第一章 五話
調停官と危険な交渉
静寂に満ちた夜の雰囲気によって、侘と寂を最大限に引き出された屋敷の中、その縁側に座り庭を眺める男が突然、
「珍しいな、こんな夜中に訪問客とは」
独り言のように一本の木へと言葉をかける。
するとその一本の木から、
「申し訳ありません。どうしても今日中にあなたとお会いしたかったもので」
まるで、男からの問いかけに木が喋っているかのように言葉が発せられるが、男の視線はすでに木にはなく、月の光によって出来た木陰に視線を移すと、風で揺らめく木陰から現れたのは不気味に微笑む東花の姿。
「別に構わん。こちらもあんたとさしで話しをしたかったからな」
だが、突然現れた東花に驚くどころか、むしろ歓迎するような言葉を男は投げかけ、
「それは光栄ですね。牛部族の中でナンバーツーと言われるあなたにそんなことを言われるとは」
東花は男の言葉に胡散臭い笑みと社交辞令のような言葉を返す。
見た目の若さとは裏腹に、男の髪は白く染まり、夜の暗闇を煌びやかに照らし出す。
そして、今まで見てきた牛達とは違い、男の存在は夜の静寂と重なり合うような静けさを持っていた。
男の名前は白阿。東花が言った通り、頭領である紅牙と肩を並べる権力を持ち、牛部族では副頭領の地位に就いていたが、白阿は紅牙と違い、人間である東花に対しても感情を露わにすることがなく、黒孤とはまた違う不気味さと、それと伴う危うさを持っていたが、東花の中である疑問が浮かぶ。
「それにしても、私のことをご存知なんですね?確か、私が昼に牛部族の本拠地に行ったときはお見かけしませんでしたが」
昼間に行った根城の中で白阿の姿は見られなかったが、今初めて会ったにも関わらず、自分の存在を始めから知っていたような口調で話す白阿に、用心を兼ねて東花が尋ねるも、白阿はそれを鼻で笑う。
「ふんっ、大きく暴れたんだろう?そんなことをしておいて俺の耳に入らんわけがない。あと、そんな見え透いた媚びも売らなくていい」
東花が言った社交辞令にも白阿は冷静な対応をし、
「あらあら、つれないですねー」
「あんたからは胡散臭さしか感じんからな。それよりも・・・・・」
東花から出される嘘くさい演技でさえも、牛部族だと忘れてしまうような柔らかい口調と笑みで白阿は返すと、
「補佐官がいると聞いていたが、見たところあんた一人のようだな?」
東花の巻き添えという形で燕の存在もまた、牛部族内に知れ渡っていたのだが、さっきまで東花と一緒にいたはずの燕の姿がないことを白阿が尋ねると、
「ああ、彼女は私のやり方に不満があるみたいで来てくれませんでした」
「数が少ないのに仲間割れとは、調停官も前途多難だな」
今度は演技などではなく、素で呆れたような表情を東花は浮かべ、白阿も呆れる様子を見せながら同情する言葉を東花へ送る。
だが、その白阿の言葉を聞いた東花は、
「おや?それはあなたのところも同じなのでは?」
まるで同じ境遇だと言いたげな言葉を白阿に返したその瞬間、静かだった二人の間に一瞬ピリついた空気が流れた。
「面白い女だ。わざわざ敵陣に一人で来て喧嘩を売るとは、紅牙が怒るのも無理ないな」
しかし、すぐに先ほどと変わらない様子で話す白阿は、言葉の端々に殺気を含ませてはいたものの、東花の無謀とも言える行動が白阿の評価を上げたのか、殺気は出してもそこまで険悪な雰囲気は漂わせず、
「こちらとしては喧嘩を売ったつもりはないんですけどねー」
「嘘をつけ、だったらこんなところになにをしに来たんだ?」
とぼけたように言う東花にさえも、落ち着いた様子で白阿が尋ねると、東花は少し考える素振りを見せ、
「まぁ、しいて言えば、あなた達牛部族はもう負けが確定したからですかね」
「ずいぶんと自信があるようだな」
「もちろん」
数秒前には喧嘩を売ったつもりはないと言っておきながら、すぐに焚きつけるような言葉を口にする東花。
だが、それでも白阿は怒ることも、ましてや東花の言動を馬鹿にすることもなく、
「まぁ、ここまで一人で来れたこともそうだが、牛部族の中で俺が二番目だということも知っているとなると、どうやらこちらは後手後手に回っているようだな」
すぐに感情的になる牛部族とは思えない冷静さで、状況を分析し、
「忍び込むことは得意なので、ここまで入ってくることも容易かったですよ」
「どうやらそのようだな」
ここまでの侵入を許したことに対し特に驚いた様子を見せず、あくまで冷静にその侵入経路である外壁を白阿は眺めた。
すると、そんな冷静すぎる白阿を揺さぶるためなのか、東花は一つの情報をわざと晒し始める。
「ただ、あなたがナンバーツーだということを調べるのには苦労しましたよ。匿名希望の心優しい方が教えてくれなかったら、多分、今もあなたのことを知りえなかったでしょうね」
「ほぉー、その心優しい奴とはどんな奴なんだ?」
優しい微笑みで尋ねる白阿だが、その微笑みが逆に恐怖を醸し出す。
そんな白阿からの質問に対し、東花は個人情報とその情報源を明かさず、にこっと笑い、
「匿名希望ですよ」
その一言だけを白阿に告げる。
時間は少し遡り、
「勢力図?」
