第一章 二話
調停官と牛部族
草木が鬱蒼と生い茂る森林の中に、ぽっかりと穴が空いたような空間が広がり、その真ん中には木造の建築物が建っていた。
「うーん、やはり獣臭いな」
東花はその建物の前に立ちながら辺りを見渡しながら言い、その隣には気乗りしない表情を浮かべる燕の姿があった。
「本当に行くんですか?」
「ここまで来てなにを言っているんだか」
半ば強引に連れてこられた燕は東花に苦言めいた言葉を投げかけるが、東花は燕からの苦言も気にした様子を見せない。
現在東花と燕が立っている場所は、この街で最も人間を嫌い、憎んでいる生物が拠点を置く牛部族の根城前。
姿は人間そのものだが、種族は人間じゃない燕すらも身の危険を感じるようなこの場所で、人間である東花がなにをしようとしているのか分からない燕は、もう一度苦言よりもはっきりとした警告を投げかける。
「そうかもしれませんが、ここは本当に危険なところで、人間を見ただけでも襲ってくるような血の気の多い連中ばかりなんですよ?」
外からでも感じる威圧的な空気、その近寄り難い空気と相まって、燕の言葉も徐々に険しいものへと変わっていく。
「それに、前の調停官とは何度か対立して、調停官に対してはかなりの不信感を抱いているんです」
燕はここがどれだけ危険なところかということを東花に分かりやすく、尚且つ恐怖心を抱かせるように話したはずだった。
しかし、東花にとって燕の言葉は煽りにしか聞こえなく、同時に前の調停官といざこざがあったことに対し、
「なお好都合だ」
逆に不敵な笑みを浮かべ、そのまま堂々と牛部族の根城へ歩いていく。
「あっ、ま、待ってください‼」
東花の表情と突発的な行動に意表を突かれた燕は、慌てて東花のあとに続き、なんとか東花を止めようとするが、堂々とした東花の足取りは止まることがなかった。
そして、躊躇することなく根城の中へとそのまま入っていく東花の後ろから、怯えながらもゆっくりとその後に続く燕が見た室内は、道場のような板張りの床と壁、薄暗い室内を補う為なのか、天井は真っ白に染め上げられ、思ったより息苦しさを感じない明るめの雰囲気を漂わせていたのだが、その室内に入った瞬間、人間である東花だけではなく、無数の殺気が自分にも当てられていることに燕は気付く。
恐る恐ると燕は顔を上げ、室内の様子を東花の後ろから確認すると、そこには人の形をした多くの牛達が目をぎらつかせ、室内に居座っていた。
「ほ、ほら、明らかに敵意を剥き出しにしているじゃないですか‼」
牛達から出される殺気に怯えながらも後ろから小声で警告する燕だったが、東花はその警告を無視し、
「ここの代表はどなたかな?」
威圧的な殺気を向けられる中で、どこか余裕を持った声で牛部族の代表を呼びかける。
すると、薄暗い室内の奥からさらに強い殺気と威圧的な空気を放つ男が姿を見せた。
「今度の調停官はえらく威勢がいいなぁ、それとも単なる馬鹿なのか?」
東花と燕の前に現れた男は他の牛達とのように大きな体と身長を誇り、牛部族独特の黒い着物を身に付け、髪は黒い着物とは対照的な赤色に染まっていた。
鋭い眼光に威圧的な空気を放つこの男こそが、凶暴な牛達を束ね、この街で一、二を争う怪力を持った牛部族の頭領、紅牙。
子供と大人ぐらいの身長差で東花を見下ろす紅牙。しかし、東花はその高圧的な雰囲気にも怖じ気付くことなく、
「どちらも見当違いですね」
「それなら、こんなところへなにしに来た」
いくら殺気を当てても怯えない様子を見せる東花に、さっきまで放っていた殺気と威圧感をさらに強くして、紅牙は東花の実力を推し量るかのように尋ねると、
「あなた達にある提案をしにきたんですよ」
「提案?」
どこか胡散臭い笑みを浮かべて東花は言うと、一つの提案を持ち出した。
「ええ、あなた達牛部族を調停補佐族第一級にしようという提案です」
「はあ?」
しかし、東花から出された提案に驚いたのは持ちかけられた紅牙ではなく、さっきまで怯えた様子を見せていた燕だった。
燕は思わず出た自分の大きな声に慌てて、
