モブと学園と生徒と
一週間の早朝の授業のない時間に、自分の職場となる戦技教練場にレックスは来てた。
「ここが教練場か。なんだ、南の闘技場と変わらねーじゃん」
円形の建物の中にある、砂の敷き詰められた闘技場。
戦技教練場、なんて大仰な名前をしてるのだから、もっと凄いものだと思っていたレックスは、観客席から辺りを一望し、落胆を口にする。
すると、レックスの道案内をしてたレインが手のひら大の結晶のようなものを懐から取り出して、それを突く。
そうしていくつかの操作をするレインの動きに連動し、武闘場に変化が表れ始めた。
「お? おおお!?」
地面から突然純白の台がせり上がり、またたく間にリングが出来上がる。かと思えば、そこからいくつも柱がせり出して複雑な地形を作り、さらにはリングに水が満ち始めるではないか。
目まぐるしく変わる闘技場に身を乗り出し、瞳を輝かせるレックス。
「これが、私達の職場だ。状況を設定することで様々な状況を再現できる、世界中どこを見てもない、ここだけの戦技教練場。凄いでしょう?」
「ああ、ああ! マッジでスゲェ!? 水を引いて海を再現する
、とか色々あったけど、この規模の施設を稼働させるのは並じゃねえ。いやマジでヤベェ、スゲェ、うわっ、雨天とかもできんのか!? すげー!!」
すげーすげー、と子供のようにはしゃぐレックスを見て、満足そうに頷くレイン。
「でもよ、これだけの魔法を使った施設、魔力はどこから供給してんだ」
「急に冷静になったね」
「そりゃあすげーもんはすげーが、それはそれよ」
そんな疑問に、レインはその場で反転し、校舎の方を指差して言う。
「学園の中に、迷宮があるのは知ってる? 学園で魔法を使う施設の殆どは、そこから魔力を引っ張ってきてるんだ」
「ははぁ、なるほどな。迷宮の放出する魔力をそのまま活かしてるわけか。流石は世界が誇る学園だな」
普通なら、迷宮の周囲や内部から出てくる強力な魔物のせいでそんなことは出来ないが、ここは世界中の知識と技術の揃った聖サタノエル学園だ。
魔物の発生を抑え、迷宮の利益のみを吸収するとは中々できることではない。
しかし、レックスの感心をレインは首を振って否定する。
「いくら此処でも、迷宮から溢れる魔物と魔力を抑えることはできないんだよ」
「は? じゃあどうやってんだよ」
「この学園の理事長の力だよ」
聖サタノエル学園理事長は、世界最高峰の魔法使いであるという。
彼女の魔法によって、この学園は守られており、迷宮の機能を封印、その魔力の一部を引き出しているのだという。
「そうか、まあそうだわな。そりゃ出来るよなぁ」
納得するレックスの言葉に、レインは首を傾げた。
「理事長のこと知ってるの?」
「いや、理事長って人のことは分かんねぇな」
想像だよ、想像、と肩をすくめるレックス。
レックスの言葉に違和感を覚えるレインだったが、そこに追求することはなく、学園の案内を続けるのであった。
そうして学園内を案内している間に時間は過ぎていき、二人は教室のある校舎へ入っていた。
「レイン先生、おはようございます!」
「おはよう」
「おはようございます!!」
「ああ、今日も元気だね」
廊下をすれ違う度に挨拶されるレインを見て、レックスは感心したように声を漏らした。
「なに?」
「いや、凄い人気だなって」
廊下を歩いているだけで挨拶をされるだけではなく、挨拶を返されれば「きゃー」とか黄色い悲鳴が聞こえてくるし、羨望の目が向けられている。
本当に凄まじい人気っぷりだ、とレックスが感心していると、レインが首だけ振り返って言う。
「そういう貴方も人気じゃないか。視線を独り占めだ」
「そりゃあ、美人教師の傍に全身鎧男がいりゃなぁ」
