。心配させやがって。
ああ、それにしても、寝不足って。寝不足って。ライブ戦闘中、ギターの速弾きしながらよく寝落ちできたもんだ。ある意味その図太い神経に尊敬してしまう。
「ごめんね。心配してくれた?」
「べ、別によもぎ先輩のことを心配した訳じゃなくって、ライブの途中だったから……」
「何そのツンデレ」
「うるさいなー。寝不足なら寝れ」
「寝ろ、でしょ?」
「寝れは最上級の命令形なの」
「先輩に、しかも部長に命令するなんていい度胸してるな」
「さーせん」
何がツボにはまったのかまたクスクスがぶり返してきたようで、よもぎ先輩はうつ伏せになって肩を小刻みに震わせた。
「そもそもなんで寝不足なの?」
「えー? えっとねー」
少しもじもじと身をよじる。
「花も恥らう乙女がさ、男の子とおんなじベッドで、こんな薄着だし、眠れる訳ないじゃん」
「いつもすぐにくーくー寝てるよ」
「あれはウソ。伊吹くんのイビキが聞こえるまで眠ってられないって。学校に戻ったら言いふらしてやる。伊吹くんのイビキってかわいいぞって」
「あらぬ疑いかけられるようなこと言わないでよ。そりゃあまあ、僕もドキドキして眠れなかったけど、僕ってそんな信用ない?」
「信用してるよ。だからこそ逆の意味で眠れないっての」
「逆の意味って?」
むくりと身を起こすよもぎ先輩。僕をじっと睨み付けてぼそっと言う。
「気付け、バカ」
そして枕にまふっと顔を沈めてしまう。
「ったく、エルミタージュもすごい心配してたよ。外傷がないから前みたいに治療してやることもできないとか言ってた。前みたいにって、どっか怪我したの?」
ふと、よもぎ先輩の笑い声が止んだ。しぃんと、夜の静寂が天窓から舞い降りてきたみたいに静かになる。この世界の夜は深い海のように静かだ。何もかもがゆっくりと沈んでいくように音がしない。
「まだ戦い始めの、エルミーとこっそり引き分け協定を結んだ頃」
よもぎ先輩がベッドにうつ伏せのままゆっくりと話し始めた。言葉を一つ一つ月の光の中に浮かべるようにゆっくりと。
「エルミーの種の弾が壁に跳ね返って、私のお腹に当たったの」
僕は思わず息を飲んだ。エルミタージュの種子弾は親指の爪くらいの大きさがある。それこそ銃弾並の威力があるはずだ。
「左の脇腹、背中からおへその脇を貫通しちゃった」
「本当? 大丈夫なの?」
「びっくりした。真っ黒い血がどくどく溢れてきて、これは死んだなって思った」
思わずうつ伏せになったよもぎ先輩の背中を見つめた。シルクのように薄いローブはなだらかな曲線を描いてよもぎ先輩の腰を包んでいた。
「……伊吹くん、いま私のおしり見てるでしょ?」
「うん」
「素直なのね」
「そんなことより、その後どうなったの?」
よもぎ先輩がむくりと起き上がった。足を斜めに揃えて背筋を伸ばし、細い身体を僕に向けて半身にした。
「エルミタージュが戦いを続けるフリして傷を治してくれたの。あの子、治癒能力をもってるでしょ?すぐには治らなかったけど、私の治癒力が強化されてそのうち傷も見えなくなるって言ってた」
かすかな衣擦れの音。よもぎ先輩はベッドに座ったままローブの前を開いて左肩を抜いた。よもぎ先輩の肌が露わになる。ローブはするりとなだらかな肩を滑り落ちて、よもぎ先輩は右の手のひらで小さな胸を覆い隠し、左の半身を包み隠さず僕の前にさらけだした。
「……見える?」
よもぎ先輩の素肌は夜色した月の光のせいで青白い水に濡れているようにささやかな輝きを放ち、彼女の吐息とともにかすかに膨らむ胸とほのかに漂ってくる石鹸の香りが、目の前の光景が絵画などではなく、ライブなんだと告げている。