「し、失礼しました」
すぐに謝罪をするが、燕が驚くのも無理はない。
東花が持ち出した調停補佐族というのには階級制が敷かれ、第一級から第五級まである。
だが、その階級の中で東花が出した第一級とは、調停官により多大な貢献をし、尽くしている部族に与えられる称号、その称号を与えられた部族には調停官を通し、世界政府から手厚い報奨金が支払われる仕組みになっていた。
ただ、燕のような調停補佐官とは違い、調停補佐族という役職は部族全体で調停官を補佐しなければいけない。
そのためか、中には調停官を補佐するのが嫌で内部分裂をする部族も後を立たず、今まで第一級にまでのし上がった部族はこの街以外でもいなかった。
しかし、燕が驚いたのはそんなことではなく、人間を一番嫌っているところへ連れて行けと言っておきながら、着いた早々人間を補佐しろと言わんばかりの提案を持ち出した東花の無謀さと、いきなり第一級の称号まで与える暴君っぷり、人間を最も忌み嫌っている牛部族にこんな喧嘩を売るような真似をしたら、調停官である東花に手を出してはいけないという規律すら危うくなってしまう。
瞬間的にその危険性を察知した燕は、調停官である東花を守ろうと身構えるが、
「くっくっく、面白い人間だ。それはつまり、俺達がお前を守るためにお前の下へ付くということか?」
紅牙は思いの外落ち着いた様子で笑い、東花に聞き返すと、
「そういうことです。それに調停官の下へ付けば、あなた方牛部族にもなにかと恩恵が得られるようになりますよ?」
調停補佐族という地位を取引道具として扱う東花の腹黒さは、話しを聞いていた紅牙に少しの間を置かせる。
そしてその静寂を破るように、
「・・・・・はっはっはっはっはっは‼」
突然大きな声で紅牙は笑い、その笑い声は根城内に轟き渡る。しかし次には、
「貴様、俺達を舐めているのか?」
さっきまで落ち着いていたと思われた紅牙の殺気が、今までの殺気とは比べ物にならないほどの凄みを増し、燕と、その場にいた牛達の震えが止まらなかった。
だが、屈強な牛達すら震え上がらせた殺気にも関わらず、東花は余裕の笑みを消さず、
「舐めてはいませんよ。ただ、あなた達が私の下で働くということは、人間との溝も少しは和らぎ、私の仕事もスムーズにいくし、あなた達も調停官に貢献したということでこの街での地位も上がり、お互いに良いことづくめで申し分のない提案だと言っているんです」
状況を把握してないのか、それとも空気が読めないのか、構わず取引を続ける東花に対し、
「それを舐めていると言っているんだ‼」
低い紅牙の怒号が牛達をさらに縮こまらせ、燕は焦ったように東花へ耳打ちをする。
「ど、どうするんですか?」
「・・・・・なにかまずいことを言ったか?」
焦った様子で聞く燕だったが、東花はなぜ紅牙が怒っているのか分からないといった表情で首を傾げ、これ以上東花が喋り続けようものなら、東花だけでなく自分の身も危険だと感じた燕は、
「当たり前でしょう‼牛部族にそんな交渉をしたら火に油を注ぐようなものですよ‼」
必死に事の危うさを東花へ伝えようとするが、
「なにをごちゃごちゃ言っているかは知らんが、我々は貴様のような人間の下に付く気なんて毛頭ない。むしろ人間である貴様を八つ裂きにして見せしめにしたいとさえ考えている」
一人と一羽が小声で話す間から、殺気と威圧感をさらに高めた紅牙の声と、ゆっくりとこちらに向かってくる足音が鳴り響き、そこでようやく、自分の立場が危ういことに気付いたのか、
「ま、まあまあ、落ち着きたまえ。今ここで私に手を出してみろ、あなた達はこの村で立場も地位も失うぞ」
数時間前、女将達から逃げようとした時の光景を再現するように、東花はやられ役の小物みたいなセリフを吐き、慌てて紅牙を止めようとしたが、
「ふんっ、人間を殺せるなら地位も名誉もいらん」
すでに殺す気満々でいる紅牙には、その声も届かない。
じわじわと近付いてくる紅牙から、燕は逃げるように後退りをしながらも、
「これって本格的にやばいんじゃ・・・・」