竜を模して作られた鎧は、各所に取り付けられた宝玉や棘のせいで非常に威圧感がある。
それに加えて、キチンと大剣も背負っているのだから、物騒な印象も持たれるはずだ。
「でもまあ、覚えてはくれそうだからプラマイゼロってやつよ。……で、今これどこ向かってんだ?」
「私の受け持っているクラス。貴方が私の補佐として仕事をしていくって話は前話したでしょ」
「……やっぱおかしくね? 俺、戦技教官として呼ばれただけだぜ?」
気づけば、戦技教練の教官としてではなく、戦技教練の授業を受け持つレイン・アルティミスと一緒に、レインの担任するクラスの副担任という大役を任されることになってしまったレックス。
これには未だに渋っているレックスなのだが、
「それだけ期待されてるってことだよ。……私達じゃあ多分、駄目だから」
「俺、ただのモブなんだけどなぁ」
兜を掻きながら苦笑するレックスの言葉に、レインが首をかしげた。
「……その、時々貴方の言うモブってどういう意味なの?」
期待という言葉が発せられる度にレックスが言う、モブ、という言葉に聞き覚えがないレインに、思い出すようにレックスは天井を見ながら唸る。
「あー、物語に出てくる敵とか、名前のない兵士とか、そういう特別な力を持たないやつの役職の名前だったっけ……あ、あれだ。劇で出てくる全く活躍しないちょい役だ」
「ちょい役……? B級冒険者がちょい役な訳無いだろう」
「いや、ちょい役だろB級。S級からが主役だって聞いたぞ俺」
「Sって、厄災級の人が主役とか何をするの……」
「あれじゃね? 神殺し」
「神って……S級ならそれくらいできるか」
そうして雑談をしていた二人だが、はたとレインが足を止める。
それに倣ってレックスも止まり、彼女の様子をうかがうと、彼女は何やら前の方を注視しているようだった。
レックスは彼女の視線の先を追い、そこに妙な人物を見つけた。
キョロキョロと辺りを見回す少年だ。身なりは整っていて、誰かを探しているのが分かる。
しかし、それにしても仕草が忙しない。
それは待っているというよりは、何かを見つけるのに必死なように見えた。
――あ。
レックスと少年の視線がぶつかったと思えば、少年は慌てて教室に入っていく。
「……虐げられているんだ」
「あ?」
唐突なレインの言葉だが、誰が何を、と確認するまでもない。
ケイスや虚偽申告の教師のように、生徒たちも魔族を虐めているのだろう。もしくは、魔族ではない同族でもだ。
――僕、こんなに大切だって言ってもらえたの、初めてだよ。
「任せとけ」
レインの肩を叩き、レックスは兜の下で不敵に笑う。
自分が何故戦技教官として呼ばれたのか? それは、鍛えるためだ。一冒険者として、それを目指す若者たちを死なないようにすることだ。
相棒が言っていた。いじめられた心は、二度とは戻らないのだと。
「どいつもこいつも、徹底的にやってやるよ」
※
二年特進クラスの生徒たちは、担任のレインが教室に入ってきたのを見て少し顔を下げた。
痛いほどの沈黙。ここだけ見ればこのクラスがとても優秀なクラスだと思うだろう、しかし、レインは見逃さない。
顔を伏せる生徒と、苛立ちを滲ませる一部の生徒たち。それが意味するところを理解していても、レインにはどうしようもなかった。
レインは教師であるが、そもそもは農民上がりの傭兵だ。昔から人との付き合いを避けてきたレインにとって、虐めというものは未知のものであり、到底対応しきれるものではなかった。
『ようは、一年経って鼻が伸びたクソガキを全力でぶっ飛ばせばいいってこったろ』
教室に入る前に、レックスはそう言っていた。
