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コントラバスのケースから津波のように溢れ出る巨大な黄金のゴリラ。ちょっとばかり、いや相当にシュールな絵だな。見る見るうちに狭い地下室はゴリラで満たされていく。
「おい、ちょっと、待てって!」
叫びながら慌てて部屋の隅に下がっていくフェルドラ達だが、ゴリラの到達スピードの方が速そうだ。ゴリラ警報発令! ゴリラ警報発令! あっと言う間にゴリラで彼等が見えなくなる。
「あれ?」
やばっ。僕にもハイペリオンが迫って来た。
羽毛布団をふわっとかけられたような感触が怒涛の勢いで押し寄せてくる。踏ん張ろうにもハイペリオンの触れないフィールドのようなモノに身体が持ち上げられて、抵抗できないままに空中を滑って持ち運ばれる。
まずい。この地下室はハイペリオンには狭すぎた。このままじゃ全員ゴリラで窒息か。死因はゴリラを喉に詰まらせて、だなんてシュール過ぎだ。
勢いよく壁に押し当てられる、その寸前に全身を空気がやや抜けた風船で覆われる感触がして壁との激突は避けられた。感覚的にはエアバッグのようなモノか、ハイペリオンの何者にも触れることができないフィールドは僕自身にも有効なのか。
地下室いっぱいになったハイペリオンだが、それでもまだ全身現れていないようでどんどん膨らもうと地下室のゴリラ密度を高めていく。と、ハイペリオンの身体が相当柔らかくぐにゃりとひしゃげて、四角い木箱に入れて育てたスイカが四角くなりましたー、の一歩手前まで行ったところで、ハイペリオンの身体の一部が地上に向かう階段を覆った。
「ハイペリオン、一回、外出ろ!」
ハイペリオンは一応僕の思い通りに動かせるが、僕自身が今のところ思い通りに動けない状況だったので声で命令してみる。
ズルリ、この部屋にあるもの全てが充満したハイペリオンに引き摺られるように階段に向かった。
スライムをたぷたぷに溜め込んだバスタブの排水口の栓を抜いたみたいに、最初はゆっくり、徐々に加速し、スライムゴリラは取り込んだ僕達ごと一気に階段を駆け上って広大な大地へとほとばしった。
ちゅるんって地下室の階段から飛び出した僕達は、空中で姿勢を立て直す暇もなく、バラバラと石畳の道路へとばら撒かれた。
「痛っ、くないか」
道路に落ちる瞬間、思わず力が入って身体を固くしたが、まだハイペリオンフィールドは有効だったようでふわっと軟着陸成功。
窮屈な地下室から解放されたハイペリオンはまるで大きなあくびをするように背筋をぐいっと真っ直ぐにして両腕で大空を支えるみたいな伸びをした。
「よし。ハイペリオン、街のみんなに挨拶してやろうか」
僕はハイペリオンを見上げながらコントラバスを身体に添えた。右手の弓を弦に静かに乗せる。左手はコントラバスと肩を組むようにして指の腹でコードを抑える。
ゆっくり、深呼吸。
強く、コントラバスの胴体をぶった斬るように強く弓を押す。
ハイペリオンは一瞬だけ屈んだかと思うと、音を立てずに大きく跳び上がった。手近な建物で一番背が高い鐘撞塔の屋根によじ登らせる。
弓を押し切ったらすぐさま折り返して引く。力任せにのこぎりで丸太を切断するのとは違い、なだらかな孤を描く弦の支えを乗り越える度に身体を振ってリズムを取り弓を丸く動かしてやり、左手のコードをどんどん音階の高みへと駆け上らせる。
ハイペリオンは屋根の上で大きく胸を張り、両手で力強く筋肉の盛り上がった胸を連打した。自分の強さをアピールするゴリラの特徴的行動の一つ、ドラミングだ。
