エリザベス編 後編
エリザベスを片腕に抱いて守ってくれた異世界の神様と名乗った男性は、双子の女神を一瞥するとその中性的な美貌をエリザベスへと向けた。双子の女神よりもさらに神秘的で美しい顔がエリザベスに微笑みかけていた。エリザベスを掴んでいたはずのフィリップは少し遠い場所で「痛い!痛い!」と言いながら転げ回っている。
「間に合ってよかったよ。あ、ボクの事は気軽にナリスって呼んでね。大神様と母上から状況を聞いてたんだけど、どうにも年寄りは話しが長くて、間に合わないかと思ったよ。全く、大神様も後悔してるんだったら、もうちょっと状況見て早くしゃべってほしかったよ」
「……えっと、ナリス様でよろしいでしょうか。あの、その、異界の神様??…男性、でよろしいのですよね?」
その美貌に似合わずにずいぶんと親しみやすい口調、というか、庶民のような口調に驚きながらも、全く状況が飲み込めないエリザベスが恐る恐るナリスに尋ねた。顔立ちは中性的なのだが、男性だと思った理由は、彼がこの国の学生と同じようなブレザーの男性用の制服を着ていた為だ。髪の毛も女性というには短めなので、総合的に判断して男性だと判断をした。
「そう、この世界を創られた創造神である大神様がボクに君たちの救出を依頼してきたんだ。あ、ボク、男の子だよ」
どうやら性別はちゃんとあっていたようでエリザベスは少しほっとした。
「わたくしたちの救出、ですか?」
「うん。今まであそこの双子に殺された女性たち、その魂の全て。安心して、彼女たちは大神様の元へと送ったから後は後悔しまくりな大神様が何とかしてくださるよ。現実世界に生きてるのが君だけだったから、ボクが急いで来たんだ。ごめんね、これでも十分に急いだんだけど、少し遅くなったせいで君に怖い思いをさせたね」
優しく微笑むナリスにエリザベスは「とんでもない」と言って慌てて首を横に振った。どうやらこのナリスと名乗った異世界の神様は今まで殺された女性たちの魂を救出してくれたらしい。双子の犠牲者は生きている自分だけのようだ。
「お前!お前は!!」
双子の女神の姉の方が目を見開いて怒っている。
「何怒ってるの?お前らのやってきたこと、大神様は全部知ったからね。たかが管理者の下っ端の女神とも言えない存在のくせして調子に乗りすぎなんだよ。神力も神格も弱々しい存在だね」
呆れたような口調の言葉とともに、エリザベスを見る目とは全く違う氷のように冷たい目が双子に突き刺さった。
「ひ、ひぃぃぃ!!」
妹女神の方が慌てて逃げようとしたが、何かに躓いたようにその場に転んだ。
「あ、あれ?て、ててて転移できない!!!」
焦った声が聞こえるが、その声も引きつっている。
「逃がすわけないでしょー。もー、ホント、おバカさんだね、自分たちとボクの力の差もわかんないの?下っ端すぎて涙が出そうだよ。なんで大神様からうまく隠れてたのかなーって思ってたんだけど、力なさ過ぎて引っかかりもしなかっただけなんだね」
自分たちの主神とも言うべき双子の女神だが、力ある神だというナリスにしてみれば力のない下っ端でしかないようだ。そしてその『何をしていても上の存在に引っかからない程度の力しかない』という双子の女神の神格や神力が他の神から見逃されてきた理由らしい。
「それに勝手に愛と平和の双子の女神って名乗ってるんだって?そんな属性も力もないくせに」
「黙れー!黙れ!私たちがこの世界の神だ!!」
怒りの感情にままに姉女神の方がナリスに向かって神力の塊を放出した。
確かに自分たちは目の前のこの異世界の神に比べたら、生まれながらに持っているその存在も神格も劣るのだろう。だが、自分たちは長い年月、この国で信仰の対象となってきたのだ。神はより多くの信仰があれば力が強化される。信者の数が力の差に如実に出てくるのだ。今の自分たちの力はこの世界を創造した大神にも匹敵する力を持った、そう確信していた姉女神は大神から派遣されてきたという異世界の神だと名乗った男に力を振るった。
