第一章 八話
補佐官、燕の苦難
鳥類族本部、ここは燕と同じ種族の鳥達が住んでいる場所で、街に住む全部族の代表である、三代目の族長が拠点にしている場所でもあった。
東花と牛部族による戦いが何事もなく無事に終わった翌日、燕は鳥類本部の中枢、調停官室と同じぐらい立派な作りになっている部屋の中にいた。
「燕、中間報告は欠かさずするよう言っておいたはずだが」
「申し訳ありません」
燕の着ているものより裾が長い黒いポンチョを羽織り、長い白髭を携えた老人は、部屋の中央にある格式高い机の隣で、片眼鏡の中から燕を睨むように立っていた。
しかし、注意されたはずの燕は、心ここにあらずといった様子で、返事にもやる気が感じられず、老人は若い燕のやる気のない姿に溜息をつくと、
「まあよい。早速、現調停官についての定期報告へ入りなさい」
諦めたように本題に入るよう燕へ促し、燕もやる気こそ見られなかったが、言われた通り、報告を済ませようと喋り出す。
「先日も申し上げた通り、調停官は牛部族との対立を見せていましたが、牛部族副頭領である白阿、それに豚部族頭領の七海までも引き連れ、牛部族との和解を取り付けました」
燕が老人に報告した内容は、東花が昨日起こした牛部族との騒動についてのもので、しっかりと要点だけはまとめているものの、どこか上の空といった様子で報告をする燕に、老人は頭を抱える。
すると、真ん中にある立派な机のほうから、ある男の感心した声が上がる。
「ほお、あの獰猛だった部族達を飼いならすとは、やるねぇー」
男の声は東花の行いについてどこか楽しんでいるように聞こえるが、男は椅子に座り、燕の視界にはその人物の後頭部しか映らず、表情までは見ることができなかった。
燕はその能天気そうな声を聞き、睨むようにその後頭部へ目を向けると、
「以上が、これまでに調停官が行った主な経緯です」
話しを断ち切る意味で、燕は勝手に報告を済ませようとしたのだが、
「牛部族は今どうしてるのかな?」
男は燕に質問を続け、隣に立っている老人より明らかに偉い立場であろうその男に対し、燕は嫌そうな顔を隠すことなく質問に答える。
「それは分かっていません。なにしろ途中で連れ戻されたもので」
昨日の東花と牛部族が対峙しているその様子を、外からこっそり見ていた燕だったが、途中でここにいる老人と、その配下らしき者達に捕まり、そのままこの鳥類族本部まで連れてこられていた。
そのせいか、燕は言い終えると同時に、男の隣に立っている老人にも睨みつけるような目を向けるが、思うところがあったのか、燕は睨んでいた目をすぐに下に向け、椅子に座る男に牛部族の変化を伝える。
「ただ、牛部族の頭領はどこか吹っ切れたような顔をしていました。それに続くように、他の者達の表情も変わっていったように思えます」
燕が見た牛達の顔、それを思い出しながら男に言うと、
「・・・・・・なんだか、悔しそうだね?」
「べつに・・・・・」
顔は見ていないが、調停補佐官である燕にとっては喜ばしいはずの報告も、燕の声色が沈んでいるように聞こえ、男が燕にそう尋ねると、燕はぶっきらぼうな返事を返す。
しかし、隣に立っていた老人は燕の無礼な態度に、
「こりゃ燕!長になんて口の利き方をしておるのじゃ」
いきなり大きな声で叱りつけ、
「申し訳ありません」
燕も自分自身の心情を持ち込んだことに反省し、素直に頭を下げるが、
「気にしなくていいよ」
男は笑いながら椅子を回転させ、燕の正面を向く。
逆光のせいで顔がはっきりと見えなかったが、はっきりとわかるその威圧感は、牛部族の頭領である紅牙をも軽く凌ぐ。
この男こそ鳥類族の長にして、この街を治める族長ではあったが、隣に立っている老人のほうが貫禄があり、それと相まってか、族長は若々しい印象を与えていた。