「ここから、……こっちに」
右肩をローブに通しただけの無防備な身体をよじり、緩やかに膨らんだ腰に残った小さな火傷のような傷痕と、おへその脇にあるもう一つの皮膚のへこみを見せてくれた。
「傷は痛々しいけど、もう触っても痛くないくらい回復してる」
よもぎ先輩は身体をよじったまま俯いた。長い髪が音も立てずに肩を流れ落ちる。豊かな髪は青白い月の光に染まった素肌を真っ直ぐに覆い、きらきらと艶やかに輝いて見えた。
僕はベッドに脚を投げ出して大きな枕に身を預けて何もできないままよもぎ先輩に見惚れていた。
よもぎ先輩は胸に置いていた右手をゆっくりと膝に下ろした。脱ぎかけのローブと髪の毛で胸を隠すような格好で、よもぎ先輩は僕を真正面に見据えてかすれた声でささやいた。
「……触ってみる?」
僕はよもぎ先輩の呪文のような言葉に誘われるまま身体を起こし、瞬きもせずに僕を見つめている彼女に手を伸ばした。僕の手がよもぎ先輩の肌に触れかけた時、少しだけよもぎ先輩は力が入り身を硬くしたようだけど、僕の腕はよもぎ先輩の脇腹を撫でるように通り過ぎてベッドの上のローブを摑んだ。
「よもぎさん……」
僕は摑んだローブをたくし上げて彼女の身体を抱き寄せるように腕を回して着せてあげた。僕の手は情けないことに少しだけ震えていて、よもぎさんの身体も僅かに震えていた。
「もう、そんな辛い目には合わせないよ。よもぎさんの側には僕とハイペリオンがいるから」
よもぎさんの背中に回した腕に力を込めて彼女を抱き締めた。ローブの前がはだけたままだったから、よもぎさんの身体の柔らかさと温かさが直に伝わってくる。僕とよもぎさんの鼓動がどんどん早くなっていくのがわかる。
「僕が守るから」
よもぎさんは無言でこくんと頷いてくれた。
が。
しかしだ。
僕としては紳士的で大切な人を大事に思うと言う当たり前の行動だったのだが、よもぎさんの思い描いていた未来予想図とはちょっと軸がずれていたようで。
「……違うって」
「……何が?」
僕はよもぎさんの身体を離し、肩に両手を置いて真正面から顔を覗き込んだ。
恥ずかしさからか、照れからか、それとも怒りからか。よもぎさんの顔は真っ赤だった。
「君はほんっとに草食動物かっ! いや、食物連鎖の底辺かっ! 植物プランクトンかっ!」
「え、何が?」
ぐいと身体を引き離される。よもぎさんはローブの前を合わせて、プイッとそっぽを向いてベッドから転がるように降りてしまった。
「押し倒すくらいの度胸みせな。バーカ!」
子供みたいにあっかんべーって舌を見せて、サンダルをつっかけて階段に手をかけるよもぎさん。何かわかんないけど、けっこうな勢いで怒ってるな。
「そんな格好でどこ行くの!」
僕は慌ててよもぎさんを追いかけた。
「厨房に寝酒盗みに行くの! 飲まなきゃ寝られないわ、もう!」
「だから、よもぎさんっていくつってば!」
お酒は二十歳を過ぎてからだってば。
「永遠の17歳! どーせいつまでたってもお子様よ!」
えーと、どこで何を間違ったんだろう?ひょっとしてせっかく立ったフラグをへし折ってしまったのだろうか。
「僕も行くよ。待って、よもぎさん!」
「バアアアアアカッ!」
夜に響く彼女の叫び声は、静寂と言う大地に染み込む雨水のようにあっという間に姿を消し、僕は巻き戻せない時間の針を未練がましく見つめるゼンマイ仕掛けの人形のように、蜃気楼の向こう側に霞む彼女の後ろ姿を追いかけるしかなかった。とか言ってみたりして。
ほんとに、何がいけなかったんだろう。