第一章 四話
調停官と交錯する思い
夜の十二支街は商店街から歓楽街へと変わり、店先にある赤い提灯が昼間の賑わいとまた違う景色を彩る。
そんな色鮮やかな街中からはずれ、月の光だけで照らされた森林の中、
「うぃっく!あー・・・・飲みすぎたかぁ?」
牛部族だと一目で分かる黒い着物を着て、顔を真っ赤にした一頭の牛が歩いていると、酔ってふらふらしていたその牛の目の前に、二つの人影が映り込む。
「こんにちは」
「あ?なんだてめぇ?」
爽やかに挨拶をする人影に対し、牛は酔った勢いそのままで聞き返す。だが、
「夜分遅くに申し訳ありません」
謝罪の言葉を述べながら、二つの人影が近付いてきたその瞬間、
「なっ‼」
月の光が照らし出した二つの人影は、東花と燕の姿を映し出し、人影の正体を認識した牛は、その驚きで酔いが覚めたような驚きを見せる。
「その反応を見たところ、私達の紹介は必要ないようですね」
東花は牛の反応を見ながら自分達の紹介を省くが、牛は慌てふためきながらも突如現れた一人と一羽に対し、牛部族特有の威嚇を忘れない。
「な、なんだてめぇら!なんの用だ!」
牛部族の根城で東花が暴れたことはすべての牛達に伝わり、勿論この酔っ払いの牛にもそれは伝わっていたが、まさか、その張本人である東花と燕が自分の目の前に現れるなんて夢にも思わず、酔っ払いの牛は警戒を強めると、
「そんなに警戒しないで下さい。私達はあなたと世間話をしに来ただけですよ」
その警戒を解すように、柔らかい口調で東花は話す。
しかし、警戒を解すどころか、東花の登場は予期せぬ事態を生み出した。
「はっ、嘘をつけ。てめぇらのやり口ぐらいもう分かってんだよ‼」
牛が大声で叫ぶと同時に、森林の奥から複数の人影が現れ始め、
「どうやら先手を打たれたようですね」
その人影を確認した燕は冷静に周囲を見渡しながらぽつりと呟くと、複数の人影は東花と燕を徐々に取り囲み、逃げ場を塞いでいく。
しかし、焦った様子を一切見せない東花は、
「馬鹿め、これぐらい想定の範囲内だ」
あたかも狙い通りだという言葉を返したのだが、その落ち着いた東花の反応とは裏腹に、森林の奥から現れた人影は間違いなく牛部族の集団であり、筋肉隆々の猛者ばかり。
いくら東花に秘策があったとしても、逃げ道が完全に塞がれたこの場面は、明らかに危機的状況だったのだが、
「私達のことを聞いているなら話が早いです。私達はあなたにお聞きしたいことがあって来ました」
「聞きたいこと?」
東花は形勢が明らかに不利なことさえ気にせず、酔っ払いの牛との会話を続ける。
「そんな難しいことは聞きませんから安心してください」
「ふんっ!俺がてめぇらの言葉を素直に聞くと思うか?」
「こちらも穏便に済ませたいので、出来ればそうしてもらいたいですね」
「悪いがそれを聞き入れることはできないな。お前達ぐらい俺一人でも簡単に潰せるが、お前達が現れたら仲間を呼ぶよう言われてるんだよ」
誰かの入れ知恵なのか、都合よく現れた牛達はにじり寄り、徐々に距離を縮めていく。
すると、男の言葉を聞いた燕の脳裏には、なぜか一瞬、黒孤の顔が思い浮かび、
「また先手を打たれたみたいですね」
耳打ちをするような小声と動作で、東花に話しかけるが、
「いや、むしろ好都合だ」
東花はなぜか嬉しそうに笑い、にじり寄る牛達の動きは止まらない。
「ずいぶんと余裕をこいているようだが、今度は逃げれねぇぞ?」
退路を塞いでいく牛達と、威圧的な言葉を使う酔っ払いの牛、そんな状況でも東花は笑みを消さず、
「安心したまえ、逃げる気なんてさらさらない」
立ち向かう東花の姿は堂々とし、
「それよりも、これ以上お仲間が増えるとあなたのほうが困ることになりますよ?」
今度は東花が脅すような言葉を口にするが、この圧倒的有利な立場にある牛達にはそんな脅しも効かない。
「なにを言い出すかと思えば・・・・俺が困るだと?馬鹿か、逆だろう?てめぇ達にはもう逃げ場なんてないんだよ」
馬鹿にするように笑う酔っ払いの牛、それに続くように他の牛達も笑う。
しかし、笑っている牛達を東花は鼻で笑い、
「あなたは事の重大さを分かっていないようだ。なぜ私がピンポイントであなたのところに来たのかまだ分からないんですか?」
「なに?」
やれやれといった表情を浮かべると、東花は酔っ払った牛へ一つの確認を取る。
「あなたは確か、牛部族の会計処理を任されていますよね?」
「そ、それがなんだって言うんだ‼」
すると、ただ東花が確認しただけなのに、さっきまで馬鹿にしていたのが嘘のように、酔っ払いの牛は狼狽し、
