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 光が音を立てるとすれば。きっとそれはサラサラときめ細かい音を奏でるんだろう。

 天窓から注がれる月の光が僕とよもぎ先輩に降り積もる。僕はよもぎ先輩に返す言葉を探すのも忘れて、粉雪のような光が彼女の素肌を流れ落ちていくのをただ見つめているだけだった。

「この服ってね」

 よもぎ先輩がささやいた。吐息ほどの小声だけど、光が降り注ぐ音が聞こえそうなほど静かなこの空間ではそれで十分だ。

「胸のリボンとか、脚のヒラヒラとか、すごくかわいいんだけど、着替えるのが面倒でね」

 よもぎ先輩は夜の色を吸収するように青白く光を放つ腕を胸のリボンへ持っていった。よもぎ先輩が動く度に揺らめく影のせいで、降り積もった光がふわっと舞い上がっているように見える。

「着替えるのに、いちいち裸にならなきゃならない。恥ずかしいから、

あっち向いててくれる?」

 するり、リボンが解ける。身体に何回転も巻き付けた透けるような薄衣を解くよもぎ先輩を見つめたまま、僕は時間を止められたみたいに動けないでいた。シルクのような光沢のあるオレンジ色を透かして、よもぎ先輩の胸の肌色が見てとれるくらいまで服が解かれて、やっとスイッチが入って僕は慌てて彼女に背を向けた。

「ごめんなさい。ぼーっとしてました」

「……見たいのかと思った」

 思わず畏まってベッドの縁に座り、背筋を伸ばして真正面の白い壁を見つめる。

「ちょっと、見たかったかも」

「だめ」

 目の前の白い壁は眩しい月の光でスクリーンと化していた。シルエットになったよもぎ先輩の影が、一枚の長い生地をすべて外して生まれたままの姿となり、テテが持っていたカゴからローブのようなものを取り出して袖を通した。

「もういいよ」

 よもぎ先輩の声にゆっくりと振り返る。ギリギリのタイミングで彼女はローブの前を閉じてきゅっと紐を結んだ。

「早いって」

 ローブを羽織る時に巻き込んだ長い髪を両手で背中から抜き取って撫でつけるように纏める。

「いいよって言ったじゃん」

「言ったっけ?」

 よもぎ先輩はカゴの中からもう一着ローブを取り出して僕に投げてよこした。

「伊吹くんも着替えな。バスローブみたいでセレブになった気分だよ」

 そう言って僕に背を向けて窓枠に手をかけた。僕は言われるままにそのセレブチックなバスローブに着替えた。うん、確かに肌触りが滑らかで心地いい。温泉旅館の浴衣なんかとは違うな。こんないいバスローブ着ちゃうと、手にブランデーグラスなんか持っちゃってくるくると琥珀色した液体を回したくなる。

「はい、お水」

 そんな思いが通じたのか、よもぎ先輩はバスケットから水の入ったガラスボトルとワイングラスを手渡してくれた。

「気がきくなー、テテは」

「うん。モウゼンなんかに付けとくのはもったいない子。私の秘書にしてあげたい」

 よもぎ先輩は少しトロりとした赤紫色の液体で満たされたボトルを取り出し、自分のグラスにとくとくと注いだ。

「乾杯しない?」

 ベッドに乗ってきてグラスを僕に向ける。僕もワイングラスを水で満たしてベッドに座った。

 カチン。澄んだ音が静かな夜に染み込んでいく。


 僕はベッドの壁側に、よもぎ先輩は窓側にそれぞれ腰掛けて、そして僕はそのまま仰向けに倒れ込み、よもぎ先輩はうつ伏せにベッドに飛び込んだ。それでも僕達の頭がぶつからないくらいベッドは広い。下手な車より大きいんじゃないか? どうやってこんな小さく尖った塔の天辺まで運んだんだか。

 仰向けにのままくいと首を後ろに反らせば、すぐ側に逆さまのよもぎ先輩の顔がある。僕達はお互いの逆さまの顔を見つめながらどうでもいいことを喋り合った。

 テテは興奮するとおもしろいよね。泣かせるともっとおもしろいよ。泣かせたの? 最初が肝心だからね、ガツンとーーー。

 グラン少佐っていい人かな? 僕には友達感覚で。私にはけっこうきつめ。そうなんだ。伊吹くんが好みなんじゃ? 受け? 攻め? まじやめてーーー。

 元の世界に帰ったらバンドやろ。ギターとエレアプだけの? バンドの名前は『ライオンとシマウマ』。僕がシマウマですね、いやだ。『トラとコジカ』。意外と語呂は素敵だけどいやだ。『ヘビとカエル』。もはや草食動物じゃなくなるし。『アンゲリカとシェヌー』。誰にも元ネタわかんないってーーー。

