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RED:k  作者: しののめ とも
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#2[不穏]-2-

 どこかで、さらさらと音がする。


 見上げると、幾重にも重なりあった枝葉のすき間から日の光がこぼれ落ちて、まぶしかった。

 枝の先から生える木の葉たちが体をこすりあってたえまないうたをつむいでいる。

 視線をおろすとイーゼルに立てかけられたカンバスがあった。

 ふと、カンバスに、ぼんやりとした線がのせられた。

 はじめはただのマルや四角だったものが、線がのせられてはけずられていくのをくり返しているうち、だんだん輪郭がはっきりしてなにかの形をなしていく。

 しばらくすると風景画になった。まだ下書きだから、うす茶色一色だ。

 絵ができていくのを見るのが好きだった。

 なんかおもしろかったから。

 理由は単純なものだった。

 あの人が持っている筆は、魔法でもかかっているのかもしれない。

 聞いてみたけれど「そんなことない」と軽くあしらわれてしまう。

 絵のなかの丘のむこうにはとてつもなく大きな塔が建っているらしい。

 カンバスの先にある光景を見ても塔はなかった。大きな塔は絵のなかだけに存在した。

 どうして街中に塔を描いたのか聞いてみたけれど、やっぱり教えてくれなかった。

 ケチだと思ったけれど口が裂けても言えなかった。

 どうせまた小突かれるからだ。

 自分が絵を描いていたのは、その人のマネをしたかったからだと思う。

 絵といってもただのラクガキだったし、深い理由なんてない。

 スケッチブックもただ単に「いいな」って思ったから、ワガママを言って買いあたえてもらったものだった。

 すぐにあきちゃうクセに、なんてだれかに文句を言われたりもした。

 ひだまりのなか、今日も同じように絵を描く。でも二、三枚描いてだんだんあきてきた。

 どうやってもあの人と同じような絵は描けない。

 ふと、違和感を抱いて、周囲を見まわした。

 ほかにも何人かいることに、今、気づいた。


 どうして気づかなかったんだろう。


 ああ、声が聞こえなかったからだ。

 それになぜかみんな、顔がなかった。顔だけ黒くぬりつぶされて、だれなのかわからない。

 息がつまる。

 こわくなって、ふりかえった。

 今までいたあの人が、いない。イーゼルに立てかけられたカンバスも荷物もなにもかも煙のように消えてしまった。

 あたたかい日射しはかげって、あたりはうす暗くなっている。

 寒気がした。

 この場所から逃げたくなって、後ずさりしてから体をひるがえすと全速力で走った。

 ふと、呼ばれた気がして、またふりかえる。

 突然、抱きとめられた。

 あたたかさに包まれて、安堵する。

 だが、あたたかさに違和感がした。

 見上げると、相手の顔はやはり黒くぬりつぶされている。

――うろたえた。

 でも、一番、おどろいたのは、相手の体から流れ落ちる大量の血液だった。

 あたたかかったのは相手の流れる血のせいだ。ぬるりとして気持ちが悪い。

 背筋が凍る。叫びたかったのに声にならない。

 硬直したまま立ちすくんでいると相手の体はぐらりとゆらいで倒れた。血だまりの上に落ちて、ぐしゃりと音をたててころがる。

 血だまりは、たえまなく広がっていく。

 どうしたらいいのかわからない。

 混乱して、思考がこんがらがっていく。

 どうしてこうなったのかさえわからない。

 ふいにうしろから頭をわしづかみにされて、地面にたたききつけられた。

 一瞬、目の前が真っ白になって黒くなった。痛い。

 血の海につっこんでいったせいで、鉄さびた味が口に広がる。嫌なにおいもする。

 体をよじらせて抵抗しようとした。

 がっちりと押さえつけられて、身動きひとつとれない。


――はなせ!


