モブと生徒と決闘と
「よし、それじゃあここまで! なんで駄目だったか考えてくるように」
その日、レックスは戦技教練を一人で行っていた。
イェレナからの指示で、数時間ほどの場所にある森林地帯にレインが送られたからだ。
近く、その森林地帯で戦技教練の実技をするらしく、森の中に生徒たちが対抗できない魔物――飛竜種などの強力な魔物が居ないかの調査と、いた場合の討伐。
実力者の教員が何人かで調査するようで、レインがいるのは初日の今日だけだそうだった。
「アルティミス先生がいないからって、お前ら勝手に納得したりするなよ。分からなかったら俺に聞くなり、他の教員に聞くなりしてキチンと対策を考えておけよ。それじゃあ、解散!」
生徒たちを解散させ、レックスは戦技教練場の片付けを始める。
「せんせー! 質問でーす!」
「よ、トーリ。今日はなんだ?」
闇森人族のトーリに声をかけられ、レックスは片付けの手を止めてトーリの方を向き、彼女の連れている生徒たちを見て思わず目を瞬かせた。
「えっと……?」
「今日の魔法で聞きたいことがあるんだって!」
トーリが連れてきたのは、茶髪の人族のようであるのだが、レックスは彼女が変身魔法で身体を変化させていることに気がついた。
この子は? とレックスが視線で問いかけると、トーリが女子生徒に耳打ちする。
「大丈夫だよ、ティパ。レックス先生はいい先生だから!」
「でも……」
「大丈夫ですよね、先生っ!」
「あ? あ、ああ。どこの誰であっても歓迎するぞ」
これでも教師だからな、と胸を張るレックス。
茶髪の女子生徒――ティパはトーリの勢いに負けたように、渋々と言ったふうに変身魔法を解除した。
僅かな発光とともに変化していく身体を見て、レックスは、ほぅ、と感心したように声を溢す。
ティパの身体が変形していき、彼女の頭が上へと上がる。いや、彼女の身体全部が上へと持ち上がっているのだ。
そうして光が収まると、そこには、人族の上半身を持つ魔族がいた。
「殻人族――蜘蛛人族か」
昆虫の特性を持つ殻人族。その中でも蜘蛛の特徴を持つ者たち、それが蜘蛛人族だ。
他の魔族と違い、より魔物に近い容姿をしているこの種族は、その独自の文化や容姿も相まって、聖十字大陸はおろか、暗黒大陸でも敬遠されがちな種族である。
「じゃあ、お前に使った捕縛の魔法陣についての質問だな?」
「――先生は、アレが何か知ってるんですか?」
二つの瞳と、額が裂けて現れた大小四つの目がレックスを捉える。
「知ってるも何も、魔王軍に所属したやつなら誰でも使えるぞ?」
「嘘です。あれは軍で教えるようなものじゃない。先生の使ってた魔法陣には、蜘蛛人族の言葉が刻まれてた」
断言されたレックスは、困ったように頬を掻きながら「やっぱその道のヤツにはバレルかぁ」と呟いた。
「それじゃああれは……」
「おう。お前の想像どおり、蜘蛛人族が成人の義で教えてもらえる秘術の一つだ。全部じゃないが、一部を引用させてもらってる」
教えてもらうのに苦労したんだよな、と笑うレックスに、トーリが食い付いた。
「先生、成人の義を成功させたんですか!? 蜘蛛人族じゃないのに!?」
「まあな! ……成功するまでかなり時間をかけちまったけど、時間をかけただけの価値はあったぜ」
すっごーい! と目を輝かせて褒め称えるトーリの態度が気に入ったようで、上機嫌に、もっとそんけいしろー、などと笑うレックス。
そんな上機嫌な二人を前に、ティパは地面を睨みつけて考える。
殻人族の秘術を利用する。言葉にするとそれだけだが、それがいかに難しいことかを彼女は理解していた。
そして同時に、秘術を学ぶためには成人の義を攻略せねばならず、それがいかに難しいことかを知っていた。
蜘蛛人族ですら攻略が難しい成人の儀式を、殻人族以外の種族で成人の義を攻略した者など、長い歴史を遡ってみても片手で数えるほどしかいないほどだ。
そしてその中には、レックスと同じ名前の魔人族も入っていて――と、そこまで考えてティパは首を振った。
そんなことはあり得るはずがない。何故なら、彼の魔王は自ら命を絶ち、その身を地中深くに封印したのだから。
「ねーねー、他になにできるんですかー!!」
「こらっ、抱きつくな棘とか刺さるだルォ!? おいっ、ちょっとこいつ引き剥がすの手伝ってくれ!!」
飛びかかってくるトーリを必死に押さえつけるレックスを見て、ティパはため息一つ。
自分の考えを振り払うように首を振ると、トーリの背後に音もなく忍び寄っていく。
こうして三人は、授業開始前の鐘が鳴るまでわいわいとじゃれ合っているのであった。
三人を見つめる、無機質な視線に気づかずに。
※
昼食をとったあと、レックスは学園内を巡回していた。