『プロフィールを見りゃ、どいつもこいつも血筋も能力もバリバリじゃねーか。磨けば光る、ならまずはぶっ飛ばす。魔族、亜人族、人族。なんで区別されてんのか、まずはそこを教えてやんねーとな』
派手にやるわ、と笑うレックスのことを思い出して、にわかに不安になり始めるレイン。
考えてみれば、レックスという人物は滅茶苦茶な人物のように思う。
付き合いは数日しかないが、人格は善人だということは分かる。しかし、行動が極端というか、大味なのだ。
特に顕著なのは、月光華蝶との一戦だ。
冒険者ギルドに転属したその日に緊急依頼、しかも依頼をした生徒の装備を回収するために、報酬金以上の支払いをしている。さらには、希少品の無垢の飛石の使用。
目的のために、あらゆる手段を講じるというのは好感が持てるが、彼がやっているのは低級の魔物に伝説の剣を振るようなものだ。
果たして、そんなもので生徒をどうしようと言うのだろうか。
「――せんせい? レイン先生!」
「っ、ああ、ごめん。皆、おはようございます」
前列の生徒に声をかけられ、自分が思考の海に沈んでいたことに気づいたレインは、咳払いを一つして挨拶をする。
生徒たちからの挨拶を聞き、いつものように今日の日程を伝える。そうして一通りのやり取りが終わった時、レインは扉の方を見て言った。
「今日は皆に紹介したい人がいるんだ。……入ってきてください!」
レインの言葉に教室の扉が開けられ、レックスが入ってくる。
が、その雰囲気にレインの背中があわだった。
殺意と怒気、竜を模した鎧は装着者の感情を反映し、正しく怒れる竜そのもの。実戦経験の豊富なレインですら一瞬身構えそうになったのだ、普通の学生がどう感じるかなんて明白だった。
教卓まで堂々とした足取りで歩いてきたレックスは、ドンッと教卓に手を置くと教室中を見回した。
彼と目が合いそうになって皆が目を逸らし、嫌な沈黙がしばらく流れ、一通り見回したレックスが口を開いた。
「これから戦技教官として、そしてレインさんの補佐としてお前らと一緒にやっていくことになった、レックス・サタノエルだ」
雰囲気に飲まれてほとんどの者が思考を停止させる中で、レックス・サタノエル、とレックスの名前を反芻する呟きがあった。
「あの、レックス・サタノエル?」
「その通り。人魔大戦において聖十字大陸に甚大な被害をもたらした最悪の魔王、レックス・サタノエルと同じ名前だ。そして名字と名前から察しているだろうが、魔族だ」
魔族、とレックスが宣言したことで初めて生徒たちに反応が生まれる。
魔王、魔族、そう言った戸惑いと怒りの呟きを聞いて、レックスは口角をつり上げた。
それでいい。そうやって俺に釘付けになれ。
「……あの!」
「おっ質問か。活きがいいなぁ!」
男子生徒が手を上げるのでレックスが催促すると、金髪の男子生徒は控えめに質問する。
「サタノエルさんは何故ここに? 戦技教官ということは、軍にいたのですか?」
「いや、冒険者だ。帝都で冒険者やってたんだよ。二つ名は草食み竜と、ミルク飲みのレックス。B級冒険者でこれでも有名なんだぜ?」
採集系の依頼が得意でなー、と言葉を続けるレックスだが、金髪の男子生徒は興味を失ったように「分かりました」とだけ言って話を切り上げる。
その目には侮蔑がアリアリと見受けられ、見れば他の生徒たちも大体がレックスのことを詐欺師を見るような目で見ていた。
「あ、それと俺イェレナ先生から直接勧誘されたんだぜ? 凄いだろ」
イェレナの名前が出た瞬間に、生徒たちから悲鳴にも似た声が上がる。
「よしよし、そんなに喜んでくれるなら先生頑張れる気がしてきたぜ。と言うわけでお前ら、改めまして。レックス・サタノエルだ。種族は魔族、元の職は冒険者、そして――」
「将来の夢は、各種族の美人を集めてハーレムを作ることだ! よろしくな!!」