 声にならなかった。喉にひっかかって、言葉をうまくだせない。

 無理やり頭を動かしてうしろを見た。

 馬のりになってきたヤツの顔を見ようとしたところで背中に鈍痛が走った。

 息ができなくて、あえぐ。

 ヤツの顔は見えなかった。嘲笑あざわらわれていることだけは、わかる。

 頭のなかの血液が逆流して熱かった。視線がぐるりと回転して、全身の力がぬけて、いく。

 涙腺から意識もしないのに涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。

 体はぬけ殻になって、冷たくなって、さいごは消えるだけになる。


 消えてしまうのは、こわい。

 こわくて、とても――冷たい。



 一夜明かせば、現実にもどってしまうんだと思っていた。

 目をあけたら知らない場所で、ぬくぬくとあたたかいベッドのなかにいた。ここちよかった。

 まだ夢を見てるんじゃないかと勘ぐってみて、体を起こしてみる。

 はっきりしない頭をめぐらせて、首をかしげる。二度寝、三度寝したけれど部屋のようすはかわらない。

 見慣れない部屋にいることに違和感を抱いた。

 寝泊まりのためにあてがわれた部屋はこざっぱりとしていてやはり飾り気がない。

 ここが骨董品店の二階にある部屋だったことに気づいて、ぼんやりと昨日のこと思い出す。

 そういえば、あのあとそのまま泊まっていけって言われたんだっけか。

 奇妙な感覚におそわれた。

 ぐらぐらして、落ち着かない。胸のなかがざわつく。

 ベッドから降りて、素足のまま扉に近づいた。

 人の気配は感じない。

 だれもいないことを確認してから、そっと廊下にでてみる。床が軋んでちいさな声を上げる。

 静かだった。

 家にだれもいないのだろうか。

 そろりと気配を殺して、階段を下りていく。

 一階にたどりつくと廊下が横にのびていた。眼前でたちふさがる壁のすぐ右側にドアがある。左のつきあたりに玄関があった。

 玄関の手前に、壁をくりぬいたような、つきぬけの出入り口があった。出入り口の向こう側は部屋につながっていた。

 気になって、おそるおそる部屋に入ってみる。

 部屋はひろかった。静謐な雰囲気に包まれた空間だった。

 かつん、かつんと奥ゆかしい音がした。音は重なりあうように輪唱している。ここだけ時間が切り取られている気がした。

 部屋はたくさんの品物であふれていた。陶器や人形、グラス、絵画、それ以外にも大きなものからちいさなものまである。音は古い時計の音だとすぐに気づいた。

 古いものを売る店だ。

 生き物の息づかいがして、はっとする。

 部屋の足もとを見やると、入り口のすみで伏せをしていたシェパード犬が顔を上げた。シッポをせわしなくブンブンふってこっちを注視しはじめる。

 右手にカウンターがあった。カウンターの向こう側で、昨日、はじめて顔を合わせたばかりの青年が文庫本を読んでいる。

 たしか、相手の名前はラキアで間違いないはずだ。ダイニングで、そう呼ばれているのを聞いた。

 背もたれに寄りかかっている姿を見ると、やはり車イスに座っているのだろう。おぼえているかぎりでは間違いない、背もたれは車イスのものだ。

 しずしずと読書をする相手の姿を見て、すこし年上だろうかとふと考える。

――視線がかち合ってしまって、体が硬直した。

 ラキアは訝しむような表情になって文庫本を閉じた。

 刹那、カレルはまわれ右して部屋をあとにすると脱兎のいきおいで階段をかけ上がった。

 二階の廊下まで行くと、ばくばく言ってる心臓を落ち着かせようとして息を吐く。

 つい逃げてしまった。

 どうしよう。

 今まで眠っていた部屋のドアを目の前にした時、また部屋に閉じこもらなきゃいけないのかと考えると気がひけた。

 だからといって廊下でぼうっとしているのもなんか、落ち着かない。

 キョロキョロと周囲を見まわす。あまり広い廊下じゃない。

 廊下のつきあたりに窓がある。

 吸いよせられるように足を前にだした。床がきいきいと鳴き声を上げる。

 視界のすみで気になるものをとらえてピタリと動きがとまる。

 廊下を右におれたすぐ先にハシゴがあった。オマケっぽい手すりがついたハシゴは、急傾斜になって天井までのびている。

 ハシゴの下まで行って、天井をのぞいてみると四角い入り口が見えた。ぽっかりと口をあけた天井の先は真っ暗だ。

 どこにつづいているんだろう。

 気になって、ハシゴに足をかけてみた。

 入り口の縁に脳天をぶつけそうになって、よけたけど頭の後頭部をこすってしまった。

 気にしないことにする。

 上ると、頭が天井にぶつかりそうな奇妙な空間にでた。

 こもった空気がただよっている。うす暗くてほこりっぽい。

 頭の上で、ナナメにかたむいた長方形がふたつ向かい合って三角の形をつくり出している。屋根裏部屋だ。

