天文の魔女サヤの図書喫茶
「水晶の魔女」の魔法塾シリーズ、第7弾。今回は「天文の魔女」サヤこと、天知小夜の視点を中心に。大天才の姉弟子二人と、地味に実力はある弟弟子。コンプレックスを感じないかと問われれば、決して素直には頷けない。
けれども、他人との優劣を競うのではなく、自分自身の弱さに向き合うことを大切にしよう、と心掛けるために、小さな小さな儀式……「囲碁」をする。急死した先代「天文の魔女」の遺言を思い出すために。
天知小夜は、占い師であり「水晶の魔女」である。
彼女は港町の一角に、小さなブックカフェを営み、時折、客の悩み相談に乗る。場合によっては、求めに応じて占いもする。ここで彼女が客にありがたがられているのは、占い料が基本的にはタダだということだ。世の占い師の中には、一回の相談で万を取る者もある。
「まぁ、その気になったら、チップで下さい」
そう言う彼女の声は、事実上、対価を要求していない。
ただし、本当の本気で、彼女の「占い」を必要としている人間が相手の時は、別だ。
サヤの占いは基本的にタロットで行われるが、彼女の「本気の占い」は占星術。
「歴史の魔女」マヤと「詩歌の魔女」マリの系譜に繋がる者の中で、彼女は最年少で「天文の魔女」という別格の称号を得た。
「天文の魔女」とは、本来ならば「七大魔女」と呼ばれる、学術系魔女の最高峰の称号だ。生前に後継者として指名してくれた、先代の「天文の魔女」の急死、による襲名だったため、サヤ自身は己を、まだせめて名乗れて「九術魔女」だと思っている。
「九術魔女」は、芸術系魔女のトップクラスの称号だ。ただし、七大魔女とは異なり、こちらは常に十人以上がいる。というのも、ヘシオドスの「ムーサ」の分類に従って「九」と呼んではいるものの、実際には「ムーサ」にカウントされる女神は十人を超している。そして、たとえば九術魔女の中には「合唱の魔女」など、一人でどうやって……という「称号」もあるのだ。
「天文の魔女」は、「七大」と「九術」どちらにも存在する、唯一の称号である。
それをいいことに、サヤは己を「まだまだ七大の領域じゃないですよ~」と言っている。もっとも、だからといって、彼女が「芸術」に造詣が深いかというと、それはそれで疑問だ。
実に「新米師匠」に相応しい、微妙な貫録のなさである。
が、そんなことは、弟弟子である川辺理生……「律動の魔女」リオや、自分の人生最初の弟子である、高階海砂……「未来の魔女」すなわち半人前魔女であるミサの前では、見せるわけにはいかない。
無論、同じ師についた弟弟子のリオは、ミサよりはサヤの事情を知っている。
サヤは最年少で「天文の魔女」を襲名していながら……その前の名乗りは「星見の魔女」だった……マリ師匠門下でも、魔法発動の燃費が最悪であり、全力全開を出すと、短時間で「ガス欠」状態になる。これは、彼女の行使する魔法のスタイルの特異性に、大きく起因する。
通常「水晶の魔女」は、媒体とする水晶を「小さな地球」に見立てて、そこから「世界の情報」を受信し、チカラを借りることで、魔法……あるいは呪術を発動させる。
しかしサヤは、己の「適合水晶」である「針入水晶」を、まさにそのまま、成層圏をすら超えた「地球圏」に見立てて、そこから「宇宙の情報」を受信する。効率化の天才である姉弟子の仲間彩……「修辞の魔女」アヤが、自分の認知範囲だけに「世界」を絞り込んで、エネルギーロスを極限まで抑えることが出来るのとは対照的に、サヤの魔法は発動の段階で、めっちゃくっちゃにエネルギーを消費する。
サヤの「本気の占い」は、この燃費が極限にまで悪い「魔法の発動」を必要とするため、消費されるエネルギー量が、半分以上カウンセリング状態のタロット占いとは、比較にならないほど大きい。ミサはまだ知らないが、天文計算ソフトを使った「星占い」など、実はまだまだ本気の占いではないのだ。
消耗すると分かっているので、よほどの事情がない限り、サヤはこれを使わない。
まさに「奥の手」である。
それを理解した上で、それでもその「本気の占い」を要求してくるのなら、それはもう、相応の対価をもらわねば、やってらいれない。店を臨時休業したくなる勢いで疲れるのだから。
が、その強烈な負荷を覚悟してでも付き合うのが、姉弟子アヤの「魔道」研究だ。
「魔道」……すなわち「魔女(witch)」の「魔法(witchcraft)」と「魔術師(wizard)」の「魔術(wizardry)」とを融合させた、アヤとその夫にして「錬金の魔術師」リョウとが中心になって研究を進めている、新しい時代の「魔法の道」である。世界の声を「聴く」ことに特化した「魔女」と、人間の心に「囁く」ことに特化した「魔術師」のワザとを融合させ、一人で「送受信」の能力を使いこなす、新しい道。
門下最強の大天才魔女にして、サヤの一番上の「姉弟子」エリカは、明確な理論化をせずに、本能だけで事実上この領域にまで到達しているが、彼女ほどの才能を持っている人間というのは、きわめて稀だ。稀少中の稀少であるからこそ、エリカは「大天才」と呼ばれるのである。
