23 第3話01:ズルい女
ヴィラデルディーチェ=ヴィラル=トルファン=ヴェアトリクス、通称、ヴィラデルは非常に上機嫌だった。これ程の上機嫌は何時以来のことであるか彼女自身にも思い出すことが出来ない程である。
鼻歌の一つでも歌い出したい気分だった。
生きるもの皆輝き、景色は自ら光を放つかのようである。
油断すると自然に口角が上がってしまい、ニマニマしてしまいそうになる。
天下の往来をそんな顔で闊歩し続けるわけにもいかず、ヴィラデル自身は意識して表情を引き締めていたが、元々、派手やかな美しさを持つが故に、それが自然と静謐ともいえる美を生み出していて逆に往来の注目を攫っていた。
それ程までに彼女の心を浮き立たせているもの、それは久々に訪れた彼女自身のレベルアップであった。既に長いこと、ヴィラデルの記憶上では数年間上がらなかったレベルが、昨日、遂に上がったのだ。それも一気に3つも。
これが喜ばずにいられるものか、というのが正直な彼女の気持ちである。彼女の今の心理状態は、まさに有頂天と呼ぶに相応しい状態だった。
やはり、昨日のドラゴン戦に横槍を入れた自分の判断は正しかった。
実はドラゴンの接近を、街の中にいる者の中で誰よりも先に確認したのはヴィラデルである。
『精霊視』という特殊なスキルを持つ彼女は森の異常をいち早く、それこそ南東の城壁付近の見張り塔で哨戒の任にあたっていた衛兵達よりも早く察知していたのだ。
そして彼女はその場で、遠くの状況を視認することの出来る風魔法『遠視』を発動させ、巨大なドラゴンが街に接近していることに気が付いた。
戦う気など毛頭なかった。
あのクラスのドラゴンには自分の持つ如何なるSKILLも意味を成さないし、傷付ける事すら不可能だと判断したからだ。
だから、適正距離、いつでも逃げ延びることの出来る距離を取りながら、その都度『遠視』を発動させてドラゴンの動向を探った。逃げ出した先こそがドラゴンの目的地であっては堪らないからだ。
そこで異常事態が生じた。あの生意気なガキ…、ハークと連れの魔獣がドラゴンの前に立ち塞がったのだ。
現実を理解しない阿呆ガキが。踏み潰されて哀れなペチャンコ死体となるだろう、と思って静観していたが、どうも様子がおかしい。巧みな動きと魔獣との見事な連携でドラゴンの足止めに成功。スラムの連中の避難に助成していた。
『遠視』でその様子を眺めていた彼女が、その現場に向かったのは勘かそれとも気紛れか。
とにかくヴィラデルは自身の魔法で援護できるギリギリの距離、100メートルの位置にまでその場に近付いた。
すると、なんと少年の剣がドラゴンの硬い鱗を斬り裂いたのだ。致命傷には程遠い一撃であったがあれには驚いた。
そして、傷を付けられたことに怒り狂ったのか、ドラゴンが『龍魔咆哮』を放とうとしたのである。ヴィラデルから見て、どう考えても悪手であった。ハークが斬り裂いた傷は逆鱗付近にまで達しているようだった。下手をすれば『龍魔咆哮』袋にまで到達している傷の筈である。
いや、到達してはいないからこそドラゴンは『龍魔咆哮』の体勢に入ったに違いない。しかし、固い鱗に守られるでもなく、弾力のある肉に包まれるでもなく、剥き出しの状態にある『龍魔咆哮』袋はヴィラデルにとって格好の的であり、弱点であった。
ヴィラデルはその時点で全魔力のうち残り7割を込めて『氷槍』を『龍魔咆哮』袋目掛けて撃ち込み、同時に積層状態で創り出した『氷壁』を、ハーク達と、倒れ伏した冒険者にスラムの幼子の二人の前にそれぞれ1割ずつの魔力を込めて発生させた。
距離があった為、『氷槍』が無事『龍魔咆哮』袋を貫通出来たかどうかまでは確認できなかったが、その後の爆発が、その結果を如実に語っているといっていい。
『氷壁』は一部が砕けて制御を外れたが、その他は素早く解除して霧散させているのでハーク達も気付いていない。
自分の発動スピード、解除スピードの成せる業でもあるが、ハークをドラゴンの『龍魔咆哮』から庇おうと前に出た魔獣がハークの視線を塞ぎ、魔獣自身もハークの方を向いていたことが大きい。
彼らとはあまり関わりたくない。ガキは苦手なのだ。
それに、労せずして一番美味しいところを自分が奪う結果となったのだ。ちゃんと爆風から救ってやったりしたのだから貸し借り無し、とヴィラデルは考えるのだが、相手もそれで納得するかは判らない。変ないちゃもんをつけられる前に彼女は退散を選んだ。
ただそれで、彼らだけが街を救った『龍殺し』と、すんなり持て囃させるのも業腹なので、最後に残った魔力をちょっとだけ使って、一部始終を眺めていた唯一の目撃者であるスラムの幼女に、水魔法の『睡眠導入』の魔法をかけてやった。