「いえ、べつにどうというわけではないんですが、村の活性化と発展を促すために、こちらの行政機関から毎月各部族へ支援金としてお金が支払われていることはあなたもご存知ですよね?」
東花の言葉が、徐々に酔っ払った牛の顔を変化させていく。
「この街ではお酒類は高値で取引されていますけど、すごいですね。あなたクラスになったらそんな高価なお酒も浴びるように飲めるんだから」
「な、なんだ、俺がその金を着服したとでも言いたいのか‼」
酔っ払った顔で説得力がない反論をするが、
「いえいえ、まっさかー」
あくまで牛が言った着服については追求せず、次に東花が口にした言葉は、赤く染まった牛の顔を一気に青褪めさせていく。
「ただ、あなたはお金の計算が出来る牛部族の中でも稀有な存在です。能力がある者に旨味があるのは当然。それに彼らもボディーガードとしてその恩恵を受けられる。私はいいと思いますよ」
その悪魔のような囁きは、他の牛達も青褪めさせ、
「俺になにをさせる気だ?」
形勢的には有利な状況は変わらないものの、東花の言葉だけで立ち位置が逆転された牛は、その脅しに屈したかのように尋ねると、
「最初にも言ったように、私はただ話し合いに来たんですよ。少し聞きたいことがありましてね」
あくまで話し合うということを強調する東花だったが、その笑みは大きく歪み、屈強な牛達をも震え上がらせていた。
東花が牛達と怪しい会談を続ける中、牛部族の根城内は重苦しい空気が満ちていた。
「まだ見つからないようですね」
「ちっ、ちょこまかと逃げやがって‼」
黒孤からの報告に、紅牙が舌打ちをする。
根城内にいたのは、紅牙と黒孤、そして数等の牛、しかし、紅牙から出される重苦しい空気が夜の静寂と相まって、根城内に淀んだ空気を漂わせる。
紅牙が探しているのは勿論東花の姿だったが、中々尻尾を出さない東花に対し、紅牙の怒りは募るばかり。
同時に、闇雲に探していたためか、牛達は徐々に疲弊していき、
「今日のところは一旦、兵を引き上げたほういいんじゃないですか?」
落ち着かせる意味でも、東花の姿をいまだ探し続ける牛達を引かせようと、紅牙に提案する黒孤だったが、
「なんだと、このままなにもせずに引き下がれと言うのか‼」
直進しか出来ない牛のように、紅牙は黒孤の提案を怒鳴り散らし却下する。
「そうじゃありません。このまま無暗に捜索をしても兵の体力を無駄に消耗するだけで、得策じゃありません」
明らかに失策だと思える紅牙の指示は、牛達の体力だけでなく、精神をもすり減らしていることを黒孤は訴えるが、
「それがどうした‼お前はあんな小娘に好き勝手言われて悔しくないのかッ‼」
紅牙の怒りは黒孤の声をも遮断し、
「しかし、引き際というものを―――」
「お前がなんと言おうと、俺はあの小娘を捕まえるまでは兵を引き上げる気はない。他の奴にもそう伝えておけ‼」
前しか見えていない言葉を紅牙は吐き捨て、下級である黒孤はそれ以上なにも言えず、
「・・・・・分かりました」
ただ、紅牙の言葉に頷くことしか出来なかった。
酔っ払いの牛との話し合いが終わったのか、東花と燕は夜の森林の中を再び歩いていると、
「・・・・あなたは本当に調停官なんですか?」
突然立ち止まった燕が東花に尋ねる。
「急にどうした?」
その突然の問いかけに東花も立ち止まり振り返ると、そこには神妙な面持ちをした燕が立っていた。
「あなたがやっていることは調停官としての範疇を遥かに越えています。脅しや挑発を繰り返し、一体なんの得があるんですか?」
「なにか問題があるかい?」
「すべてが問題ですよ‼本来調停官の役割は生物達の間を取り持ち、平穏を保つことです。だけど、あなたがやっていることは平穏を保つどころか、わざと波風を立てるような真似をして、溝をさらに深めただけです」
燕は今まで東花が見せてきた行動にどうしても納得ができなく、補佐官の禁則事項を忘れ、調停官である東花に対し、調停官とはどういうものなのかと改めて訴えかける。
しかし、禁則事項まで破って出てきた燕の言葉は間違いではなく、現に、牛部族と調停官の溝は決定的なものとなり、修復が不可能な状態にまで陥っていた。
それなのに東花は悪びれる様子を見せず、それどころか真剣な表情で訴えた燕の言葉も鼻で笑い飛ばすと、
「それなら、君はどのような結果なら満足するのかな?」
「そ、それは・・・・・」
逆に問いかけられた燕は戸惑い、
「もしかして、偉そうに語っておきながら自分の考えはないのかな?」