ただでさえ広大な学園の敷地のため、生徒たちの安全を守るために、警備員以外にも、教師は皆時間がある場合には巡回するようになっているのだ。
特に今は、熟練の教師が遠征地の調査に向かっているので普段より広い範囲を巡回しなければいけない。
このあとの予定がないこともあり、少しのんびりと巡回を続けていたレックスだったのだが、学園の雰囲気に違和感を覚えていた。
浮ついている、と表現すれば良いのだろうか? 学園全体がざわついているような、何かが起こりそう、という予感がレックスの脳裏を過っていた。
「いやまさか、レインたちがいないってだけで妙な気を起こすやつなんていないだろ」
外敵が襲ってくることも考えたが、こんな平和なご時世にそんなことをするなんて考えられなかった。
自分の嫌な予感を振り払うように首を振るが、どうしても気になってしまうのか、人の目に付きにくい建物や林の近くを重点的に巡回し始めたレックス。
そうしてレックスが校舎から離れ、現在は使われていない古い建物の中庭に差し掛かったとき、彼の目の前に生徒が飛び出してきた。
「おい、どうし――どうしたトーリ、何があった!?」
林の中から飛び出してきた生徒に声をかけたレックスは、声を聞いて顔を上げた生徒を見て駆け寄った。
制服はほつれ、枝葉が食い込んている。どれほど急いでいたのだろうか、顔の至るところから血を流しながら、ぜぇぜぇと肩で息をしている姿はとても痛々しい。
「トーリ!」
「――あ? ……せ、んせ?」
「そうだ、俺だ。レックスだ。何があった?」
「せ、んせ…………ぜんぜぇええ!!」
目の焦点が合いレックスを認識した瞬間、トーリの目から涙が溢れ出す。
びえぇええ、と顔を歪めて泣くトーリの背中を擦り「よしよし、どうした? なにがあった?」と優しく問いかける。
「てぃぱがぁ、でぃばがあ!」
「おーおー、ティパに何かあったんだな? 分かった。俺がなんとかしてやるから、深呼吸して落ち着いて。ほら、はいてー、すってー」
深呼吸をしようとして咽るトーリを擦りながら、レックスは林に向かって魔力の波動を放つ。
波動は土を伝わり、木を伝わり、そこにいる生物の存在をレックスに伝えていく。
「で、ディバがね? はやくいきなさいって、わたしっ、わたしっ!!」
波動による探知を行いながら、トーリが出てきた理由を引き出していく。
途切れ途切れの言葉を組み合わせていくと、どうやらこの林のどこかでティパがクラスメイトに襲われているらしい。
トーリを慰めながら、レックスは下手人たちの思考を想像して、胸の中で納得した。
他種族排斥に消極的なレインや、その思想の強い教員たちが少ない今は、他種族を排斥したい奴らからしたらやりたい放題できる時間だ。
教師自体が少ないため、巡回も少ないし、使用されていない古い建物の周りは見回りの対象になりにくい。ただでさえ広い林の中というのも、証拠隠滅には丁度良いだろう。
反吐が出るな、と表情を歪めて吐き捨てつつ、レックスはトーリを横抱きに抱えて言った。
「トーリ、ティパの場所は分かるか?」
「えっと、えっと……たしか、あっち!」
枝で肌を傷つけても気づかないほどだ。正確な位置を覚えていなくても仕方がない。
トーリの指差す方を確認したレックスは、わかった、と頷くと両脚に力を込めて身体を縮め――天高く跳び上がった。
「――ひゃああああっ!?」
「しっかり捕まってろーっ、落ちたらしぬぞーっ!」
状況を理解できていなかったトーリが、下を見て悲鳴をあげ、彼女の反応を見てカラカラと笑いながらレックスが気の抜けた声で注意する。
レックスに言われるままに首筋に抱きつき、トーリは叫んだ。
「落ちる落ちる落ちる!?」
「落ち着けトーリ。おちねーよ」
「いやそんなの嘘――うそ……飛んでる!?」
鎧の背中から伸びる外套が、まるで翼のような形状となり、その布地を淡い光が駆け巡る。
「飛行というか、まあ滑空だな。さて、と……トーリ、お前魔力の波動は使えるか?」
「波動? 使えるけど……」
何に使うの? と首を傾げるトーリ。
それはなぁ、とトーリの指した方向に片手を向けながらレックスは言う。
「波動による探知だな。トーリ、闇森人族は夜に狩りをするときに何をする?」
「えっと……火の魔法を使って松明作ったり、夜目のきく魔物を使う?」
「そうだな。お前たちの操る魔獣の中には夜目がきくものも多い。だが、闇に紛れた獲物を狩る手段は他にもある」
それが波動探知だ。その言葉とともに放たれた微弱な魔力の波動はレックスの掌から扇状に広がっていき、反射して反応が返ってくる。
「えこーろけーしょんっつってな。吸収されない程度の波動を撃ち込んで、その反射で獲物を見つけるってわけよ」