 アンゲリカってうまい? 怖くて食べられない。僕も。食べたら突然変異しちゃいそうーーー。

 女物の民族衣装エロいよね。男物は地味なのにね。ハダカに透ける布巻き付けるだけって。男物がそうじゃなくてよかった。引っ張ってクルクルあーれーで全裸よ。パンツはいてないの? そこに食い付くなーーー。

 エルミーとバローロにアドバイスしたでしょ?むしゃくしゃしてやった、今では反省してる。さすがコンサートや映画に行ったらうんちくがウザそうな男子第一位だって笑ったわ。そんなことないのに、うちの女子連中見る目なさ過ぎ。私がみんなに桧原伊吹はウザいって噂流してるから。うそ、なんで? そうすれば誰も伊吹くんを誘ったりしないじゃない? 意味わかんないし。君は私のために音楽やってればいいの。もっと意味わかんないしーーー。

 モウゼン殴りてー。私もーーー。

 やがてお互いの話も尽き、よもぎ先輩はこの世界にやって来た時のことを話してくれた。

「何もかもが怖かった」

 白い喉をこくこくと鳴らしてグラスを煽った。赤紫の液体がよもぎ先輩の身体に染み込んでいくようだ。月明かりの下でも少し頬が赤く火照っているように見える。

「いきなり戦えって言われても、戦いだなんて、喧嘩の仕方すら知らないのに」

 よくふざけて僕を蹴ったりしてる風にやればいいんだよ、とはさすがに言えなかった。

「逆らえる雰囲気でもなかったし。言いなりになって闘技場へ行ったよ。そしたら、私とおんなじような女の子がいるし」

「エルミタージュのこと?」

 よもぎ先輩は再びグラスを赤い液体で満たして、こくんと小さく頷いた。

「うん。カタカタ震えて、今にも泣き出しそうなボロボロの顔してた。かわいそうでかわいそうでたまらなかった」

 僕の知っているエルミタージュはやたら気が強くて、口がうるさくて、生意気で。とてもそんなイメージはない。同じくよもぎ先輩もだ。

「エルミーの必死に泣くのを堪えてる顔を見て解ったの」

 僕は仰向けのまま天窓を見つめた。群青色の明るい夜空に星が瞬いている。

「私が死なないためには、この子を殺さなくちゃならない。そんなの嫌だ。絶対に嫌だ」

 吐き捨てるようによもぎ先輩は言った。僕は天窓の星を見つめたまま右手をよもぎ先輩の方へ伸ばした。さらりとした滑らかな肌に触れる。よもぎ先輩は僕の手を握り返してくれた。温かな感触だった。

「きっと私も同じだった。私も泣きそうな顔をしていたはず」

 声がかすかに震えている。

「なんかね、キレちゃったのかな、私。急にムカついてきたんだ」

「なんで?」

「かよわい可憐な女子高生がなんでこんな目に合わなきゃなんないんだって。私は何不自由ない幸せな一生を過ごすに決まってるのに、こんなところで死んでたまるかって」

 ツッコミどころが幾つかあったけど、スルーしとく。僕だって空気くらい読める。

「そっとエルミーに耳打ちしたの。ずっと引き分け再試合にしない? って」

 たぶん、それがベストな選択だろう。勝ちたくない。でも負ける訳にもいかない。ならばそれしかないだろう。二人とも生き残るにはそれしかないはずだ。

「エルミーはすぐに理解してくれた。お互い同じ気持ちだった。殺したくないし、殺されたくもない。すぐに私達は仲良くなれた。同じ境遇の仲間だから」

 グラン少佐には、よもぎ先輩とエルミタージュがわざと引き分けにしているのはばれている。おそらくモウゼンにも。それでも二人は戦いに決着をつける訳にはいかない。

「二回戦、三回戦。数をこなしていくうちに、私とエルミーの中で、お互いの音楽に対しての興味が沸いていったの。そして、それは観衆にも広がっていったみたい」

「今日の盛り上がりすごかったなー。よもぎ先輩、かっこよかったし」

 闘技場での戦いでそれは僕も感じ取った。闘技場はまさにライブ会場だった。よもぎ先輩とエルミタージュの音楽が観客達の心を惹きつけて離さなかったんだろう。だから、わざと八回も引き分けを続けても、それが許される環境になったんだ。

