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RED:k  作者: しののめ とも
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#1[迷夢]-4-

 太陽は落ちて、空はふかい鉄紺の色にかわっていた。

 階段の道を歩いていた時には、見えるものぜんぶが夕焼け色に染まっていたのに。

 あっという間に、暗くなってしまった。

 真っ暗とまではいかないが街灯がないとあたりのようすがわかりにくい。

 街灯がまばらに設置されているせいか、ときどきなにがあるのかわからなくなる。

 大通りまでもどると、昼間の喧騒がうそみたいに静まっていた。

 人の気配を感じない。

 看板をかかげた店らしき建物たちは扉やシャッターをがっちり閉めて沈黙している。

 彼女は、すこし急いでいるみたいだった。

 カレルがちゃんとついてきているか何度も横目で確認しながら、先導するようにちょこちょこ早足で歩いている。

 こっちはふつうに歩いているのに、少女があわただしく歩いている姿が不思議でならない。

 丈の長いフレアスカートから生える両足の歩幅がちいさいせいだろう。

 さながら小動物と歩いている気分になる。

 さっきまで気づかなかったけれど、彼女はスケッチブックを二冊持っていた。

 スペアミント色のスケッチブックと重ねて持っていたらしく並んで歩いていた時に初めて気づいた。

 もう一冊のスケッチブックは、群青色の表紙だった。

 ハンカチは返したほうがいいのかどうなのか迷ったあげく、スラックスのポケットに入れたままだ。

 大通りにもどってくると、少女はこの道が「ガト・モンテス通り」という名前であることを教えてくれた。

 昼間であれば、ここは町で一番安全な場所なのだという。

――じゃあ夜は?

