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第1章 非日常はヒールの音とともに 1

   第1章 非日常はヒールの音とともに

 

   1

  

 真夏の日差しに焦がされた空気を含んだ風が、開け放たれた窓からゆっくりと吹き込んで白いカーテンを大きく膨らませた。そのふくよかな膨らみを見て、ふと僕は、まるで巨乳じゃないか、などと思ってしまった。もう、暑くて暑くて、まともに思考が働かない。

 やがてカーテンははちきれるようにひらめいて、暑くて湿った風をセミの鳴き声と演劇部の発声練習の声とともに部室内に送り込んできた。

「あーえーいーおーうー」

「みーみーみーみーみーん」

 まるでセミと競い合っているかのように発声練習をする隣の演劇部。そのほとんどが女子部員なので、発声練習の声は甲高く、まさに黄色い声と言ったところか。

「よし、この声を邪魔してやろう」

 僕はコントラバスを抱え直し、隣に座る後輩に声をかけた。演劇部は言うなれば学園内でも大手部活だ。県が主催した演劇コンクールで高い評価を得て、部員数も文科系部活にしては大所帯。我が少人数弦楽部とは規模が違う。その大所帯の発声練習のせいで、こっちの練習がどうにも狂わされてしまう。

「邪魔って、どうするんですか? 伊吹先輩」

 バイオリンをそえて首を傾げる宮島ほなみ。小柄な身体付きなのでバイオリンがやや大きく見えてしまう。僕が抱えるコントラバスを持たせたら、きっと楽器の影に隠れて姿が見えなくなってしまうだろう。

 宮島ちゃんはこの弦楽部部室にいる僕以外の唯一の部員。夏休みの練習は受験を控えた三年生は自由参加。もともと部員数の少ない弦楽部は残りの二年、一年だけで頑張るしかない。かと言って、市が主催するストリートジャズフェスティバルに参加する曲目すら未だに絞りきれていない現状で、しかも夏休みの練習は自主的に集まろうだなんて中途半端な目標を掲げてしまったので、このくそ暑い部室には僕と宮島ちゃんの二人しかいないって訳だ。ああ、弱小弦楽部に未来はあるのか。まことしやかにささやかれているうわさ通り、来年度には吹奏楽部に吸収されてしまうのか。

「未知との遭遇って映画、観たことある?」

 僕は弓を構えて宮島に聞いた。彼女は即座にふるふると首を横に振る。自然な栗色した長い髪がきれいに揺れた。

「じゃあさ、こんなメロディー、聞いたことない?」

 僕はコントラバスを奏でた。低く、静かな音が蒸した部室内に染み込んでいく。てててーでーてー。映画「未知との遭遇」でUFOとの交信に使われた音階。てててーでーてー。

「あ、聞いたことあります、それ」

 宮島ちゃんの艶やかな髪が今度は縦に揺れた。

「いい? 五つの音にうまく合わせるよ」

 僕が指揮者のように弓を振るうと、宮島ちゃんは悪気なんてこれっぽっちも感じさせない笑顔を作ってバイオリンに弓をあてがった。栗色の髪が一房さらさらと頬に流れる。

「あーえーいーおーうー」

「てーてーてーでーてー」

 僕のコントラバスの低音と宮島ちゃんのキーの高いバイオリンの音色は、優雅さを感じさせるほど絡み合って溶け合って、演劇部の発声練習の音階を見事に奪い去った。あーえーいーでーてー。こんなんでリードを奪われるなんてまだまだ甘いな、演劇部よ。

 思わず笑い出した宮島ちゃんの跳ねるような笑い声を聴いていると、隣の部室の扉が開き、ベランダを駆けてくる数人のスリッパの音が近付いてきた。

「ちょっとー、何しちゃってくれるのー」

 窓から顔を出したのは演劇部次期部長にしてクラスメイトの高山今日子だった。以下数名の演劇部員が彼女に習って窓枠から身を乗り出してくる。窓をいっぱいに塞がれて急に風通しが悪くなり、室内の温度がぐんと増した気がした。それにしても三階のベランダは直射日光バリバリで、それでも彼女達は暑くないのか、女の子達で肌も密着させて健康的な身体をきゅっと押し付けるようにして窓枠に陣取っている。ほんの少し窓枠になりたいだなんて思ってしまった。まずい、暑さで冷静な判断ができていないぞ。