そしてアヤは、エリカとほぼ対等に会話できる、唯一の同門である。
魔術師を夫に迎え、本業を教師としているアヤは、マリ門下随一の「感覚理論化能力」を持つ。天才の感性を分析し、凡才にも分かりやすい「論文」にまとめ上げることにかけては、アヤはエリカをさえ上回る。「七大魔女」のうち、文系魔女の最高峰「三学」の一角をなす「修辞の魔女」の称号は、少なくともこの姉弟子に限れば伊達ではない。
そんな姐御アヤの「魔道」研究に、理系的分析・解析能力を買われて、一枚噛めるようになったのは、燃費最悪のサヤにとっては思いもよらぬ幸運……に思われた。
この、燃費を改善する理論を、アヤが思いつくかもしれないのだ。
理学部出身の自負で、サヤは数値の分析や解析については、アヤより得意であるという自負がある。だが、文学部出身のアヤの強みは、それらの数値をさらに言葉による説明にかみ砕き、より理解しやすい説明を組み立てられる点にある。この点に関して、サヤはアヤに明確に劣る。というか、理論化能力ではエリカにすら勝るアヤに、そもそも文系能力で負けているサヤが、勝てるわけがない。
燃費の改善は、サヤにとっての最重要課題である。
アヤやエリカほどではないが、サヤだって、かの「闇堕ち」した元兄弟子のアンリ……マリ先生の実子である……の脅威を警戒している一人だ。サヤが、比較的負担の少ない状況で能力を発揮できるのは、年に数回ある「流星群」の夜だけ。
その夜だけは、大量に視認できる流れ星のおかげで、常日頃よりも感知能力を下げた状態から、魔法を発動できる。ただし、それでもやはり、圧倒的に燃費が悪いのは事実だ。
まぁ、アヤの燃費が良さが、そもそもおかしいのである。
アヤは「自分の認識範囲」だけを「情報を聴くべき世界」に見立てることで、受信のために使うエネルギーを、極限まで抑えることが出来る。基本的な「水晶の魔女」の「魔法」から見れば、反則スレスレである。認知範囲をいかに広げていくか、というのが、最初に要求される能力なのだ。
だが、もとから広範囲を認識できる素質の高かったアヤは、そこから逆に「認識範囲の自在指定」という術を編み出してみせた。サヤの魔法とは真逆とも言える性質であり、アヤにその論文を読ませてもらった時点で、サヤはこの方法による「効率化」は断念した。そもそも「天文の魔女」は、特に広範囲の認識能力を必要とする道を歩む者の称号である。
だが、今のアヤの研究は、ひょっとしたら己の燃費の効率化に使える可能性がある。
すなわち、振動を利用した「四属性への干渉研究」である。
アリストテレスの曰く、世界を構成する四大元素とは、すなわち「地」「水」「風」「火」だ。実際のところ、元素というのはより多様で、原子の周期表に日々新しい情報を掲載せんと、世界各地の科学者たちは今日も努力を重ねている。
現代魔法・魔術において……というか、少なくともマリ師匠の門下においては、この「四元素説」は、より現代的理解に沿った形で、新たな理論に組み直されている。
すなわち「四元素」ではなく「物質の四態」だ。「地」は「固体」、「水」は「液体」、「風」は「気体」、そして「火」は「プラズマ」である。プラズマとは、原子核と電子が「分離」はしていないものの、電子が通常の「電子軌道」から外れた、特殊な状態である。きわめて高いエネルギーを持つ。具体的な例を挙げるなら、水もプラズマ化すれば、鉄を溶かして切断できる。
これらの状態に応じて、最適のアプローチを行うことで、エネルギーロスを減らそうというのが、現在のアヤの主な研究である。そして、そのメインの実験台に選ばれたのが、弟弟子のリオだ。アヤは、インドからの帰国以来、いやに学問に真剣になり始めたリオに、手伝ってやろうかと「囁き」かけたのである。さすがは半分「魔術師」の文系魔女。リオは喜んで承諾した。
「律動の魔女」を名乗りとするリオは、振動を操ることを得意とする。波長を探知する才能にかけては、エリカを別格とすればであるが、門下でも突出した素地を持っていた。
そもそも「野生の魔女」として、能力を暴走させかけていたのを、マリ先生が捕まえてきたのがきっかけなので、リオは正式な「水晶の魔女」としての訓練を受けた期間が、26歳という年齢の割に短い。修行開始は19歳だから、たったの7年である。
サヤは15歳から訓練を受け、今年で28歳になる。約12年の訓練を経ているわけだ。そんなサヤが、正式に「星見の魔女」の名乗りを許されるまで、かかった期間は10年。弟子取りの許可が下りたのは、つい先年のことである。そして、その直後に、第三師匠であった先代の「天文の魔女」が急死……かくて、史上最年少の「九術魔女」「七大魔女」が誕生したわけだ。
実に、まだまだ「未熟者」である。
アヤは、修行開始から4年で「理論の魔女」の名乗りを許された。「修辞の魔女」を正式に襲名したのは、修行開始から10年経ってからだが、たった10年で「七大魔女」に異議なしのランクインを認められたのは、同じ「七大魔女(仮)」でも、サヤとはまるで格が違う。