酔っ払いの牛と、脅迫という名の話し合いが進む中、牛部族の勢力図について東花が尋ねてくるが、それを知ってどうするのか分からない牛は首を傾げ、再度聞き直すと、
「ええ、あなた達の部族は階級制で成り立っている。それなのに大将以外はどの階級にいるのか見えてこないんですよ」
「そんなことを知ってどうするんだ?」
この酔っ払いの牛が会計担当だという情報は事前に得ていたが、それ以外の情報がまったく得られず、今後の作戦を立てようにも内部事情が分からないため、東花は下手に動けずにいた。
確かに、牛部族の内部構造については口を閉ざすように言われていたが、直感や本能で生きる牛達にとって、そんな情報を得てなんになるのか分からないというのもあるが、それよりも、公にするなと言われていた情報を東花が知りたがっていることに、酔っ払いの牛含め、周りにいた牛達も顔を見合わせ言い渋っていると、
「あなた達は直情型の部族だと思っていたが、不透明で実態が予測付かない。これはなかなかの不気味さを感じてしまいます。多分、外敵を出し抜くのと同時に、相手に実態を掴めなくし、混乱させて、そして隙を作るためだと思いますが・・・・・・」
東花はあえてこの情報を欲している理由を晒し、牛達の不信感を少しでも和らげようとする狙いもあったが、単細胞だと思われていた牛部族がここまで計算的で、そして綿密な作戦を立てていることに素直な驚きもあり、
「これは、人間の世界でもかなり頭が切れる者が考える作戦だ。こちらも戦力など皆無に近い中、そちらの部族を知るのは必須なんですよ」
心の底から感心した様子を見せつつ、少ない戦力をカバーするために、東花は情報を要求する。
こんな高度な作戦を立て、それを素直に牛達が受け入れている。
東花にとってこれほど厄介な相手はいない。この得体の知れない存在感と、腹の底を見せようとしない慎重さ・・・・・・東花は黒孤の顔を真っ先に思い浮かべ、紛れもなくこの策略を立てているのは黒孤だと確信していた。
「し、しかし・・・・」
だが、脅しには屈したものの、これ以上の裏切り行為をすることは、自分達の身を危険に晒すことにもなるし、なによりも牛部族としての尊厳が失われることになる。
酔っ払いの牛は今一歩のところで尻込みをしていたが、そんな牛に対して、東花から悪魔のような言葉が囁かれる。
「安心してください。私達に協力してもらえれば、あなた方がしていたことを口外しませんし、これからも普段と変わらない日常が待っています。しかし、こちらに協力をしてもらえないとなると、支援金を貰えなくなるどころか、うっかり私の口が滑ってしまい、あなた方の悪行が部族内に広がり、今の地位すら危うくなるかもしれませんよ?」
脅迫めいた言葉と、取引をするような言葉、東花はこの二つの言葉を使い分け、
「これはべつに裏切り行為じゃないんですよ。むしろあなたが協力してくだされば、牛部族は調停機関に協力したということで、この村の地位をさらに盤石なものへと変えられるんです」
言葉巧みに誘導し、酔っ払いの牛の罪悪感を薄くする東花に対し、
「・・・・・わ、分かったよ。教えるよ」
「ご協力感謝します」
根負けした男の姿は最初の勢いを完全に失い、人間一人に他の牛達も萎縮をし、そして牛達とは対照的な笑みを浮かべた東花は、様々な情報を自分の頭に刻み込む。
そして、刻み込んだ情報によって東花は白阿のもとまでたどり着いたのだが、
「まあいい、どいつがあんたらに加担したとしても、俺には関係ないことだ」
白阿は裏切って自分の情報を晒した者を追求することはなかった。
「冷めた反応ですね?」
「俺がどうこう言おうと、今の頭領は方針を変えないだろうからな」
自分は無関係だと主張する白阿は、東花の問いかけにも冷めた反応で返し、
「それはそれは、気苦労が絶えませんねー」
東花も紅牙のことを思い出し、白阿の心労を気遣うように言葉をかける。
「今に始まったことではない。あの男は一度言ったことは絶対に曲げようとしないからな」
気遣う東花の言葉に白阿は肩を竦めて笑みを浮かべるが、次に出てきた東花の言葉で白阿の笑みは消える。
「さすがは次期頭領を争った仲だ」
「・・・・・・・・どこまで知っているんだ?」
「ある程度のことは」
「なにが目的だ?」
得た情報を少しずつ出しながら様子をうかがう東花、それを睨みつけるように見る白阿、
「べつにあなた達をどうこうするつもりはありません。私は調停官として生物間の均衡を保ちたいだけですよ」
今までとは違う、明確な殺気を込めた視線を送られながらも東花は一歩も引くことなく、あくまで調停官としての役割を果たしたいと言い張り、
「それに、あなたも分かっているんじゃないですか?今の頭領のままだったら、牛部族は壊滅の一途を辿るってことを」
未来の牛部族を暗示する東花の言葉に、白阿は理解を示す。
「つまり、俺に会いに来た理由はあいつの暴走を止めるよう説得してくれってことか?」
「簡単に言えばそういうことです。それに・・・・」
東花は白阿の言葉を認めるとともに、白阿の目を真っ直ぐに見据え、
「あなたがこちらに協力してもらえれば、もしかしてあなたが次期頭領になれるかもしれませんよ?」
お互いにとって好都合だと言う東花の言葉には、邪な表情が貼り付けられていた。