「お前如きに私たちが殺されるとでも思ったの!力の差を思い知るのかお前の方よ!!この国は私たちのものなのよ!!」
この神力を食らったナリスが粉々にちぎれ飛ぶ様を思い浮かべて姉女神は恍惚の表情をした。
だが、姉女神が放った神力の塊はナリスがエリザベスを抱いていない方の腕を横に一振りしただけで霧散した。
「……は?」
姉女神が呆けたような声を出したが、ナリスからしてみれば神力に差がありすぎる以上、当然の出来事だった。
「なんで呆然とするかなー?さっきから言ってるでしょ、元が違いすぎるんだって」
悔しいがこの男の言う通り、この神は自分たちよりは上位の存在なのかもしれない。だが、この場所はずっと双子の女神が信仰の対象となっていた国だ。この場所での主はこちら、従はあちらで、それはつまりこの男には制限がかかるはずなのに、姉女神の放った力はいとも簡単に霧散させられた。
「うそ。ここは私たちの場所。いかにお前が異世界の力ある神とはいえ、この世界から見れば異質の存在。なのになぜお前の方が強いの!?」
本来であれば、たとえ異世界の神であろうともこの場所、というよりこの世界では自由に力を振るうことは出来ない。この世界の大神はただ1人しかおらず、その力を十全に発揮できるのは許された眷属のみ。その眷属である自分たちがこうまで簡単にあしらわれるとは思わなかったし、この世界に依存しているしている自分たちが負けるなど考えられなかった。
「なぜ?なぜ自分が属する世界ではない他の世界で自在にその力を振るうことが出来るの?」
異世界の神と名乗った以上、この世界からは異質なるものとして認識され、自ずとその力も押さえられているはずなのに、この少年は好き勝手に力を振るっている。
「やだなー、当然でショ。ボクは”番外”だよ」
「……え…?」
”番外”、今、目の前の神は自らそう名乗った。
彼が”番外”
あらゆる抑制から解き放たれた全ての世界でその力を思う存分発揮して良い存在。発揮することを許された、たった1柱の存在。善なる神にも悪なる神にも等しく降り注ぐ、天災。
「ば、番外の神…」
事の成り行きを見ていた妹女神が信じられないものを見るような目でナリスを見つめた。
双子も女神もその称号を持つ者がいることは教えられていた。
”番外の神”、その存在は神々にとっても死神にも等しい存在。時には助けてくれるが、最も有名なのは、その世界や存在といったものに終焉を告げる異質の神。
上位の神々だろうと下位の神にも慣れぬような存在の者であろうと彼は等しく終わりと始まりを告げる存在。遠い昔、太古の力ある神々に対する戒めとして生まれたとされる神。あらゆる理から外れた存在であるがゆえにあらゆる場所でその力を振るうことが出来るのだという。だからこそ、番外の神と呼ばれるのだ。
「あ…あぁ!!」
妹女神は両手で顔を覆って、昔、大神様が言っていた言葉を思い出した。
『番外だけは呼び出さぬようにしなければならない。もし、彼がこの地に来たのならばそれはこの世界かこの世界の神々である自分たちの終焉を告げる為だ。そうなったらもう止められないだろう』
そう言って自分たちを作り出した大神様は笑っていた。その番外の神が大神によってこの世界に送られてきた。つまり、大神は自分たちを見捨てたのだ、と。
「…ウソ、ウソ、よ。私たちは終わりなの?見捨てられたの…」
事態の飲み込みは妹女神の方が早かったようで、呆然としながらも自分たちに番外の神が送られてきた理由を察していた。
「ふ、ふざけないで!私たちがいなくなったらこの場所はどうなるのよ!!」