そして、口ではけちょんけちょんに言ってはいるが、リオが「律動の魔女」の名乗りを許されるようになる契機となった、鉱脈探知術を完成させたのは、修行開始から5年後のことである。ぶっちゃけよう。弟弟子ではあるが、生まれつきの才能に関しては、リオの方に軍配が上がるのだ。
そんなリオについて、姉弟子アヤは、どうやら「七大魔女」の一角である「音楽の魔女」、もしくは「九術魔女」の一角である「独唱の魔女」の素質を見出しているらしい。
リオに「歌」を紡がせ、その影響力を解析する実験に、現在、サヤは付き合っている。こういった分析機械の扱いは、理学部出身のサヤに一日の長がある。声紋の基本構造、周波数、気温、湿度……諸々の条件を勘案し、大量の数値を処理するのが、サヤの主な仕事であった。
その前仕事として、サヤも「歌って」みたし、無論アヤも「歌って」データを取った。
が、偉大なるアヤお姉さまは、さらにとんでもない人材を引っ張り出してきた。
あまりにも能力が突出し過ぎているが故に、まともな社会生活も営めなくなって山奥に引きこもった、現代魔女とも思えない「隠者」のエリカ。猫と会話し、薬草を育て、そして「ヤマ勘」で、魔術師のリョウを驚愕させるクラスの「魔術発動補助礼装」を作り上げる、規格外の天才。
彼女の「歌」は、はっきり言って、桁が違う。
除草剤も使わずに、雑草だけ枯らしたり、あるいは目的の植物の成長を促進したり。
まさに「魔法!」というようなことが出来る、サヤの知る限り唯一の人材だ。
「さぁ、最高のデータを取るよ」
そう言ってニマニマ笑っていたアヤの顔を、サヤは忘れられない。教職に就いて真っ先に得た「称号」が「小論文の超人」というアヤは、論文執筆に全力を尽くすことが生き甲斐の一つである。冷静に考えてみれば、リオの前段階としても、サヤやアヤが歌う必要というのは、そこまでなかったはずだ。少なくとも、言語系魔術に才を開花させつつあるアヤはともかく、極限に燃費の悪いサヤは。
それもこれも全て、比較検証のためのデータ収集であったのだ。
マリ門下で最多の師匠に師事した、研究の鬼であるアヤが、単純に弟弟子の面倒をみる……だなんていう事態を、そもそも奇怪に思うべきだったのだろう。
第一師匠が『詩歌』の魔女マリ。そこから、第二師匠に『幾何』、第三師匠『数理』、第四師匠『工芸』、第五師匠『弁論』、第六師匠『本草』、第七師匠『医療』の魔女アユミ、第八師匠『音楽』……で、第九師匠(仮)に、魔術師のリョウ。
旺盛極まりない知識欲でもって、大師匠『歴史の魔女』マヤの妹弟子やら、そのさらに弟子やら、あらゆる系列門下を行き来し、凄まじい量の知識や技術を吸収し、我がものとしてきた。そして、それらの膨大な知識や技術を自己流に組み直して、新しい「魔道」を切り開いている。
アヤにとって、万物は研究の糧なのだ。
それは、妹弟子も弟弟子も、姉弟子も何も関係ない。
「よくもまぁ、あのお人を引っ張り出せましたね……」
リオの後に姿を現したエリカを見て、思わずサヤは呟いたものだ。
「私の店と、あなたの店に卸す、アクセサリーとかについての相談、ってのも持ちかけたからね。売れ行きの分析とかも気になるでしょうし、客層を見て作風をいじったりとか、そういうことも考えたんでしょうよ」
「……事後承諾ですか」
「異論はある?」
「いえ、アリマセン……」
エリカの作るアクセサリーは、口コミで評価が上がっているのだ。たしかに、もうちょっと卸してくれる量を増やしてほしいな、と思っていたところであるのも、事実だ。
実に、心理学を専攻した者を夫に持つ、半分魔術師の魔女らしい行動である。
この立ち回りの匙加減こそが、マリ門下の「双璧」と称された二人の、命運を分かったものだろう。エリカは現代社会に適応しきれずに山奥に引きこもり、アヤは適応した。
無論、当初マリ先生をして、あまりに桁外れの素質から「未来の魔女」ではなく「未知の魔女」という名乗りを与えられたエリカは、ある意味最初から「人外」なのだが。
とりあえず、サヤは各種数値の記録に、計器の確認をする。
アヤは「スタジオ」に、何の気負いもなく立った「大天才魔女」の姉弟子に、声を掛けた。
「思う存分『歌って』ください」
「……何を巻き起こしてもいいのかしら?」
その返事に、サヤは「本気で『人外』の魔女だ」と内心に呟いた。
アヤは動じる様子もなく、にこやかに応じた。
「むしろ、ジャンジャンやっちゃって下さい。取れるだけのデータをもらいたいので」
「……卸の量を増やすけど、いい?」
「一向に」
「わかったわ……じゃ、いくわよ?」
計器状態オールグリーンでーす、と、サヤは半ば投げやりに付け足した。
とりあえず、実験終了後に思ったこと。
なんで歌を歌っただけで、水槽の水が沸騰するんだ。そして蒸気が細かい雲になったと思ったら、それが虹を出したり、幻影を見せたり、雨粒になったりするんだ。
「……掃除は責任取れないからね?」
半分ばかり「水浸し」になったスタジオで、けろりとエリカお姉さまは暴言を吐いた。
「ええ。サヤがしますよ」