林の木々の形が浮かび上がっていき、そしてある場所だけ波動が帰ってこない場所がある。
「――あっ!? あそこっ!」
「任せろッ!」
人の形に切り抜かれたその場所へ、レックスが飛翔する。
空を蹴り、翼から魔力を噴出しての高速飛行。またたく間に目的地上空にたどり着いたレックスは、そこに組まれた円陣と中央に立つ生徒を見て、レックスは一旦停止して――
「上からこんにちわぁあああっ!!」
「イヤアアアアッ!?」
悲鳴を尾にして急降下。轟音と共に着地した。
地面が揺れ、土煙が巻き上がる。その中でトーリを下ろし、レックスは風の魔法を発動した。
「うわぁ!?」
「な、なにが――あっ!?」
「お前っ!?」
土煙が晴れ、そこから現れたレックスに人族たちから悲鳴が上がる。
人族――レックスが担当しているクラスの生徒も多いが、レックスは自分の目の前に立っている生徒を見て目を細めた。
ゴーマシュル・リリース・バニングス。金髪を揺らしながらも微動たりとしない彼女と、その身体から感じる魔力に納得し、レックスは背後を見る。
変装が解け、蜘蛛人族の身体で地面に倒れたティパと、彼女に呼びかけるトーリ。そして二人を庇うように立つ魔族の少年。
「お前は?」
「あ、はい……あ、俺っすか!? 俺は、アレックス・サタニクスです。……サタノエル先生、忘れたんですか?」
「ああ、ど真ん中くんな!」
「ど真ん中言うなっ!?」
いや確かにど真ん中ですけど……、と不服そうなアレックスを見て肩を震わせるレックス。
はぁ、と呼吸を整え、レックスの登場にも動じないリリースへ振り返り、レックスは声の調子を上げながら言う。
「ようバニングス! ご機嫌だな! ティパにぶち込んだのはファイヤ・ボールか? いい精度だな。どうよ? 魔導師になる決意はできたか?」
「…………」
「なんだ、反応なしか? おいおい、まるで寝てるみたいに黙って、オジサン悲しいぞー?」
からかうようなレックスの口調にも、リリースは一切反応を返さない。
「な、なんのようだあんたはっ!?」
「おっ、バニングスの取り巻きAじゃん。なんだ、取り巻き全員集合か。なあ、お前なんでこいつが寝てるか知らない?」
「寝てる? そんなわけ、ないだろ」
「そうなのか?」
「ええ、そうですよレックス・サタノエル」
バニングスが初めて口を開く。
「なんで攻撃魔法を使った?」
「あの魔族が、私の大切な物を壊したからです。そんなこと許せるはずがないでしょう。卑劣な魔族には相応の罰を与えるのが当たり前でしょう」
「相応の罰とは言うが、攻撃魔法を使用するのは流石にマズイだろ?」
「蜘蛛人族、などと言っていますがアレは魔物です。魔物は排除するのが当然でしょう」
「それで? これからお前らは何をする気だ?」
「魔物も魔族も、決闘制度で排除します。相応の報いは受けさせなければいけません」
怒りを抱いているにしては冷静すぎ、いっそ無機質ともいえる口調で話すリリースの台詞を聞いて、なるほどなぁ、とレックスはのんびりとした口調で呟いた。
「よし、じゃあその決闘俺が預かろう」
「はあ!? そんなこと許されると思ってんのか!」
「なんでお前が言うんだ? 俺は決闘制度を提案した、バニングスに聞いてるんだけどなぁ?」
答えられるよな? バニングス。笑いを含んだその声に
「……それは納得できないわね。だから、そう。私達ゴーマシュル・リリース・バニングスの一派は、レックス・サタノエルに対して決闘を申し込みます」
爛々と赤い瞳を輝かせて、リリースが言い放つ。
何が予想外だったのか、目を見開きリリースを見る取り巻きたちを尻目に、二人は話を進めていく。
「じゃあ、契約だな。決闘の日時は――そうだな、三日後の戦技教練の時間を使おう。その他の内容に関してはおって連絡するってことで」
「いいでしょう」
「よし、じゃあ俺らはもう行っていいな?」
こいつの治療しなきゃいけねえし、とトーリとアレックスの治療を受けているティパを指差してレックスが言うのだが、それに取り巻きの一人が食い付いた。
「何勝手なこと言ってるのよ! もとはといえば――」
「やめなさい」
「なっ、な――」
「やめなさい、と言っているのが聞こえないの?」
燃えるような眼差しで睨まれて、取り巻きが全身を震わせる。
燃え盛る炎のような気迫を放つリリースに礼を言い、レックスは浮遊の魔法をティパにかけて、三人で慎重に運び出していく。
人族たちはリリースの視線一つで道を開け、その間を三人が歩いていく。
「先生」
リリースに声をかけられ、レックスは足を止めると彼女の方へ振り返る。
どうした? と問いかける視線に、リリースは薄く笑みを浮かべて言った。
「当日は、皆と一緒によろしくお願いします」