認めたくない姉女神の方は、ナリスが派遣されてきた理由を否定したがった。この場所は自分たち大神より与えられた場所。長い年月をかけてこの国の主神となった自分たちのことをいくら創造主と言えども自由にしていいわけがない。
「安心して。この地は、この世界の他の場所にいる者に委ねるか、場合によっては大神様の直轄地にするって言ってたから。、間違っても君たちをそのまま置いておくわけ無いよー」
ナリスの言葉に驚いたのは、エリザベスの方だった。
「他の神様…?恐れながらナリス様。、この世界の神というのはこのお2人だけでないのですか?」
「違うよ。この双子はこの世界の一部地域であるこの場所の管理を任されただけ。他の場所には他の管理者がいる。この双子はどうも自分たちの良い様に言ってるみたいだけど、他の地で神様として信仰されている管理者たちはもっとまともだから。横の繋がりがちょっと弱いようだから、そのことはこれから先、大神様が何とかすると思うよ」
もはや逃げる事を諦めた妹女神ががたがたと震えながらナリスを見ているのと対照的に姉女神の方はひたすらにナリスを睨み付けていた。
「さて、君たちの始末をとっととつけようか。君たちの劇場も終演だよ」
ナリスがこれが真の神力だよ、とでも言いたげに双子に向かって細い鞭のような力を繰り出すと鞭となった神力が双子を捕らえた。
「きゃぁぁぁぁ!!」
鞭が触れた部分から強力な雷が双子の体を貫通していった。
「あぁ、ああああああ!!」
もはや出てくるのは苦痛の声だけとなる。
「よぐーも!!よぐもヴァダジダチぇおーー!!!」
言葉にならない怨嗟の言葉がナリスを睨み付ける姉女神の方から漏れ出た。妹の方はもう意識を失っている。
「の、呪ってやるぅ!!お前を!神の呪いだぁ!!」
姉女神が呪いの言葉を吐いたが、ナリスは呆れて息を吐いた。
「イヤ、ボクも神だし。効くわけないじゃん。ってゆーか、むしろ自分たちの方が呪われてるよ?君たちの周りに渦巻く怨嗟の闇が見えないの?それじゃあこれから先、まともな精神じゃいられないかもね。まぁ、ボクとしてはどうでもいーんだけどネ。じゃーねー、後は君たちの上司に怒られなさい」
ナリスの言葉に重なるように苦しんでいた双子の女神の姿が消えた。同時にこの場にいる全ての人間が意識を失ってその場に倒れた。
「これは?」
「大丈夫だよ。今からあの双子の存在を消そうと思って。この国や周辺のあの双子を奉っていた人々の記憶をちょっといじらせてもらうよ。あの双子の女神は昔の女神、今現在では廃れた信仰の神って感じにしておくから」
記憶をいじるのなんて何でも無いという感じでナリスが言った。双子の女神がいなくなり、他の人間の意識が無くなったことでようやく安全と判断したのか、エリザベスを抱いていたナリスの片腕がようやく外された。
「わたくしの記憶も変わるのですか?」
「ん?お望みならそのままにしておくよ?でも今日だけでも変な絡まれ方してたし、思い切って忘れた方がよろしくない?」
身体が離れたとはいえすぐ近くにある綺麗な顔立ちを見ながら、エリザベスは少しだけ考えるそぶりを見せたが、首を横に振った。
「いいえ、出来ればこのままでお願いいたします。わたくしにとっても今日この日の記憶はとても大切なものだと認識しております。せめて、わたくしだけでも覚えておかなくては、と思いますので」
あえてエリザベスはこの記憶を、双子の女神を覚えるという選択をした。
「ですが1つだけお願いが。わたくしがこの方の婚約者であったことは無かったことには出来ませんか?」
記憶を維持する以上、さすがにもうフィリップの婚約者として振る舞い、いずれは結婚、という未来は無くして欲しい。初めに見捨てたのはフィリップだったが、最終的にエリザベスがフィリップを見捨てた。
「うーん、いいけど。そうするとこの国の寿命は減るよ?君は本当に国母になる人だったから、めんどくさいけど、ちょっとだけこの国の寿命と連動してるんだよね。君が次代を産むか否かでだいぶ変わるんだけど」