アヤお姉さまは、笑顔でろくでもない返事をした。
鬼チクショウ! と内心で姉弟子を罵ったのは、間違いのない事実である。
掃除を終え……というか、途中からはさすがにちょっと責任を感じたのか、エリカが歌で補助をしてくれたのだが……天才姉弟子二人と別れて、サヤは己の店に戻る。
図書館をイメージした、ブックカフェだ。占い館も兼ねているのだが。
本日は、仕込みに時間が取れないので、臨時休業だったのだが、臨時休業という看板を無視して入ってくる人間がいることを、サヤはよくよく知っている。
つまり、己の人生初の弟子であるミサと、弟弟子のリオと、その友人でインド系呪術を使う「芳香の探究者」ソーマ、以上の三名である。
国境を越えて活動することを夢見るミサは、世界各地の鉱山を回って鉱物採集をしているリオに、なかなか心惹かれているらしい。そしてその友にしてインド人でもあるソーマという存在は、ミサの「もっと広い世界を見たい!」という好奇心に、それはもうボーボーに火をつけてくれた。
カランカランとベルを鳴らして、正面玄関から店に入れば、案の定の顔ぶれだ。
店の一番奥、魔女たちのためのテーブルであり、また同時に、サヤに占いを依頼する客のためのテーブルでもある、その座席に、ミサとリオとが座っていた。厨房にはソーマが入っている。スパイス大国インド出身の彼に対して、サヤはハーブの調合で勝つ気などない。
(後で残量の計量をしておこう)
好き勝手にハーブやスパイスや食材をいじって、ソーマは見事な料理を作っていた。ぷぅん、と店の中に漂う香りが、自分が料理を仕込んでいる時のそれよりもかぐわしい気がするのは、なかなか心折れそうなことであるが、いやいやソーマはインド人、と心を慰めている。
料理をつつきながら、リオとミサは会話に花を咲かせている。
人が掃除をしている間、この弟弟子めは、疲れたと称して、現在逗留中のサヤの店・兼自宅に先に戻っていたわけだが、疲れて戻ってきた目で見ると、何とも腹の立つ光景だ。
そんなサヤのピリピリを、しかし素質だけは十分にある弟弟子は、さっと察して、ソーマに新たなチャイの調合を依頼して避けるのである。
コンチクショウ。こういう所では要領のいい弟弟子なのだ。
「サヤ姉! 今日は実験、お疲れ様!」
朗らかに笑う弟弟子は、スタジオでへしょげていた影など、もはや微塵もない。
けろりと忘れる能力というのは、実に貴重である。
まぁ、それがムダに発揮されて、全然「学び」が向上しなかったのが、リオの短所だが。
「……先に帰ったお前はいいよな」
あの後の掃除の苦労を思い出して、サヤはチャイをちびちび飲みつつ、愚痴る。
「? 何かあったのかい?」
「あの姐御、スペシャル技を爆裂させまくりやがった。魔法使い過ぎるわ」
「ワァオ……いったいどんな?」
リオのその質問に、まだまだ半人前の弟子ミサも、興味津々の目を向けてきたのには気がついたが、あー! と半ばは自棄になって、サヤは暴露した。
「『魔法』ってのはな、たしかにな、『世界のチカラ』を借りて、特異な現象を引き起こす技術だよ……だけどな、この世のどこに、歌うだけで水を沸騰させる魔女がいるよ? しかも、水蒸気で虹作ったり、蜃気楼出したり、挙句の果てには、スタジオで雨降らしやがった」
弟弟子相手だと、つい乱暴な口調になるが、ミサもこの頃は慣れたらしい。
「うーん、実に桁が違うねぇ」
リオはのんびりした口調で、そんな感想をのたまう。
「呑気なヤツめ」
「いやぁ、だってエリカ姉さんに勝てる人間って、想像つかないだろ?」
言われて、たしかに、とサヤも納得せざるを得なかった。
「そいつは同意する。アヤの姐さんでも無理だろうな。人材育成能力が低いかわりに、自分自身の成長能力は天井知らずなのが、エリカの姐御だ。あんだけの大技を炸裂させまくって、まだまだ余裕あったんだぞ……その燃費をこっちに分けろってんだ」
「はっはっは。サヤ姉の魔法は、燃費最悪だもんな!」
ああ、と口惜しいながらも、それにも同意する。
「名前と術式の特異性で『天文』襲名できたと思ってるぐらいだ」
そのサヤの言葉に、黙って話を聞いていたミサが、口を開いた。
「名前、って、どういうことですか?」
ミサの質問に、このぐらいなら大丈夫だと判断して、サヤは解説をする。
「私の本名、知ってるだろ? 天知小夜……天を知る、小さな夜……実に『天文の魔女』に相応しい名前だ。そして、私の魔法は、他の門下生とは少し異なっていて、水晶を単なる『地球』ではなく、『太陽系の中の地球』に見立てて、その声を聴く。ようは、魔法発動までに探知しきらないといけない『必要認識範囲』が、他の姉さん方に比べて、極度に広いんだ。ステラナビとかの補助を借りても、全力を出せる時間は30分にも満たない」
「え? 30分?」
短ッ、と言いたげなミサの顔と、ワァオ、と声を上げるリオ。
「伸びたね!」
「えっ?!」
リオの反応に、思わず驚きの声を上げたミサを、サヤは軽く睨んだ。
「伊達に弟子取りの許可は下りてませんとも……それに、先代の急死による襲名とはいえ、こちとら仮にも『七大魔女』もしくは『九術魔女』の名乗りだぞ? 成長してなきゃおかしいだろう」