僕はハイペリオンのドラミングに合わせて登りつめた音階を収束させ、一気に叩きつけるようにコントラバスの出せる最大の音を引き出した。音階も何もない、楽器の猛々しい叫び声だ。僕の叫びに呼応してハイペリオンも雄叫びを上げる。
街中に響き渡った二つの叫びが静まる頃、僕とハイペリオンを知らない者は誰もいなくなるだろう。
この叫び声とハイペリオンの姿で僕の現在地をよもぎ先輩に知らせることができたはずだ。後は向こうから見つけてくれることを祈ろう。
「さて、パルプンテ教団の皆様は?」
ハイペリオンは鐘撞塔の天辺で腕を組み、太陽を背にして街を見下ろしていた。僕はゴリラの視線の向く先にフェルドラ達の姿を探した。僕と同じくハイペリオンフィールドの作用で、何にも触ることなく無傷で地下室から放り出されたはずだ。
街に突如現れた金色ゴリラの咆哮に、街の人々が仕事の手を止めて何事かと集まってくる。その民衆に混じって呆然とハイペリオンを見上げている鼻デカとロンゲの姿を見つけた。そして果物が散乱した露店に情けなくも座り込んでいるハゲ。Vネックはいち早く戦闘態勢に入ったのかやる気まんまんな顔付きで僕に向かって来ている。
フェルドラとミックスジュースお姉さんの姿が見えない。逃げたとは思えないな。僕の勧誘に失敗したから作戦は次のステップに入った、と言うことにしといてやろう。
「じゃあ、まずはVネックの相手をしてやるか」
コントラバスを抱いたまま、びしっ、右手の弓でVネックを指す。
「来な。へこましてやるよ」
くいくいと弓で挑発。それだけで頭に血を上らせたのか、Vネック
は顔を真っ赤に染めて突進してきた。
僕は弓を持った右手を弦に添えて、コントラバスのネックに近い部分の適当な弦を指で軽く弾いた。
ぴんっ。
鐘撞塔の天辺にいたハイペリオンがさらに高く空を舞う。空中でくるり、身体を一回転させて急降下。
三階建てクラスの巨大な図体しているくせに、ふわり、軽く砂埃を舞い上がらせるだけで音もなく着地したハイペリオンは、慌てて足を止めて逃げの体勢に入ったVネックにちょこんとデコピンした。
「ぐわっ!」
丸太ん棒のような太さのハイペリオンの指に弾かれたVネックは、
風に吹き飛ばされる枯葉みたいに軽々と宙に舞い上がり、一回転、二回転、そしてひねりを加えて三回転目で果物屋二階部分の壁にぶち当たった。
だけど木造の壁が壊れることもなく、Vネックの身体はぺちっとつ
きたてのお餅みたいに引っ付いて、そのままズルズルとずり下がって落ちていった。石畳に尻餅をついたような姿勢で目をぱちくりとさせているVネック。
「痛くなかったろ?」
ハイペリオンフィールドのおかげで怪我はなさそうだな、うん。敵であろうと優しい僕に感謝してくれよ。
「どうしたの?もう終わり?」
ハイペリオンが鼻息を荒く吹き出す。Vネックは勇敢にも立ち上がったが、巨大なゴリラを目の前にして立ちすくむ以外できることはなさそうだ。
「く、くそったれがあ!」
Vネックのお下品な言葉遣いに、僕はハイペリオンを低く構えさせて応えてやった。巨大黄金ゴリラはぐいとあごを突き出し、眉間にぎゅうっとシワを寄せ、ギラリ、真っ白い犬歯を剥き出しにして、Vネックのつま先から頭の天辺までガン見する。おそらく異世界だろうと通じる怖いお兄さん方が得意とする威嚇のポーズだ。
思わずVネックが一歩足を引く。そりゃ引くよな。こんなでかい生
き物に睨まれて引かない奴はいないだろう。
「そんなんで国を変えるとかほざくなよ」
勝負あり、かな。さすがにVネックは戦意喪失したようだ。
と、後ずさるVネックの背後に突然人影が現れた。厚底でヒールの