切迫した声色で、自分達が危険だということを東花に伝えるが、
「確か君は鳥類族だったね?」
危機迫るこの状況で、東花はさっきまで出していた小物臭をすっかり消し去り、急に燕の種族を確認する。
「なんですか急に?」
どうして今そんなことを聞くのか、燕は頭が混乱して聞き返すも、
「合図をしたら形態を変化させて、私を持ち上げて上に逃げろ」
「合図ってなんですか?」
なんの説明もなしに自分を持ち上げろと言う東花に対し、いろいろと言いたいことはあるが、東花が言う上には天井があってまともに飛べることが出来ず、飛んだとしても簡単に撃ち落とされるだけ、
「いいから私の指示に従いたまえ」
「いいからって―――」
しかし、燕の問いかけにも答えず、有無を言わさない東花の指示は燕を惑わせるだけで、突破口が見つからないまま、時間切れを表すように、
「話し合いはもう終わったか?俺達も気が長くないもんでね、憎き人間がここまで来てわざわざ喧嘩まで売ってくれたんだ、こちらもただで帰すわけにはいかないな」
いつの間に距離を縮めたのか、そこはもう、紅牙の拳が届く射程範囲内。
「どうした?さっきまでの威勢のよさがないぞ。もしかして怖くなったか?」
殺気を含んだ笑みを浮かべ、圧倒的な威圧感を放つ紅牙に燕が恐怖を抱き慄く中、東花だけは違った。
その恐怖を目の前にしても、東花はにこっと笑い、
「あなたは人間に勝つことなんて一生出来ず、一生家畜としてしか生きていけないんだよ。バーーーーーーカッ‼」
子供じみた悪口と、直接的な暴言を吐き捨てたのを合図に、
「だったらここで貴様を殺して人間より牛のほうが優れていることを証明してやる‼」
紅牙は自分の拳を強く握り締め、戦闘態勢に入ったまさにその瞬間、
「な、なんだっ‼」
東花の体からいきなり出てきた白い煙幕が、もの凄い勢いで室内を駆け巡り、
「わっ‼」
その煙幕は燕の体をも飲み込むと、室内を一気に白い煙が覆う。
「くっ‼なにが起こった‼」
状況が把握できない紅牙が叫ぶと、
「わ、分かりません‼」
慌てふためくように牛部族の一頭が返事を返す。
急激に変化する展開は牛部族達を混乱させ、さっきまで見せていた紅牙の統率力も完全に失わせると、すぐに紅牙の頭上からどんっと、なにかが壊れるような音が聞こえたと同時に、その音がした方向へと白い煙幕が立ち上る。
頭上へ上っていく煙幕は、徐々に紅牙の視界を晴らしていくが、さっきまで目の前にいたはずの東花と燕の姿が忽然と消え、なにが起こったのか分からない紅牙は、怒りを忘れ戸惑うことしかできなかった。
そんな紅牙の頭上、天井があったさらに上空から、
「はーはっはっはっはっは‼お前達みたいに前しか見えていない連中なんて私の敵ではないのだよ。バーーーーーーカ‼ププププッ」
またもや東花の暴言と、さらには唾までも吐き捨てるような声が上空で響き渡り、紅牙が上を見ると、そこにはあったはずの天井はなく、紅牙の目に映ったのは雲一つない青空だった。
どうやって開けたのか、天井には大きく開けられた穴、そこから白い煙幕が吹き上がり、その先に見えたものは、黒くて大きな翼を背中から生やし、いまだ子供のような罵倒を続ける東花を抱え、空を飛ぶ燕、ばさばさと翼を羽ばたかせ、空を飛ぶその姿はまさに鳥。
紅牙は歯を軋ませ悔しそうに上空を睨んでいたが、自分の上司が安全なところで悪口を言う姿はカッコ悪く、
「この手を離していいですか?」
燕は今すぐこの手を放し、東花を突き落としたい衝動に駆られるが、
「それだけはやめたまえ‼私がいなくなればこの村にとって大きな損失だ‼それに調停官を見殺しにしたら君の経歴にも傷がつくぞ‼」
さっきまで威勢よく罵声を浴びせていた姿とは大きく異なり、部下である燕に対して縋る東花の様は非常に情けなく、そんな上司の姿に、
「必死すぎて見殺しにする気にもなりません」
燕は冷ややかな視線と言葉を東花に向けると、
「というか、いつもそんなものを常備しているんですか?」
次には東花が手に持っているものへと視線を移す。