ちなみに、ミサはすでに、七大魔女と九術魔女については、リオから聞いていたらしい。特段、空気を読んで黙ったという感じでもなく、黙って話の続きを待っている。
「……サヤ姉は、どっちのつもりで名乗ってるんだい?」
「『七大』未満、ってトコだな。状況によっちゃ『九術』かな、って思わなくもないが、芸術的感性については、やっぱり自分は多少、姐御たちに劣るって自覚がある」
「……あの二人の姉さんについては、別格だと思った方がいいと思うナー」
乾いた笑いをもらすあたりに、本日の苦労がしのばれる。
「お前の『歌』の効果については、もうちょっと詳しくデータを分析しないと、出せんね……っつーか、エリカの姐御がおかしいんだが」
「エリカ姉さんについては、僕ももう『規格外』だと思うぞ」
「うん。ただなー、今日あの姐御が着てた服、あれ多分、術発動の補助礼装を兼ねちゃってるから、それ抜きでまたデータ取りをさせてもらうことになったよ」
「あ、やっぱりか」
リオの反応は、なんだか「予想通り」という顔だった。多分、エリカの服装を見た時点で、ある程度の見当をつけていたのだろう。刺繍とか、糸の染料の選び方から。ひょっとしたら、何か「聴こえ」たのかもしれないが。元「野生」の魔女だけあって、リオの「聴く」チカラの素養は高い。
だが、コイツも成長しているんだなぁ、としみじみ実感する。
今までのリオだったならば、エリカの服が、術の発動補助機能を備えている、ということなんて、きっと考えもしなかっただろう。そのぐらい「カラッポ」だった。
チャイをちびちび……猫舌なのだ……やりつつ、サヤは今日の事を思い起こす。
「アヤ姐が、途中から妙に検分するような目になってた。多分、刺繍の魔法円だか、呪術紋様だか、何だかが、術の補助用に発動してたんだろう。まぁ、最悪なのは、その『補助礼装』を、本人が全く自覚なく、ヤマ勘で美意識を追求した結果のただのオシャレとして、作ってる点だが」
「ああ。リョウ氏が恨み節唱えてたね。主に染色関連で」
「だろうな」
サヤも「工芸の魔女」集団に、一時期は師事していた身である。染色の工程の複雑さはもちろん知っているが、だからこそ、その魔法・魔術的効果を最高に発揮する組み合わせを編み出すというのが、どれほどに途方もない取り組みであるか、ということも理解できる。
それをヤマ勘でやってしまうのだから、実にエリカはたちが悪い。
しかも、バッドニュースはさらに続いた。
あ、そういえば、と、リオが声を上げたのだ。
「なんか、リョウ氏が言ってたんだけど、エリカ姉さんの作る紋様は、魔術師の共同体では、コンピューター計算した上で、機械作業で精密に織ったり縫ったりするシロモノらしいぞ。リョウ氏はエリカ姉さんが魔術師の共同体出身だったら、どれだけの学術的進展が得られたかとか何だとか、やたら嘆かわしそうに叫んでた。多分、あの姉さんのヤマ勘のせいで、ウン十年分の研究蓄積がパァになる人は、一人や二人じゃないだろうからね」
「えっげつねえ……」
人間の欠点に「飽き性」がある。単純作業に対する耐性が低いこと、と言えるが、エリカは恐ろしいまでに、単純作業を平気でこなす。もっとも、集中が一度切れたら、また別の単純作業に移るので、飽き性が全くないわけではない。おかげで、エリカの「家」には、作りかけの恐ろしい代物が、あっちこっちに散乱しているらしい。よくそれで大型猫など飼えるものだ。まぁ、アーサーは「魔女猫」……一般人とすらある程度の意思疎通が可能な、強力な受信能力を有する猫、だけれども。
実に、アンリも闇堕ちしようというものだ。ただ、単なる闇堕ちでは、「暗黒面の力」を手に入れようとも、単純出力と天賦の才能だけで、エリカが勝ちそうだ。囲碁で例えるならば、エリカ白番の黒のコミなしでも中押し勝ち。むしろ、置き石をされても平気でひっくり返しそうである。
何故ここで囲碁か? それは、日本初の独自の暦である、貞享暦を作った渋川春海が、元々は碁打ちの家系の出身であり、そして天文観測の哲学を囲碁に当てはめて、記録に残される限りでは日本初の「初手天元」という奇手をぶっ放した人物だからだ。
彼は「天元」を「天の中心」である「北極星」に見立てたのである。
天元は碁盤の中央の点だ。言い換えるなら、四辺と四隅から最も遠い。
囲碁の基本は「陣取り合戦」であり、従来の定石においては、地固めをしやすい端の方から攻めるのが基本であった。その点、初手天元というものは、どこにでも広がっていける可能性を持つが、四方八方からの圧力を容易に受ける、奇手である。
それを敢えて、しかも江戸城での御城碁の大一番で、かの本因坊家の碁打ち、本因坊道策を相手にぶちかましたのである。まぁ、この日春海は「これでもし負けたら一生天元には打たない」と豪語して、9目の負けに終わった。そのため、以後はこれを打っていないのであるが。