 疑問が浮かんだが、聞くタイミングをのがしてしまった。

 大通りをまっすぐ進んでいくと、建物からこうこうと光がもれているのが見えた。

 ひどく目立って見えるのは明かりがともっているのがこの建物一軒だけだったからだ。

 彼女の歩調のスピードが落ちて、おたがいの体がぶつかりあった。

 不意をつかれたせいで前方につんのめりそうになる。

 少女のみじかい悲鳴が聞こえた。

 すぐに踏みとどまったおかげで大惨事にならずにすんだ。

 カレルはあわてふためいて上から少女の顔をのぞきこむ。目が合った。

「あ……ごめんね」

 先に彼女からあやまられて、カレルはでかかっていた言葉をのみこんでしまった。

「どうしたの?」と不思議そうに見上げてくる瞳にあたふたしてカレルはぶんぶんと首を左右にふる。

 びっくりした。

 怪訝そうな顔をされたが、弁明しようにも、うまい説明の仕方がわからない。

 彼女はきょとんとしてカレルを見ていた。

 どうしたのと追及はしてこない。

 気をとり直そうとしたのか、少女は「えっと」とつぶやいてから、光がもれている建物を指さした。

「知り合いのおばさんのお店なんだけど……フロレンシアおばさんなら、たぶん相談にのってくれると思うから」

 行こうとうながされて、ほっとしたような緊張するような、どちらもまじった奇妙な感覚におそわれる。

 とがめられている気がした。

 漆黒の切れはしが、眼前ではためいて消え失せる。

 少女に声をかけられて、はっとした。

 彼女は心配そうな顔をして、こちらを見ている。

 カレルは首をふって「なんでもない」とおぼつかない声で言った。

 納得したのか、彼女はひかえめに「そっか」とうなずく。

 今度は、足を前にだしても大丈夫だった。黒い影はあらわれなかった。

 建物は、少女の言うようにお店になっていて、入り口の片側だけシャッターがおりている。

 こぢんまりとした日用雑貨店だった。

 少女が店内に足を踏み入れた。

 カレルは入り口の手前で立ちどまった。

 店には、商品がおさまった陳列棚が行儀よくならんでいる。

 入って目の前の陳列棚は、おかしのコーナーらしく、スナック菓子やビスケットのパッケージたちがキレイに整頓されていた。

 視線を右側にうつす。

 レジカウンターで、メガネをかけた店主らしき女が書きものをしている。

 褐色の横顔はたしかにおばさんだ。

 カレルたちに気づいたのか、店主が顔を上げてこっちを見た。

 メガネのテンプルからつり下がった赤色のガラスビーズのチェーンがいっしょにゆれる。

 少女を目でとらえた瞬間に、おばさんの表情はなごやかにゆるんだ。

 この人が、彼女が言っていたフロレンシアおばさんだろう。

「おや、いらっしゃい。メレディちゃん」

「こんばんは」

 彼女は、幾分か明るい声音で返事をした。

 少女はメレディというらしい。

 今さら彼女の名前を聞いてなかったことに気づいた。

「どうしたんだい? こんな時間に」

 フロレンシアが問うてくると、メレディは一瞬、カレルのほうをふりむいた。

 同時に、フロレンシアの目線がカレルにそそがれる。

 不可解なものを見るような顔をされた。

 気まずい。

 逃げ出したくなって、後ずさる。

「あの……えっと」

 メレディがうわずった声でわり込んできた。

 彼女は、スケッチブックを胸に抱いたまま、おたおたとレジカウンターまで行く。

「彼、迷子さん……じゃなくて、帰るところわからなくてこまってて、どうしたらいいか考えてみたんだけど、どうにもならなくて、それで……」

「いっしょにここまできたって?」

 フロレンシアが言葉じりをひったくる。

 口調は、あくまでもおだやかだ。

 メレディが「あ」とも「う」ともつかない声をもらして、うつむいた。

「……勝手なことして、ごめんなさい」

「あやまる必要はないよ。悪いことしたわけじゃないんだから」

