モブと学園と教師と
「あら、レックス。なにか飲む?」
彼女は、レックスにとって姉のような存在だった。
大陸でも屈指の魔法使いにして、争いを好まない魔王。淫魔王、月光の淫姫と呼ばれた淫魔族の女王。
淫魔としては珍しく、セーターにロングスカートという肌を見せない服に身を包んだ女性に言われ、レックスは、べつにいい、と椅子に座った。
「そう、いい茶葉が入ったのだけれど。で、話って何?」
結婚式はいつするのか。レックスにそう尋ねられて、残念そうに眉尻を下げていた女性は、はあ!? と頬を染めて叫ぶ。
「何言ってるのあなた!? 私にそんな男性いないわよっ!!」
しかし、彼はそう思っていないぞ。レックスが言うと、女性は首まで真っ赤に染めて、指先を合わせてソワソワと身動ぎする。
「そうは言うけど、ほら、彼は、その、勇者の仲間じゃない? これから神と戦うんだし、そういう話はしないほうがいいと思うの。だって、向こうの大陸の人よ? 私達の婚姻の儀式とあの人たちのが一緒とも限らないし、なにより彼は神聖教徒なのよ? 淫魔の私と一緒になってくれるなんて……」
ああもう、じれったい。レックスが女性の手を取り強引に立ち上がらせる。
最早問答無用。何が何でも彼とくっつけてやる。
「ちょっと待って心の準備が」
心の準備が終わる前に死ぬかもしれない。と、いうか多分俺が死ぬ。だからこれだけは譲れない。
内乱によって文化、文明というものがなくなって久しいこの大陸での新たな婚姻の儀式の形式は、相棒が日本でやっているものを教えてくれた。
うぇでぃんぐどれす、なる白装束を身に纏うらしい。自分も現物を見たが、あれを着たらこの人はどれだけ綺麗になるのだろう。
きっといい日になる。いや、いい日にしてみせる。そうレックスは改めて誓うのであった。
※
「ん……んん?」
レックスが目を開けると、そこには天井があった。
首を左右に動かせば、どうやら自分はベッドの上にいるらしい。
上半身を起こし、ふと自分の鎧が脱がされていることを確認したレックスは、顔に手を伸ばす。
――あ、外れてねーや。
「その兜はなに? 呪われた品物なの?」
隣から声が聞こえてきたのでそちらを見れば、胡散臭そうな表情をしたイェレナがこちらを見て言った。
「そういう訳じゃないんだよ。兜外れないように魔法かけてるだけ」
正体隠してるって、格好いいじゃん。といわれ、イェレナは露骨に頬を引つらせる。
「そ、そう……」
「それよりイェレナさん、ハイピュリアたちはどうなりました?」
「そのことなんだけど」
イェレナはレックスの枕元に椅子を持ってくると、手に持っていた書類をレックスに渡す。
渡された書類の中身は、今回の緊急依頼と月光華蝶に関する報告書だった。
「ハイピュリアさんたち、三年生のパーティは全員無事に帰還したわ。消耗はしていたけど、怪我はなし。ありがとう、サタノエルさん。貴方のお陰で、未来ある若者が救われた」
「俺は依頼を受けただけですから、頭を上げてください」
頭を下げられても困る、と手を振り、レックスは手元の書類に視線を落とす。
ハイピュリアのことも心配だったが、それよりも気になっていることがあった。
月光華蝶に関する書類を読み進め、レックスはイェレナに尋ねた。
「イェレナさん、この書類には『ラハーサ砂漠における月光華蝶発生の可能性について』って書いてあるんだが、これを仕入れたのはいつだ?」
「私達が確認したのは、パーティが砂漠に入った直後だったわ。冒険者ギルドの方からはラハーサ砂漠への注意喚起も出ていた。二年生、三年生の教師にも確認をとって、ラハーサ砂漠へ向かったパーティはいないという報告を受けているの」
それはおかしい。ハイピュリアたちは砂漠へ行っていたし、その報告は学園にもしていたといっていた。
さらに報告書を読んでいけば、ハイピュリアたちのパーティはランドシャーク討伐依頼を失敗した扱いとなっており、その申請をしたのは学園となっている。
そこでレックスは思い出す。確か彼女はこう言っていたはずだ。