渋川春海は、実に複雑な人物だ。碁打ちが本業の家に生まれ、その分野においても、それなりに才能を認められている(※ただし、上には上がいるというか、御城碁での対本因坊道策戦の戦績は、11戦して0勝10敗、1戦は勝敗不明、である。完敗だ)
しかし、彼はそれ以外にも、実に多様な顔を持っていた。貞享暦の制定に関わった事から、天文学や暦学に通じていたことは明白であるし、それらの緻密な計算を行うために、算術にも通じていた。それと同時に神道の研究にも通じており、実に多芸多才な人物だ。
だが、それはある一点へと集約される。天と地、地と人、知と人とのつながり……それが、渋川春海という人物の、揺らぐことのない「天元」すなわち北極星だった。
サヤは「天文の魔女」の次期襲名者に選ばれた際に、先代だった師に言われた。
「あなたの『天元』を持ちなさい……天文の魔女の道は、他のどの魔女の道よりも広く深く苦しく遠い。だからこそ、揺らがない道標を持ちなさい。挫けることのないように。他者に勝つことよりも、己に克つことを大切になさい」
今日、サヤは、姉弟子エリカとの圧倒的な実力差を見せつけられた。
だがしかし、直々に生前後継指名を受けた「天文の魔女」として、挫けてはならない。拗ねてもいけない。エリカに勝つことよりも、自分自身の弱さに克つことを、大切にしなければならない。それが「天文の魔女」としての道。そして誇りだ。
そのようにあれてこそ、弟子ミサもまた胸を張って「魔女」になれる。
パソコンを引き寄せ、電源を立ち上げる。リオが首を傾げて、覗き込んでくる。
「何だい? 今日のデータの整理かい?」
「いや、久々に囲碁でも打とうかと」
「……そういや『天文の魔女』ってたしか、必須教養に囲碁があったっけ」
「え? そうなんですか?」
ミサの言葉に、ネット碁のサイトにアクセスしながら、いやいや、と首を振る。
「いや、必須かどうかは……ただ、師匠の遺言の一つが『己の天元を持て』だからね……だからこうして、時々は囲碁を打って、自分の原点を見つめ直すんだ。『他人に勝つのではなく、己に克つことを大切に』ってのも、師匠の遺言だからね」
ログインして、対戦相手が来るのを待つ。待ちながら、自分の喫茶店の中の本棚を、ちょこっと漁ってきた。持ってきたのは、囲碁の打ち筋の本と、それからハードカバーの小説。
「……『天地明察』?」
ミサが、そのタイトルを読み上げる。
「私がこれから打つ手をね、日本で最初に打った人のことを書いた小説だよ」
「初手天元、だな! 相変わらずやってるのかい?」
リオの言葉に、ふふっ、とサヤは笑った。
「見ろ」
観客として入ってきた面々の、挨拶や応援やらが、チャット形式で出てくる。
《お久しぶりでーす! haruka1670さん! 今日も「アレ」ですか?》
ネット碁打ちとしてのサヤの名は、haruka1670である。
初の初手天元の棋譜が残された寛文十年を、西暦になおした1670年に、渋川春海の「はる」と、遙か遠い星を見つめる「天文の魔女」の心を込めて「haruka」だ。
サヤは、慣れた手つきで返信を打つ。
「はい、今日もやりますよ。初手天元でいきます」
《さすがブレない!》
《安定と安心の「初手天元」宣言w》
《初手天元は、もうharuka1670さんの代名詞ww》
《おい、先人を忘れるなw》
《渋川春海(二代目安井算哲と呼ぶべき?)さーん! こんなところに、あなたの碁の哲学をまだ貫いている人がー!》
「師匠! 北極星から見ててね☆」
《ちょww harukaさん、悪ノリ激しいwww》
《で、今日の本因坊道策は誰だ?》
《対戦者ログイン……キター!》
《michiru2001さんだ》
《キター! 今日の対戦もか!!》
《michiruさん……アマ有段者ですよね……何故に毎度毎度ww》
《もはやharukaさんのSTKのようだwww》
《ちがーう! 初手天元の可能性を見ていきたいだけですよ! こんな変な打ち方を毎回する人なんて、harukaさん以外にいないじゃないですか!》
《確かにww》
《haruka1670さん以外に、初手天元ばっか打つ人なんかいないwwww》
《むしろ初手天元を打つ人自体が、絶滅危惧種ww》
《マンガではあったな。初手天元とか、二手目天元とか……》
《現実の世界じゃレア中のレアよ……》
《そのレアを当たり前のように毎回やっちゃう、超絶希少種のharukaさんww》
《むしろ、超絶奇行種じゃないのかww》
《奇行種wwww》
「それじゃ、michiruさん、本日もよろしくお願いします」
《こちらこそ、よろしくお願いします……先番はもちろんharukaさんでw》
「むろん、初手天元で」
《待ってました!》
《アマ有段者のmichiru2001さんと、謎の「初手天元」こだわり職人haruka1670さんの、名物対決、いよいよ開始ー!》
《いざ、開戦! そして我ら、いざ、観戦!!》
「……毎度毎度、こんなノリなのかい?」
チャットのテンションに、さすがのリオもヒき気味だ。あのリオが。
「うん。いや、このサイトって、棋譜が全部残るんだけど、毎回毎回黒番で初手天元打ってたら、何だかある意味名物になっちゃったみたいで」