長いブーツにミニスカート。両方の袖をだらりと地面に届きそうなほど伸ばし、両サイドで結んだ髪はまるでコイルのように螺旋を描いている。ご存知よもぎ先輩のガールブラストだ。
「よもぎ先輩! どこ行ってたんだよ、もー」
「……伊吹くん、宮殿に帰ったら部屋で正座して待ってろよ」
「あ、はい。調子に乗ってすんません」
よもぎ先輩は果物屋の角からひょいと顔を出した。
「ふん。で、こいつが敵?」
「敵っていうか、パルなんとか教の一人。言っとくけど、こいつらから喧嘩売ってきたんだからね」
「まあ、売られた喧嘩をきっちり買った点は誉めてあげる」
僕が考えていた方向とは全然違う道から来たようだ。どうやら完全に方向感覚を失っていたか。僕がいるところがメインストリートだと思ってたのに。
「何だ、こいつは!」
Vネックが背後のガールブラストに気付いて、反射的に拳を突き出してしまった。ヒールとコイルのような髪の毛を合わせて軽く2メートル越えのガールブラストは右手の袖でぱちんとVネックのパンチを無造作に弾く。
確かガールブラストの特殊能力はチャージアンドディスチャージ。右手で吸収し、左手で自在に編集して、放出。その右手でVネックのパンチを防いだ。と、言うことは。チャージが始まったんだ。
「おい、やめとけって。そいつは相当危険な女の子だ」
僕の純粋な親切心からの忠告もVネックには届かなかったようだ。Vネックの攻撃は続く。右の拳の次は左のフック。大きく腰を使ってガールブラストの細いウエストをえぐるように打ち込む。しかしガールブラストはよもぎ先輩の爪弾くギターのサウンドに合わせて、ハエでも追い払うようにその左フックを右袖で受け止めた。
筋肉男であるVネックの渾身の左フックがマッチ棒のように細いガールブラストの右手一本で軽々と止められる。それが信じられなかったのか、Vネックは次々にパンチ、キック、体当たりを繰り出した。ああ、もうやめておけ。ガールブラストの右袖が十分に膨れ上がり、パワーはチャージされまくりだ。
「よもぎ先輩、手加減してあげてね」
「敵に情けをかける必要なし」
彼女はニヤリと笑った。
「完璧に心をへし折ってこそ勝利よ」
ぐんっとガールブラストの右袖の膨らみが移動した。右肩から胸へ。一気にバストのカップが膨らんだかと思うとすぐに萎んで、左袖が見る見るうちに大きくなっていく。
「明後日まで吹っ飛びな」
よもぎ先輩がギターを振り上げる。ガールブラストは溜まりまくった力を一気に放出した。一瞬で視界から消えるVネックの大きな身体。やばいって。強過ぎ。
ハイペリオンがサッカーのキーパーのように横っ飛びして、吹き飛んだVネックの身体に両手を振り上げて飛びついた。ハイペリオンはVネックの身体に触ることはできないけど、壁に激突することはこれで防げるはずだ。ぽーんと弾むVネックの身体をハイペリオンはひょいひょいとお手玉して落っことさないようにする。
「あらあら。伊吹くん、優しいこと」
「生身の人間相手に本気出しちゃだめじゃん。僕らは異世界からやって来た奏者なんだから」
「知らないよ。私らに喧嘩売ってくる方が悪い」
ハイペリオンは衝撃で気絶しているVネックのぐったりとした身体をそこらへんの建物のベランダにひっかけた。そのうち気が付くでしょ。
「さて、伊吹くん。ハイペリオンを操作する練習に行くよ」
「練習? これから?」
「そ。グラン少佐にパルテスタ教導団のアジトの場所聞いたの。一度、ガールブラストのフルパワーを試してみたかったんだ。行くよ」
この人、やる気だ。完全にパルテスタ教導団とやらをへこます気だ。