「そうですか。ですがわたくしはもう十分、振り回されました。それに双子の女神のおかげで今まで様々な事が変わってきたのでしょう?今更わたくし1人が何かしたところでこの国の命運はきっと変わりません」
静かに微笑んだエリザベスにナリスは満面の笑みで応えた。
「いいねー、その通りだよ。一応、大神様に伝えてって言われたから伝えただけだから、気にしなくて全然いいよ。君1人で変わる国の命運なんて初めから尽きてるんだから。君の言う通り、散々変わってきたんだからね。君は君の幸せを掴むといい。それがどんな形であろうとも君が幸せならそれで万事オッケーだよ。ボクの加護でよければあげるから好きに生きればいい」
笑顔のナリスがエリザベスの額に右手の人差し指をちょん、と当てた。
「はい。これでボクの加護が付いたから。大神様も君に関しては配慮してくれるよ。他国に行ってもそこの神様が歓迎してくれるだろうから、旅行とかどんどん行っちゃてね」
「はい、ありがとうございます」
貴族の淑女、王子の婚約者として今まで振る舞ってきて、心からの笑顔は忘れてしまっていたが今日からは思うままに笑うことが出来るのだ。エリザベスは心の底からこの婚約が無くなったことを喜んでいた。
「さて、こっちの始末をつけるね」
ナリスの手から柔らかい光を放つ光球が放たれた。
「巡り巡るは運命の輪。古き定めの道は閉ざされて、今、新たなる道が開かれん」
部屋の中全体、というより国中に光りが満ちて人々の中から双子の女神の記憶や今日の出来事が消えていく。上書きされたのは、大神の筋書きに沿った物語だ。知らぬ間に人々の記憶や記録といったものの中から神話の根底が覆り、新たな物語が記録されていった。
「はい、終了。っと、おっと、彼女も回収しないとね」
ナリスがよっこいせ、と抱き上げたのはリリア・モモニア男爵令嬢だった。
「あの、ナリス様。その子をどうなさるおつもりなのでしょうか?」
「この子、双子の姉の方に拉致されてたみたいでね。しかも、意識も奪って姉がやりたい放題だったみたいだし、よっぽど相性が良かったんだろうね。でも、この子はここにいちゃいけない存在だからね。ちょっと回収してあるべき場所に返してくるよ」
ナリスはリリアを浮かせて、彼女に神力を巻き付けた結果、ちょっとしたミイラが出来上がった。
「こ、これは…!まぁいっか」
他世界の見知らぬ女性のことなので、早々に放置の方向に軌道修正をする。さくっと元いた場所に送って終了だ。
「さて、ボクの役目は済んだからそろそろ帰るけど、後は大丈夫?今なら大判振る舞いで何かしてあげるよ?」
「いいえ、お言葉は大変ありがたいのですが、後は何とかいたしますので心配はご無用です」
今この場で意識があるのはナリスとエリザベスだけだ。どれくらいで他の人たちが意識を取り戻すかは分からないが、意識を取り戻すまでの間にエリザベスは姿を消すつもりでいる。
「そう。じゃ、帰るね。エリザベス、君の行く末に幸多からんことを」
自分の加護は与えてあるが、エリザベスが心の底から笑える日が来ることを願ってナリスは現れた時と同じように唐突にその姿を消した。
「はい。ありがとうございます。わたくし、逞しく生きてみせますわ」
隣国のとある貴族の方から求婚をもらっていたのだが、まだ自分は王子の婚約者で神殿に引きこもってばかりだったので、お断りの返事を書いたばかりだが、この際、少しだけ生国からの脱出を手伝ってもららおうと思う。そして、いつかナリスにもう一度会えたら、助けてもらってからの人生をどういう風に生きたのか聞いてもらいたいと思った。その為にもエリザベスは新たな道に進むべく、意識を失っている人々の合間を縫って外へと出て行ったのであった。