 メレディはうつむいたまま、フロレンシアの言葉にうなずいた。

 ふとだれかに見られてる気がして、カレルは、レジカウンターに立つフロレンシアのうしろを見た。

 カウンターうしろの扉が、すこしだけ開いている。

 すき間から、ちいさい頭がひょこっとでていた。

 視線が合う。

 じっと、こちらを見つめてくる気弱そうな双眸には、好奇の色が入りまじっていた。

 なぜか、苦々しい気分になる。

 ドアから顔をだしていた少年は、カレルを見るのにあきたのか、さっと飛び出してフロレンシアの腰にひっついた。

 突然のふいうちに、フロレンシアが「わっ」と声を上げる。

 つられてメレディも、おどろいたのかビクッと体をすくませた。

 おばさんはすかさず「コラっ」と少年にむかって一喝。

「お客さんがきてるんだから、むこう行きなっ」

「えーっ、なんで?」

 怒られたのにもかかわらず、白肌の少年は平然とした調子でフロレンシアにくっついたまま口をとがらせる。

 ついでに、足でバタンと扉を閉めた。

 飛び出してきた子供は、なぜか背中に耳が垂れたウサギのヌイグルミをしょっていた。

 しもぶくれっ面のウサギは、あきれるくらいマヌケな表情をしている。

「ったく、しょうがない子だね。ちょっとで十三になるっていうのに、あいかわらず甘えん坊なんだから。……ごめんね、うるさくて」

「ううん、大丈夫」

 苦笑するおばさんに対し、メレディも遠慮がちに笑って返事をする。

 雰囲気が、完全に知り合い同士の会話だ。

 なかに入れないし、入っていいのかもわからない。

 カレルは立ちんぼのまま、二人のやりとりを見ているしかなかった。

 ふと、舌打ちといっしょに「どけよ」とつぶやきが背後から聞こえた。

 あわててふりかえる。

 真っ青なモヒカン刈りの皮ジャン男が店に入ろうとしているところだった。

 男は頭にぐるぐると包帯をまいて、首からたらした三角包帯で右腕を固定している。ガムでも食べてるのだろう。くちゃくちゃと嫌な音をたてて口を動かしていた。

 多分、同じくらいの年かもしれない。

 青い髪は、原色の絵の具をそのままぬりたくったような色をしている。

 トサカが青いニワトリみたいだ。

 一瞬、心のなかでなにかがひっかかる。

 なんだっけか。

 ぼんやりとしてこっちが動かないままでいると、青トサカはカレルをねめあげながら店内に入っていく。

 嫌な感じだ。

「悪いけど、もう店じまいだよ」

 男に気づいたのか、フロレンシアはそっけない声をあびせた。

 メレディに対する話し方とはぜんぜんちがった。

「ふうん。お客サマにたいしてそんなこと言うのかよ、オバサン」

 青トサカはレジカウンターにむかって嘲笑まじに言う。

「ウチの営業時間は、夜の七時半までなんでね。ここらへんに住んでるんなら、みんな知ってるはずなんだけど?」

 あくまでも冷静なそぶりで、フロレンシアはレジカウンター側の壁に備えつけてあるアナログ時計を見やる。

 かざりけのない壁掛け時計の針は七時四十分をさしていた。

「あんだよ、すこしくらいいいじゃねーかよ。ケチくせえなあ」

 青トサカは、べっとツバといっしょにガムを床に吐き捨てた。

 メレディは、レジカウンターから数歩うしろに下がって、スケッチブックをきつく抱きしめてちぢこまっている。

 彼女が蒼白になっているのは、目に見えてあきらかだ。

 フロレンシアは大げさにため息をつくと、一瞬メレディのほうを見て、また青トサカにむきなおった。

「言葉が伝わらなかったのかねえ。さっさと帰ってほしいって言ってんだよ」

 店主の発言に、いらだちがまじっていたのは気のせいじゃない。

 かたわらで少年が、おそるおそるではあるが、興味深そうにフロレンシアの裏で青トサカを見上げていた。

 なにかひっかかるような気がするが、なんだっけか。

 よく思い出せない。

「はっ、マジでそんなことゆっちゃうワケ? 逆らってもいいっていうんだな。オイ、どうなんだよ!」