「伊吹くんもかっこよかったよ」

 僕の手を握るよもぎ先輩の手にきゅっと力がこもった。

「そして、これでうまくいくと思ったの。このまま観客に私もエルミーも必要とされればって。でも、弟王側が決着を求めた。第二の奏者の戦闘参加って形で」

「バローロか」

 バローロは弟王側の潜行士に召喚されたんだろう。僕みたいに勝手に来ちゃった訳でなく。

「うん。バローロはいい奴だった。すぐにエルミーの下僕になっちゃって、私とエルミーの意図も理解してくれて協力してくれて。でも、問題は兄王側。つまり、モウゼンの奴」

 下僕か。バローロ、君も草食系かよ。もっと頑張れ。

「モウゼンが私と一緒に戦う奏者を新しく召喚しようとした。でも、それを私は拒んだ」

「うん、そこからはテテに聞いたよ。その件に関してはお礼を言いたい。僕を選んでくれてありがとう。信頼してくれてありがとう」

「うん」

 僕は仰向けからうつ伏せにごろんと寝返りを打って、よもぎ先輩と同じ姿勢になった。ベッドに向かい合ってうつ伏せる二人。

「本当に怖かった。泣きたくなるくらい怖かった。でも、もう大丈夫。伊吹くんが側にいてくれる。もう怖いものは何もない」

 よもぎ先輩は毛布に顔をまふっと押し付けて大きく溜め息をついた。そのまま顔を上げずに、毛布越しにくぐもった声でもう一度言う。

「もう怖いものは何もない。巻き込んじゃってごめん。でも、来てくれて、本当にありがとう」

「テテが言っていたよ。僕は特別なんだって。モウゼンが召喚したよもぎ先輩はある程度力を抑えられている。でも、僕はモウゼンに呼ばれたんじゃなくって、よもぎ先輩に連れてこられた。勝手にこの世界に乗り込んできたんだ」

 よもぎ先輩の手を強く握り締める。

「僕に制約は何もない。僕はこの世界では最強なんだってさ。誰も僕に、ハイペリオンに触れることすらできない」

 よもぎ先輩は毛布に顔を突っ伏したまま。でも、彼女のつむじに向かって僕は心を込めて言葉を投げかけた。

「よもぎ先輩は僕が完璧に守るよ」

「……」

「……」

「……」

「……」

 あの? 聞いてる?

「ふあぁ? なにぃ?」

 ゆっくりと緩慢な動作でよもぎ先輩は頭を上げて、とろんとした目を僕に向けた。表情全体が緩みきって、今にも溶けてしまいそうだ。

「え? 聞いて、ました?」

「誰があ?」

 えーと、何が起こっているのか。

「ひょっとして、寝てた?」

「誰があ?」

 僕は唐突にあることを思い出した。僕の目は節穴か! 今まで何を見ていたんだ? あまりの間抜けっぷりに自分に蹴りを入れたいくらいだ。

 ベッドの枕元に立てかけてあるボトルに目をやる。底にわずかに赤紫の液体が溜まっている。赤紫の液体。晩餐会でグラン少佐が飲んでいたものと同じ色だ。これは、ひょっとして……。

「よもぎ先輩、何を、飲んでたの?」

「えーとね、アンゲリカの涙ってワイン」

 アンゲリカ、華々しく復活! またおまえか! いやいや、違う違う。つっこむべきはそこじゃない。ワインってキーワードだ。

「ワイン? よもぎ先輩、いくつだっけ?」

「永遠の17歳」

 酔っ払ってる? ねえ、酔っ払ってる? お酒は二十歳になってから!

「え、て言うか、もう一本飲んじゃったの? いつの間に?」

 道理で頬が赤く染まるはずだ。道理でいつものよもぎ先輩と違ってかわいらしいと思った。

「うっせえな。伊吹、ちょっとこっち来い」

 ぐい、と、首根っこに腕を回される。スリーパーホールド一歩手前状態だ。そのままよもぎ先輩は身体を回して僕に後ろから抱きつく形になり、ローブがはだけるのも気にせずに両脚をがばっと開いて絡み付いてきた。

「今日から伊吹は私の抱き枕な」

 お互い身に纏うは薄いローブ一枚きり。もう、よもぎ先輩の身体の起伏が肌で解っちゃうくらいぐいぐい押し付けられる。幸せなような、しかしこんな状態でも何もできない自分が憎らしいような。やっぱり僕は草食系なんだろう。ああ、神様。せめてゴリラくらいの雑食系の力を僕にください。

 そして、いろんな意味でこんな状態で眠れる訳もなく、よもぎ先輩の寝息を耳元で聞きながら、僕は天窓の外がどんどん明るくなる様子をじっと見つめていた。

 ああ、もう朝か。

 僕の異世界での長い長い一日がやっと終わった。


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