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音楽ってのは生き物だ。そしてそれはとてもやっかいな奴だ。思い通りにならない気分屋かと思いきや、従順な恋人のようにつくしてくれる。僕らはそんな女神に誘惑された人間だ。さあ、甘い調べに酔いしれよう。
他校との合同演奏会のリハーサルの時、そんな台詞を吐いた奴がいた。おばさま受けしそうな昭和の香りがする甘いマスクのそいつは、すべての女子生徒が自分のファンであると信じて疑ってないようで、今回の合同演奏会で他校の女子の心も掴もうと考えに考え抜いた長い台詞だったようだが、よもぎ先輩が力強い視線とストレートな言葉で彼の思惑を粉砕した。
「バッカじゃないの?音楽は力でねじ伏せるんだよ」
よもぎ先輩の音楽は強い。とてもとんがっていて、それでいて硬い芯が通っているから突き刺さっても抜けたり折れたりしないでそのまま残ってしまう。そんな音楽と一緒に演奏してきたから、僕の音楽は独自の進化を遂げたのだ。よもぎ先輩の音楽が剛なら僕の音楽は柔だ。柔よく剛を制
す。まさにそこだ。僕の音楽は他の人の音楽を時には抑制し、そして時には活性化させ、時には丸ごと飲み込んでしまう。ともに演奏する人の音楽をコントロールするのが僕の得意技となったのだ。
演劇部の発声練習を狂わせてやったように、バローロのドラムのリズムをスローテンポなものにさせたり、エルミタージュの横笛のキーを低めに誘導したり、暴走気味になるよもぎ先輩のギターの手綱をしっかりと握ったり。
音楽をやっていれば、自分が奏でた音が他の人の音ときれいに溶け合った時の気持ち良さは知っているはずだ。その感覚は異世界の住人だろうと共通なものだろう。
強気な音楽のエルミタージュも繊細なリズムのバローロも、力強い旋律のよもぎ先輩も。いまこの瞬間の音楽を気持ち良く感じているはずだ。もちろん僕もだ。そして、観客達も。
音楽での戦いというのがよくわかった。僕達の表現する音でハイペリオン達は踊るように戦う。お互いの音楽が相手をへこまして打ち砕こうとする攻撃的なものであればあるほど、ハーモニーは生まれずにぎくしゃくとしたままで、ガールブラストもエバーグリーンも乱打戦のように殴り合い荒れっぽい展開となる。でもそこにきっちりとしたリズムのバローロのASDとしっかりとリードする僕のハイペリオンが加われば、音楽は統一感を持ってハーモニーを醸し出し、戦闘は乱打戦から軽やかなダンスへと変容して華麗な動きで観客達を魅了する。
よもぎ先輩が僕を必要とした理由が解った気がした。確かによもぎ先輩のギターだけじゃエルミタージュとバローロの音楽をコントロールできないな。
でも、今までに聞いたことも体験したこともない異世界のエルミタージュの演奏や、バローロのドラムのリズムをコントロールするのも相当きつい。油断すればついつい僕のコントラバスもつられて速くなったりしてしまう。
見れば、よもぎ先輩も全身汗でびっしょりで露出した肩に長い黒髪が乱れてへばりついて女子高生とは思えない危険な色気を放っていたり、エルミタージュの呼吸する髪の毛も大きく膨らんだり萎んだり、汗をかいているようには見えないが髪の毛からもくもくと蒸気を噴き出している。この闘技場ライブも軽く小一時間は続いているか。さすがに大柄なバローロは疲れた素振りなんかこれっぽっちも感じさせないが、女の子達はそろそろ限界かな。
僕はハイペリオンを大きく飛び上がらせた。電気を帯びたコントラバスの重低音を長く響かせてぐっと力を溜め込む。
ハイペリオンがガールブラストとエバーグリーンとの間に割って入るように舞い降りて、両腕で空気を掻き分けて目に見えない空気の津波を唸らせた。ガールブラストもエバーグリーンも滑るようにハイペリオンの触れない身体に押し出され、空気の波にさらに身体を押されてお互いの距離を大きく離した。