 恫喝とともに、青トサカは乱暴にレジカウンターを蹴り上げた。

 鈍い大きな音とみじかい悲鳴がまじりあう。

 悲鳴はメレディのものだった。

「子供の前で乱暴はよしとくれよ! なに考えてるんだいっ」

 店のなかに入るべきかどうか、迷った。

 なんだかよくわからないけど、大変なことになっていることはたしかだ。

「くぉらあ! ペリコっ! ごアイサツしにきたのに、ヘタクソな乱暴すんじゃねーぞ!」

 店内から、男のダミ声が響きわたるのが聞こえる。

 青トサカの声じゃない。

 足もとから、聞こえた気がする。

 だが、店のなかをのぞきこんでもダミ声を上げたヤツの姿は見当たらなかった。

 肩になにかがぶつかって、よろめいた。

 あわててふりかえると、しかめっ面をした大男がカレルを見下ろしていた。

 肌は黒い。髪はひどく短く刈りあげている。

 体つきは大柄で、身長は二メートルくらいありそうだ。

「……ジャマ」

 ぼそりと言って、猫背の大男は、のそのそと店のなかに入っていった。

 なにが起きているのかさらにわからなくなって、カレルは目をしばたたかせる。

「あ、親びん。ちょーどいいトコロにっ」

 さっきとはうってかわって、トサカが調子のいい声を上げた。

 親びんってだれのことだろう。

 すれちがった大男のことだろうか。

「おい」

 でもへんだ。それだったらうしろから声がするはずだし……。

「おーい、聞こえてるー?」

 耳元にまったくべつの声が突きささって体がびくついた。

 カレルはあわてて片耳を両手で押さえると、うしろを見やる。

「やっ、数時間ぶり」

 見覚えのある顔と目があって、カレルはあんぐりと口を開きそうになった。

 あの部屋にいた男だ。

 女刑事にミゲルと呼ばれていた男は、破顔よろしく片手をふって眼前に立っている。

「いやーあ。お前さん、目立つカッコだったからさがすの楽だったわ」

 ミゲルの発言にかぶって「ヌアーッハッハッハ!」とバカげた哄笑が背後で轟いた。

 さっきのダミ声だ。

 声はやはり、店のなかから聞こえた。

「……ん? なんだかにぎやかだなあ」

 ミゲルは野次馬みたいに首を動かして、店のなかをのぞこうとした。

 カレルは、そのスキを見てとんずらしようと試みる。

 すぐに気づかれてしまって、服のすそをつかまれ逃げることができなかった。

 じろり、とミゲルを睨む。

 ミゲルはにんまり微笑んで、ダメダメと首を左右にふった。

 どうやら手をはなす気はないらしい。

 店内では「あれ? 親びんどこッスかー?」と青トサカのマヌケな声が聞こえる。

 反論するひまもなく、ミゲルにズルズルと引きずられてしまい、もう店に入るしかなかった。

 いや、べつに入ったっていいんだけど。

 ミゲルがノンキに「おーい」と言うのと同時に「ここだ!」のダミ声がひびきわたった。

 突然、青トサカがギャっと声を上げて床に転倒する。

 片方のすねを押さえて「足が、足がっ!」とくり返してのたうちまわりながらメレディの前までゴロゴロころがっていく。

 メレディが体をちぢこませながら一歩うしろに下がると、フロレンシアはあわてて手招きしながら「こっちおいで」と小声でメレディを呼んだ。

 フロレンシアの呼びかけにメレディはすぐに気づいたらしく、彼女は、おたおたとレジカウンターにいるおばさんのところまで移動する。

「え、なに? どーしたの?」

 ミゲルは成り行きを見ていたにもかかわらず、きょとんとしてフロレンシアに問うた。同時にカレルの服をつかんでいた手がはなれる。

「バカかキサマは! オレサマはここだっ!」

 またダミ声がする。

 なんなんだろうと思って、カレルは周囲の下部をキョロキョロ見わたすと、レジカウンター前でへんなものを発見してぎょっとした。

「おい、シプリアノ!」

 レジカウンターからすこし離れた場所で、そこらへんの電柱みたいに静止していた大男が、ダミ声に反応してのそりと動いた。