しかし、紛れもなく自分より遥かに強い権力を持つ族長に、燕は許しを得ても頭を下げ続けていると、
「それよりも、君が補佐官を辞めたがっているという噂を耳にしたんだが」
どこから情報を得たのか、族長の男は燕の進退について尋ね、
「なんじゃと‼それは本当か燕」
横で聞いていた老人は驚きながらも、怒ったように問い詰めてくるが、
「ちっ、おしゃべりめ」
自分の情報を知りつつ、尚且つそんなことを族長に言えるのはあの女狐しかいない。
頭を下げ続けていた燕が真っ先に思い浮かべたのは、自分のことを族長に密告する環の顔と、楽しそうに話している環の姿が容易に想像でき、またもや族長の前で燕は悪態をついてしまうが、そんな悪態を気にした様子を見せず、族長の男は燕の心を見透かすように理由を尋ねる。
「調停官となにかあったのかな?」
自分が補佐官を辞めようと思った・・・・というより思わされるきっかけを作った東花について触れる族長だが、燕は下げていた頭を上げ、諦めや観念といった表情を浮かべ、補佐官を辞めようと思った理由と、今の心情をぽつりぽつりと言葉に繋ぐ。
「・・・・・正直、あの人の考えについていけないってのもありますが、これ以上私みたいな奴が周りをうろちょろしていたら邪魔にしかならない気がしたので」
浮かない表情で言う燕。だが、言葉を並べていくうちに、自分の不甲斐なさを改めて思い知り、拳と唇を噛み締めて悔しさを滲ませる。
しかし、落ち込んだ様子を見せる燕に対し、
「君は、あの調停官を近くで見ていてどう思った?」
「どうとは?」
「彼女の性格や行動など、君が率直に思った感想を聞かせてほしい」
族長はさらに東花について感想を求め、傷口を抉るようなその言葉に、燕は族長だということも忘れたかのような態度で聞き返すも、男は気にした様子を見せない。
自分達の部族の頭領であり、この街の長でもあるこの男が、好奇心旺盛で、自分の興味があることは意地でも突き詰めてくることを燕は知っている。
だからこそ、燕は一つ息を吐き、
「・・・あの人はがさつで、自分の身の回りのこともまともに出来ず、性格はこれでもかというぐらいひん曲がっていて、とても女性らしさや調停官らしさが皆無のように見えました」
半ば投げやりに東花を酷評するが、一応聞かれたことに答えた燕は、発言権を族長の男に譲り、素知らぬ顔を浮かべると、燕の意見に対し、族長の男は困ったように笑い、
「ずいぶんと言いたい放題だね」
「率直に思ったことを言えと言われたので」
言われたことを、ある意味で素直に言った燕だったが、隣で聞いていた老人からしたら、反抗しているようにしか聞こえなく、
「またお前は、長に向かってなんて―――」
「まあまあ、彼女は私が言ったことを忠実に従ってくれただけだ。そう目くじらを立てなくていい」
「しかしですな」
また大声で叱ろうとした老人を、族長は静止させ、
「話の腰を折ってしまい申し訳ない。続きを聞かせてくれないか」
老人の訴えを無視するように、燕へ話しの再開を要求する。
正直、これ以上東花について話したくはなかった燕だが、東花に抱いた感情は数え切れないほどあったのか、それが爆発したように、さらに東花の酷評が続く。
「あの人は、やることなすことが滅茶苦茶だし、争い事が好きなんじゃないかと思えるぐらい挑発行為を続け、相手を怒らせてもまったく気にした様子を見せない。私が会ってきた人間の中で最も卑劣で、最低な人間です・・・・・」
しかし、東花の悪口を言えば言うほど、なにもしなかった自分が惨めに思え、嫌われてでもなにかをしようとした東花のことを最低などと言ったことに、燕は自分自身が許せなく、
「・・・・・・でも、言っていることや、やっていることはめちゃくちゃだけど、自分が危険に晒される可能性があっても迷う素振りなんて一度も見せない。あの人がやっていることは本当なら納得できないんだけど、どこか納得できてしまうと言うか・・・・・よく分からないんですけど、あの人には一生かかっても勝てない。そんな気がして・・・・・」