「まぁ現実に絶滅危惧種な奇手ではあるよね、たしかに」
「で、このmichiru2001さん、って人が……アマ四段らしいんだけど、この人がね、私の毎回毎回の初手天元を面白がってね……このところ毎回、対戦相手になってんだわ」
「戦績は?」
「アマ四段相手に、初手天元だぞ? 察しろ」
ああ、うん……つまり、絶賛連敗中というわけだ。
「……ミサ、何笑ってんの?」
ふと気づくと、弟子が肩をぷるぷると震わせて、笑いを抑えている。
アマ四段相手に初手天元を続けるのが面白いのか、と思ったが、違った。
「奇行種……」
うぷぷぷ、と吹き出す弟子に、課題だ、と例の小説を突きつける。
「読書感想文を三種類、書いてきなさい。まず一つ目、学校の課題のノリで。次に、自分自身の魔女の感性が聴き取った言葉で。そして最後に、この『天文の魔女』の弟子としての観点から」
「げっ!」
理系傾向の強いミサにとって、読書感想文の課題は、実に悪夢だ。
「昨今の大学は理系偏重だけどね……魔女にとっても、魔術師にとっても、最初の入り口となる『教養』を伝えてくれるのは、言葉なの。つまり文系なの。そこをおろそかにしたら、魔女でも魔術師でもない、ただの変人になるわよ。そこの愚弟みたいな」
「ちょっ! さすがにそれはひどいんだぞ、サヤ姉!」
「あ、理系もおろそかにしてたか」
「ひどい……だから今、必死で巻き返しの勉強をしてるんじゃないか!」
「それすなわち、両方サボッてたってことの言質よね?」
「あっ!」
自ら墓穴を掘ったリオに、カウンターの向こうで、また何やら一品仕上げていたソーマが、ケラケラと笑った。ミサも笑った。サヤは笑いながら、マウスポインタを、画面上の碁盤のど真ん中に鎮座する星の上にのせると、躊躇なくクリックをした。
《初手天元、キター!!》
《キターーー!!》
《さすがharukaさん! 地軸よりブレない安定の初手!!》
《北極星でも1度ズレてるのに、この御方はww》
《二手目どう来るかなww》
《michiruさんのこないだの手……お! いきなり目外しww》
《5の3ですかwwww》
《早速空中戦ww》
《何故に 敢 え てww》
《もうわけがわからないよwww》
うん、囲碁を知らないミサには、まったく理解できない。ある程度分かるらしいリオも、目を点にしている。そしてソーマは、どうやら囲碁そのものを知らないらしい。
「What's this board-game?」
「Go. Or We name Igo.」
リオが、相変わらずのブロークンな英語で返す。
「Can you explane the rules?」
「Ah... サヤ姉! ヘルプ!」
「自力で頑張れ! っつーか、実践訓練だ! ミサ、やりなさい!」
「へっ?!」
「世界中を旅したいんなら、囲碁のルールぐらい英語で説明できて当然よね」
「そのルールを知りませんー!!」
半泣き状態らしい弟子に、さすがに過酷か、と考え、日本語の説明をする。
「『二人対戦のゲームで、黒と白の石をそれぞれ使います』」
「えっと…… This game is played by two persons. One player uses black stone, another player uses white.」
「『黒が先番です』」
「へっ? 先番……ええっと…… The black-stone side player starts the game.」
一応、通じているらしい、ふむふむ、とソーマは頷いてくれている。
「『先番が有利なので、コミとよばれるハンデがつきます』」
「なっ? なんですかそれ??」
「頑張れ」
「えーん…… Game-starting-player have advantage to another player...」
「そこ、"have advantage" なら、続く前置詞は "to" じゃなくて "over" ね」
「前置詞ややこしい!」
「頑張れ」
「ひどい……で、えっと? コミってそもそも何なんですか?」
「ハンデでついてくる得点みたいなもんだね。6目半だ。ゲーム自体は陣取り合戦で、どれだけ広いスペースを自分の色の石が囲い取るかを競う。マス目の交差点の数で、広さを数える。数え終わったら、最後に、先手分の有利として、白のマス目の数に、6.5を足す。この数の大きい方が勝者」
「うわっ。ややこしい……えー? えー?」
ミサは頭をかきむしりながら、何とかあやしげな英語をひねり出していく。
「So the game finished, white-stone side player get 6.5 point more one's score. It is "Komi".」
ほうほう、とソーマが頷いてくれるのが、せめてもの救いだ。