「えっ」

 おばさんが声を上げて、あとは早かった。

 またたく間にミゲルが商品棚にむかってふっとんでいく。

 派手な音をたてて、棚に並んでいた商品が雪崩のように落ちた。

 レジカウンターの向こう側の三人は、身をよせ合いながらも言葉を失って硬直している。

 大男がこぶしをふるったのだと理解したとたんに「ヌアーッハッハッハッ!」と高笑いがする。

 声を上げていたのは、文字通りのヘンテコ小人。

 幼児のようなみじかい手足が生えるちっぽけな胴体の上に、カギ鼻の目立つ大人の頭部がのっかっている。

 そのくせ彼はいっちょまえに、だがすこしくたびれたモーニングの背広を身につけていた。

「おい、コラ、ボサッとするなっ!」

 ヘンテコ小人がバンバンと地団駄を踏んでがなる。

 いそいそと大男が動いて、ヘンテコ小人を持ち上げた。無言で小人をレジカウンターの上に立たせる。

 あまりにも奇妙な光景で、だれも口をさしはさむマネはしなかった。

 商品棚のあいだで、缶ヅメやおかしの箱にうもれたミゲルが「いててて」とぼやきながら体を起こす。

 いっしょにミゲルの上につみあがった缶ヅメやおかしの箱が、無情にボタボタと床にこぼれ落ちた。

「ヌアーッハッハ! よく聞け愚民ども! 金目のものをせしめるために、このダミアン様がじっきじきにアイサツしにきてやったぞっ。感謝するがいい!」

 高飛車よろしく、ビッシィっとヘンテコ小人もといダミアンはひとさし指を前方に突きだした。

 決めポーズだろうか。

「……は? なにそれ、俺に言ってんの?」

 指をさされたミゲルが地べたに座ったまま聞き返す。

「はへ?」

 ダミアンが気のぬけた声をもらした。

「親びーん」と涙声を上げながら青トサカあらためペリコがふらふらと立ち上がり、レジカウンターにむかっていく。

「ひどいっスよ、スネ蹴るなん」

「お前はだーっとれ!」

 そばまでやってきたペリコの顔面を、ダミアンがサッカーボールのようにいきおいよく蹴り上げたせいで、ペリコはぐうと断末魔をもらしてあっけなく背中からぶっ倒れた。

 みんなぽかんとあっけにとられたようすで、突然やってきた連中のやりとりをただだまって見ているだけだったのだが。

 ひとつ、思い出したことがあった。

 青トサカの顔に見覚えがある。昨日の夜ピイピイ泣いていたアイツだ。

 昨日、と思い出して思考が凍りついた。

 もっと忘れていたことがある。

――なぜか、気持ち悪くなった。

「と、ともかくだ!」

 ダミアンが話を再開させる。

「さっさと金をだしやがれ! さもなきゃ命はねーぞ!」

「ずいぶん乱暴してくれて、そのうえアタシの店でわけわからないこと言って! アンタらどこの連中だいっ?」

 フロレンシアの怒りのこもった言葉にキョドって、ダミアンがうしろをふりむいた。

「あー……あでで……ぜったいこれ腫れてるわ……」とゴニョゴニョひとりごとを言いながらミゲルが商品棚を頼りに立ち上がる。足もとの缶づめのひとつがコロコロころがった。

「ったくもう、ひでえアイサツしてくれるなあ。骨折れちゃったかと思ったよ」

 気をとり直したようにダミアンが声高に「ヌアーッハッハ!」と笑った。 

 小人のくせに、バカみたいに声がでかい。

「ふん、なら本気で折ってやっていいんだぞ? なんせコイツは化物ヴァンピロだからな」

 ずいっとシプリアノがミゲルの前に立ちはだかった。

 シプリアノの大きさに威圧されたらしいのか、ミゲルは「わわ、ちょい待てって」とたじろいで後ずさる。

「あのぉー、親びん、お前さんのこと化物ヴァンピロってハッキリ言ってマスけど? ……言われたら嫌じゃね?」

「……ベツに」

 大男は、あいかわらず無愛想なまま返答した。

「う、うん。お兄さんが強いのはよぉくわかったから、落ち着いて話し合いしよーって。ん? もしかして化物ヴァンピロなんて呼ばれるとか、あーっ、お兄さんは俺と同郷の人? ならなおさら話を」