「あらあら、伊吹くんと宮島ちゃん二人っきり?手取り足取りプライベートレッスン中?」

 暑さで冷静な判断ができていないのはお互い様のようで、大所帯の演劇部部長は少数精鋭の弦楽部の現状を把握できていないらしい。三年生の抜けたくそ暑い夏休みの自由参加練習なんて二人集まるだけでもレアだ。

「宮島ちゃん、気をつけなよー。いくら草食系男子だからって二人っきりになったら伊吹くんだって牙を剥くわよー」

 草食系男子。耳にする度に僕の怒りゲージが溜まる単語だ。近いうち超必殺技を打てるまで溜まるぞ。

「えー、伊吹先輩はそんな人じゃないですよ」

 バイオリンを抱いて小さな身体をくねくねさせる宮島ちゃん。そんな人ってのはどっちにかかるんだ? 牙を剥くか、草食系か?

 うちの学園は三年前まで女子校だったせいもあり、未だに女子の方が圧倒的に数的優位に立っている。生徒会も部活動部長会議でも女子達が実権を握っている。そんなパワーバランスの下、男達はただ黙って品定めされるがままの日々が続いていたのだ。そう、あの日までは。

 ある日、自称スーパーハッカーなる男子生徒が生徒会の運営する学園サーバーにハッキングを仕掛け、巧妙にカモフラージュされたファイルを見つけた。それこそまさに、一部の女子達による男子ランキング投票サイトだった。

 各種さまざまなランキングがあり、投票数から推理するにまだまだ一部の女子しか参加していないようだが、そのえげつない数字の羅列は男達の学園内におけるヒエラルキーを如実に語っていた。

 抱かれたい男子、抱かれたくない男子、この辺りはまあ順当なランキングだとして、チャラい男子ランキング、隠れオタクランキング、女装させたいランキングなどなど、我々男子生徒の結束を粉砕する攻撃力を誇っていた。

 そして我々男子生徒は女子生徒による悪政に反旗をひるがえそうではないか、とレジスタンスを組織し、地下に潜りささやかなテロ活動を行うこととなった。

 そのテロ活動とは。女子による男子ランキングの逆利用だ。好感度ランキングを逆利用してどこぞの男子がどこぞの部の女の子を見事攻略し陥落させたとか、地味な成果を喜びあっていたりした。そしてこちらも負けじと女子ランキングのサイト作成だ。

「あ、そうだ。伊吹くんてさー、弦楽部次期部長でしょー?」

 と、ひとしきり宮島ちゃんをいじり倒した後、アイドルデビューさせたい女子ランキング堂々第一位の演劇部次期部長の高山今日子は僕を指差した。

「後期学期の始めにみんなで話し合う予定ですけど、きっと伊吹先輩に決まりますよ」

 僕の代わりに答える妹にしたい女子ランキング堂々第一位の宮島ほなみ。

「でしょー。そこでねー、今度の演劇コンクールでやるシナリオでねー、生演奏を組み込みたいのよー。友情出演お願いしたい訳なのー。弦楽部のみんなに」

 普段は舌足らずなくせに舞台の上ではやたらはきはきと台詞を繰り出す高山は、両手を合わせて片目をつぶって見せてくれた。うう、さすがアイドルデビューさせたい女子ランキング堂々第一位。ちょっとくらっときてしまう。

 ちなみに僕、桧原伊吹は、メガネ男子ランキング第五位、草食系男子ランキングベスト第七位、隠れオタクランキングベスト8入賞、そしてコンサートや映画に行ったらうんちくがうざそうな男子ランキング堂々第一位の栄冠に輝いた。大きなお世話だ。またゲージが溜まるぞ。