そこでコントラバスの重低音を一瞬だけ跳ね上げるようにしてぴたりと止める。
リードを取っていた僕のコントラバスが不意に止んだのに気付いて、肩で息をしていたよもぎ先輩がギターから手を離した。続いてエルミタージュもバローロもそれぞれ演奏する手を止める。
「えーと、エルミタージュ」
緑色した呼吸する髪の毛の少女に声をかける。エルミタージュは汗一つかいてない涼しい顔で首を傾げたが、その髪の毛は大きく揺れてもくもくと蒸気を吐いている。あれが彼女にとっての汗なんだろう。
「君の笛はとても長く呼吸が続くせいか音をずっと出し続けることができるみたいだね」
「それが?」
エルミタージュは自分の笛をちらりと見て言った。
「音と音が連続し過ぎていて音階の区別が付きにくい箇所があったぞ」
僕が聞き慣れた笛の音色は五本指で息継ぎしながら演奏するものだ。それと違って、彼女は六本の指で音を操作し、呼吸する髪の毛のおかげで音を出し続けることができる。だからこそ、考えられない勢いで駆け上がる音階や不安になるくらい続く音色が彼女の音楽の特徴だろう。
「君の世界の楽譜に休符ってのはあるかな?休符は休むための音符じゃない。無音って音を表すものだ。休符を活用すればもっと君のメロディにキレがでてくるはずだ」
目をぱちくりとさせて指をくるくる動かすエルミタージュ。よし。ちゃんと人の話を理解しようとする気持ちはあるようだ。こう言う時は反論の隙を与えずたたみ込むに限る。
「音を休ませることで次の音を強調できる。エルミタージュならもっと感情的なメロディを吹けると思うぞ。で、バローロ!」
何かを言おうと口を開けたエルミタージュからすっと話の矛先をずらす。気を反らされたエルミタージュも意表を突かれたバローロも僕の言葉を黙って聞くしかない。会話の主導権はずっと僕にある訳で。
「バローロの場合、力強いドラムの連打ってのが最大の魅力だ。ほんと生身の人間が叩いてるとは思えないくらいすごい」
生身の人間っていうか異世界の住人だけど。肩から腕の関節折れてるんじゃないかってくらい気持ち悪く動き回る。何度見ても慣れることなくうわって思ってしまうぞ。
「バローロの力強さはリズムをリードするにはもってこいだな。ドラムはメロディを奏でられないけど、音楽を引っ張ってく力がある。でも、ちょっと力が入り過ぎてるとこが気になったな」
エルミタージュがバローロを見てうんうんと頷いた。
「ドラムを弱めるところはとことん弱めてエルミタージュの笛の引き立て役に徹して、その代わり前に出るところでは遠慮なく力一杯連打。そうすれば楽曲全体にメリハリもでてくるだろ?」
「そうよ!あんたの太鼓があたしの邪魔してる時があるの」
「いや、そんなことは、ないと思うが……」
「あ、る、の!」
「あー、いやー、そうか?イブキ」
エルミタージュがこっちのペースに乗っかってきた。エルミタージュの甲高い声にバローロは肩を縮こませて全面降伏。図体はでかいのに肩の関節が異常に柔らかいので、すごく小さくなって文字通り恐縮しまくってみえてかえって気の毒になってしまう。
「ハイハイそこまで!」
会話の主導権をよもぎ先輩が見事にかっさらった。パンパンと手を叩きながら乱入してきたよもぎ先輩は、びしっとエルミタージュを指差して高らかに言い放つ。
「今日も引き分けってことにしてやるよ。伊吹くんに教えられたこと、次までしっかり練習してくるように!」
有無を言わせない強引で一方的な勝利宣言にも聞こえるぞ、それって。
納得いかないように眉毛をきゅっと寄せて唇をとんがらせたエルミタージュだが、さくっと気持ちを入れ替えて観客席に手を振っているよもぎ先輩の後ろ姿を見て何か諦めたように小さく笑った。