「This game compete for getting larger space. How decide the getting space, I don't know. But at last, they counting their own getting the number of cross-points. Of course, white-side player gount more 6.5 points. So the winner is decided.」
「はい、頑張りましたー」
そう言いながら、サヤは手元のスマホで、英語版のネット百科の囲碁の項目を開き、ソーマに投げた。その手があるならそうしてよ! と、ちょっとミサは内心で思ったのだが、しかし、このプレッシャーはやっぱり、ソーマという「基本的に日本語で会話できない相手に説明」という、実は日本語で喋っても分かってくれる先生相手では得られないものだ。
そういう意味では、いい緊張感だった、と思うのだが……。
(とりあえず、囲碁覚えよう……あと、日本のこと、もっと勉強しよう……)
世界中を旅したいなら、自分の国のことぐらい、説明できるようになっておこう。特に文化。でも、そうすると必然的に、歴史とか、そういったことも勉強しないといけない。
と、そこまで考えて、あ、とミサは思い至った。
(そうか……だから先生は、私にソーマさんに囲碁の説明をさせたんだ)
知らないと伝えられない。伝えられないともどかしい。
そのために必要なもの、それが、教養、なのだ。
(うん……文系もやらないと、ダメってことなんだよね。っていうか、理系の世界は数式っていう万国共通語があるけれど、文系の世界は……っていうか、現実の世界は、数式じゃなくて言語で動いていて、母語の数だけの「心の感覚」っていうのがあって……みんな、その「心の感覚」の中で生きてるんだ)
そして、それはどうやっても、世界共通の数式にはできなくて。
だからこの世界から、争い諍いはきえないのだけれど。
でも、そういう部分があるからこそ、自分には見えない世界が探しに行ける。
(次の英語の小テスト、頑張ろう)
でもその前に……である。
チラリ、とミサは、ハードカバーの分厚い小説を見やる。
(同じ小説で読書感想文三種類、かぁ……)
なんてハードなんだ。ハードカバーだけにか。
サヤのスマホで、より詳細なルールを理解したらしいソーマが、へえぇ、とばかりに声をあげる。
「Very Simple, but very very interesting!」
「Simple is the best, right?」
サヤが、カチリ、とまたマウスをクリックしながら、そう言って笑う。
「Oh, just I see.」
「サヤ姉、勝負の方はどう進んでる?」
「相変わらず強いわー、この人。今、右辺下の石、ごっそり殺された」
「殺す?」
ミサの問いに、うん、とサヤはまた次のクリックをする。
「囲碁では石を『生きてる』『死んでる』って形容するの。独立した2つの目……このマス目ね……それを持っていたら『生きてる』って言うんだけど、今さっき、ココ一帯に出てた分を、思い切り引っかき回されて、潰されちゃった。取れたと思って油断したわ。あと一つ、ココに打っとくべきだった」
「ま、ゲームはやり直しができるじゃないか」
「勝負は取り返しがつかないけど……まぁ、人生よりはやり直しできるわね」
サヤは静かに笑った。
脳裏にふっとよぎったのは、魔女の道を外れた、かつての兄弟子だ。
「その人生だって、やり直しがきく部分はあるんだぞ」
えっへん、と胸を張るリオに、サヤはじろりと冷たい一瞥をくれた。
「だからって、この愚弟を見習うんじゃないわよ、ミサ?」
「……は、はい」
ひどいんだぞサヤ姉! というリオの声に、笑い声が続く。
臨時休業日の「天文の魔女」の図書喫茶は、いつもより少し、にぎやかだ。
エリカさん無双。スーパースペシャル「ファンタジー」の魔法が使える、数少なすぎる魔女の一人。アヤもファンタジーな魔法が使えますが、媒体に各種水晶を経由する必要があります。しかし、エリカは喉一つで勝負可能。
自分以外には誰も育てられない孤高の天才魔女。別名:引きこもり。
囲碁は段ではなく級の作者です(笑) アマ有段者は某身内。
それにしても、碁盤の目の表記を統一してくれー! 棋譜読みにくい!
いやぁ世界は広くなりましたね。プロ九段にアマが勝ったり、定石がガンガン変化していって……古い本で勉強した私、さらに遙か置いてけぼり(笑)
とりあえず、本因坊道策は化け物やな……と、思った。何ぞこの勝率……
この人相手に「初手天元」で黒番9目負け(江戸期だからコミはないはず)で済んでる、二代目安井算哲さん、こと、渋川春海さんも素直にすごいわ。っていうか、この道策さん相手に「勝つ」宣言してるし。しかも初手天元で。結果は負けたけど、この手でこの人相手に、9目って……。
サヤの囲碁の師匠は、先代の「天文の魔女」です……まぁ、男だけどな。師匠はアマ六段設定なので、サヤもまったく弱いわけではない。ただ、四段のmichiruさんには勝てない程度の実力ってだけ。あと、絶対に初手天元なので、戦法を自分で制限しているという、一種の縛りゲーなのもある。