 ナナメの面の真ん中で天井の一部がせり出していて、人ひとりくぐれそうな大きさの窓がはめこまれていた。

 窓から日の光がこぼれ落ちて、部屋中にただようチリが光に反射してキラキラと舞っている。

 こぼれた光の下でホコリをかぶった家具や小物たちが乱雑につみあげられて鎮座していた。ところどころ蜘蛛がうっすらと巣をはりめぐらせているのも見える。

 近づいて窓を開けようとしたところで、なにかが足にひっかかった。

 ガラクタ山の一部が雪崩みたいにあっけなく崩れていく。

 わっとあわてて押さえ込もうとしたが、無駄な努力だった。

――途方にくれる。

 カレルはしずしずとまわりを見まわした。目撃者はいなかったので、なにもなかったことにする。

 ふと、ガラクタ山のかけらのひとつに目が行った。

 ただの絵画だった。

 ひろいあげて、ながめてみる。両手で抱えられそうな大きさのカンバスには、遠くから望んだ街並みが四角に切り取られて描かれている。

 違和感がするのは、街並みのなかにひとつだけ大きな塔が立っているせいだ。

 妙にひっかかる。どうしてだろう。

 頭がぐらついた。足もとはふらつかないのに、周囲のものがぐにゃぐにゃとゆがんでいく。

 カレルは絵を裏返して、崩れかかったガラクタたちの上においた。

……なんだったんだろう。

 嫌な気分になっていた。頭をふる。まわりのはもとどおりの姿にかわっていた。

 逃げるように屋根裏の窓を開けて、うす暗い空間から這いだす。

 のぼると、古ぼけた素焼きの瓦がぎっしりとしきつめられた屋根の上にでた。屋根は焦げたオレンジ色と茶色と黒がまだらにまじりあっている。

 日射しの強さは幾分かやわらいでいた。

 もうとっくにお昼はすぎてしまっているんじゃないだろうか。

 一階にあった時計は何時を指ししめしていただろう。気にしてなかったせいで、きちんと見ることなんてしてなかった。

 どこまでも広がる空の下、うすくのびた白い雲がゆったりと蒼穹そうきゅうのなかをおよいでいる。

 屋根裏部屋とちがって、外の空気は清水のように澄んでいた。

 てきとうな場所を見つけて腰をおろした。眼下に広がるのは不規則にいくつも立ちならぶ建物の頭だった。

 街中の喧噪が遠くから聞こえる。

 嫌っていうくらい臨場感があるくせに現実味がない。

 その場に腰をおろすと、ただぼうっと景色をながめた。

 心のなかがざわついて、落ち着かない。行き場所がなくてどうしようもない気分だった。

 どうして、こうなったんだっけか。

 考えるのも面倒くさくなってきた。ひざを抱えて意識を手放そうとする。


 暗闇のなかで、唐突に赤い色がぶちまけられて広がっていった。


 ふいうちのような幻視は記憶の残滓ざんしでしかなかった。なのに、体がこわばる。

 やわらかい肉がだんだん冷たくなっていく感触が、まだ手のなかに残っている。

 吐きそうになった。気持ちが悪かった。

 あっけない行為。ちいさい虫を容赦なく踏みつぶすみたいな残酷な行為。

 何度も何度も忘れようとしたのに、忘れようとすると強く反発するように記憶が鮮明になっていく。

 視界がズレて漆黒にのまれそうになった。

 自分の体がバラバラになって、かき消えてしまいそうだった。


「……おおーい、こんなトコでなにしてんの?」

 呼ばれてはっとする。あわてておもてを上げた。

「ここでずっと昼寝してたん?」

 声の主はミゲルだった。屋根裏部屋の窓から顔をだして、柔和な表情をカレルにむけている。

「やー、ほら、帰ってきたら二階にいるって聞いたから、てっきり部屋にいるかと思ってたんだけど」

 カレルが答えないでいると、ミゲルが怪訝そうに眉を動かす。

「あっ、まさか……もしかして具合悪いのか? 病院とか行」

 耳に入った瞬間、勝手に体がびくつく。おっかなびっくり立ち上がったとたんに足がすべった。

 尻もちをついてすべり台よろしく下にむかってズリ落ちる。足の先が宙になげたされた。本能的に両手でふんばったから落ちずにすんだらしい。

 おかげで吐きそうになったものが喉の下にひっこむ。

 口から心臓が飛び出すくらいビビった。

 カレルは涙目になりながらもミゲルを睨む。

「えっ、わ、悪かったって……まあ、いいじゃん。落ちなかったんだしさ」

 たしかに……と納得しそうになって苦々しい気分になる。誤魔化された気がしたからだ。

――ふと、犬が吠えているのが聞こえた。一階からだろうか。犬の声はとまるようすもなく、ひたすら吠えつづけている。

 ミゲルの表情から笑顔が消え、視線はいつの間にか屋根の下にそそがれていた。

 カレルも、つい目をしばたたいてしまう。

「ウチの犬、なんもねえと吠えねーんだけど……なんかあったか?」

 ミゲルが不審がりながら首をひねる。

 嫌な感じがすることだけは、瞬間的に察した。

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