戸惑いを見せる燕に東花が挑発をするように言うと、
「あ、ありますよ。私にだってちゃんと考えぐらいはあります」
勢い余った燕は、思わず東花の挑発に乗ってしまい、
「ほぉー、どんな?」
明らかに戸惑った顔を浮かべる燕の顔を見ながら、東花は意地悪い笑みを浮かべ、後には引けなくなった燕は、
「た、例えば、ちゃんとした話し合いの場を設け、双方が納得いく落としどころを見つけるとか」
戸惑いが動揺へと変わったのか、しどろもどろになりながらもなんとか言葉を続けたのだが、それは東花の意地悪い部分に拍車をかける。
「なんだい?その落としどころというのは」
「それは・・・・」
質問攻めにあう燕はまたもや言葉を詰まらせてしまう。
「ふっ、そんなあやふやな回答で、よく私に意見を述べられたものだ」
「だ、だけど、あなたのやっていることはただ闇雲に争いを煽っているだけで、悪化の一途をたどっています。だからもっと平和的な解決方法を考えるべきです‼」
だが、ここで自分が折れたら取り返しのつかない事態になると感じた燕は、平和という言葉を用いて東花へ反論すると、今までとは違い、東花は哀れむような笑みを浮かべ、
「平和ねぇー」
「なにかおかしいこと言いました?」
その笑みは今までになく燕の気分を害したのだが、東花は首を横に振り、
「いーや、べつにおかしくはない。なにか打開策を考えるのも一つの手ではあるからね」
燕の言葉を肯定する。
「だったら―――」
「ただ、君の言っていることは現実を見ていない、愚かな行為だということだ」
「どういう意味ですか?」
しかし、すぐさま肯定したはずの言葉を否定する東花は、燕からの問いかけに対しても、人間ならではの考えを示す。
「君は弱肉強食という言葉を知っているか?」
「なんですか急に?」
「いいから、私の質問だけに答えなさい」
唐突な話題転換についていけず燕は眉を顰めるも、有無を言わさない東花からの催促に、
「・・・・・弱者の犠牲の上に強者が栄えるって意味ですよね?」
不満そうな顔を残しながらも、言われた通りに燕は弱肉強食という言葉の意味を口にする。
するとそれを補うように東花は持論を混じえつつも、言葉の意味を詳細に語りかける。
「そう、それは人間が勝手に作った言葉ではあるが、こと生物界においてはこの言葉は的確に当てはまる。今でも人間は牛を家畜し、家畜したその牛を殺して自分達の栄養分として摂取している。だが、私はこれ否定する気はない。むしろ牛は美味しいし、食べることにもなんら抵抗はない」
東花が言っていることは決して間違いではなかった。しかし同時に、調停官からその言葉を聞かされると思っていなかった燕は、
「ますますあなたのことが嫌いになりました」
睨みつけるように東花を見ながら、はっきりした口調で嫌いだと伝えるが、それさえも東花は笑い飛ばし、
「それは結構、人間が他の生物から嫌われるのは世の常だ。しかし全部じゃないにしろ、私みたいな思いで牛を食べている人間がいる中で、平和的な解決をしましょう。なんてどの口が言える?人間は牛を大量に殺し、自分の欲望のまま食っているが、気にせず平和的に話し合いましょう。君が言っていることはそんな身勝手で上から目線の言葉に過ぎない」
人間が生物に対し平和を語りかける愚かさ、そしてそれがどれほどの身勝手なことか、平和という言葉を用いた燕に突き付ける。
「だ、だけど、それを否定したらいつまで経ってもいがみ合いが続き、今日みたいにやがて大きな抗争が後を絶たなくなります」
それでも、平和という概念を否定したら、争いだけが残る世界になってしまう。そう思った燕は意地でも食い下がろうとしたが、
「だから私のような調停官がいるんだよ」
争いを避けたい燕の言い分を、東花は自分の役割へと置き換える。
「この世に平等な世界などありはしない。それなのに調停官は生物間の均衡と平衡を保たなければならない。だったら、私は調停官としてありとあらゆる手段を使ってでも平等な世界にする。それが調停官である私の役目であり仕事なんだよ」
そして、唐突に語尾と視線を強めた東花は、それらの感情を一気に燕に向け、
「最初にも言ったが、君の理想を叶えたければ調停官になり権力を付けたまえ。なんの権力も持たず、ただ喚き散らすだけの存在になるのなら、調停補佐官なんて辞めなさい」
現実を突き付けるような言葉を言い放ち、東花は燕をその場に置き去りにし、そのまま夜の暗闇に消えていく。
そして残されたのは、なにも言い返せず、ただ呆然と立ち尽くす燕の姿だけ、それは夜の暗闇よりも黒く染まったようにも思えた。