らぶ。
「ラブ」。
漢字にしたら、「裸舞」。
あたしはただ、裸で舞いたいだけ。
狂ったくらい、裸で舞いたいだけ。
でもそのうちに気付いてしまう。
彼が欲しかったのは「裸婦」なんだと。
あたしが裸で舞ってるだけで、彼はとことんラフを求めていた。
彼にとって、濁点は重いらしい。
あたしには付いている、濁点が重いらしい。
気付いてしまったからには、いつまでも躍っていることなんてできるわけもなく。
急に恥ずかしくなったあたしは、いそいそと服を着て、でも大人しくしてるだけなのも癪だから、せめてもの反抗で手近なものを投げ付ける。
それでも彼は平気なもんで、向けられた背中に当たった濁点は空しく返って来るだけ。
ころころころころ。
転がった濁点はあたしの足元にまで転がって、そのまま動かなくなった。
今のあたしを例えれば、達筆なタッチで「恋」と書かれたガスボンベを背負って、左手に導火線、右手にライターを構えた、なんだかよくわからない格好なんだ。
ライターで導火線に着火すれば火は瞬く間にガスボンベに至って、「恋」の文字が爆発するんだ。
どっかーん! って。
何もかもが燃えてしまえば、もう裸で舞うことしかできない。
あたしはただただ、狂ったように踊り続ける。
これぞ「裸舞」。「ラブ」なんだ。
なのに今持っているライターときたら、ガス欠ときたもんだ。
どれだけ火打ち石をこすったところで、一向に火なんて出してやくれない。
目の前の背中は動かない。
足元から拾い上げた濁点をいじくって、おもむろにその背中に狙いを付けた。
再び飛べ、濁点!
発射!
ずどーん!
ころころころころ。
またもや足元に転がってきた濁点。
かわいそうだね、おまえも。
よし次こそは、と先程より狙いを研ぎ澄ます。
背中に「恋」のガスボンベを背負うあたしは、この時ばかりはスナイパーに化ける。
このまんまじゃ、どう足掻いたって火を出してくれないんだ。出してくれなきゃ困るんだ。
右目をつむって、左目を凝らす。濁点と背中を結ぶ線を、限りなく一直線に。
口の中にたまった唾を飲み込んで。
鼻から息を吸って。
集中力を解き放つ。
……ばかばかしい。
一度は構えた濁点を、胸のポケットに仕舞い込む。次の出番まで、チャックまでして厳重に。
ガス欠のライターなんて用はないのさ。
いつでも火の吹けるライターじゃなきゃ。
いつまでも火を吹き続けられるライターじゃなきゃ、意味がないのさ。
ってーか、火の吹けないライターなんてライターじゃないじゃん。
ライターじゃなくて、それはただの……役立たずだ。プラスチックの、役立たずだ。
部屋を後にする間際、わざとらしいくらい大きな音を立ててやったのに、起きる気配はまったくナシ。
うん、救いようもナシ。
朝の空気は凍ったように張り詰めていて、バスを待つ間はコートに首を引っ込めなきゃならなかった。
ぱたぱたと足踏みしながら、凍える両手に息を吹きかける。
右手を入れたコートのポケットから、ライターが出てきた。
ガス欠ライター。
よくよく見れば、わずかにガスが残っている――今なら、火が付くかもしれない。
まだ、付くのかもしれない。
ちょっと、火打ち石をこすればいいだけだ。
かちっ、と音を立てて、こすればいいだけ。
左手に持った導火線は「恋」と書かれたガスボンベにつながっていて、火を付ければ瞬く間にボンベに着火する。
こすって、みようか。
ガスが切れたって、またガスを入れれば火は付くじゃないか。
前のように、また火を付けてくれるじゃないか。
ガスを、また入れれば。
入れれば……
遠くから、バスの音が聞こえた。
意を決してライターを握り込む。
ばかばかしい。
本日2度目の悪態と一緒に右手を振りかぶった。
「ちくしょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
高く飛び上がったライターは曇天に紛れて消えた。
今日の天気は、曇りのち雨。ところにより雷雨でしょう。
明日からは晴れ渡り、清々しい青空に恵まれそうです。
あたしの、天気予報。