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 校舎を出ると陽の光が直接肌に突き刺さり、セミの声が一層暑苦しく耳障りに感じられた。夏休み前はあんなに待ち望んだセミのフルコーラスなのに、もう一生土の中にひきこもってくれ。

 このくそ暑い中、全国レベルの強豪女子サッカー部とソフトボール部が若くしなやかな身体を惜しげもなく晒して汗をほとばしらせて、弱小男子野球部をグラウンドの隅っこに追いやっている。そしてそのど真ん中をエレキギター片手に大胆に肩と背中を大きく露出させたセクシーなコスプレ衣装で闊歩するよもぎ先輩と、BGMにはドナドナがぴったりな僕。ドナドナドーナードーナー、仔牛をのーせーてー。あ、結局草食動物か、僕は。

 コントラバスのケースがやけに重く感じられるのは、運動部連中の奇妙なモノを見ないフリをしつつもじっくりと観察する視線のせいだろう。

 グラウンドのど真ん中を手を繋いで歩く男女。美しい青春ラブストーリーか。しかしその実態は、女王様ランキング第一位の三年女子が、草食系男子ランキング第七位の二年男子をひきずるように学園の裏山方面に連れ込もうとしているのだ。

 はたしてどんなうわさが流れるか、考えたくもない。

 せっかく妹にしたいランキング第一位の宮島ちゃんと二人きりで練習して親密度を高めたり、アイドルデビューさせたいランキング第一位の高山と演劇の打合わせと称して喫茶店でスイーツなど突きながらフラグ立てたり、そんな甘ったるい夏休みのスタートダッシュを期待したのに。

「よもぎ先輩、どこ行くんですか?」

 無駄だと知りつつ五回目の質問タイム。さっきからよもぎ先輩は「大丈夫」としか言ってくれない。

「いいから」

 お、台詞が変わった。ループが終わって別ルートに入ったか。

 セクシーコスプレで部室に華々しく登場した時、よもぎ先輩は宮島ちゃんに「伊吹くんは私と合宿に入るからしばらく学校来れないって先生に伝えて」とだけ言い残して僕を拉致ったのだ。それから、「大丈夫」と「いいから」しかよもぎ先輩の声を聞いていない。

「いいからって、せめて説明してくださいよ」

 落ち着いて考えれば、すらりと背が高くもっと胸のサイズがあればモデルのような体型のよもぎ先輩のナマ足なんてレベルじゃないナマ背中が目の前にあるんだ。説明を求めるよりもじっくりとその背中を鑑賞してもいいところか。大きく背中が開いた黒のドレスはよもぎ先輩の細い首のところでリボンのように結ばれて彼女のしなやかな肢体を覆い隠している。たまにちらりと僕に振り返る時、下着を付けていないのか、ドレスの脇部分からささやかな胸の丸みの輪郭が見えてしまう。思わず目のやりどころに困って俯いてしまうが、やっぱり、見てしまう。きれいで柔らかそうな背

中だな。首のリボンを解いたらはらりとドレスが脱げちゃったりするのかな。触ったら、たぶんあのギターで殴られるんだろうな。繋いだ掌に汗をかいてしまうのは暑さのせいだけじゃないな。

「大丈夫」

 よもぎ先輩はまた同じ台詞を繰り返し、今度は大きく振り向いて僕の目を見ながら明るい声で言った。

「これは私の夢の中なんだから安心しな」

 いやいや、無理無理。そんな台詞、かえって僕を不安にさせるって。かわいいけど彼女にしたくないランキング第一位のよもぎ先輩と手を繋ぎながら、健康的なエロスを感じさせる背中から腰のラインを堪能させてもらい、僕はよもぎ先輩の夢の中を歩かされている訳で。


 真夏の日差しが降り注ぎ、運動部員達の視線が集中するいろんな意味でホットなグラウンドを真一文字に横断し、よもぎ先輩と僕は学園の裏山にある小さな社へと続く小径にたどり着いた。相変わらず何の説明もないまま、よもぎ先輩は僕の手を引っ張り続けた。

 これは私の夢の中って言ったって、僕自身の今この瞬間の感覚、雑木林の木陰が涼しいとか、よもぎ先輩の手って柔らかいとか、そう言った現実感はいったい誰のものになるのか。決まってる。僕の現実だ。このリアリティが他人の夢の中だなんてあり得ない。

 僕はよもぎ先輩が社の前で立ち止まって手を離してくれたその隙に、意を決してそっと手を伸ばした。これが夢なら、何か劇的なストーリーが待ち構えていてもおかしくない、はず。