その視線の先には、さっきまで東花が持っていなかったチューブ状になっている一本の管。
「私みたいな可憐な女性が、こんな野蛮な連中しかいない無法地帯に無防備で行くわけがないだろう?しかも、人間に対し敵意を持っているところへ行くんだから、これだけの装備じゃあ、もの足りないぐらいだよ」
東花はその管を自慢するように見せつけると、そこから白い煙幕が勢いよく放出されていた。
さっきまで牛部族達を翻弄し、危機的状況を救った白い煙幕の正体も、東花が持っているこの管から出されたもの。
しかし、運良く逃げおおせたものの、一つ間違えればこの街全体の問題に発展しかねなかった東花の行動は、調停官というイメージをより一層悪くしただけで、
「でも、結局は牛部族を怒らしただけで、状況はさらに悪化しただけですけどね」
燕は牛部族の根城から離れるように飛びながら、修復不可能というべき牛部族との溝、それにどう対処していけばいいのか分からず、前途多難なこれからを思うと、自然に溜息が出てしまう。
だが、なにか秘策があるのか、
「ふっふっふ・・・・・君はなにもわかっていなようだな助手よ」
東花は牛部族を怒らせたことも計算の内だと言いたげに、余裕を持った表情で燕を見るが、こんな事態を引き起こしておいて笑みを浮かべる東花の顔と、助手という呼び方が燕の癇に障り、もう、この手を離しても別にいいんじゃないかという考えが過ぎってしまう。
ただ、それをしたら牛部族は喜ぶかもしれないが、この街の住人に迷惑をかけてしまう。そう思った燕はぎりぎりのところで踏み止まると、
「だからその助手って言うのをやめてくれませんか。あと、私が分かってないってどういう意味ですか?」
助手と言われたことに対する抗議を含め、東花がなぜこんな行動を取ったのか聞いてみると、
「私があんな無謀な交渉を、なんの考えもなしに行ったと思っているのか?」
「それじゃあ、なにしに行ったんですか?」
言ってることと、やっていることがまったく違うじゃないか。という東花に対する思いをなんとか呑み込みつつ、わざわざ危険な場所に行った理由について尋ねたが、
「君はあの部族が一枚岩で崩れないと思っているかい?」
東花は燕からの質問を質問で返す。
質問をしているのに、逆に質問をされると思わなかった燕は一瞬戸惑ったが、
「それは牛部族全員が人間を嫌っているんだから、どう見ても一致団結しているように見えましたが」
頭の中で思考を巡らせながらも質問に答えると、燕の答えに東花は頷き、
「確かに、あの中には人間に好意を持っている奴なんて一頭もいなかったね」
「だったら、やっぱり怒らせに行っただけじゃないですか!」
危険な思いをしてまで行ったのに、結局は牛部族を怒らせに行っただけという結果に、燕は肩を落とすが、
「君は連中の感情が全部一致していると思うかい?」
「違うんですか?」
燕の意見に賛同したはずの東花は、わざわざ牛部族の根城へ行った理由をここで初めて明かす。
「人間もそうだが、感情は同じでもそこには温度差っていうのがあるんだよ。あの一見頑丈そうな一枚岩も、そこを突けば簡単に崩れる」
強気な東花の発言。しかし、燕は本当にそんな上手くいくのか疑問を抱き、
「簡単に言いますけど、そんなことを本当に出来るんですか?」
視線を空の景色から東花のほうへと移すと、東花は浮かべていた不敵な笑みを燕に向け、
「だからあんなところにわざわざ行って、怒らせてきたじゃないか」
さっきも言った、怒らせることが目的だったと断言する東花に、
「すいません、話がいまいち見えないんですけど」
燕の理解は追いつけず、話しの全貌がまったく見えない東花の言動は、燕に頭痛を引き起こすものだった。
しかし、東花が突然、
「あそこを見てみなさい」
ある方向を指で差し、燕に指した方向を見るように言うと、
「うわっ‼」
指された方向を見た瞬間、燕は目をぎょっとさせる。
上空から燕が見たものは、黒い着物を着た強面集団、その集団は隠すことのない殺気を立てて、調停官室がある役所を取り囲み、その光景に燕は顔を引き吊らせ、東花は笑う。