「依頼のミスを誤魔化すのは言語道断です」
「……どういうこと?」
「ハイピュリアが、担当教師にそう言われたらしい。大方、ランドシャークに負けて逃げ帰ってきたとか思ってた、とか考えてたが……その教師はどこに?」
自然と低い声になるレックスの質問に、神妙な顔つきでイェレナが応える。
「すでに該当者を査問会に送っているわ。クビは確実でしょうけど……」
「学生っつっても冒険者だ。冒険者を相手に、警戒区域に指定されたことについて説明しない、ましてその原因であるサンドワームの目撃情報を無視して虚偽の報告。そいつ、生きていけるのかねぇ……」
処分も何もないならこちらから出向いたところだが、この書類を見る限り、キチンと処分されることだろう。
ヤレヤレだ、と肩を竦めるレックス。
ほんとね、と力なく笑うイェレナの表情は暗く、とても疲れているように見えた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫なわけないじゃない……学園の恥よ、恥。守るべき生徒を見捨てるなんて教師としてあってはいけないことよ」
ほんと、穴埋めする身にもなってちょうだい、と怨嗟の声を発するイェレナに、大変そうだと苦笑する。
「あ、そう言えば俺の転職の話ってどうなるんだ?」
「ああ! そうそう、ここに来たのはその話もしたかったの」
パンッと手を叩き、本題はそれよ、とイェレナが指を振る。
すると、レックスの目の前に文字が浮かび上がる。「うおっ!?」と仰け反るレックスの前で文字がどんどん並んでいき、一つの紙のような姿になった。
「本来、昨日があんたの着任日だったのだけど、今回の騒動でしょう? 一週間後を改めて貴方の着任日にすることになったの」
「一週間って、随分と長いな」
「パーティ救出と月光華蝶討伐の報告をしてもらわないといけないし、今回の一件でまた会議が入るから、あんたのことが後回しになっちゃうのよ」
あと、こっちの都合で振り回したお詫びも兼ねて、と言われてレックスは納得した。
住居を準備する前に飛び出したせいで、今の自分には住む家もない。この一週間は、休暇も兼ねた準備期間と言ったところだろう。
「そうか、分かったわ。……ところで、俺の鎧と剣は?」
「家で預かってるわ。必要なら取りに行かせるけど?」
「そうか、じゃあ後で取りに行くか」
そうやって二人が今後の動きを話していると、医務室の扉が数回叩かれた。
どうぞ、とレックスが言うと扉が開き、一人の女性が入ってくる。
スッと芯の通った規則正しい歩みでレックスの足元まで来たのは、黒衣の女性。
「あ、レイン。話は終わったの?」
「ええ」
夜闇を思わせる深い黒髪。僅かにつり上がった目尻と、ふっくらとした唇。整った目鼻立ちは芸術品のようで、レックスは、ほぅ、と声を漏らす。
「ああ、紹介するわね。彼女はレイン・アルティミス。あんたと同じ戦技教官よ」
「はじめまして、レイン・アルティミスです」
「B級冒険者のレックス・サタノエルだ。よろしく」
握手を交わし、レックスは手の感触に感心した。
良く鍛えられた厚い手だ。こうして近づいて見れば、露出の多い服装だから筋肉の付き方も良く分かる。
「あの、あまり見ないで貰えますか?」
困ったようなレインの言葉に、レックスは驚いた。
兜で目の動きが分からないのに、良く分かったなと。
「それだけジロジロ見られたら分かります。流石に」
「それは申し訳ないことを。しかし、いい身体をしていますね。英雄と呼ばれるだけある」
手を離し、うんうん、と頷くレックス。
しかし、英雄という言葉を聞いたレインの表情は暗い。表情こそ変わっていないようだが、身に纏う雰囲気ががらりと変わったのがわかる。
「なにか悪いことを言いましたか?」
「いえ、そうではないんです。ただ、私が英雄というのが少し好きではなくて……」
ドンヨリとした雰囲気を放つレインを見て、レックスはイェレナの方を見る。