「――その必要はぬあいっ!」

 ミゲルの台詞をはったおして、ダミアンが声を張り上げた。

 全員の視線が、ダミアンの手もとに集中する。

 ダミアンはスーツの懐から拳銃を取りだしていた。銃口はフロレンシアたちにむけられている。

 一触即発、拳銃を見たとたんにミゲルの表情が険しくなる。

「おっまえ、最悪だな」

「ハッハ! なんとでも言え。……おおっと、動くなよ。動いたら、だれに穴があくかわかんないぞ?」

 フロレンシアが少年とメレディをレジカウンター裏の扉から逃がそうとしたのがバレたらしい。

 シプリアノがレジカウンターの裏手にまわって開いていた扉をぱたんと閉めた。

 大男がやってきたせいで、三人は店のすみに追いやられてしまい、メレディと少年はフロレンシアの裏にちいさくなってかくれるのが精一杯みたいだ。

「そこの黒髪」

 ダミアンに目線をむけられて、カレルははっとした。

 ヘンテコ小人を見返して、眉根をひそめて見せる。

「バカか、キサマのことだ! フラフラしやがって、動くんじゃねえぞっ。息もすんじゃねえっ」

 言われなくたって動くつもりはなかった。

 だが、いつの間にか全身に冷や汗がじんわりにじみ出ていて、頭もなぜかぼんやりしてきている。

――吐き気がして、気持ち悪い。

 実のところを言うと、立っているのがやっとだった。

 レジカウンターにふんぞりかえる小人のかたわらで、いつからそうしていたのか大男がレジスターをツンツンつついている。

 かと思いきや、彼はいともかんたんにレジスターを持ち上げた。

「なんてことするんだい!」

「うるさい、だまってろっ!」

 ヘンテコ小人がフロレンシアの額に銃口をむける。

 緊迫している状況にもかかわらず、足もとがふらついてしまい、カレルはたたらを踏んだ。

「くぉら、動くんじゃねえっつっただろ! おい、シプリアノっ!」

 ダミアンが吠えたと同時にレジスターの落ちるガシャンという音、ほどなくして頬に強い衝撃が、痛みが走った。

 悲鳴が聞こえるなか、目の前が黒に染まる。体といっしょに意識がぶっとぶ。

 うずくような痛みに、影が低くうめいた。


 まぶしさに負けて、まぶたをゆっくり押し上げる。

 視界がおかしい。天井が異様に近い気がする。

 なんだか息がしにくかった。苦しい。カレルは視線だけを下に動かした。

 ああ、大男に胸ぐらをつかまれて持ち上げられてるのか。

 妙に納得する。

 相手はカレルを腕一本で持ち上げながらも、涼しい顔をしていた。

「……あのさあ。乱暴はよくないと思うんだよねえ。離してやったら?」

 ミゲルの声が聞こえた。

「ああん? 逆らうヤツが悪いんだ! キサマはだまっていろ!」

 ヘンテコ小人のダミ声は耳ざわりで、うざったい。

 大男に持ち上げられている状態も不愉快だ。

 どうしてやろうか。

「おい!」とダミ声が啖呵を切った。

 シプリアノが腕をさらに持ち上げようとした。視線がぐらつく。

 床にたたき落とされると察した時にはすでに体が動いていた。

 振り子のように体をぐっとゆらして、大男の鳩尾めがけて力のかぎり足の裏をブチこむ。

 いきおいまかせの一撃が命中すると、シプリアノが渋面になってうしろにぐらついた。

 えり首をつかむヤツの手がゆるんで、はがれ落ちる。

 地面に足がついたことを感触だけで確認したのち、スキだらけになった相手の側頭部を容赦なくこぶしを使って強打した。

 大男がいともかんたんにふっとんで商品棚の列にしずみ、ガッシャンと大きな音がして棚の商品がちらばった。

……なんだ、あっけない。

 ミゲルが口をあんぐりあけて、ぽかんとカレルのほうを見た。

 余裕をかましていたヘンテコ小人の顔が驚愕にゆがんだかと思うと、唇をわななかせて、目尻をつりあげる。

「こんの、クソがっ」

 銃口がカレルをとらえた。カレルは冷めた目で銃口を見返した。

 だが、先っちょがふるえるだけで銃はいっこうに吠えない。

「おっ、親びん、タマ切れなのに無理っスよっ。コイツぜんぜんハッタリきかない」

「だあああっ! ネタばらしするバカがどこにいるんだっ! そもそもだれのせいでこうなったと思ってやがるっ! こらあっ、シプリアノ立てぇ!」

 仰向けになってのびているシプリアノは床にしずんだままピクリともしない。

「んがああっ! この役立たず、クズどもがッ!」

 ツバをとばしながらダミアンがぎゃんぎゃんわめき散らした。

 うるさい。


……この場で壊してしまおうか。


 なんて、そんなこと、どうして思ったんだろう。

 罪悪感が波のように押しよせてきた。吐き気がする。

 ぐらぐらした。まわりがぼやけて地面がぐにゃぐにゃになった感じがした。

 全身がバラバラになりそうだ。頭のなかがおかしくなりそうで叫びそうになった。

 だれかが、骨張った手をのばして、カレルの首根にふれた。

 思考が、体が、硬化する。

 抵抗する気持ちなんて微塵もわかない。

 相手は怒っていた。責められていることだけはたしかだった。

 首をしめられた。息ができない。ぎりぎりと力をこめてくる。苦しい。


『命令』を聞かないものに存在価値はない。


 はっきりと告げられた。

 価値がない?