それは間違いなくさっき怒らせてきた牛部族の面々、もう話し合いなどでは解決しそうにない雰囲気を漂わせ、遠目から見ても異様な光景だが、明らかに自分達の帰りを待っていたのだが、燕のみならず、東花もそのことを十分分かっているはずなのに、牛部族を上空から見下ろす東花は、くっくっと笑い、
「前しか見えない連中だ、きっとここまで来ると思っていたよ」
自分達の帰る場所がなくなったことにも気にした様子を見せず、ここでも余裕の笑みを浮かべるが、
「どうするんですか‼これじゃあ怒りが治まるまで私達は逃げ続けなくちゃあいけないじゃないですか‼」
殺気立った牛部族が役所の外にたむろする光景と東花の笑みは、調停官室に戻りたいのに戻れない燕にヒステリックな声を上げさせるだけだった。
しかし、東花はそんな燕の声を黙らせる秘策を持っていた。
「一つだけ行ける場所があるじゃないか」
「え?」
他の場所へ行くよう燕に指示するが、どこへ行けばいいか分からない燕が首を傾げると、東花の不敵な笑みが、どこか悪そうな笑みへと変わり、東花は驚きの場所を指定する。
「奴らの本拠地だよ」
「はあ?なんでまたあそこに戻るんですか‼」
東花から出てきたまさかの場所。それは燕を惑わせさらに混乱させるが、東花は燕の声を無視して話しを続ける。
「あれだけの数を連れて来ているんだ。本拠地のほうはもぬけの殻だろうし、それにまさか、本拠地にまた戻っているとはあの低能な連中じゃあ思い付かんだろう?」
「でも、あそこに戻ったってすぐにあの連中は戻ってきますし、もぬけの殻と言っても、本拠地を空にするわけにはいかないですから、数頭はそこに残っていると思いますよ?」
燕の言う通り、東花の言うことは常に危険と隣り合わせ、なにより、本拠地を空にするということは敵の侵入を許すことでもあり、この街がいくら平穏でも、元々野生の生物だった者の中にそんな無用心な真似をする者はいない。
それを踏まえた上で燕が的を射た指摘をすると、
「その数頭が突き崩せるポイントになるんだよ」
根城に残った牛がキーマンだと断言する東花だったが、
「どういうことですか?」
結論を先延ばし、その勿体つけたような前置きをする東花の言い方に、燕は少しイライラしながらもその意味を問いただすと、東花は燕の不満そうな顔を一瞥し、答えを早く知りたがる燕に対し、ゆっくりと説明に入る。
「あれだけの数を相手にするなら私だって骨は折れる。だが、少数を相手にするだけなら簡単に切り崩せる」
「そんな簡単にいけますか?少数と言っても相手は牛部族、一頭一頭がかなりの力を持っていますよ?」
「馬鹿だなぁ、誰も力で崩すなんて言っていないだろう?」
「それじゃあ、どうやってやるんですか?」
一々、自分が言ったことの揚げ足を取る東花に燕はさらにイライラしながらも、なにをするのか分からない以上、自分の行動が取れない燕は仕方なく東花へ聞き返すと、
「ふっふっふ、あーいう前しか見えない奴らを崩すには、違う方向で前だけを見させればいいだけの話」
自信満々に言う東花、だが、やはり結論を言わず回りくどい言い方をする東花に、
「どういうことですか?」
燕は眉を顰めて、もう一度聞き返すも、
「いいから君は黙って私を本拠地まで連れていきたまえ助手よ」
東花は燕の質問にも答えず、有無を言わそうとしないその指示は、燕に不満しか残さなかった。と同時に、さっき忠告していたにも関わらず、懲りずに助手という単語を使った東花に対し、
「どうなっても知りませんよ。あと、もう一回助手って言ったらこの手を離します」
上司である東花の言葉に逆らえない燕は、少しの反抗心を出したかったのか、従う言葉とともに、脅迫めいた言葉も付け加え、
「それだけはやめてくれっ‼」
落とされる恐怖を想像したのか、東花は燕の体にしがみつき、必死な表情で訴える。
そんな東花に呆れ、怒っていること自体が馬鹿馬鹿しく思えてきた燕は、溜息を吐きながらも、東花を抱え牛部族の根城へと飛んでいく。