腕力とかそういう類ではない、牛部族で東花が見せた信念の強さ、最低だが自分よりも強い女性に、燕は肩を震わせる。
さっきは否定をしていたけど、隠しきれない悔しそうな表情と、強く握られた燕の右手を見た族長の男は、
「悔しいのかい?」
分かりきったことをもう一度尋ねると、燕はハッとした。
握り締めていた自分の手に違和感を覚え、燕はその手にゆっくりと視線を落とす。
痛いなどの感覚よりも、悔しいという気持ちが上回ったせいなのか、あまりにも強く握った右の拳から、数滴の血が床に零れ落ち、燕は咄嗟に右手を後ろに隠し、
「そんなんじゃ・・・・・」
強がる素振りを見せるが、顔に書かれた悔しさは滲み出る一方、そんな燕の顔を見ながら、族長の男は急に話しを切り替える。
「私達みたいな動物は勿論、人間さえも勝てないものがこの世にあるのだが、君はそれがなんだか分かるかい?」
「・・・・・いえ、分かりません」
唐突な質問に、燕は意味が分からず首を傾げるが、
「この世に生を受けた者が絶対に勝てないもの、それが自然。人間がどんな兵器や凶器を用いてもこの自然には絶対に敵わないんだよ」
「あの、話しの意図が分かりません」
燕の疑問を無視するように次々と出てくる男の言葉は、悔しさを抱えた燕にとって混乱しか生み出さなかったが、それでも族長の男は続ける。
「君が抱いている彼女の印象は“自然体”っていう言葉がぴったり当てはまるんじゃないかな?」
「まあ、その表現が適切かどうかは分からないですが、感覚的には近いです」
これ以上の言葉を入れると、自分の感情がさらに爆発するかもしれない。
そう考えた燕は、族長の男から出てくる言葉を、あまり深く考えずに答えると、男は真っ直ぐな目を燕に向け、自分が言わんとするその真意を述べ始める。
「地震、雷、津波、噴火、この世にはありとあらゆる自然災害があるが、私達のようになにも身を守る手段を持っていない生物達は丸腰でしかその脅威と戦えない。人間達も同じで勝てはしない。だが、勝てないなりに身を守る努力と、その脅威と戦うための学習をしている。君が勝てないと思った理由は、彼女を人間としてじゃなく、自然としての強さや脅威、それを彼女の中に見たからじゃないのかな?」
東花を一つの自然とし、規模の大きな捉え方をする族長の言葉だったが、あながち燕には思い当たる節があったのか、族長の言葉を聞きながら、ぴくりと反応をする燕。しかし、やはり東花に対する反抗心や、認めたくないという気持ちからか、
「・・・・・分かりません」
呟くような声で嘘をつき、族長が言った言葉も認めようとしなかった。
だが、燕がそういう反応をすることさえも見越していたのか、
「まあ、彼女は人間の中でも多分、かなり強い力を持っていると思うから、君がそう思うのは仕方ないことだよ」
燕に答えを求めることはせず、慰めるような言葉を口にすると、次に族長の口から出た言葉に、
「でも、良かったんじゃないかな?」
「えっ・・・・?」
燕は思わず間の抜けた声を出してしまう。
「だって、それだけの力を持った人間が大きな壁としてすぐ近くにいるんだ、君にとっても希望を叶えるチャンスじゃないのかな?」
しかし、族長から出てきた言葉の意味をすぐに理解した燕は、
「・・・・・私は、そんな強くはありません」
消え入りそうな声で、男の言葉を跳ね返す。
燕にとって肩を並べたいと思っていた人間。しかし、東花という存在はあまりにも大きく、人間と肩を並べるどころか、その足元にすら及ばないと感じさせるその強さは、族長の男が言ったチャンスとは程遠いものに感じ、
「報告は以上なので、私はこれで」