「うん、それはおもしろそうだな」

 心の中で高山に向けて超必殺技のコマンドを入力しつつ、僕はちらりと部室の時計を見上げた。

「お昼に上がろうと思ってたから、その時に僕から先生に話しとくよ」

 高い評価を得ている演劇部の舞台で演奏できるんだ。弦楽部への評価も注目も上がると言うもの。

「ほんと? ちなみにー、どんなの弾けるのー?」

 高山は図々しくも演劇部の面々を引き連れて部室になだれ込んできた。しかしその図々しさが嫌味に感じられないところが、さすがアイドルデビューさせたい以下省略。

 弦楽部の狭い部室の人口密度が一気に上昇し、部室温暖化をさらに著しく際立たせた。加えて女子率も急上昇し、どことなく甘い香りが漂ってくる。ここら辺は警戒されない草食系男子ランカーのなせる技か。草食系とやらを演じてきた甲斐があったというものだ。

「弦楽器だから速いのとかヒップホップはできないけど、たいていのなら大丈夫だよ」

 コントラバスを抱えて高山に向き直る。それに合わせて宮島ちゃんもバイオリンを首に当てた。

「何かリクエストは?」

「じゃーねー『世界で花は一つでいい』がいいな。サビだけでもいいよー」

 なかなかえぐい選曲で攻めてくる。ここら辺の図太さもさすがアイドル以下省略。

「オーケイ。宮島ちゃん、できる?」

「大丈夫です」

 妹にしたい女子ランキング第一位の宮島ちゃんと視線を合わせ、呼吸を合わせ、せーのっと小さく呟こうとしたその瞬間、部室の外から聞き慣れない音が響いてきた。

 僕はふと弓の動きを止め、ついその音に意識を集中させてしまった。何か堅い物が勢いよく廊下にぶつけられているような、一定のリズムでこちらに近付いて来る。

 何の音だろうと、宮島ちゃんも高山を始め演劇部の女の子達も部室の扉を見つめて動きを止めている。

 ハイヒールか。僕は気付いた。誰かがハイヒールを高らかに鳴らしながら歩いている。そして、部室の扉の前でぱたりとその音は止んだ。

 一瞬の空白の後、非日常が扉を開け放った。

 黒と白のモノトーンが真夏の日差しにまぶしかった。真っ黒い髪は穏やかな湖面が陽光を反射させるように光のリングを放ち、その長い黒髪に包まれた小さな顔は真っ直ぐに僕を見つめていた。強い力を持った切れ長の目が僕を捕らえて離さない。

「伊吹くん、わたしと来い」

 小さな唇が凛と言葉を放った。有無を言わせない圧力のこもった言葉が僕に叩き込まれる。

 細い両肩をはだけさせ、すらりと背の高い身体は真っ黒いまるで液体のように流れるドレスに隠されている。これから仮面舞踏会にでかけるような、非日常的エロティックな美しさが白い肌を飾っていた。ドレスの裾からヒールの高いブーツが覗いている。ブーツはベルトを幾重にも重ね、しっかりと部室の床を踏みつけていた。しかし異様なのはその両腕。肘から下はごつい金属に覆われていた。中世の騎士を思わせる篭手を身につけ、片手には銀色のエレキギターを握り、もう片方の指先だけ露出した篭手で僕を指差した。まるでコスプレだ。

「もう一度だけ言う。伊吹くん、わたしと来るんだ」

 男子解放戦線地下組織ランキングにおいて、女王様ランキング堂々第一位、黒いタイツが似合う女子ランキング堂々第一位、かわいいけど彼女にしたくないランキング堂々第一位、命令されたい女子、および命令されたくない女子ランキング堂々第一位、弦楽部部長、輪王寺よもぎ。

 始まったばかりの夏休み、僕の日常がもろくも崩れ去った瞬間だった。

片手間に書き下ろしてますんで、ちょいと更新が間延びするときがあるかも知れませんが、末永くお付き合いくださるとうれしいです。よろしくお願いします。

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