天狐の母
生まれて間もない赤子がむずがることもなく、目をきょろきょろさせていた。
「…なんて言うか、キミの子供だね。今のボクを目の前にしても恐慌状態にならないとかスゴイんだけど」
母の腕の中で大人しくしている赤ん坊を青年は指でつんつん突いた。
「まぁ、天狐の血を引く子ですから」
くすりと笑う母である女性は、人ではない。天狐、そう呼ばれる神の1柱だ。彼女は純粋な天狐。そしてその子供は天狐と人間の間に生まれた混ざりモノ。本来、交わるはずのなかった天狐と人間が出会って、恋に落ちて生まれた子供。この子供を産むために母である天狐はずいぶんと苦労をした。自らの血、その血が持つ力の全てを抑えなければ人の血が混じった子供を胎内でうまく育てることが出来なかった。愛しい夫との間に出来た子供をどうしても産みたかった天狐は、旧知の神である青年に助けを乞うた。
青年は天狐の願いを叶えるためにわざわざ降りてきてくれたのだ。そしてそのまま出産まで傍にいて助けてくれたおかげで、今こうして息子を抱くことができた。
「今のところこの子の血は安定して眠っているようだね。だけど、キミの方が限界かな?」
母である天狐はその力の全てを青年によって封印されていた。今はただの人間と何ら変わりはないのだが、無理矢理全てを封印しているのであまり長時間だと今度は天狐の方の命に関わってくる。
「せいぜい持って5年、と言ったところか。この子がはっきりとキミのことを覚えていられるかどうかは怪しいね」
ぷにぷにの赤ん坊の頬を突いて青年がそう言った。
「5年、5年ですか。でもそれで十分です。産めなかった可能性もあった吾子をこうして抱けたのです。それに5年も傍にいられる…残りの年月は遠くからこの子を見守りましょう」
赤ん坊を優しく見つめながら、母の顔でそう言う天狐を青年は不思議な感情で見つめた。
まさか、この天狐が子供を産むとは思わなかった。それも人との間にできた子供だ。
青年と天狐は古い知り合いだった。そこに恋愛感情とかは一切無く、友人として親愛の情は持っている。彼女は天狐の中でも強い力を持つがゆえに、一見穏やかそうに見えてもものすごく気位が高く容赦のない性格をしており、敵と見定めた存在を殲滅している様子しか見た事がない。こんな風に穏やかに母の顔も出来るのだと新鮮な気持ちで見てしまった。
「イヤー、意外だな。キミでも母になれるんだね」
「産んでみればなれますわよ。どうです?一度は出産を経験してみてはいかがです?」
「エンリョします。ボク、絶対耐えられない」
その気になれば男女どちらにもなれるのを知っているので提案してみたのだが、青年はとんでもない、と首を横に振った。魂の根源は男性よりなので、とてもではないが耐えられる自信がない。
今回の出産だって、女性化して傍で彼女の神気が尽きないように自らの神気を分け与えていたのだが、生まれる時は本当に大変だった。
「ふふ、貴方ともあろう方がずいぶんと弱気ですこと」
「いいよー、弱虫でいいよー」
大人なはずの青年が妙に子供っぽく見える。
「で、お名前は?」
「晴れの明星、そこから晴明、と」
「澄み渡る夜空に浮かぶ明けの星、か。知ってる?遠い異国では、明けの星は墜ちた天の使いとも言われるんだよ」
「あら、わたくしと人との間に生まれる子は天の御使いなのかしら?」
おほほほほ、と笑う天狐に青年は苦笑した。
「その子の名前、隠した方がよさそうだね。そうだねー、同じ字で晴明と呼ぼう。『はるあきら』でなくて『せいめい』、その名を知るのはここにいる者だけでいい」
天狐の母を持つだけで相当苦労するだろうが、よりにもよって母は天狐の一族の中でもさらに特殊な血筋の持ち主だ。この血筋はこの天狐を最後に消えると思っていたのに、まさかまさかの展開で最後の1人にさらに子供が生まれて血が次代へと繋がった。人の血が混じったが問題はない。肝心なのは天狐の血の方だし、子供が人としての生を終えたら強制的に天の国へ連れてくるつもりだ。
大人になったこの子が嫌がるかもしれないが、こればかりはどうしようもない。むしろ人としての寿命を全うさせてあげるだけの配慮はするつもりだ。
青年は晴明を母から預かってその腕に抱いた。
「……やれやれ、この子も楽しそうな人生を送れそうな星回りに生まれたようだねー。ふふ、愛しい子、いつでもボクを頼るといいよ。何せボクは身内には滅法甘いと評判だからね!」
「あらやだ、自覚はあったのね」
青年が一度、懐に入れた存在に対しては激甘だというのは神族の中ではよく知られている事実だが、ちゃんと本人にもその自覚はあったらしい。
どうやら母の胎内にいる時から世話をしてきた子供も身内認定したらしかった。
「ちゃんとありますよ。だからこうしてキミの世話もしてるんでしょー、葛葉」
天狐ー葛葉ーは、我が子を抱く友人をどこまでも慈愛に溢れた優しい目で見ていた。