燕はこれ以上の話し合いを嫌い、勝手に話しを終わらせ、
「あっ、こりゃ!勝手に話しを終わらせるんじゃない」
老人が慌てて止めるも、燕はそれを聞かずに部屋の外へと出ていこうとしたが、男は燕の後ろ姿に向かって言葉をかける。
「君があの調停官に勝つことが出来るかどうか、楽しみだよ」
今まで燕が見せた表情を汲み取らないような一言、族長の男から出てきたそんな楽観的な言葉は、思わず燕の足を止めるも、
「その希望には答えられそうにないです・・・・・失礼します」
決して振り返ることなくその一言だけを残し、燕は部屋の外へと出ていった。
「まったく!若い鳥はこれじゃから・・・・」
「いいんじゃないか、若鳥らしく自由気ままに羽ばたいてくれたほうが健全だし」
目に余る燕の行動に老人は嘆いていたが、族長の男は若者の行動に対し寛容な意見を述べる。
「しかしですな、もう少し上の者を敬う気持ちを持たせないと、鳥類族の威厳も保てませんぞ」
「まあ、そういうところもあの子らしくていいじゃないか。それに、成長するにつれてそういうことも覚えていくんじゃないか?」
気持ちが治まらない老人は、自分の上司である族長の男に宥められるが、
「望みは薄そうに見えますなー・・・・・」
さっきまでの燕の態度と、燕が出ていった扉のほうを遠い目で見ながら、老人は肩を落とす。
すると、老人は遠い目を急に変え、
「しかし、本当によろしかったのですか?」
「ん?なにがだい?」
変えた鋭い目を向け、族長の男に尋ねる。
「燕も優秀ではありますが、本人があの状態では、調停官への調査も悪い影響が出てくるのでは?」
「確かにそうかもしれないね」
老人が投げかけた言葉の中には、燕に対して懸念を抱く言葉が含まれ、燕がいた時とは違う空気を醸し出す老人に対し、族長の男は変わらない様子で答えると、
「燕以外にも優秀な者はうちにはおります。ここは本人の希望を聞き入れ、燕を補佐官から切り離し、他の者を入れたほうがよろしいかと思われますが」
燕の現状を見ていた老人の口から出てきた言葉は、燕を補佐官から外すというものだった。
しかし、老人の提案に男は首を横に振り、
「いや、補佐官はこのままあの子に続けてもらうよ」
補佐官を燕に続投させると言う族長の男に、
「よろしいのですか?正直言わしてもらいますと、やる気がない燕をこのまま補佐官にしていたら、我々の理想も遠のいてしまいますぞ」
どこかきな臭い会話をする老人は、自分達が極秘裡に進めている計画が、燕によって頓挫する可能性があることを危惧するが、
「最初はね」
族長は不敵な笑みを浮かべ、
「いくら優秀な子達を派遣しても、多分、あの調停官と渡り合えるのはあの子ぐらいしかいないと思うんだよね。本音を言ってしまえば、あの子があの調停官のもとでどのように成長していくのか楽しみというのもあるが、それよりもあの調停官のもとで学び、なにかのきっかけを掴んだらもしかして・・・・・」
燕を補佐官として続投させる意味を口にし、族長の男は近い未来を想像したのか、
「あの子は大きく化けるんじゃないかと思ったんだよ」
嬉しそうな顔と楽しそうな顔、両方を貼り合わせた顔で言う族長に、老人は説得を諦めたのか、
「はあー・・・・・・まったく、長の言うことには多分というのが多すぎますぞ、もう少し確定的な言葉が欲しいもんですな」
「あれ?そうだったかな?まあ、確定した未来より、どうなるか分からない未来のほうが面白くていいじゃないか」
溜息をつきながら苦言を呈す老人に、族長の男はとぼけるように答えるが、呆れたように鋭い目をやめた老人は、半分しか開いていない目になりながら、
「老い先短い私にそんなことを言われましても、同意は出来ませんな」
「寂しいことを言うねえ」
老人の賛同を得られなかったことに、寂しいと言う男だったが、言葉とは正反対の笑みを浮かべて笑う。