 ……ぴと。

「ひゃんっ!」

 思いがけずかわいらしい悲鳴を聞けてしまった。それに想像以上にしっとりと吸いつく素肌。

 よもぎ先輩は両腕でギターを抱きかかえるように身体をひねって僕に向き直った。

「こら!触るなら触るっていいなさい!びっくりした」

 ほんの少し顔が赤くなっているようにも見える。またまた予想外のぐっとくるリアクション。これは全部夢説もあながち否定できない展開になってきたぞ。

「えーと、じゃあ、触ります」

 僕はここが攻めどきとばかりに言ってみた。よもぎ先輩は今更ながらギターで素肌を隠すように身をねじって僕から一歩遠ざかる。

「いいけど、それなりの報復はするから」

「じゃあやめときます」

 夢でもギターで殴られたら痛そうだ。話題を変えておこう。

「で、こんなとこに連れてきていったい何なんですか?それにその格好は何のコスプレですか?」

 裏山に鬱蒼と生い茂る雑木林を縫うように伸びている小径をあるくこと五分。運動部の夏合宿で肝試しによく使われる古びた社が僕達の目の前に鎮座している。何の由来があるのかも、そもそも誰かが管理しているのかも不明だ。

「もうすぐ解るから。とにかく今言えるのは、これは私の夢だってこと」

 よもぎ先輩は僕にギターを手渡して小さな社の観音開きの扉に手をかけた。

「伊吹くんは私のために戦えばいいの。それだけよ」

 それだけって言われても理解できる要素が何一つない。戦うって、いったい誰が? 何と?

「さっき宮島ちゃんに合宿って言ってましたけど、この小さなお社で練習ですか? よもぎ先輩、エレキじゃないですか。アンプは? そもそもここって電気通っているんですか?」

 僕の矢継ぎ早の連続質問を、扉に手をかけたままじっと背中で聞いているよもぎ先輩。黙ったままならまた触ってやる。いや、触るどころかついーっと指を這わせてやる。

 しかしよもぎ先輩はくるりと振り返り、僕を真正面から見据えた。ヒールの高いブーツのせいだろう、175センチある僕と目線があまり変わらない高さにある。

「ヴィヴァルディの四季と言ったら誰でも聴いたことある名曲だけど、伊吹くんは言葉であの曲を説明できるか? 言葉だけで他人に理解させられるか?」

 突如音楽が脳内再生される。音楽の授業で必ず扱われる言わずと知れた名曲だ。クラシック初心者でも頭に風景の広がりがイメージできてしまうほどの楽曲だ。

 でも。僕は曲を言葉でイメージしてみようとしたが、それは無駄な努力だった。言葉が出て来ない。音は頭の中と心の中で映像に変換されて極彩色の花が咲き乱れる春の風景を思い描かせてくれる。しかし、文字は出て来なかった。言葉でこのイメージを伝えることはできない。

「そう」

 よもぎ先輩は僕の心を見透かすように頷いた。

「私も言葉では説明できない。理解させるには実際に音楽をぶつけるしかない。だから、これから何が起こるか、私は説明しない。伊吹くん自身が体験して、理解して」

そしてよもぎ先輩は社の扉を開け放った。そこには非日常が文字通り渦巻いていた。

 木造の小さな社。何かしらの神像でも祭られていたのだろうか、扉には消えかかった難しい漢字が見える。僕とよもぎ先輩が二人で入れば自然と肌を触れ合わせるしかないほど小さな社だ。この中に二人で入るのか、と少し期待してしまったが、扉の向こうに渦巻く空間を見ると、足を前に踏み出すことができなくなってしまう。

 扉の向こう側にはかなり奥深くまで続くレンガ造りの床と壁が見えた。ただし全体がぼんやりと霞がかっていて、そんな風景がぐるぐると回転している。じっくりと見ていると吸い込まれるような感覚に陥ってしまう。

「なに、これ?」

 社を外から見る限り、奥行きなんてほとんどない。高さだって手を伸ばせば天井に触れられるくらいだ。しかしゆっくりと渦巻く石造りの空間は相当奥まで続いている。天井は全然見えない。時折、空間が波打つように歪み、社の扉が呼吸しているかのように周囲の蒸し暑い空気が吸い込まれているように感じられる。僕は思わず一歩後ずさってしまった。何か巨大な生物に飲み込まれてしまうような圧迫感が迫ってくる。そんな僕の手をとり、ぐっと力を込めて握り締めるよもぎ先輩は静かに言う。

「大丈夫。私は向こうに行って、そして帰ってきた。飛び込む瞬間、ちょっと生理の時の貧血気味のめまいに似た気持ち悪さがあるけど」

「僕、男だからそんなのわかりませんて」

「考えるな、感じろ」

「無理無理」

「いいから。男の子でしょ。行くよ!」

 よもぎ先輩はごつい篭手を装備した細い腕を僕の腕に絡ませ、胸を押し付けるようにして僕の肩を抱き、どんっと地面を蹴った。そして僕達は日常から離脱して、あちら側へと落ちていった。


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