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モウゼン執政代行官がシルクのベールをちょいとつまみ上げ、じろり、僕とグラン少佐を睨み付けるような目付きをした。ややそのまま僕達の出方を伺うように沈黙し、やがてしわがれた声で言った。
「奏者イブキ、少しよろしいか?」
よろしくない、と答えたらどういう顔をするんだろう。少し意地悪な僕がむくりと顔を上げたが、ただでさえあんまり好かれていない状況なのになおさら煙たがられるのもどんなものか。ここは素直に対応しておこう。
「別に」
イエスともノーともとれる曖昧な僕の返事に、モウゼンはほんの少し眉をしかめてからテントに入ってきて、今度はグラン少佐の方をじろり。
「グラン少佐。すまないが外してくれないか」
いちいち高圧的な態度のモウゼンに対して、グラン少佐は僕にだけふざけたしかめっ面を見せて少し間を持たせてからめんどくさそうに立ち上がった。
「はいはい、どうぞ」
一度テントを出かかって、思い出したようにアンゲリカの胃壁とナマビネリの大皿を両手に取った。ひくひくとまだ動いているし。
「もらってくぜ」
「もう、ぜひ」
謎のアンゲリカはグラン少佐とともに惜しまれながら舞台から退場した。機会があったらまた会おう、アンゲリカ。代わりにアトラミネイリア公国兄王側執政代行官モウゼンが丸いテーブルの僕の真向かいに立ち、座ろうともせずに見下ろしてくる。白髪が混じった濃い茶色の髪をオールバックに撫で付け、食事の席だと言うのに金で装飾された黒いマントを羽織ったまま微動だにしない。ふつうに立っていれ
ば身長は僕の方が高いが、こっちが座っている分自然とモウゼンを見上げる形になり、思わず姿勢を正して畏まってしまう。さっきまでの和やかな食卓とはうってかわってぴりぴりとした緊張感が場を支配する。
「きゃん!」
一瞬、モウゼンが可愛らしい悲鳴を上げたのかと思った。しかし難しいなぞなぞが解けなくて苛ついているような顔付きのモウゼンは、憮然とした口元どころか鼻の穴すら動かしていない。
「……きゃん?」
「……私じゃない」
ようやくモウゼンが腰を下ろすと、その背後に背の小さな女の子が控えているのが見えた。きゃん!の正体はこの子か。
「ごめんなさい。つまずいて、ひっくり返してしまいそうで……」
大きな皿を両腕で抱えるように持ったその子はぺこりと頭を下げて、頭を下げた姿勢のままスススとスライドするようにテントに入ってきて、僕の前にどんと音を立てて大皿を置いた。濃い目の金髪を何本も三つ編みにしている後頭部を見せつけるように、僕をちらりとも見ないでそのままバックステップしてモウゼンのやや後ろにちょこんと座る。
「この季節はアンゲリカの尻尾が産卵に備えてまるまると太る。今しか食べられない逸品だ」
モウゼンが自慢げに言った。大皿には人の腕くらいの太さの一見して粗挽きソーセージのブツ切りのような物体が湯気を立てていた。アンゲリカ、再び!
「卵産むのか、アンゲリカは」
「おお、そうだ。アンゲリカの卵も用意させよう。産み落とされる前の殻が柔らかいモノがあるはずだ」
アンゲリカとの思わぬ再会に動揺した僕の不用意な発言を素早く拾い上げるモウゼン。ご勘弁を。
「いやいや。それより、何か用があってきたのでは?」
慌てて立ち上がった金髪三つ編み少女を慌てて引き止める。そんな慌てる二人を冷ややかに見つめるモウゼン。
「奏者ヨモギが呼び寄せただけはある立派な演奏だった。初めての戦闘、ご苦労。感想など聞いておきたいと思ったのだが」
そんな険しい顔してご苦労って言われたって。グラン少佐は友達感覚で話せる部活顧問の若い教師って感じだが、モウゼンは普段声も聞いたことない教頭先生に呼び出されたような気分になってくる。
「感想はー、えーと、まだ何をしたらいいのか全然解らなくて苦労しました。はい」
「勝てばいいのだよ」
ぴしゃりと言い放つモウゼン。その威圧的な態度が僕の中で眠っていた反抗心に火をつける。
「簡単に言わないでください。勝つってのは相手の心を完全にへし折ってひれ伏させることです。一回の戦闘でそれはできない。何度も何度も実力差を見せつけてやらないと」
よもぎ先輩の言葉を借りてみた。もちろんよもぎ先輩は格闘家ではない。口は乱暴なところがあるけど喧嘩だってしない。ゲームでの話だ。携帯ゲーム機でみんなで対戦しようものなら、あの人はこっちが謝るまで止めない。
「ヨモギもそう言っていたが」
あ、やっぱり。
「では聞こう。いつ勝つのだね?ヨモギはそう言って8回も勝てていない」
「観客は盛り上がってるからいいんじゃないですか」
「勝つためにイブキを召喚したのだ。君は先程の戦闘で敵にアドバイスしていたな。どういうつもりだ?」
「えーと」
だんだん苛ついてくる。そっちが勝手に異世界に喚んだくせに、なんでここまで強く非難されなくちゃならないんだ?
「じゃああんたがやれば?」
僕は声のトーンを落として言った。フォークを手に取り、アンゲリカの尻尾のブツ切りに乱暴に突き立てた。そのまま強引に肉をむしり取り、モウゼンに突きつける。
「エルミタージュの弾丸をくぐり抜けて、バローロの武器をかわす。勝て勝て言うならあんたがあの場で戦えばいい」
怒るかな?尻尾にフォークを突き刺すと言う演出付きだ。けっこう効果はあると思う。しかしモウゼンは冷静だった。怒りに震えることもなく、額に血管を浮き上がらせることもなく。
「ヨモギも同じことを言っていたよ」
あ、やっぱり。
「自分の立場をよく考えるといい」
モウゼンはやや顎を突き出すようにして僕に余裕の笑みを見せつけた。嫌味な大人が子供の意見を大人の事情と言う奴でひねり潰す時の笑顔だ。
「素直にこちらの言うことを聞いておけばよかったと、後悔することのないようにな」
「生憎とあまのじゃくな性格で。ところでモウゼンさん」
腰を浮かせかけたモウゼンを呼び止める。
「何か?」
「アンゲリカってどんな生き物なの?」
拍子抜けしたように鼻で笑ってモウゼンは立ち上がった。
「我が国のことわざにこんなものがある。『地に落ちたアンゲリカの影に槍を刺し、空を仰がず』まさに今の君のようだな」
いやいや、意味不明だってば。ってアンゲリカは空を飛ぶのか。