こうして彼女を眠らせておけば、「こんなエルフのガキがドラゴンなど倒せる筈も無く、幼女が目撃したという、少年がドラゴンの喉を斬り裂いたという話も、夢と現実を混同したものであろう」、と、やっかみ半分嫉妬半分でそう吹聴する大人が出てくるに違いない。
その後、ヴィラデルはすぐにその場を後にした。ここまでずっと自分の存在を隠匿してきたのだから当然である。
それに、魔力の使い過ぎで極度の疲労と倦怠感に襲われ始めてもいた。この街で彼女を狙う男は多い。主に、恨みと劣情で。
彼らに弱みを見せることは色々な意味で危険極まりないことだった。
宿に帰り着いたらすぐに深い眠りへと落ちていた。朝になって『鑑定法器』を自分に使ってみてレベルアップを確認できたというワケだ。
この街を拠点にして5年。
それからずっと3強と呼ばれる立場であったが、もはや、自分が1強と呼ばれる存在となったことをヴィラデルは確信していた。
レベルだけであれば自分に肉薄する者もいるであろう。だが、長年の自己研鑽の末に多数のSKILLを修め、ステータスの底上げをし続けてきた彼女であれば、実力的にはもう2つ3つ上のレベルだと考えても計算が成り立つ。
そうであれば、3強と呼ばれる内の残りの二人が―――そんなことは絶対にありえないが―――組んで自分に対抗しようとしても、今のヴィラデルにとっては脅威とは成り得ない。それ程の強者の領域へと彼女は足を踏み入れたのだ。
目的を漸く達成し、内心でヴィラデルはほくそ笑む。
もはや『四ツ首』もどうでもいい。
元々、『四ツ首』に所属していたのはてっとり早く金と経験値を得るためだった。
金に関してはかなりお世話になったが、経験値を得るという点ではそれほど役に立たなかった。
彼らにとって殺人とは脅しの一手段に過ぎない。だからやり過ぎは禁物。
殺せと命令されるより、殺すなと命令される方が多かったくらいだ。
(さて、どうするかしらねえ…?)
ヴィラデルが次のステップに進むにはもう『四ツ首』は邪魔になってきていた。かといってああいった組織は、構成員が手前勝手に抜け出すことを良しとはしない。
ヴィラデルのように重要な顧客を任されていたものは尚更である。
確実な厄介事だった。だが、ヴィラデルは心の内でもう決意を固めていたのかもしれない。
その想いが彼女の表情を変え、その美を凄絶なものへと変える。
それは大変に周囲の人を惹き付けた。性別すらも超えて。
同性は慄きながらも嫉妬し、異性は畏怖と劣情をもよおす。
そう、彼女にとっては何時ものこと。これも何時ものことなのである。
誰も自分を無視できない。必ず自分を見て何らかの感情に囚われるのだから。
(あのコをどうにかしてこちらに引き込まないと…ね)
ヴィラデルに対して、ハッキリと拒絶の言葉を口にした生意気な子供。
自分で自分を守る力の無い、矮小なる塵芥。
だが、塵芥と思っていたその子供が段々と力をつけている。ドラゴンの身体に傷をつけたのが良い証拠だ。
何か特別なSKILLを習得したのだろうか。それともあの白き魔獣の援護SKILLなのだろうか。
そう。それに、あの白い魔獣だ。前に見た時から毛皮の色が明らかに変化していた。恐らく進化したに違いない。あの白い毛皮の色…。何という種族名かは思い出せないが、あの白い毛皮の虎の魔獣は精霊種の一種となったのではないだろうか。
だとすれば、あの魔獣はヴィラデルにとって、この街で唯一とも言える危険な相手なのかもしれない。
とはいえ、魔獣は魔獣。主人の命が無い限りは絶対に敵対はして来ない。そしてその主人はきっとまだヴィラデルに気がある筈だ。
最初に告白をしてきた時、おずおずと、そしてたどたどしくはあったがしっかりと自身の気持ちを伝えてきたことは判ったが、その内容は気持ちの悪い程の的外れだった。
少年はヴィラデルの内面を、自分の都合のいいように捻じ曲げ、弄り、創造し、それを真のものであると勝手に信じ込んでいた。つまりはヴィラデルの姿を真似た虚像に恋をしていた訳だ。
だから徹底的に袖にしたのだが、それはそれとして、面と向かって拒絶の意思を叩きつけられると腹も立つ。気弱を絵にかいたような存在だったのにしっかりと、である。
(まあ、いいわ。拗ねているだけでしょ)
もしくは、押して駄目なら引いてみよ、というヤツかもしれない。子供のくせに小賢しい。とはいえ用が済めばこの街を出るとか言っていたのに、未だにこの古都に滞在していることが、まだ未練が残っているという証拠だと彼女は考えていた。
彼を仲間に、いや、利用すべきとヴィラデルは考える。
少年も中々だが、あの魔獣だ。あの魔獣の力を借りることが出来れば、もはやこの周辺でヴィラデルに逆らうことの出来るものなどいなくなる。
醸し出す彼女の凄絶な美に、妖艶なる笑みが加わった。