すると、成り行きを見守っていたイェレナがレインの肩を抱いて頭を撫でながら言う。
「この子、貴族たちに担がれちゃったのよ。あたしも現場には居たんだけどね。内乱で王族を助けた黒衣の戦乙女、格好の餌よ」
なまじ目を惹くからねー、などと言うイェレナの台詞に同意するようにレックスは頷いた。
「まあなぁ、姉さんと同じ魅了持ってるもんなあ。そりゃ苦労するわ」
「そうそう、そうなのよ――って、あんた魅了って」
「なんだ、違うのか? 淫魔族と同じ、常時発動型の魅了持ちだろあんた」
自分の体質を言い当てられて、目を見開くレイン。
「なんでそれを……」
「身内に淫魔族がいんの。その人とあんたが同じなんだよ。いわゆるカリスマとかと違って、魅了の力は甘いから良く分かる。それと、笑顔一つで男落としちまうから、わざわざ必死で無表情貫くところとかさ」
淫魔の女王、その血を良く受け継いでいるのだろう。それに、あの気を使った技の数々。父親の方の血も良く継いでいる。サラブレッドとはよく言ったものだ。
「そう、なんですか?」
「ああ。あ、だからってあんたのことを淫魔族だとか淫売だとか思わねえぞ。ちょっと体質が違うからって毛嫌いする奴は多いけど、その力はスッゲェ力なんだから」
淫魔族や魅了の力は毛嫌いされやすい力だ。しかし、レックスはこれに否を唱える。
他者を魅了するというのは何者にも勝る力だ。美しさ、可愛らしさ、強さ、賢さ、世の中には様々な力が存在するが、その内の2つを持っているのだ。個人的には羨ましくてたまらない。
魔王の頃も、今も、自分に凄まじい力はなかったのだから。
「月光華蝶を真正面からぶった斬る力と、月の女神もかくやって美しさ。そりゃ英雄と祭り上げられるさ。あ、それで魅了の力が嫌いとか言うのやめてくれよ? 鎧以外取り得ない俺が泣くぞ」
例えば、今兜脱いだら没個性過ぎて死ぬぞ、と自分の珍妙な格好を指差すレックス。
「…………」
「あれ? 俺やっちまった? えっと、そんなに魅了の話したくなかった?」
ポカン、とした表情で見つめられ、レックスは少し焦る。
魅了の力がトラウマになっている人は多い。目の前の同僚になる女性も同じだったか。
レックスとしては『自分は魅了についてキチンと理解がありますよ、だから安心して一緒に働きましょうね』というアピールのつもりだったのだが、失敗したのだろうか。
慌てるレックスをよそに、レインは大きく息を吸い、唇を震わせて息を吐いた。
「いえ、そうではないんです。嬉しいというか、その、なんて言えばいいんだろう」
本人もどんな言葉にすればいいのか悩んでいるのだろう。少し困ったように眉尻を下げていたが、良い言葉が思い付いたのか、胸に手を当てると潤む瞳でレックスを見つめる。
健気さを感じさせる瞳に射抜かれて目を離せないレックスに、少し身を寄せながらレインは微笑んだ。
「わたしは、あなたと一緒に働けるなら、きっと、ううん、凄く嬉しい」
だから、よろしくお願いします。そう言われるが、レックスはその言葉に答えることができない。
全身からカッと熱くなり、レインから目が離せなくなる。微笑みが視界を埋め、彼女の香りと息遣いが思考を乱す。
ゴクリ、と生唾を飲み込む音が響き、レックスは深く、深く呼吸を整え神妙な口調で言った。
「やっぱなし。魅了の力嫌っててくれ、あと嬉しいのは良いけど表情変えるの禁止な」
「え、さっきまであんなに」
言っていたことをすぐ覆されてショックを受けているレインだが、隣に座るイェレナはレックスの気持ちがわかるようで、ウンウン、としきりに頷いている。
自分の破壊力を理解せず困惑するレインに、あのなぁ、とため息混じりに言った。
「『鎧男、同僚に告白して轟沈!』なんて酒場で笑われたくねーからな」
微笑み一つでこれだ。多少耐性のある自分ですらこうなのだから、普通の人族なら耐えられないだろう。
彼女のこれまでの苦労と、こんな化け物を産み出した自分の姉とその夫を思い、レックスは思うのだ。
――なんて娘産んでんですかマジで。