 頭のなかが白紙みたいに真っ白になった。

 つきはなされた気分になる。

 自分に価値はないと言うなら、死んでしまえと言われているのと同じだ。

 いらないものと、同じじゃないか。


 ぱんっ、と乾いた破裂音がして体がびくついた。だれかが目の先で手をたたいたらしい。

「――おいおーい、大丈夫?」

 眼前で手のひらがヒラヒラ動いている。ミゲルの手のひらだと気がつくのに時間はかからなかった。

 ぺたんと床に尻もちをついてぼんやりしていたらしい。

 我にかえるとカレルは周囲を見まわした。小人も大男も、青トサカの姿もない。どこに行ってしまったのだろう。

 おどろいてぽかんとする。

 気づけば、ミゲルやフロレンシアが姿勢を低くしてカレルの表情をうかがっている。どちらも心配そうな顔だ。

「アイツら、あのあとさっさと逃げちまったよ。……って、聞こえてる?」

 ミゲルが質問をなげてくるが、いったいなにを言ったらいいのか口を動かすことすらできなかった。

 店のなかはぐちゃぐちゃに散らかっている。

 なにがあったのかわからない。

 息を吐いた。苦しくない。思考がこんがらがって、収拾がつかない。

 二人の数歩うしろで、スケッチブックを片腕で抱きしめて立ちつくすメレディの姿があった。

 彼女は不安そうな顔で、カレルのようすをうかがっていた。

 かたわらの少年は、よくわからないといった顔で現状をながめている。

 無言のままでいると「うーん? なんか調子悪いとかでボーッとするとか?」とミゲルが顔をのぞきこんできた。

「え? ……なんだい、風邪でもひいてるのかい?」

 フロレンシアが手をのばしてくる。

 おでこに手をあてられるなんて予想してなくて、体がガチガチに固まった。あてられた手はあたたかい。

「……大丈夫そうだねえ」

 手がはなれる。

 わけがわからなくなって、つい両方の手のひらをながめてしまう。無数の傷跡のほかに新しい傷は見つからない。

「手がどうかしたん?」

 聞かれてあわてて手をひっこめた。

 みんながじっと注視してくるせいか、なんだか視線が痛い。

 へんな気分になって、おさまりが悪くなる。焦燥が体のなかからじわじわとわいてきた。

「おれ……なんかわるいことした?」

 聞いてみたけれど、しん、と静まったままだれも口をひらかない。よけいに不安になる。

 ミゲルとフロレンシアが顔を見合わせて、またカレルを見る。

「いや、なんで?」

 不思議そうにミゲルが聞き返してきた。

 返答にこまって、今度はカレルが沈黙する番だった。なにか伝えようとしても口のなかで言葉がとどまってしまう。

 どうしようもなくなって、カレルは面を伏せた。

 ふと、ぎゅーるるる、とマヌケな鳴き声がする。

 ぴたっ、と時間がとまった気がした。

「ん……んんー?」

 唐突にミゲルもマヌケな声を上げた。

 なんだか気絶しそうなくらい頭がクラクラして、うなだれてしまう。

「……どうしたんだい?」

 フロレンシアが、すこしあきれたような声音で聞いてきた。

 ばっと、カレルは顔を上げる。

「……お」

 とたんに全身の力がぬける。

「「お?」」

「……おっ、おなか、すいた……」

 また腹の虫がぎゅうぎゅうさわぎだす。カレルはへなへなと脱力して腹を抱えながら背中をまるめた。

「って、なんだそりゃぁ」

 風船がしぼんだみたいな口調でミゲルがツッコミを入れたが、リアクションを返す余力も残ってなかった。

腹へり主人公……(遠い目)。

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