「イブキ、怪我してない?」
エルミタージュはぶわっと広がった緑色の髪を撫で付けながら聞いてきた。少し声を潜めて周囲を気にしながら。
「僕?いや、全然平気だけど」
おかげさまで。ハイペリオンも結局誰からも触れられず誰にも触れず、砂埃一粒付いてない。
「怪我したらいつでも言ってね。治療ならあたしの得意技だから」
「そうなの?敵なのに」
少し驚いたようにエルミタージュは目を丸くした。またちらっとよもぎ先輩の方を見る。よもぎ先輩は兄王側、弟王側分け隔てなく観衆の声に手を振って応えていた。
「ヨモギ、何も言ってないの?あたしとの約束とか」
眉をひそめて小声で耳打ちしてくるエルミタージュ。ふわりと緑の葉っぱのような香りがした。
「何もって、何を?」
「何をって、何も?」
いまいち会話が成り立たない。いったい何のことを言っているのか、エルミタージュに聞き返そうとしたが、闘技場の入場ゲートからグラン少佐と衛兵達が近付いて来るのが見えた。エルミタージュもそれに気付いたようで、緑色の髪が触れるくらい頬を寄せてきて小さくささやいた。
「とにかくヨモギに全部話せって言っといて」
やっぱり新緑の香りがする。エルミタージュってひょっとして動物よりも植物に近い生き物なのか?
「あとアドバイスありがと。あんたの言うこと聞くってのが癪に触るけど、練習してみるね」
しかも軽いツンデレですか。
弟王側のゲートからも何人かの兵隊が歩いてくる。一応、僕達とエルミタージュ達は敵同士のはずだ。馴れ馴れしくしているのも何かと問題ありそうだ。エルミタージュも同じ考えなのか、ぷいとそっぽを向いてそれっきり視線も合わせようとせず、よもぎ先輩のお尻を軽く蹴飛ばして逃げるように弟王側の衛兵達と合流した。ずっと小さくなっていたバローロも僕に頭を下げて彼女の後を追いかけていった。
「エルミー!次こそ泣かしてやるから!」
ちょっと楽しそうに悪態をついて、よもぎ先輩は汗に濡れておでこにくっついた前髪を整えながら僕の側で小声で言った。
「ま、こんなもんよ」
「こんなもんって、結局よもぎ先輩は何一つまともなこと言ってくれなかったじゃないですか」
「そう?うまくいったからいいじゃん」
「エルミタージュも言ってました。後で全部話してよ、ほんと」
「いいから、伊吹くんもみんなに挨拶する。みんな伊吹くんの音楽への拍手なんだよ」
そこでようやく僕は気が付いた。ぐるり360度、僕達を取り巻く闘技場の観客達が大きな拍手を湧き上がらせていたことに。
音楽への集中を切らしたせいか、いつの間にかハイペリオンもガールブラストも姿がなく、僕とよもぎ先輩だけが拍手の雨あられを全身で浴びていた。
「どう?初陣の感想は?」
僕は握りこぶしを作り、それを高く突き上げた。観衆の声がさらに膨れ上がる。知らなかった。拍手の音って、身体にバチバチと音を立てて当たるんだ。
よもぎ先輩も拍手が身体を打つ音を楽しんでいるようだ。まぶたを閉じて、細い身体を少し反らすようにして長い黒髪を歓声になびかせて。
きれいな人だな。
改めて思った。いろいろ怖い人だけど。
ふと、妹にしたいランキング一位の宮島ちゃんやアイドルデビューさせたいランキング一位の高山のことを思い出した。彼女らとたわいもないお喋りをしていたのは今日の午前中だ。
それがどうだ。まだ同じ日だと言うのに、何の因果か女王様ランキング一位のよもぎ先輩と異世界の勇者様だ。宮島ちゃんと一緒に帰ってランチしたり、高山と打ち合わせしながらスイーツをつついたり、高校生らしい甘酸っぱい夏の思い出作りはどうなってしまうんだ。
僕は率直な感想を女王様に告げた。
「お腹減ったー」
蹴られた。